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大阪地方裁判所 昭和57年(ワ)9668号 判決 1988年7月13日

原告 塩崎庄一 ほか二一名

被告 国

代理人 小藤登起夫 蔵本正年 ほか一〇名

主文

一  被告は、

原告塩崎庄一に対し、金一九五二万五七五九円、

同塩崎笑子に対し、金一八二二万五七五九円、

同大田照子に対し、金一二四四万六二四〇円、

同森田豊子に対し、金二〇二〇万五三六四円、

同森田眞治及び同森田光美に対し、各金九八二万七〇〇二円、

同稲葉咲子に対し、金二三五五万九五〇八円、

同稲葉力及び同稲葉美佐枝に対し、各金一一三七万四七五三円、

同梅田町子に対し、金一九二七万四六〇八円、

同梅田容子、同梅田知宏及び同梅田佳孝に対し、各金六四〇万九九三六円、

同奥中勝代に対し、金二四四三万四五一五円、

同奥中嘉代、同奥中三津枝及び同奥中和美に対し、各金八一四万四三八四円、

同下岡民子に対し、金二三七五万三六二〇円、

同下岡恵美、同下岡智恵及び下岡直美に対し、各金七八六万〇三二六円、

同門宏正に対し、金九九万一六〇〇円

並びに

原告塩崎庄一については金一七八七万五七五九円、

同塩崎笑子については金一六六七万五七五九円、

同大田照子については金一一三四万六二四〇円、

同森田豊子については金一八五〇万五三六四円、

同森田眞治及び同森田光美については各金八九二万七〇〇二円、

同稲葉咲子については金二一六〇万九五〇八円、

同稲葉力及び同稲葉美佐枝については各金一〇三二万四七五三円、

同梅田町子については金一七六七万四六〇八円、

同梅田容子、同梅田知宏及び梅田佳孝については各金五八〇万九九三六円、

同奥中勝代については金二二四三万四五一五円、

同奥中嘉代、同奥中三津枝及び同奥中和美については各金七三九万四三八四円、

同下岡民子については金二一八〇万三六二〇円、

同下岡恵美、同下岡智恵及び同下直美については各金七一六万〇三二六円、

同門宏正については金八九万一六〇〇円

に対する昭和五七年八月一日から支払い済みまで年五分の割合による各金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は五分し、その二を原告らの連帯負担、その余は被告の負担とする。

事実

第一章  当事者の求めた裁判

第一請求の趣旨

一  被告は、

原告塩崎庄一に対し金四一一〇万八〇四三円、

同塩崎笑子に対し金三〇五九万五〇〇二円、

同大田照子に対し金三四六七万二一七三円、

同森田豊子に対し金三〇五七万九三〇五円、

同森田眞治及び同森田光美に対し各金一三五一万〇六一六円、

同稲葉咲子に対し金三八〇七万〇一一四円、

同稲葉力及び同稲葉美枝に対し各金一五三五万五二七六円、

同梅田町子に対し金三一三二万四九八七円、

同梅田容子、同梅田知宏及び梅田佳孝に対し各金九〇八万八六六二円、

同奥中勝代に対し金三八〇一万三七一六円、

同奥中嘉代、同奥中三津枝及び同奥中和美に対し各金一〇九一万五一〇二円、

同下岡民子に対し金三四四六万六一〇七円、

同下岡恵美、同下岡智恵及び同下岡直美に対し各金一〇九四万五四四八円、

同門宏正に対し金六四五万〇八四〇円、

並びに右の各金員のうち

同塩崎庄一については金三七三七万〇九四九円、

同塩崎笑子については金二七八一万三六三九円、

同大田照子については金三一五二万〇一五八円、

同森田豊子については金二七七九万九三六九円、

同森田眞治及び同森田光美については各金一二二八万二三七九円、

同稲葉咲子については金三四六〇万九一九七円、

同稲葉力及び同稲葉美佐枝については各金一三九五万九三四二円、

同梅田町子については金二八四七万七二六一円、

同梅田容子、同梅田知宏及び梅田佳孝については各金八二六万二四二〇円、

同奥中勝代については金三四五五万七九二四円、

同奥中嘉代、同奥中三津枝及び同奥中和美については各金九九二万二八二〇円、

同下岡民子については金三一三三万二八二五円、

同下岡恵美、同下岡智恵及び同下岡直美については各金九九五万〇四〇八円、

同門宏正については金五八六万四四〇〇円

に対する昭和五七年八月一日から支払い済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行宣告

第二請求の趣旨に対する答弁

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

三  仮執行免脱宣言

第二章  当事者の主張

第一請求原因(別紙《略語・用語表》参照)

一  当事者

1 原告

原告門は、昭和五七年八月一日、奈良県から和歌山県の紀伊平野へ西に向かつて流れる吉野川で、流水に押し流された者である。

その余の原告らは、別表1のとおり、同日吉野川において、流水に押し流された死亡者らの遺族であり、その関係は同表の原告の死亡者との関係欄記載のとおりであつて、原告大田照子以外の原告らは、それぞれ同表の相続分欄記載のとおりの相続分で各死亡者を相続した者である。

2 被告

被告は、右死亡者らの死亡当時、農林水産省近畿農政局によつて吉野川の上流奈良県吉野郡川上村大字北和田に所在する公の営造物である大迫ダムを設置管理していた。

二  大迫ダムの概要

大迫ダムは、十津川紀の川総合開発事業の一環として、河川法二六条、九五条により、国と河川管理者との協議によつて設置した農業用水確保及び発電を目的とするダムである。

同ダムは昭和三八年四月に着工し、昭和四八年に完工した。

同ダムは不等厚ドーム型アーチダムであり、その規模等は以下のとおりである。

堰高標高    四〇〇・五メートル

基礎地盤標高  三三〇メートル

堤高      七〇・五メートル

堤長      二二二・三メートル

堤体積     一五万八〇〇〇立方メートル

総貯水量    二七七五万立方メートル

有効貯水量   二六七〇万立方メートル

計画満水位標高 三九八メートル

余裕高     二メートル

満水面積    一〇七ヘクタール

最大取水量   毎秒二〇立方メートル

洪水吐ゲート  九メートル×八・六五メートルのもの五門

(「余水吐ゲート」ともいう。)

流域面積    一一四・八平方キロメートル

同ダム地点における吉野川の計画洪水流量

毎秒二三〇〇立方メートル

三  亡塩崎ら及び原告門の吉野川での被災

1 各被災者の被災日時等

亡塩崎、亡大田、亡森田、亡稲葉、亡奥中、亡梅田、亡下岡及び原告門は、それぞれ、吉野川において、別表2の被災日時欄記載の日時に、同表の被災場所欄記載の場所で、流水に押し流されて被災した。

各被災者の被災時の同行者は、それぞれ同表の同行者欄記載のとおりであり、各被災者の生存死亡の別、死体発見の有無、死体発見の日時及び死体発見の場所は、それぞれ同表の生存・死亡の別、死体発見の有無、死体発見の日時及び死体発見の場所各欄記載のとおりである。

2 各被災者の被災状況

(一) 亡塩崎の被災状況

亡塩崎は、訴外西山と、七月三一日午後三時ころから、被災場所である宮滝大橋下にある吉野川の中州の下流側橋げた直下付近の砂地に、テントを張つてキヤンプをし、午後一〇時ころ就寝した。

亡塩崎らは、八月一日午前四時ころ、宮滝大橋の排水溝からの水滴と思われる水滴がテントに落ちる音で目を覚まし、テント外に出て吉野川の水位を確認したが、就寝前の水位と変わらなかつた。その後、亡塩崎らは、テント内の小物の整理をし、午前五時ころ、テントをたたみ始めたが、それまでに上昇した水位は、二センチメートルくらいであつた。

亡塩崎らが、テントをたたみ始めたころから、急に吉野川の水位が上昇し、テントを設営していた砂地が水に浸かり始めたため、訴外西山は、一段高い岩場へ荷物を上げたが、水位の上昇は急激で、訴外西山が荷物を上へ上げるのと、水がそれを追うのとが、秒を争うような状態であつた。このとき、亡塩崎は、中州の岩場の上流部に走つてゆき、右岸に向かつて助けを呼んだり、宮滝大橋下流側の右岸に前日から家族連れが乗つてきて駐車していたワゴン車に向かつて叫んだりしていた。

しかし、急激な水位の上昇で岩場も冠水し、訴外西山は、泳いで右中州を脱出するほかないと判断して、右中州の岩場の上流側にいた亡塩崎を呼び、二人で泳ごうとそれぞれ浮輪代わりに寝袋を体に巻き付け、手をつないで準備を始めたが、その瞬間、「ドーン」という衝撃音とともに、さらに大量の水が流れてきて、亡塩崎らは、下流に押し流された。

亡塩崎らは、当初、手をつないだままで流されたが、下流で、岩もしくは流木に妨げられて手が離れ、訴外西山は左岸側に流されたが、亡塩崎は、そのまま川の中央部に流されて、溺死した。

亡塩崎らが流されていく間にも川幅が広がつていくという状態で水位は上昇し、また、右ワゴン車も、亡塩崎らが流される前に、水に浮いて流された。

(二) 亡大田の被災状況

亡大田は、訴外井上と、七月三一日午後三時四〇分ころ、被災場所である下市町大字阿知賀の吉野川左岸の岸の端から約三〇メートル、吉野川の本流から約四〇メートルの距離の、水面から三〇ないし四〇センチメートル高い河原に、歩いてきて、テントを張つてキヤンプを始め、午後一〇ころ就寝した。

亡大田らは、翌八月一日午前一時ころ、テントをたたく激しい雨の音で目を覚まし、テントから雨漏りがし始めたため、テント内の水を排水したりしながら、座つたまま眠らずにいた。亡大田らは、午前五時ころから荷物をまとめ、いつでも帰れる状態にしてテント内で待機し、吉野川の水位に注意を払つていたが、特に変化はなかつた。

亡大田らは、同日午前六時ころ、食事の用意を始めたところ、訴外福本が、テントの外から、非常に大きな声で、危険だから避難せよと警告したため、急いで、荷物を持つて外に出て、テントを片付け始めた。このとき、テントを張つていた場所付近には川の水は来ていなかつたが、前日、亡大田らが歩いてきた岸辺の低い所には、水が流れ始めていた。

亡大田らは、五分もかからずにテントを片付け終え、水のない所を伝つて岸へ避難しようと考え、訴外井上が、先にたつて亡大田に声をかけ、水の流れていない一番近い左岸へ向かつて逃げようとした。ところが、岸の手前には五ないし六メートルの幅で既に水が流れており、亡大田には、足を入れてみたが、急に深くなつていて、渡れないことがわかつた。そのため、亡大田らは、いつたん引き返しかけたが、訴外福本が、大きな声を出しながら走つてきて、亡大田らの横をすり抜け、亡大田らが引き返した場所へ向かつて行つたので、亡大田らも、訴外福本の後についてゆき、引き返した場所に戻つた。

そこで、訴外福本は、「飛び込め。」と声をかけてすぐ水に飛び込み、次いで、訴外井上も、亡大田に、「荷物を捨てるように。飛び込むから。」と声をかけて水に飛び込み、訴外福本及び訴外井上は、泳いで対岸に渡つた。

訴外井上が、岸に泳ぎ着き、水の来ない高い所まで上がつて振り返ると、亡大田は、訴外井上らが飛び込む前にいた場所に、腰のあたりまで水に浸かつた状態で立つており、携帯用の冷蔵庫を草に結わえていた。訴外井上及び訴外福本は、亡大田に対し早く泳いでこちらに来るように声をかけたが、亡大田は泳いで来ようとはしなかつたため、訴外井上は、近くの酒屋へ行き、警察に救助を要請する電話をかけた。訴外井上は、すぐに現場へ引き返したが、その間にも水位は上昇し、亡大田は、元の場所で、顔が僅かに水面に出ているくらいの状態で、竹のようなものを握つて立つていた。訴外井上は、訴外福本に警察を案内するように道路へ出てもらい、亡大田に対し、すぐ助けが来るから頑張るように声をかけたが、亡大田は、何も答えなかつた。

訴外福本が、行つて間もなく、亡大田は、大きな声をあげて水に沈み、いつたん浮かび上がつて、そのまま下流へ流されて、溺死した。

亡大田が流された時刻は、八月一日午前六時一五分過ぎである。

(三) 亡森田の被災状況

亡森田は、八月一日午前六時三〇分前後に、自宅から一〇〇メートルくらい離れた被災場所である吉野川の河原において、鮎釣りをしていたが、吉野川の急激な増水によつて押し流されてしまつた。

そして、亡森田は、自宅から七〇〇ないし八〇〇メートル吉野川の下流に位置する阿田橋の付近で、訴外福田が見ているところを、丸太につかまつて「オーイ、オーイ。」と助けを求めながら、木屑やゴミにまみれて流されて、溺死した。

(四) 亡稲葉の被災状況

亡稲葉は、八月一日午前五時三〇分ころ自宅を自動車で出て、一五分くらい走行し、五條市上島野の吉野川の河原手前に自動車を駐車し、被災場所である吉野川の中州付近で鮎釣りを始めた。

その後、亡稲葉が右中州の上流側で釣りをしていると、訴外小松が来て、右中州の下流で釣りを始めたが、そのときの吉野川の状態は、ささ濁り程度の濁り方で、流水の勢いはたいしたことはなく、水量も少し多い程度であつた。

その後、訴外小松は、右中州の一番下流にある岩を見て、少し水量が増えたことに気付き、亡稲葉も、同じころ水量の増加に気付いて、中州の上流側から訴外小松のところに来た。しかし、当初の水量の増加は、全く危険を感じさせるような状態ではなく、両名は、「水が増えてきた。」、「鮎が釣れるか。」という会話を交わし、水量の増加については、「もう少し様子を見てみようか。」と話した。

ところが、しばらくすると、相談をする暇もないくらい急激に水量が増加し、右中州が水没する状態になつた。そこで、亡稲葉、訴外小松の両名は、川に飛び込んで、左岸に向かつて泳いだが、流水の状態は、泳ぎの達者な訴外小松でも二回川底に吸い込まれたように、泳げるような状態ではなかつた。訴外小松は、幸運にも、流される途中手に木が当たり、これにつかまつて九死に一生を得たが、亡稲葉は、そのまま流されて、溺死した。

(五) 亡梅田及び亡奥中の被災状況

亡梅田及び同奥中は、訴外石田及び同東条とともに、八月一日午前五時ころ五條市六倉町の吉野川の川岸まで自動車で行き、被災場所である吉野川の河原に降り、約二〇〇メートル上流に行き、河原に荷物を置いて、鮎釣りを開始した。同日午前六時ころ、雨が降り出したが、しよぼしよぼ程度の降りであり、川の水が増水するなどの異常はなかつた。

ところが、同日午前六時四五分ころ、上流で釣りをしていた釣り人が、突然「まくれ水や、逃げろ。」と緊迫した大声を上げて下流へ向かつて走つてきたため、亡梅田らは、直ちに河原に上がり、荷物を置いてあつた場所に集まつた。右の場所は、それまで全く水がなかつたのに、右の集まつたときには、既に膝の下あたり(深さ二〇ないし三〇センチメートル)まで水がきていた。

亡梅田らは、すぐに下流に向かつて走つたが、途中で背丈以上の水を頭からかぶり、そのまま増水した水に押し流された。訴外東条は、何度も水の中に沈み、水中で水流に巻き込まれ、荷物等は流されてわからなくなつてしまつた。亡梅田及び同奥中も、訴外東条と同様の状況で、増水した水に押し流されて、溺死した。

(六) 亡下岡及び原告門の被災状況

原告門は、八月一日午前九時三〇分ころ、被災場所である西渋田の吉野川に来た。このとき、亡下岡は、川の中で鮎を採るための仕掛けを作つていた。原告門は、吉野川左岸添いの片州から二〇メートルくらい川へ入つた水深八〇センチメートルくらいの場所で釣りを始めたが、川はささ濁りで、鮎釣りには絶好の状態であつた。

同日午前一〇時一〇分過ぎころ、原告門は、自分の腰に当たる流水の勢いが強くなつてきたと感じたので、右片州寄りに一歩後退したが、水深が浅くなるはずであるのに、深さも流水の強さも変わらなかつたため、増水してきていると感じ、右片州へ上がつた。原告門は、片州にいた亡下岡の所へ行き、「水が増えてきているんと違うか。」と声を掛けると、亡下岡も、「ああ、増えてきている。」と答えた。右両名は、近くにいた地元の釣人二名にも、「水が増えてきているぞ。」と呼び掛け。急いで道具を片付け始めた。このとき、原告門が来た同日午前九時三〇分ころには幅二メートルで、深さもくるぶし程度であつた、片州を斜めに横切る小さな流れは、幅五ないし六メートルになり、水の勢いも強くなつていて、本流も、幅が広がり、水の色も茶褐色に変わつて、急流になつた。

原告門は、左岸へ逃げようとして、水に入つたが、足元を急流にすくわれて転倒し、流されたため、果たせなかつた。このときは、原告門及び亡下岡のいる片州であつた場所は、幅広い急流によつて左岸とも隔絶され、中州の状態になつてしまつた。右の釣人二名は、先に逃げて、かろうじて左岸の堤防へはい上がり、難を逃れた。

原告門らは、同日午前一〇時二〇分ころ、左岸の堤防上にやつてきた漁業組合のジープや人々に対し、大声で助けを求めたが、原告門らの取り残された中州は、この間にも、どんどん小さくなつていつた。原告門らは、長靴、かつぱなどを脱ぎ捨てて、流される時の準備をした。このとき、水面には、よくダム尻などにたまつている大きな流木。枯枝、丸太等のゴミが、一面に流れていたため、原告門は、上流で、ダムの放流があつたと感じた。

原告門らは、同日午前一〇時三五分ころ、吉野川右岸の国道二四号線上に来たパトロールカーに対し、手を振り、大声で叫んで救助を求めると、右パトロールカーから、拡声器で、「了解。」と応答があつた。このとき、原告門らのいる中州は、小さくなつて、ごく一部しか残されていなかつた。

同日午前一〇時三七分ころ、原告門らの足元水がちよろちよろと流れ出したと思うや、その上に、さらに大量の水が、まくるように覆いかぶさつてきた。そのため、原告門らは、上流に身体を向け、足元の草をつかんで踏ん張つていたが、波が顔を洗うようになつたため、絶え切れず、二メートルくらい下流の柳の木に取り付いたが、これも倒れて水没してしまつた。そこで、原告門は、亡下岡に対し、「もうあかん、行くぞ。」と言い、亡下岡も、小声で「オウ。」と答えて、二人は、濁流に身を委ねた。

原告門は、約一〇〇メートルほど水中でもまれた後浮上し、そばを流れていた丸太につかまつて流されていつた。原告門は、大声で亡下岡を呼んだが、返事はなかつた。下流の船岡山には、激流がぶち当たつて、すさまじい波しぶきを上げていたため、原告門は、そちらへ流されると助からないと思い、必死に泳いで右岸側へ方向をとつた。原告門は、船岡山の下流寄りまで流されたとき、亡下岡の「ウオウ、ウオウ。」といううめき声を聞いた。その後、亡下岡は流されて溺死した。原告門は、このまま流されて下流の藤崎の水門まで行くと助からないから、麻生津大橋の手前で岸に上がらなければと考え、右岸寄りの柳を目指して必死に泳ぎ、同日午前一一時一五分ころ、なんとか右岸近くの柳の木に取り付き、そこで息を整えたうえ、さらに右岸へ向けて泳ぎ渡り、やつとの思いで穴伏付近の岸にはい上がつた。

四  各被災者が押し流された増水の原因

1 大迫ダムの放流

被告は、八月一日午前二時三〇分ころから、洪水吐ゲート上端からの越流量を含めないとおおむね別図1の赤線ないし別図2の赤線のとおりの、右越流量を含めるとおおむね別図2の青線のとおりの、放流をした(以下この放流を「本件放流」という。)。

2 本件放流と被災時の増水の関係

三に記載した、各被災者が押し流された吉野川の急激な増水は、大迫ダムの本件放流によつて生じたものである。

五  本件放流に関するダム管理の瑕疵及び被告の義務違反

1 ダムの管理、操作についての注意義務

(一) ダム管理者の災害防止及び安全性保持義務

河川法一条の制定目的に根源を有する河道内における人的災害を防止する義務は、治水ダム(洪水調節が目的のダム。)であると利水ダム(農業用水、発電等の利水が目的のダム。)であると問わず、すべてのダムについてダム管理者が負つている義務である。

(二) 大迫ダムの管理操作について従うべき法規

河川法一条の目的のもとに、河川法、同法施行令及び同法施行規則が制定されているほか、同法四七条一項に基づき、大迫ダムには、本件事故当時、別紙「大迫ダム操作規程」記載のとおりの操作規程が定められていた。

したがつて、被告は、大迫ダムの管理、操作を、河川法、同法施行令、同法施行規則及び操作規程にしたがつてなす義務があつた。

2 大迫ダムの管理主任技術者訴外宮田の義務

訴外宮田は、本件当時、大迫支所の支所長であり、河川法五〇条一項及び操作規程二条一項に基づく大迫ダムの管理主任技術者であつた。

訴外宮田は、操作規程二条二項に基づき、部下の職員を指揮監督して、河川法、同法施行令、同法施行規則及び操作規程の定めるところによつて、大迫ダム及びその貯水池の管理に関する事務を誠実に行う義務があつた。

3 大迫ダムの特殊性及び安全性保持義務

(一) 利水ダムにおける安全性保持義務

(1) ダムの種類と平常時の貯留

ダムには、大きく分けて、前記五1(一)のとおり治水ダムと利水ダムがある。治水ダムでは、洪水時に水をできるだけせき止めて下流に流さないようにするために、平常時にはあらかじめ貯水池を空にしておく必要がある。それに対し、利水ダムでは、豊水期に水を溜めておいて渇水期に流すために、普段からできるだけ貯水池を満水状態にしておく必要がある。

(2) ダムによる下流の危険性

ア 治水ダムの治水機能の限界

右1のような、治水ダムであつても、ダムによる治水機能には限界がある。治水ダムは、ダムが満水となるまでは治水機能があるが、それを超えたばあいには何らの治水機能もない。

イ 急激な放流の可能性

ダムがない場合には、自然の増水速度には一定の限界があるので、洪水に対して、事前に、時間的ゆとりを持つて対応できるが、ダムがある場合には、ダム堤の越流等によるダム堤防の破壊防止などのために、ぎりぎりまでせき止めていた水を自然の増水速度を越えて急激に放流することがあり、そのような場合には、事前に、時間のゆとりをもつて対応することができないため、災害が発生し、その被害も大きくなる。

ウ 水流の伝播速度増大と河道貯留効果減殺

ダムの存在によつて、水流の伝播速度が増大し、河道貯留効果の減殺が起こるなど、河川の従前の機能が害される。

(3) 利水ダムの危険性

ア 利水ダムの放流についての余裕

普段から満水状態にされている利水ダムでは、貯水容量に余裕が少ないことにより短時間のうちに越流の恐れが生ずるので、治水ダムよりも急激な放流がなされやすく、放流までの時間的余裕も少ない。

イ 利水ダムの危険性

このように、洪水の危険性の高い河川にダムを建設することは、その下流域の人身にとつて危険なことであり、特に、利水のみが目的であるダムを建設することは、ダムがない場合に比べて、その下流は、はるかに危険になる。

(4) 利水ダムにおける安全性保持義務

したがつて、利水ダムであつて、最大貯水量と常時貯水量との差が小さく洪水調節機能が小さいダムほど、放流をなだらかにして下流に急激な影響を与えないように、常に人的、物的設備を整備し、洪水が予測されたときにはより早期に態勢を整備し、慎重的確に今後の流入量の変化を予測して、状況の変化に迅速に対応する義務が課せられているのである。

(二) 大迫ダムの特殊性

(1) 大迫ダム建設までの経緯

大迫ダムは、昭和二二年八月一六日、経済安定本部建設局から出された「十津川、紀の川総合計画案」に端を発して昭和二四年二月七日の「大迫貯水池案」として出発し、昭和二五年六月一一日の奈良、和歌山両県知事間のプルニエ協定により、大迫ダム建設計画が本決まりとなつたが、完成までにたびたび規模及び形状の変更が行われた。

昭和三四年九月の伊勢湾台風を契機に、大迫ダムに洪水調節機能を加えるという構想が持ち上がつたが、結局、昭和三七年一一月、農林水産省が大迫ダムを農業用水専用として建設し、別に建設省が洪水調節用として大滝ダムを建設することになつた。

(2) 吉野川上流域の特性

吉野川の上流域は、世界的な多雨地域である。

(3) 大迫ダムの危険性

したがつて、吉野川においては、利水目的のダムのみでは危険であり、同時に治水目的のダムも存在してはじめて、危険性のないダムとなるのであつて、治水目的の大滝ダムが完成していない本件事故当時においては、利水目的のみの大迫ダムは、洪水調節機能を有していないというだけでなく、洪水時には、ダムの存在しない時にも増して危険な役割を果たすことが予想されていたのである。

(三) 大迫ダムについての安全性保持義務

以上の事実から、被告及び訴外宮田は、大迫ダムの管理、操作について、治水目的を持つたダムよりも高度の、安全性保持について配慮すべき義務があつた。

4 大迫ダムの夜間等の管理体制及び管理システムの欠陥

(一) あるべきダム管理体制

ダムの管理、操作については、緊急時において、迅速かつ適切な対応が採れる管理体制が採用されなければならない。

(二) 夜間等の管理体制の欠陥

(1) 夜間等の国職員不配備

大迫ダムでは、本件当時、原則として、すべての日の夜間(午後五時ないし午前八時三〇分)、日曜日、祝日、土曜日の午後〇時三〇分以降には、国家公務員である国職員は配備されておらず、被告国との契約により民間から派遣された委託職員三名が配備されていただけであつた。

(2) 委託職員の権限

ア バルブ、ゲートの操作

委託職員には、独自の判断で、放流管バルブ、洪水吐ゲートを操作する権限はなく、国職員が指示した場合に、その指示にしたがつてこれらを操作できるだけであつた。

イ 洪水吐ゲート操作について運用

委託職員は、形式的には、国職員の指示により洪水吐ゲートを操作できることになつていたが、実際のダム管理においては、洪水吐ゲートの操作については、たとえ洪水となることが確実な場合あるいは既に洪水となつている場合であつても、国職員がダムの現場を見たうえでなければ、操作できないものとして運用されていた。

(3) 災害防止に不十分な人的設備

以上のとおり、委託職員だけを配備し、国職員を配備しない夜間、日曜日、祝日、土曜日の午後の大迫ダムの管理体制は杜撰であり、緊急時における災害発生防止のための人的設備として不十分であつた。

(三) 総合管理システムの欠陥

(1) 総合管理システムの概要

本件当時、大迫ダムは、同ダム、津風呂ダム及び下渕頭首工を、両ダムの下流にある下渕支所を総合管理事務所として、一元的に管理する総合管理システムに組み込まれて管理されていた。

この総合管理システムは、下渕支所において、大迫ダム及び津風呂ダムから伝送されたデータ等を集中処理して、ダム等の管理をするものであり、夜間、日曜、祝日、土曜午後の緊急時においては、大迫ダムまで自動車で約一時間かかる下渕支所に国職員が集合して、大迫ダムから伝送され、データ処理された情報をもとに、ダム集水域の雨量、ダム貯水池への流入量などの予測を行うものである。

(2) 流入量計算装置の欠陥

ア 表示される流入量のずれ

下渕支所のグラフイツクパネルに表示される大迫ダムの流入量は、八月一日午前一時の流入量が毎秒二三六・三立方メートルと表示されたように(大迫ダム出水記録では毎秒二七六・七立方メートル)、毎秒二〇〇トン台の流入量のときに、実際の流入量に近い大迫ダムの現場で作成される出水記録と、毎秒約四〇トンもの差がある場合が生じている。

イ コンピユータープログラムの欠陥

下渕支所のコンピユーターに用いられた流入量計算のプログラムそのものが、右の程度の不正確なものであり、本質的に正確な値を出しえるものではなかつた。

(3) 総合管理システムの欠陥

以上のとおり、夜間等の緊急時に、大迫ダムの現地には、独自の判断によつてダムゲートを操作する権限を有するものがおらず、国職員のいる下渕支所では、情報の伝送、データ処理があることにより、不正確な情報となつて、その読み違いないし理解の誤りが生じ、また、後述の放流の警報のために必要な警報車や広報車も下渕支所にあつて大迫ダムには配備されていないことも起こり、緊急時の迅速かつ適切な対応が採れない硬直した状況が現出する欠陥のあるものであつた。

(四) 杜撰な管理体制の本件への影響

以上のとおり、総合管理システムにはその出発点において瑕疵があつたのであり、平常時の利水管理の場合はともかく、本件事故当時のような異常時には、とにかく何が何でもまず下渕支所でという硬直した発想で、かえつて安全なダムの管理、操作を阻害するシステムに化してしまうものであり、この総合管理システムは、ダム管理の適性、迅速を目的とするという衣装をまとつてはいるが、真の目的は国職員ができるだけ自宅に居られるように、ダムの現場に居なくても済むようにするためのものであつて、夜間等の大迫ダムの管理体制(これも、右と同様の目的のためのものである。)とあいまつて、本件において、被告の対応を誤らせ、遅らせる原因となつたのである。

5 伯母谷水位観測所の設置、点検、整備義務違反

(一) 伯母谷水位観測所の設置、点検、整備義務

被告は、操作規程一六条一項、同別表三によつて、河川法四五条の規定により観測を行い、操作規程八条一項、二項により、ダム貯水池への流入量を算定するために水位を観測する施設として伯母谷水位観測所を設置し、操作規程一七条により、これを点検整備する義務があつた。

(二) 伯母谷水位観測所の倒壊状態での放置

ところが、伯母谷水位観測所は、本件当時、昭和五四年秋に倒壊したまま、復旧されないでいた。

(三) 右放置の示す被告の管理体制の杜撰さ

ダム災害を避けるためには、洪水予測の確度を高めることが必要である。それにもかかわらず、被告が伯母谷水位観測所を倒壊状態で放置していたことは、被告のダム管理に対する基本姿勢が著しく杜撰であつたことを如実に示すものである。

6 気象状況把握義務違反

(一) 気象状況把握義務

河川法四五条は、ダム設置者は、ダムの操作が当該河川の管理上適正に行われることを確保するために、観測施設を設け、水位、流量及び雨雪量を観測しなければならない旨規定しており、右条文を受けて、操作規程は、自ら観測施設を設置、点検、整備して気象、水象等の観測をしなければならない旨規定する(一六条、一七条)とともに、後述の予備警戒時における措置として、気象官署が行う気象観測の成果を的確かつ迅速に収集しなければならない旨規定している(一九条三号)。

ダムは、河川を人工的にせき止めて、莫大な量の流水を貯水地に貯留するものであるから、ダムの貯水計画のため、ダム自体の安全性確保のため、及びダムの放流に伴う危険の回避のためには、貯水池への流入量を予測することが必要であり、そのためには、ダム集水域の降雨量の把握及び予測が必要不可欠である。

そして、貯水地の集水域の降雨量の把握及び予測のためには、自ら観測施設を設置、管理して気象、水象等の観測をするとともに、気象官署が行う気象観測の成果を的確かつ迅速に収集することが必要である。

右のように、自らの観測による気象情報と気象官署からの情報の収集の二つが必要である理由は、前者の情報が、地域的にはダム集水域に限定され、時間的にも過去及び現在に限られており、ダム集水域外の情報が混在しない純粋なものであることから、ダムの直接の操作のためには極めて有益である反面、ダム及び貯水池の今後の管理方法をいかにするかという現在以降の問題に対しては必ずしも十分ではないのに対し、後者の情報が、現在以降の問題に対して極めて有効であるからである。

(二) 大迫ダムの集水域の降雨の特性

大迫ダムの集水域は、わが国最大の多雨地域である大台ヶ原山系及びその隣接地域である。

大台ヶ原山では、一度雨が降りだすと、その雨は大量にかつ長時間にわたつて降り続く傾向があり、一日の総降水量の記録として、日本の降雨観測史上第三位の大正一二年九月一四日の一〇一一・〇ミリメートルを筆頭に、同二〇位までに入る降雨を五回記録しており、三時間降水量については、昭和二八年九月二五日に日本の降雨観測史上第六位の三一二ミリメートルを記録しており、一時間降水量についても、右の昭和二八年九月二五日に一一八ミリメートルを記録している。また、大迫ダムの集水域に近い三重県の尾鷲では、日本の降雨観測史上第一二位の一時間降水量等を記録している。

(三) 七月三一日の大迫ダム集水域の大雨の危険性

(1) 豪雨発生の条件

豪雨が発生するためには、水源となる南方海上からの水蒸気の流入と、その水蒸気を効果的に水に変える上昇気流が必要である。

夏から秋にかけて、日本付近は、非常に湿つた暑い高気圧である太平洋高気圧に覆われるが、この高気圧から吹き出す湿つた風が、台風や低気圧、前線の近くで吹き合わさつたり、冷たい空気の上に吹き上がつたり、山にそつて上空へ上がつたりすることにより、上空へ押し上げられ、そこで冷たい空気に触れて多くの雨を作る。

したがつて、豪雨は、活発な梅雨前線の近傍で降りやすく、特に前線を活発にさせる台風が接近したり、台風くずれの低気圧が前線上を進むと一層降りやすくなり、また、台風が通る地方や台風周辺で暖湿風が強く吹き込む地域や、暖湿気流が地形などの影響で収束するところに降りやすい。

そして、台風、低気圧、前線の近くには、天気図に描けない小さな強い低気圧があつて、強い雷雲を作り、狭い地域に大雨を降らせる。

(2) 大台ヶ原の地形的特性

大台ヶ原は、海からの距離が近く、南方から吹き込む湿つた空気が、直接山脈に当たつて上昇するため、台風がまだ日本本土から離れた海上にある早い時期から降雨が始まる地域である。

(3) 七月三一日の気象状況

昭和五七年七月二四日に発生した台風一〇号は、七月に発生した台風としては異例の本格的台風であり、一時は中心気圧九〇五ミリバールを記録した超大型台風であつた。

七月三一日午前九時には、同台風は、小笠原諸島父島の南南西四五〇キロメートル(北緯二五度二五分、東経一三七度五五分)の海上を、中心気圧九五〇ミリバール、中心付近の最大風速五〇メートル、中心から半径三〇〇キロメートル以内では風速二五メートルの、中心から南東七〇〇キロメートル以内と、中心から北西六〇〇キロメートル以内では風速一五メートルの強風が吹いているという勢力で、北北西に向かつて時速一〇キロメートルのスピードで進行していた。

その後、同日午後九時には、同台風は、小笠原諸島父島の西約四五〇キロメートル(北緯二七度〇五分、東経一三七度三〇分)の海上を、中心気圧九五〇ミリバール、中心から半径三〇〇キロメートル以内では風速二五メートルの、中心から半径六〇〇キロメートル以内では風速一五メートルの強風が吹いているという勢力で、北に向かつて時速一〇キロメートルのスピードで進行していた。

このように、同台風は、大型台風として強い勢力を保ちつつ、日本本土を直撃することが予想され、大迫ダムがある奈良県も同台風の通過予測地域に含まれており、しかも、日本本土では梅雨があけていない地域もあつて、梅雨前線が関東地方南方から東方にのびて停滞しており、七月三一日には、その前線が南下するという状況であつた。

(4) 大迫ダム集水域の大雨の危険性

したがつて、大迫ダムの集水域である大台ヶ原付近では、大雨の降ることが十分に予測された。

(四) 本件当時の吉野川の河川内の状況

(1) 河川内でのキヤンプ

本件事故当時、吉野川には、河川内に多くのキヤンプ場が設置されていた。

本件事故の発生した前日である七月三一日は晴天であり、学生、児童の夏休み中で、土曜日でもあり、その夏最大の人出があつて、社会人を含んだ多数の者がキヤンプをしており、夜間も河原で睡眠している者が多数いた。

(2) 訴外宮田らの右事実の認識

訴外宮田ら大迫支所の関係者及び下渕支所の関係者は、右の事実を知つていた。

(3) 鮎釣りの名所

また、吉野川は、本件事故以前から、関西における鮎釣りの名所であつた。

(五) 訴外宮田の気象状況把握義務

前記五6(一)のとおり、ダム管理者は、一般的に気象状況を把握する義務を負つているが、右(二)ないし(四)に述べた大迫ダムの集水域の特性及び本件当時の気象状況などのもとにおいて、台風が未だ太平洋上にあつても、訴外宮田は、他の地域にあるダムより高度の、また、他の時期より高度の気象状況把握義務が課せられていた。

したがつて、訴外宮田には、ダム集水域の気象状況のほか、台風の進路に注意を向けるのは当然として、さらに日本全国の気象状況、特にダム集水域の近辺の気象状況について十分注意を払い、その気象観測結果を入手して、大迫ダム集水域の今後の雨量予測に役立てるべき義務があつた。

(六) 訴外宮田の気象状況把握義務の懈怠

(1) 七月三一日昼の打ち合わせ

訴外宮田は、七月三一日午後一二時一〇分から三〇分まで、大迫支所で打ち合わせをしたが、当日の新聞の情報や正午前のNHKの気象情報、ニユースから推測して、台風が影響するのは八月二日以降であろうという結論になつた。

訴外宮田は、その後、下渕支所に行き、水利事業所次長訴外山田と台風の影響について打ち合わせをしたが、大迫支所で出されたものと同じ結論になり、帰宅した。

(2) その後の対応

訴外宮田は、委託職員である管理員からの電話連絡によつて、午後二時二〇分に雷雨注意報が発令されたことを知つたが、その際、ダム集水域の雨量、ダム貯水池の流入量等の大迫ダムの状況を確認しただけで、自宅待機することにとどめた。

その後も、訴外宮田は、管理員からの連絡により、午後七時二〇分に雷雨注意報が解除されたことを知つたが、その際も、大迫ダムの状況のみを確認しただけであり、さらに、訴外宮田は、管理員訴外瀬戸からの連絡により、午後一〇時五〇分に大雨注意報が発令されたことを知つたが、その際も、ダムの状況のみを確認しただけであつた。

(3) 気象状況の不知

訴外宮田は、七月三一日夕刊で報道された、九州から四国にかけての日本南岸は八月一日朝から風が強まる見込みである旨の情報をつかんでおらず、また、七月三一日午後七時に、埼玉県飯能市で一時間五五ミリメートルの降雨を記録するなど、関東地方に大雨が降つていたこと、及び、同日午後九時から午前〇時までの三時間に、大迫ダムの集水域の近くである、三重県多気郡宮川村で、一〇九ミリメートル、奈良県の日の出岳で九〇ミリメートルの大雨があつたことを知らなかつた。

(七) 訴外宮田の気象状況把握義務懈怠の本件への影響

(1) 七月三一日夜の降雨の特性

本件当時、近畿地方では、七月三一日夜に成層不安定による雷雨があり、さらに夜半ころから、南岸に停滞していた前線が台風一〇号の北上に伴い刺激され、活発化して、前線により前期降雨と呼ばれるような降雨が始まり、台風が北緯二八度から二九度にあるころ、最も強くなつた。

この台風接近前の七月三一日の雨は、梅雨前線が関東地方南岸にあり、これに向かつて台風の東側から温湿な空気が連続的に流入したために生じた雲域が、台風の渦巻きによつて西方に拡大したことによる。関東地方を中心とした近畿地方から東北地方にかけての広い範囲でのにわか雨や雷雨によるものであつた。

(2) 気象状況把握懈怠義務の本件への影響

訴外宮田は、右(六)(3)にあげた気象状況を収集、把握していれば、台風がいかなる地域にいかなる影響を及ぼしているのか、降雨の範囲がどのように拡大しているのかを把握することができ、それによつて、降雨がどこでどの程度降るかといつた具体的予知まではできないとしても、より早い段階でのダム集水域での豪雨の可能性の予測、及び、本件で問題となる豪雨のついてのより早い段階での状況把握をすることができた。

そうすれば、訴外宮田は、ダム貯水池への流入量等の的確な予想もでき、それに対するダム管理者としての迅速かつ適切な対応をすることが可能であつた。

ところが、訴外宮田が右(六)のとおり、気象状況把握義務を懈怠したため、より早い段階での豪雨の可能性の予測、及び、本件豪雨についてのより早い段階での状況把握をすることができず、そのために、ダム貯水池への流入量等の的確な予想もできず、漫然として時間を空費したため、豪雨に対するダム管理者としての迅速かつ適切な対応をすることができないこととなつた。

7 予備警戒時における義務違反

(一) 予備警戒時における訴外宮田の義務

訴外宮田は、予備警戒時(操作規程六条)に、操作規程一九条の定める諸措置をとる義務があつた。

以下、これについて述べる。

(二) 本件における予備警戒時

本件において、遅くとも、奈良地方気象台から「大雨雷雨注意報」が発令された昭和五七年七月三一日午後一〇時五〇分には、予備警戒時となつた。

(三) 訴外宮田の「予備警戒時」概念の誤解

(1) 大迫ダム操作規程における「予備警戒時」の概念

操作規程六条は、本操作規程における「予備警戒時」の概念について規定しており、同規定の趣旨は次のとおりである。

<1> 洪水発生のおそれが認められれば、予備警戒時となる。ダムに係る直接集水域の全部又は一部を含む予報区を対象として風雨注意報又は大雨注意報が発令されることは、洪水発生のおそれが認められる場合の明確な例である。

<2> 予備警戒時となつた後、「洪水が発生するおそれが大きいと認められるに至つた時」は、洪水警戒時に移行する。

<3> 洪水が発生するおそれがないと認められるに至れば、予備警戒時は終了する。

<4> <1>の注意報が解除されること及び切り替えられることは、洪水発生のおそれがないと認められる場合の明確な例である。

<5> したがつて、予備警戒時とは、洪水発生のおそれがあるときである。

(2) 訴外宮田の「予備警戒時」概念の理解

ところが、訴外宮田は、本件当時、操作規程四条の「予備警戒時」の概念を次のように理解していた。

<1> 予備警戒時の中には洪水になるおそれがある場合とない場合があり、予備警戒時に入つたからといつて洪水が発生するおそれがあるとは断言できない。

<2> したがつて、ダムに係る直接集水域の全部又は一部を含む予報区を対象として風雨注意報又は大雨注意報が発令されたとしても、ただちに洪水になるおそれがあるときに当たるわけではない。

<3> 予備警戒時の中で洪水発生のおそれがある場合は、流入量が毎秒三五〇トン以上になるだろうと予想できたときである。

<4> 予備警戒時で、毎秒三五〇トンの洪水になるだろうと判断した時点では、洪水警戒時と切り換えるべきである。

<5> すなわち、洪水になるおそれがあると認められた時点は、予備警戒時の最後であり、かつ洪水警戒時の最初である。

<6> 操作規程が予備警戒時においてなすべき措置として要求しているもののいくつかは、右の洪水になるおそれがあると認められた時点で着手すればよい。

<7> 洪水発生のおそれが大きいか小さいかは、洪水発生までの時間の長短によつて振り分けられ、洪水発生まで時間が切迫している場合には、洪水発生の可能性が強い。

<8> 洪水に至るまでの時間が長くても、洪水発生がはつきりすれば洪水警戒時である。

(3) 予備警戒時概念誤解の本件への影響

右の訴外宮田の操作規程についての誤解は、後述のとおり、予備警戒時及びその後にわたつて、訴外宮田が、大迫ダムの安全な管理のためになすべき措置をなさず又は次々と遅らせてしまつた最大の原因である。

(四) 洪水時に備えたダム管理要員確保義務の違反

(1) 大迫ダムへの国職員配備義務

訴外宮田は、操作規程一九条一号により、予備警戒時に突入したことが明らかになつた右の大雨雷雨注意報発令後直ちに、洪水時においてダム貯水池を適切に管理することができる要員を確保する措置として、国職員が実際に現場の状況を見て洪水吐ゲートを操作できるように、大迫ダムに国職員を配備する義務があつた。

(2) 国職員の不配備

ところが、訴外宮田は、八月一日午前〇時過ぎになるまで国職員に出動を命じることなく、右のころになつてはじめて、国職員を下渕支所に集合するよう出動を命じただけであり、直接大迫ダムへは一人も向かわせることなく、その後、同日午前一時一〇分ころになつて自ら下渕支所から大迫ダムへ向かつて出発するまで、国職員を大迫ダムへ向かわせる措置を講じなかつた。

(3) 国職員不配備の本件への影響

右の義務違反により、訴外宮田は、後述のとおり、流入量等の予測を誤り、また、洪水吐ゲートの操作が遅れるなど、迅速かつ適切なダム操作ができないこととなつた。

(五) 観測施設点検、整備義務の違反

(1) 観測施設点検、整備義務

訴外宮田は、操作規程一九条二号により、観測施設を点検及び整備する義務があつた。

(2) 伯母谷水位観測所の倒壊放置

ところが、前記五5で述べたとおり伯母谷水位観測所は倒壊状態のままであつた。

(六) 七月三一日午後一一時の大台ヶ原時間雨量連絡の過誤

(1) 連絡の過誤

大迫ダムの管理員訴外瀬戸は、七月三一日午後一一時一五分に訴外宮田に連絡した際、同日午後一〇時から午後一一時までの大台ヶ原の一時間雨量が三一ミリメートルであつたにもかかわらず、降雨なしと誤つた報告をした。

(2) 右過誤の本件への影響

右の誤つた報告により、訴外宮田を中心とする大迫ダム管理担当者の降雨に対する対応の遅れを生じた。

(七) 七月三一日午後一一時三〇分の観測義務の違反

(1) 三〇分ごとの観測義務

訴外宮田は、操作規程一六条一項、同規程別表第三によつて、予備警戒時においては、同規程別表第三の観測施設による観測を三〇分ごとに一回する義務があつた。

(2) 七月三一日午後一一時三〇分の観測の不実施

ところが、訴外宮田は、現場の委託職員に対して、七月三一日午後一一時三〇分の観測をするように指示せず、同時刻の観測はなされなかつた。

(3) 右観測不実施の本件への影響

後述のとおり平均流入量ないしそれに近い数字しか出せない大迫ダムの貯水池への流入量の算出方法の点等からして、七月三一日午後一一時三〇分の観測を怠つた過失は重大であり、洪水警戒時における流入量予測に悪影響を及ぼした。

(八) 気象官署の気象観測成果の収集義務違反

(1) 気象観測結果収集義務

前記五6においても述べたとおり、訴外宮田は、操作規程一九条三号により、ダム集水域周辺の降雨の情報など気象官署が行う気象観測の成果を的確かつ迅速に収集する義務があつた。

(2) ダム集水域周辺の降雨状況の不知

ところが、訴外宮田は、気象官署が通知してくる気象情報を待つていただけで、積極的に気象官署の気象情報を収集しようとはしなかつたため、七月三一日午後一〇時から午後一一時までの一時間雨量が、三重県多気郡宮川村で七〇ミリメートル、奈良県の日の出岳で五四ミリメートルあつたことを知らなかつた。

(3) 右懈怠の本件への影響

右の収集義務懈怠が、訴外宮田が、その後の降雨の予測を誤る原因となつた。

(九) 奈良県知事等への通報義務の違反

(1) 奈良県知事等への通報義務

訴外宮田は、操作規程一九条四号により、近畿地方建設局長、奈良県知事及び和歌山県知事に対して通報をする義務があつた。

(2) 通報義務の懈怠

ところが、訴外宮田は右の通報をしなかつた。

8 洪水警戒時における義務違反

(一) 洪水警戒時における訴外宮田の義務

訴外宮田は、洪水警戒時(操作規程五条)に、操作規程二〇条の定める諸措置をとる義務があつた。

以下、これについて述べる。

(二) 本件における洪水警戒時

七月三一日午後一一時から八月一日午前〇時三〇分にかけての、大迫ダム集水域の雨量及びダムへの流入量のデータ(出水記録による)は、次のとおりである。

(1) 八月一日午前〇時三〇分までのデータ

<1> 七月三一日午後一一時時点

七月三一日午後一〇時から同日午後一一時までの一時間雨量

大台ヶ原  三一ミリメートル

栃谷     三ミリメートル

筏場     四ミリメートル

ダムサイト  一・五ミリメートル

右四地点平均 九・九ミリメートル

降り始めから七月三一日午後一一時までの累計雨量

大台ヶ原   三七ミリメートル

栃谷      三ミリメートル

筏場     一二ミリメートル

ダムサイト   一・五ミリメートル

右四地点平均 一三・四ミリメートル

貯水池への流水量

毎秒九・九トン

<2> 八月一日午前〇時時点

七月三一日午後一一時から八月一日午前〇時までの一時間雨量

大台ヶ原   四六・〇ミリメートル

栃谷     五九・〇ミリメートル

筏場     五一・〇ミリメートル

ダムサイト  一二・五ミリメートル

右四地点平均 四二・一ミリメートル

降り始めから八月一日午前〇時までの累計雨量

大台ヶ原   八三・〇ミリメートル

栃谷     六二・〇ミリメートル

筏場     六三・〇ミリメートル

ダムサイト  一四・〇ミリメートル

右四地点平均 五五・五ミリメートル

貯水池への流入量

毎秒二一・二トン

<3> 八月一日午前〇時三〇分時点

八月一日午前〇時から八月一日午前〇時三〇分までの三〇分間雨量

大台ヶ原   五八・〇ミリメートル

(一時間あたり一一六・〇ミリメートル)

栃谷     三四・六ミリメートル

(一時間あたり 六八・〇ミリメートル)

筏場     二五・〇ミリメートル

(一時間あたり 五〇・〇ミリメートル)

ダムサイト   五・五ミリメートル

(一時間あたり 一一・〇ミリメートル)

右四地点平均 三〇・六ミリメートル

(一時間あたり 六一・二ミリメートル)

降り始めから八月一日午前〇時三〇分までの累計雨量

大台ヶ原  一四一・〇ミリメートル

栃谷     九六・一ミリメートル

筏場     八八・〇ミリメートル

ダムサイト  一九・五ミリメートル

右四地点平均 八六・一ミリメートル

貯水池への流入量

毎秒一三四・二トン

(2) 大きい洪水発生のおそれ

以上のとおり、七月三一日午後一一時時点から八月一日午前〇時時点までの間に、貯水池への流入量が毎秒九・九トンから毎秒二一・二トンに急激に増加し、かつダム集水域への雨量も著しく増加しており、各観測所における降雨は直ちに貯水池に流入するのではなく、時間的にある程度遅れて流入することからすると、八月一日午前〇時には、洪水が発生するおそれが大きいと認められる状態にあつたのであり、洪水警戒時になつた。そして、貯水池への流入量及びダム集水域への雨量がさらに飛躍的に増加した八月一日午前〇時三〇分の時点が洪水警戒時でないはずはない。

(三) 操作規程二〇条、一九条(一ないし五号)に定める義務の違反

(1) 洪水時に備えたダム管理要員確保義務の違反

ア 大迫ダムへの国職員配備義務

訴外宮田は、操作規程二〇条、一九条一号により、大迫ダムに国職員を配備する義務があつた。

イ 国職員の不配備

ところが、訴外宮田は、同日午前一時一〇分ころに自ら下渕支所から大迫ダムへ向かつて出発するまで、国職員を大迫ダムへ向かわせる措置を講じなかつた。

ウ 国職員不配備の本件への影響

右の義務違反により、訴外宮田は、後述のとおり、流入量等の予測を誤り、また、洪水吐ゲートの操作が遅れるなど、迅速かつ適切なダム操作ができないこととなつた。

(2) 観測施設点検、整備義務の違反

ア 観測施設点検、整備義務

訴外宮田は、操作規程二〇条、一九条二号により、観測施設を点検及び整備する義務があつた。

イ 伯母谷水位観測所の倒壊放置

ところが、前記五5で述べたとおり伯母谷水位観測所は倒壊状態のままであつた。

(3) 気象官署の気象観測成果の収集義務違反

ア 気象観測結果収集義務

訴外宮田は、操作規程二〇条、一九条三号により、ダム集水域周辺の降雨の情報など気象官署が行う気象観測の成果を的確かつ迅速に収集する義務があつた。

イ ダム集水域周辺の降雨状況の不知

ところが、訴外宮田は、気象官署が通知してくる気象情報を待つていただけで、積極的に気象官署の気象情報を収集しようとはしなかつたため、七月三一日午後一〇時から午後一一時までの一時間雨量が、三重県多気郡宮川村で七〇ミリメートル、奈良県の日の出岳で五四ミリメートルあつたことを知らなかつた。

ウ 右懈怠の本件への影響

右の収集義務懈怠が、訴外宮田が、その後の降雨の予測を誤る原因となつた。

(4) 奈良県知事等への通報義務の違反

ア 奈良県知事等への通報義務

訴外宮田は、操作規程二〇条、一九条四号により、近畿地方建設局長、奈良県知事及び和歌山県知事に対して通報をする義務があつた。

イ 通報義務の懈怠

ところが、訴外宮田は右の通報をしなかつた。

(5) 義務違反の違法性の強度化

予備警戒時から洪水警戒時になつたことによつて、訴外宮田の右(1)ないし(4)の義務違反は、違法性がより強いものとなつた。

(四) 貯水池への流入量予測の過誤

(1) ダム集水域への降雨量及び貯水池への流入量の推移からの予測

訴外宮田は、八月一日午前〇時三〇分の時点で、以下のとおり、同日午前一時二七分前に洪水状態(貯水池への流入量が毎秒三五〇立方メートル以上であること。)になることを予測をすることが可能であつた。

以下、これについて述べる。

八月一日午前〇時三〇分の時点における大迫ダムの状況に関するデータである貯水池への流入量、ダム集水域への雨量は前記五8(二)(1)に記載のとおりである。

右のデータを見ると、貯水池への流入量は、八月一日午前〇時から同日午前〇時三〇分までの三〇分間に、毎秒一一三・〇トンもの急激な増加をしている。

しかし、大台ヶ原の降雨水が貯水池に流入するまでには、降雨があつたときから約二時間かかり、栃谷、筏場の降雨水が貯水池に流入するまでには、降雨があつたときから約一時間かかる。

したがつて、右の毎秒一一三・〇トンの急激な流入量の増加も、約一時間前後さかのぼつた時間帯の降雨に対応しているものであり、降り始めの時期に対応するほんの序の口程度のものであるにすぎない。

そして、八月一日午前〇時から同日午前〇時三〇分までの三〇分間には、栃谷及び筏場の時間あたり雨量が減少しないまま、大台ヶ原の時間あたり雨量が脅威的な増加をしているのであるから、仮に今後の雨量が減少するとしても、同日午前〇時三〇分までの降雨がダムに流入する今後一ないし二時間は流入量がさらに急激に増加し続けることが予測できた。

以上の事実からすると、八月一日午前〇時三〇分以降は、同日午前〇時から同日午前〇時三〇分までの流入量の増加率以上の増加率で貯水池への流入量が増加することが予測できるが、八月一日午前〇時三〇分以降の貯水池への流入量の増加率を控え目に、同日午前〇時から同日午前〇時三〇分までの流入量の増加率と同じになると想定しても、流入量の急激な増加が続くと予測される約一時間後の八月一日午前一時二七分過ぎには、貯水池への流入量は毎秒三五〇トンに達する。

したがつて、八月一日午前〇時三〇分の時点において、洪水は予測できたのであり、右時点以降の流入量の増加率は右時点以前より大きくなることが予測できたのであるから、洪水となる時刻も、同日午前一時二七分より早い時刻であると予測できた。

(2) 大台ヶ原累計雨量一ミリメートル増加につき流入量毎秒一トン増加の経験則類推による洪水予測

大台ヶ原の雨量と貯水池への流入量の関係について、大台ヶ原の累計雨量が一ミリメートル増加すると、一秒あたり約一トンの流入量が増加するという経験則が存在するが、この経験則の類推適用からも、八月一日午前〇時三〇分の時点で、洪水を予測することができた。

以下、これについて述べる。

右の経験則を、ダム集水域内の他の地点の雨量と貯水池への流入量の関係に類推適用すると他の地点の累計雨量が一ミリメートル増加すると、一秒あたり、およそ、一トンに、その地点が代表する集水域の面積を大台ヶ原が代表する集水域の面積で除した数を乗じた流入量が増加することになる。そうすると、各地点の累計雨量からそれぞれ貯水池には流入しないと考えられる雨量を一〇ミリメートルと仮定し、これを控除した数値に、それぞれ各地点が代表する集水域の面積を大台ヶ原が代表する集水域の面積で除した数を乗じた数値の和だけのトン数の、一秒あたりの貯水池への降雨水の流入があるという仮説が成り立つ。

右の仮説によれば、栃谷、筏場、ダムサイト、大台ヶ原の各地点がそれぞれ代表する各集水域の面積の比率は、およそ四三二対二七一対一八九対一〇八であるから、八月一日午前〇時までの累計雨量によると、毎秒四二一トン〔(62-10)×432÷108+(63-10)271÷108+(14-10)×189÷108+(83-10)=421〕、八月一日午前〇時三〇分までの累計雨量によると、毎秒約六八七トン〔(96-10)×432÷108+(88-10)×271÷108+(195-10)×189÷108+(141-10)=687〕の貯水池への降雨水の流入があることになる。

しかも、右に算出した数値は、右の各観測時点のそれぞれ約一時間後の実際の流入量の数値と近似している。

大台ヶ原の累計雨量が一ミリメートル増加すると、一秒あたり約一トンの流入量が増加するという経験則が、単なる概略の近似計算に過ぎないとしても、貴重な経験則であることは間違いないから、右のような観点に立つて利用すれば、右のとおり本件において現実の流入量との対比によつて明らかとなつたように、少なくとも流入量予測の「心積もり」以上の役に立つたはずである。

(3) 流入量数値の算出方法及び実際の流入量の推移

ア 流入量データ数値の算出方法

大迫ダムの貯水池への流入量の算定方法は、測定時間帯の最初と最後の両端の大迫ダムの貯水位の差から導き出したその間の一秒あたりの貯留量の増加分に、ゲート開度又はダム下流水位及び水位流量関係式から算出した大迫ダムからの測定時間帯の最後の一秒間の瞬間放流量又は測定時間帯の一秒間の平均放流量を加算して導き出すものであつた。

したがつて、大迫ダムの貯水池への流入量のデータは、各観測時間帯の平均流入量ないしこれに近い数値であつた。

イ 実際の流入量の推移

本件においては、洪水吐ゲートが操作されるまでの間には、ダムからの放流量には大きな増減はなく、また、その間の流入量は一貫して増加傾向を示しているから、その間の各測定時間帯の流入量のデータは、各測定時間帯の中間時の瞬間流入量に近いものである。

大迫ダムの貯水池への流入量について、七月三一日午後一一時から八月一日午前一時四五分までの時間帯について、出水記録の数値に基づいて、便宜上、各測定時間帯の平均流入量を各測定時間帯の中間時の瞬間流入量とみなしてグラフ化したのが、別図3のAの折れ線であり、各測定時間帯の平均流入量を各測定時間帯の最後の時点の瞬間流入量とみなしてグラフ化したのが、同図のBの折れ線である。

したがつて、現実の流入量の変化は、同図のBの折れ線よりも、Aの折れ線に近いものである。

(4) 訴外宮田の流入量データ数値の意味の誤解

ア 流入量数値の違い及びその理由

大迫ダムの貯水池への流入量の数値について、下渕支所のグラフイツクパネルに八月一日午前一時のものとして毎秒二三六・三トンという数値が表示され、大迫ダム出水記録に同時刻のものとして毎秒二七六・七トンという数値が記録されているが、右のように両数値に毎秒四〇・四トンもの差があるのは、前者が同日午前〇時から同日午前一時までの平均流入量ないしそれに近い数字であるのに対し、後者は同日午前〇時三〇分から同日午前一時までの平均流入量ないしそれに近い数字であるという理由によるものである。

イ 訴外宮田の右の違い及びその理由の不知

これについて、訴外宮田は、右のような数値の違いが出ること自体を本訴訟の証人尋問において指摘されるまで知らずにいたのであり、しかも、右で問題としている時点では、大迫ダムからの放流は毎秒一〇トン程度しかなかつたのであるから、放流量の測定方法に違いがあつたとしても、毎秒四〇トン分以上もの大きな差異が生ずるはずはないにもかかわらず、右の両者の違いについて、「下渕支所の数値はダム下流水位計の数値から水位流量関係式によつて電算機で算定されるのに対し、出水記録の数値はゲート開度を基準としたためである。」と考えていた。

ウ 流入量の予測方法の誤り

訴外宮田は、八月一日午前一時のデータを得た時点での洪水予測を行うのに、同日午前〇時から同日午前〇時三〇分までの平均流入量又はそれに近い数字である毎秒一三四・二トンと、同日午前〇時から同日午前一時までの平均流入量又はそれに近い数字である毎秒二三六・三トンとは、同日午前〇時から午前〇時三〇分までの間の分が重複しているにもかかわらず、右の二つの数値ををグラフ上に記入し、これを直線で結んで延長して今後の流入量を予測するという誤りを犯していた。そして、他の大迫ダム関係者も、右の誤りに気付かなかつた。

エ データ数値の意味の誤解

以上の事実は、訴外宮田をはじめ大迫ダムの関係者は、下渕支所のグラフイツクパネルに表示される大迫ダムの貯水池への流入量のデータが測定時間帯の最後の時点における瞬間流入量であると誤解していたために起こつたのである。

オ 右誤解等の本件への影響

右の流入量数値の意味の誤解及び流入量の予測方法の誤りにより、後述のとおり、訴外宮田は、八月一日午前一時のデータを入手するまで洪水を予測せず、洪水に対する対応の遅れを生じた。

(5) 洪水を予測できた時点

以上の点を総合すれば、いかなる点からみても、遅くとも八月一日午前〇時三〇分の時点においては、貯水池への流入量が洪水流量である毎秒三五〇トンを上回ることはもはや単に時間の問題に過ぎず、不可避であることが明白な状態であつた。

さらに、同日午前〇時の時点においても、洪水の予測は可能であつたのであり、少なくとも、前記五8(二)でも述べたとおり、洪水発生のおそれが大きいと認められる状態(洪水警戒時)であつた。

(6) 訴外宮田の洪水予測

ところが、訴外宮田は、八月一日午前一時のデータを入手するまで、洪水になるとは予測しなかつた。

(7) 洪水予測過誤の本件への影響

右のとおり洪水を予測しなかつたため、後述のとおり、訴外宮田は、八月一日午前一時のデータを入手するまでの間、洪水放流のために必要な措置をとらないこととなつた。

9 洪水時の放流に関する義務違反及びダムの瑕疵

(一) 放流についての注意義務

洪水時(貯水池への流入量が毎秒三五〇立方メートルであるとき。)には、操作規程二一条一号に定めるところによつて、放流をしなければならない。

そして、放流は、通常の場合には、操作規程一一条により、下流水位の急激な変動を生じないように、操作規程別図第2に定める増加率の範囲において放流しなければならず、また、操作規程一二条三項により原則として、洪水吐ゲートの一回の開閉の動きは、〇・五メートルをこえてはならない。

洪水時において、やむを得ず操作規程一一条、操作規程別図第2に定める限度以上の放流をせざるを得ない場合においても、操作規程二一条一号に定めるように、下流水位の変動を必要最小限にして、急激な水位の変動を避けるように、十分注意して放流しなければならない。

(二) 本件における洪水時

大迫ダムの貯水池への流入量が洪水流量である毎秒三五〇トンをこえて、洪水時になつたのは、前述の、実際の流入量の変化に近い別図3の折れ線Aによれば、八月一日午前〇時五〇分ころであり、大迫ダムテレタイプ監視記録及び出水記録によれば、同日午前一時五分ころである。

(三) 放流開始義務

洪水時になつた時点の大迫ダムのダム外水位は三九六メートル前後であり、右時点までのダム集水域内の各測定地点における降雨量及び貯水池への流入量の増加状況から、遠からず常時満水位(三九八メートル)を越えることが容易に予測できた。

したがつて、訴外宮田は、右の洪水時になつた時点で、操作規程二一条一号に定めるところにしたがい、ただちに、しかるべく放流を開始する義務があつた。

(四) 放流開始の遅延

ところが、訴外宮田は、単に、放流管バルブからの放流量を僅かに増やす措置をとつただけで、洪水時突入後八月一日午前二時三〇分ころまで、一時間三〇分を越える長時間にわたつて、洪水吐ゲートからの放流をしなかつた。

(五) 放流開始の遅延による越流の異常事態

右(四)の放流開始の遅延により、大迫ダムのダム外水位は高騰を続け、洪水吐ゲート上端からの越流という異常事態に立ち至つた。

(六) 訴外宮田の洪水吐ゲート操作

訴外宮田は、八月一日午前二時三〇分ころから洪水吐ゲートを操作して放流を開始したが、右(五)の異常事態となつてしまつたため、たとえば、八月一日午前二時五〇分から同日午前三時三分までの間の洪水吐ゲートの開度は〇・七メートルであつたのを、同日午前三時六分から同日午前三時一八分までの間には一挙に開度一・五メートルと倍以上にするという(その差は〇・五メートルをはるかにこえている。)洪水吐ゲートの開き方をした。

(七) 自然の増水速度を越えた放流

前記五8(四)(3)で述べた七月三一日午後一〇時から八月一日午前一時四五分までの大迫ダムの貯水池への流入量(実際の流入量に近い。)はおおむね別図4の折れ線Aのとおりであり、七月三一日午後一〇時から八月一日午前一〇時までの大迫ダムの貯水池への流入量(右測定時間帯における平均貯留量増減分に当該時間帯におけ瞬間放流量を加算した値を各測定時間帯の最後の時点の流入量とした。)はおおむね同図の折れ線Bのとおりであり、大迫ダムからの放流量は同図の折れ線Cのとおりである。

右のとおり、訴外宮田は、八月一日午前二時三〇分から同日午前三時二四分までの間、大迫ダムの貯水池への流入量の増加率を上回る急激な放流量の増加となる放流を行つた。

(八) ダム管理の瑕疵

本件においては、最悪でも流入量に相当する放流を行うことが予定されている利水ダムであるはずの大迫ダムが、洪水増幅機能を果たしたのであり、大迫ダムが以上のような状態に陥つたこと自体が瑕疵に該当する。本件当時、訴外宮田は、利水ダムである大迫ダムに少しでも水を貯留しておきたいとの意識があり、それが災いして、右(五)のような過剰貯留を招いたのである。

10 危害防止措置に関する義務違反

(一) 放流開始通知義務違反

(1) 放流開始通知義務

ア 河川法等に基づく義務

ダムを操作することによつて流水の状況に著しい変化を生ずると認められる場合において、これによつて生ずる危害を防止するため必要があると認められるときは、河川法四八条、同法施行令三一条、操作規程一三条により、ダムを操作する日時、及びその操作によつて放流される流水の量又はその操作によつて上昇する下流水位の見込みを、放流開始の少なくとも一時間前に、操作規程別表第1に定める相手方に対して、加入電話で通知しなければならない。

本件放流は、ダムを操作することによつて流水の状況に著しい変化を生ずると認められるときに当たり、訴外宮田は、右の諸規定に基づいた通知をする義務があつた。

イ 一時間前の通知義務の趣旨

操作規程が、放流開始一時間前の通知義務を定めているのは、関係諸機関が通知に応じて適切な水防活動その他の救助活動を実行的に行うことが期待し得なくなる最低限の基準を定めたものである。

したがつて、これに反した通知は、河川法及び同法施行令の趣旨を逸脱したものとなる。

(2) 通知時間についての義務違反

ア 通知開始義務

(ア) 八月一日午前〇時三〇分過ぎの通知開始義務

前記五8(四)で述べたとおり、訴外宮田は、八月一日午前〇時三〇分の時点で遅くとも同日午前一時二七分に洪水状態になることを予測できたのであり、洪水状態においては、操作規程によつて放流の実施が予定されているのであるから、右の時点で、ただちに河川法四八条、同法施行令三一条、操作規程一三条に基づく通知を開始する義務があつた。

(イ) 八月一日午前一時過ぎの通知開始義務

訴外宮田は、前記五8(四)(6)で述べたとおり、右の時点では洪水を予測しなかつたのであるが、八月一日午前一時過ぎの時点で午前一時四〇分から四五分ころに洪水状態になることを予測したのであるから、これを前提としても、洪水状態が予測される八月一日午前一時四〇分から四五分ころに放流を開始しなければならなくなることを予測して、洪水を予測した八月一日午前一時過ぎの時点で、ただちに河川法四八条、同法施行令三一条、操作規程一三条に基づく通知を開始する義務があつた。

イ 通知の指示及び通知がなされた時間

ところが、訴外宮田が通知を指示したのは八月一日午前一時二〇分ころであり、大迫支所及び下渕支所から関係機関への通知がなされた時間は次のとおりである(いずれも八月一日。)。

大迫支所から

川上村役場へ        午前一時二〇分

関西電力吉野変電所へ    午前一時二二分

川上村漁業組合へ      午前一時二四分

大滝ダム工事事務所へ    午前一時二六分

吉野広域消防本部へ     午前一時二八分

下渕支所から

大淀町役場へ        午前一時四〇分

吉野町役場へ        午前一時四五分

吉野警察署へ        午前一時五〇分

下市町役場へ        午前一時五五分

中吉野警察署へ       午前二時

紀の川土地改良区連合へ   午前二時 五分

五條市消防本部へ      午前二時 八分

奈良県御所浄水場へ     午前二時一〇分

大和平野土地改良区へ    午前二時一二分

奈良県吉野土木事務所へ   午前二時一六分

和歌山県土木部へ      午前二時二三分

建設省和歌山工事事務所へ  午前二時二五分

建設省大滝ダム工事事務所へ 午前二時三〇分

五條警察署へ        午前二時三〇分

右のとおり、下渕支所からの通知は、訴外宮田が通知を指示したときから、二〇分もたつた八月一日午前一時四〇分から、一四の機関に対し、同日午前二時三〇分まで五〇分もかけてなされている(一機関につき平均四分間以上)。

ウ より迅速な通知の可能性

大迫支所では、委託職員にすぎない訴外土井(盛)一人で五つの機関に対し、八月一日午前一時二〇分からただちに通知を開始して、わずか八分で通知を終えている(一機関につき平均二分間)のであり、本件事故当時、下渕支所には、加入電話が三台あり、訴外小西のほか、訴外山田、同村上及び同白草がいたのであるから、一台につき、四ないし五の機関に対して通知すれば、一機関に対して平均二分間要するとして、長くとも一〇分間で通知を完了できるのであり、訴外宮田が通知を指示した八月一日午前一時二〇分から右の方法でただちに通知を開始していれば、同日午前一時三〇分までに通知を終えることが可能であつた。

エ 通知が遅延した原因

それにもかかわらず右のように通知が遅れたのは、八月一日午前一時過ぎの時点では、下渕支所に集合した訴外宮田ら大迫ダム関係者は何ら放流開始の通知について思い至らなかつたからであり、また、下渕支所においては、緊急時における通知や警報の仕方などについての、具体的な事項や業務分担が、事前に協議して取り決められ、徹底されておらず、八月一日午前〇時五〇分に国職員が下渕支所に集合した後に、急きょ、下渕支所長訴外小西の判断で決められたため、各人の行動に無駄が生じて、迅速な行動ができず、不必要な時間を空費したからである。

(3) ダム操作日時通知義務違反

ア 操作日時の通知義務

前記の大迫支所及び下渕支所からなされた通知について、当時、八月一日午前三時から放流を開始することが決定されていたのであるから、これを通知する義務があつた。

イ 具体的操作日時の欠如した通知

ところが、右(2)イの通知においては、ダム操作(ダムからの放流開始)の具体的な日時については、通知がなされなかつた。

大迫支所からの通知においては、「もうしばらくすると」放流する旨が通知されただけであり、下渕支所からの通知においては、「緊急」放流する旨が通知されただけであつた。

ウ 右通知の違法性

「もうしばらくすると」というのでは、具体的な日時については明らかでなく極めて不適切であるし、「緊急」放流というのでは、日時の通知として全く意味をなさない。したがつて、右のような通知は法の趣旨に合致した通知とはいえず、違法である。

(4) 放流量又は下流水位の上昇見込み通知義務違反

ア 放流量又は下流水位の上昇見込みの通知義務

前記の大迫支所及び下渕支所からなされた通知では、放流量又は下流水位の上昇見込みを通知する義務があつた。

イ 放流量又は下流水位の上昇見込みの欠如した通知

ところが、右(2)イの大迫支所及び下渕支所からの通知においては、下流水位の上昇見込みについては全く通知がなされておらず、かつ、放流量についても具体的な数字での通知はなされておらず、以下のとおり、抽象的な表現で通知されただけである。

大迫支所からの通知においては、「大台ヶ原で急に雨が多くなり、時間雨量が一〇〇ミリを越え、ダムへの流入量も毎秒何百トン単位で入つて来ているので、ダムの水を相当な量、流入量に見合う量を放流する。」旨が通知されただけであり、下渕支所からの通知においては、「大台ヶ原に集中豪雨が発生している。一時間の雨量は一〇七ミリ、大迫ダムに相当量の水が流入している。大迫ダムから相当量の水を放流する。」旨が通知されただけである。

ウ 右通知の違法性

右のような抽象的な表現でなされた通知は、法の趣旨に合致した通知とはいえず、違法である。

(5) 放流開始時刻及び放流量の変更による再通知義務違反

ア 放流開始時刻及び放流量の変更による再通知義務

(ア) 予想を越えた流入及び放流

訴外宮田は、八月一日午前一時過ぎの時点においては、同日午前三時から三〇〇トン程度の放流を予定していたが、大迫ダムに到着した後、同日午前二時二五分ころ、急きょ、午前二時三〇分から放流することを決定した。そして、貯水池への流入量も同日午前一時過ぎの時点で予測を上回つており、放流量も同日午前一時過ぎの時点の予測を上回ることになつた。

(イ) 再通知義務

したがつて、河川法施行令三一条によつて放流日時、及び放流量又は上昇する下流水位の見込みを通知する義務があるのであるから、訴外宮田は、同日午前二時二五分ころに変更した、午前二時三〇分という放流開始時刻及び放流量を、操作規程別表第1記載の相手方に対して、加入電話によつて通知する義務があつた。

イ 再通知の不実施

ところが、訴外宮田は、同日午前一時二五分ころの変更にともなう、新たな放流日時、及び放流量又は上昇する下流水位の見込みの通知は全くしておらず、訴外宮田は、その必要性さえ意識していなかつた。

(6) 通知に関する義務違反の影響

以上のとおりの関係機関に対する放流通知の時期の遅れ、通知内容の不十分により、関係機関を通じた一般市民への警報の遅れ、不徹底を招いたのであり、これが本件被災の一因となつた。

(二) 警告装置による警告義務違反

(1) 警告装置による警告義務

訴外宮田は、河川法四八条、操作規程一四条により、同規定別表第2に掲げる警報措置により、ダム地点については、放流の開始以前約三〇分前から約八分間、右以外の地点については、放流により当該地点における水位の上昇が開始されると認められるとき以前約三〇分前から約八分間、それぞれ警告する義務があつた。

(2) 警告時間の不遵守

ア ダム地点における警告

ところが、訴外宮田が、八月一日午前二時三〇分の放流に対して、ダム地点における警告をしたのは、同日午前二時二二分からであつた。

イ ダム地点以外の地点における警告

また、訴外宮田がしたダム地点以外の地点における警告も、警告をした時刻を何らかの具体的な予測基準に基づいてしたのではなく、操作規程一四条に合致するものであつたか疑問がある。

(3)警告義務違反が示す被告の警報体制の杜撰さ

右の義務違反は、本件事故との因果関係はないものであるが、仮に、ダム地点のすぐ下流に、釣り人等が入川していたとすれば、放流が開始されるまでの僅か八分の間に、状況を理解して避難行動を開始し、完了することは不可能であり、真つ先に、本件ダムの放流による被災者となつていたはずである。

このように、ダム地点において事前の警告の時間が遵守されなかつた右義務違反等は看過できないものであり、これは、被告の警報体制全般にみられる杜撰さ、及び訴外宮田の場当たり的行動の一端を如実に示すものである。

(三) 警報義務違反

(1) 警報義務

ア 河川法四八条の警報義務

河川法四八条は、「ダムを操作することによつて流水の状況に著しい変化を生ずると認められる場合に」「これによつて生ずる危害が防止するため」一般に周知させる措置をとることをダム設置者に義務づけている。

イ 吉野川における義務警告区間

(ア) 本件の被災場所

吉野川における本件各被災地点は、いずれも、本件放流によつて急激な水位が上昇し、これによつて本件の被害が発生した地点であり、その他にも、被害発生には至らなかつたけれども、本件放流によつて水位が著しく上昇し、これによつて河川に入つていた者が避難を余儀なくされた地点が数多く存在する。そして、本件の亡下岡、原告門の被災は和歌山県かつらぎ町で生じているのである。

(イ) 五條警察署からの通知依頼

被告は、五條警察署からの「水防対策に備えるために、大迫ダムの状況も知りたい。」旨の要請によつて、操作規程に定められた放流通知の対象機関でない同警察署を放流通知の対象機関に加えている。

(ウ) 義務警告区間

したがつて、五條警察署の管轄区域から和歌山県かつらぎ町までは、河川法四八条の「放流により、流水の状況に著しい変化を生じ」これによつて危害が生じるおそれのある地点であり、河川法四八条が予定している義務警告区間に含まれるのであるから、被告及び訴外宮田は、本件各被災地点を含む区間について一般に周知させる措置として警報活動をする義務があつた。

(2) 操作規程一四条自体の違法

ア 操作規程一四条の定める警報区間

操作規程一四条は、放流の際の一般に周知させるための措置をとらなければならない区間を、ダム地点から中井川合流地点までの区間としているにすぎない。

イ 操作規程一四条の違法

操作規程一四条の規定する警報区間は、ダム下流の僅か一〇・七キロメートル地点まででしかなく、右区間のみの警報では放流による被災を防ぐには何の役にも立たない。

したがつて、右(1)ウの区間より不当に短い区間のみを義務警告区間とした操作規程一四条そのものが、河川法四八条、同法施行令三一条に違反する違法なものである。

(3) 実際になされた警報の区間についての義務違反

ア 実際に警報がなされた区間

被告は、操作規程一四条に規定する警報区間以外のダム下流域について警報活動を行つているが、これについても、最も下流でも、栄山寺橋までしか行つておらず、右(1)ウで述べた義務警告区間である和歌山県かつらぎ町までは及んでいない。

イ 実際になされた警報区間限定の違法

したがつて、右(1)ウの義務警告区間に及ばない区間に限定してなされた被告の警報活動は違法である。

(4) 各警報車のとつたルートの不適切

ア 警報車一〇八三号のルートの不適切

(ア) 警報車一〇八三号の採るべきルート

訴外安川は、警報車一〇八三号に乗つて警報活動を行つたが、同人は、栄山寺橋で転回した後の帰路は、警報の重要性から、警告を徹底するために、往路と同じ川沿いの道(本件被災現場の一つである六倉町は、その途中にある。)、又は、栄山寺から東へ七〇〇ないし八〇〇メートル行つたところから入る狭い道(この道は、狭い道ではあるが、車が頻繁に通り、亡稲葉が本件被災現場へ釣りに来るために車で通つた道である。)を選ぶべきであつた。

(イ) 警報車一〇八三号が採つたルート

ところが、訴外安川は、栄山寺橋で転回した後の帰路を、右のいずれかの道を通らず、吉野川から遠く離れた山あいの道を通つた。

イ 警報車五七九号のルートの不適切

(ア) 警報車五七九号の採るべきルート

訴外東嶋及び訴外川越は、警報車五七九号に乗つて警報活動を行つたが、同人らは、八月一日午前四時二五分ころ、布引で、警報車八一〇号と出会つた後は、放流開始時刻からみて、同時刻以降、放流による水位上昇の影響が出るのは、右の布引の地点よりずつと下流であつたのであるから、警報の重要性から、警報を徹底するために、布引で転回して下流に向かい、再度の警報を行うべきであつた。

(イ) 警報車五七九号の採つたルート

ところが、訴外東嶋は、布引で転回して下流に向かい再度の警報を行うことなく、上流に向かつた。

ウ 警報車八一〇号のルートの不適切

(ア) 警報車八一〇号の採るべきルート

訴外生駒及び訴外松本は、警報車八一〇号に乗つて警報活動を行つたが、同人らは、八月一日午前四時二五分ころ、布引で、警報車五七九号と出会つて、同日午前四時二七分ころ中井川に至つた後は、右イ(ア)に述べたとおり、同時刻以降、放流による水位上昇の影響が出るのは、右の布引の地点よりずつと下流であつたのであるから、警報の重要性から、警報を徹底するために、そのまま中井川より下流へ向かい、警報車五七九号と分担、協力して、より、一層綿密な警報活動を行うべきであつた。

(イ) 警報車八一〇号の採つたルート

ところが、訴外生駒らは、中井川より下流へ向かつて警報活動を行うことなく、転回した、往路を再び上流へと向かつた。

エ 各警報ルートの不適切についての総括

以上の、各訴外人の行動は、その警報活動を放棄したものであり、警報活動という任務の重要性を軽視した、軽率な行動である。

(5) 警報の方法についての義務違反

ア なされるべき警報活動

操作規程一四条が、警報車による警報は、拡声器によつて行うものと規定するように、拡声器による警告は、聴覚の刺激による注意の喚起を目的としたもので、警報車の側で発見できない河川内の人間に対し、極めて有効な警告としての意味を持つものであるから、警報活動に当たる者は、拡声器を使うことなどによつて、入川している者に対し、漏れがないように警告をする義務があつた。

イ 警報車一〇八三号の警報活動

ところが、警報車一〇八三号での警報活動では、訴外安川、又は同人及び訴外村上は、近畿日本鉄道の鉄橋や桜橋以外の地点では、拡声器による警告を全く行わず、サーチライトのように強力なものではない、単なる懐中電灯で人がいるか否かを確認しただけであり、しかも、本件被災現場である東阿田、上島野及び六倉などについては、懐中電灯による確認さえ行つておらず、単に車の中から見えやすい場所を確認したに過ぎなかつた。

ウ 警報車五七九号の警報活動

また、警報車五七九号で警報活動を行つた、訴外東嶋及び同川越は、亡塩崎及び訴外西山が宮滝大橋の下に張つていたテント及びその対岸にいたワゴン車並びに矢治において後にヘリコプターで救出された河原にいたキヤンパーらを発見することができなかつた。

(6) 津風呂ダム警報局の不利用の不相当

ア 津風呂ダム警報局の利用の相当性

(ア) 吉野川沿岸の津風呂ダム警報局の存在

中井川合流地点より下流で、下渕支所の統括する総合管理システムに属する施設として、津風呂ダム下流の吉野川沿岸に、津風呂ダムからの放流をための「河原屋」「上市」の二つの警報局が存在した。

(イ) 津風呂支所長の臨席

八月一日午前〇時五〇分に下渕支所に集合した職員の中には、津風呂支所長の訴外嶌田もいた。

(ウ) 降雨と流入量の予想外の展開

本件事故当時の降雨量と貯水池への流入量は、訴外宮田の予想を越えた展開を示していた。

(エ) 津風呂ダム警報局利用の相当性

したがつて、訴外宮田は、通常の洪水状態の場合の行動基準を示した操作規程にとらわれず、臨機の処置として、利用可能で一般への警告として多大な有効性を発揮しうる右(ア)の二つの施設を利用して、警告を行うべきであつた。

イ 右警報局の不利用

ところが、訴外宮田は、右の二つの警報局からの警報を全くせず、このような利用をしようとさえ考えなかつた。

ウ 右警報局不利用の示す硬直的で杜撰な管理体制及び行動

右の二つの警報局からの警報がなされていれば、本件の被害者らが、被害にあわなかつたとまではいえないにしても、右の二つの施設からの警報を全くしなかつた事実は、河川法四八条及び同法施行令の、可能な限りの人員、施設により一般へ周知させる措置を実施し、もつて災害の発生を防止しようという趣旨を理解しないか又はこれを軽視した、極めて硬直的で、杜撰な、被告の管理体制及び訴外宮田の行動の実態を示すものである。

(7) 国職員が大迫支所に向かう途上の警報及び通報の不実施

ア 吉野川への入川者の発見

訴外宮田ら三名は、広報車及び警報車の二台で、八月一日午前一時一五分ころ下渕支所を出発してから、同日午前二時ころ大迫支所に到着するまでの途中で、吉野川の河川内に何人か人がいるのを発見した。

イ 警報及び通報の不実施

ところが、訴外宮田ら三名は、この時点で、発見した人に対して、放流に関する何らの警告もせず、下渕支所に対しても、右の河川内に人がいる旨の情報を全く通報しなかつた。

ウ 右警報及び通報不実施の示す警報活動の杜撰さ

右の警報及び通報の不実施は、違法とは言えないまでも、人命を軽視した、極めて不当な処置であり、また、後に行われる予定の警報活動に役立つ情報を提供しようという配慮にも全く欠けており、訴外宮田らがした本件の警報活動全般に見られる杜撰さ、融通のなさの一つの現れである。

(四) 八月一日午前六時以降の再通知、再警報義務違反

(1) 下渕頭首工地点での急激な水位上昇

下渕頭首工において、八月一日午前六時から同日午前六時三〇分までの間に三・〇三メートル、同日午前六時から同日午前七時までの間に五・一五メートルも水位が急激に上昇した。

(2) 下渕頭首工より下流での水位上昇の予測

右の下渕頭首工の地点における急激な水位上昇の事実から、訴外宮田及び訴外小西は、右時点以降に、下渕頭首工より下流において、河川法四八条の予定する急激な水位の上昇が起こることを予測することができた。

(3) 再通知義務違反

ア 再通知義務

訴外宮田は、操作規程上の義務ではないが、以上に述べてきた法規の趣旨、人命の重大さから、右の下渕頭首工の地点での急激な水位上昇があつた時点において、下渕頭首工の下流域にあつて放流水の影響を受けると予想される地域の関係諸機関に対し、それらの機関がより一層迅速かつ適切な水防活動に従事することを可能にするために、改めて、放流水が到着することを通知することによつて、災害の発生を防止するための最大限の努力をする義務があつた。

イ 再通知の不実施

ところが、訴外宮田は、右のような措置をとることなく、右のような措置をとるべきことさえ意識しなかつた。

(4) 再警報義務違反

ア 再警報義務

(ア) 警報車一〇八三号の再警報による救助

同日午前六時以前に、警報車五七九号からの要請により、下渕支所から桜橋付近までの間を警報車一〇八三号が再度警報をしたことによつて、一回目の警報活動で発見できなかつた多くの人と車を発見して、救助することができた。

(イ) 下渕頭首工より下流の警報

これに対して、下渕頭首工より下流の警報は、警報車一〇八三号に乗車した訴外安川によつて、同日午前一時五〇分から同日午前三時一〇分の間に一回なされただけであつた。

(ウ) 再警報が可能であること

また、同日午前六時以降の下渕支所の人員及び警報車の体制は、警報車一〇八三号及び警報車五九七号を再度の警報活動にあたらせることが十分可能であつた。

(エ) 再警報義務

右のように、八月一日午前六時以降、河川法四八条の予定する放流による影響が下渕頭首工の下流で生じること、及び再度の警報の必要性と有効性が明らかであつたのであるから、訴外小西は、右の急激な水位の上昇によつて生じる災害を防止するために、警報車によつて可能な限り警報を続行し、一般へ周知させる措置を徹底させる義務があつた。

イ 再警報の不実施

ところが、訴外小西は、再度の警報の必要性を全く認識せず、警報車の活動を停止させておいた。

(5) 再通知、再警報義務違反の本件への影響

大部分の本件被災者の被災時刻は、いずれも八月一日午前六時以降であるから、右の再通知、再警報義務違反は重大である。

(五) 警告のための立札設置義務違反

(1) 立札設置義務

被告は、河川法施行令三一条により、同法施行規則二六条に定める立札を設置して、大迫ダムの放流を一般に周知させて警告する義務があつた。

(2) 立札の設置保存状況

ところが、ダムの放流を警告する立札は、本件当時、少なくとも阿知賀、東阿田及び六倉には設置されておらず、また、折れ曲がり、あるいは倒れているなど、その数量、設置場所、保存状況等の点において極めて不十分であり、一般へ周知させる措置としての実行性は乏しいものであつて、法が要求するところに合致したものではなく、被告は、右の立札による警告義務に違反していた。

(六) 危害防止措置に関する義務違反の総括

被告が本件当時行つた危害防止措置は、以上の事実及び前記五7(九)並びに五8(三)(4)の事実に示されるとおり、極めて不充分なものであつた。

11 以上の事実の法的評価

(一) ダム設置又は管理の瑕疵

以上のとおり、集水域の降雨量や貯水池への流入量の観測、予測体制の不備、これらの観測、予測の誤り、緊急時のための要員確保の不充分さ、放流開始遅延と放流の異常性、通知、通報及び一般に周知させる警報措置の懈怠など、本件事故時における大迫ダムの管理、操作は、河川法、同法施行令及び同法施行規則並びに操作規程に違反していることが明らかであり(操作規程の一部は河川法に違反している。)、これらは、国家賠償法二条一項の営造物の設置又は管理の瑕疵に該当する。

(二) 訴外宮田の過失

仮に、以上の本件ダムの管理、操作の誤りが、国家賠償法二条一項の営造物の設置又は管理の瑕疵に該当しないとしても、そのこと自体、国家賠償法一条一項の、公権力の行使に当たる公務員のその職務を行うについての故意又は過失(本件の場合、大迫ダムのダム管理主任技術者である訴外宮田の故意又は過失に集約される。)があつた。

六  瑕疵又は故意過失と本件被災との因果関係

右五の大迫ダムの設置若しくは管理の瑕疵又は訴外宮田の故意若しくは過失による行為がなければ、前記三の本件被災は生じなかつた。

七  被告の損害賠償義務

したがつて、被告は、原告らに対し、国家賠償法二条一項又は同法一条一項に基づき、原告らの損害を賠償する義務を負う。

八  原告らの損害

1 原告塩崎庄一及び同塩崎笑子の損害

損害の計算については、A、Bなどの記号を付した式のとおりである(以下、他の原告らについても、それぞれ各関係者ごとに同様。)。

(一) 亡塩崎の逸失利益(A)

(1) 年収 金二八三万一六〇七円(X)

(2) 生活費控除率 四〇パーセント(Y=〇・四)

(3) 死亡時の年令 満二九歳(昭和二八年五月一七日生)

(4) 稼動可能期間 三八年

(5) 右稼動可能期間の新ホフマン係数 二〇・九七〇(Z)

(6) 死亡時の逸失利益の額

金三五六二万七二七九円{A、A=X×(1-Y)×Z}

(二) 慰謝料

(1) 原告塩崎庄一 金一〇〇〇万円(B1)

(2) 原告塩崎笑子 金一〇〇〇万円(B2)

(3) 亡塩崎は、小学校の教師を聖職として選び、被災時には、東大阪市立鴻池東小学校の五年の担任教師であり、同じ教師仲間の女性との婚約もととのい、新しい人生へのスタートに胸をときめかしている矢先の本件被災で、春秋にとむ将来はむなしく消失してしまつた。当人の無念さ及び長男である亡塩崎にかけた両親の悲しみと落胆は、筆舌につくし難い。これら諸事情に、今もつて遺体が判明していないことなどを考慮すると、原告塩崎二名の慰謝料は各金一〇〇〇万円をもつて相当とする。

(三) 葬祭費 金二六〇万円三四一〇円(C)

右の内訳

<1> 葬儀費 金一八二万八四一〇円

<2> 満中陰費 金一二万五〇〇〇円

<3> 仏壇購入費 金六五万円

(四) 捜索費 金六九五万三九〇〇円(D)

右の内訳

<1> 捜索のための実費の一部 金一六一万三九〇〇円

(実費の総額 金一七八万六〇〇〇円)

右の内訳

i 自動車交通費 金九一万二〇〇〇円

ii 電車賃 金二二万円

iii 宿泊費 金五万四〇〇〇円

iv 潜水夫代 金六〇万円

<2> 捜索参加者の日当合計 金五三四万円(一人一日あたり金五〇〇〇円。以下、他の原告らについても同じ。)

亡塩崎の捜索は、昭和五七年八月四日から同年一一月三日まで、延べ一〇六八名の者によつて行われた。被告の何らの援助もない中での炎天下の捜索であつたこと、及び、最終的に遺体が発見されなかつたことからして、右の捜索費は、必要性、合理性、相当性のある出費として認められるべきである。

(五) 弁護士費用以外の損害合計

(1) 原告塩崎庄一

金三七三七万〇九四九円(M1、M1=A/2+B1+C+D)

(2) 原告塩崎笑子

金二七八一万三六三九円(M2、M2=A/2+B2)

(六) 弁護士費用

(1) 原告塩崎庄一 金三七三万七〇九四円(N1)

(2) 原告塩崎笑子 金二七八万一三六三円(N2)

(七) 損害総合計

(1) 原告塩崎庄一 金四一一〇万八〇四三円(M1+N1)

(2) 原告塩崎笑子 金三〇五九万五〇〇二円(M2+N2)

2 原告大田照子の損害

(一) 原告大田照子の扶養請求権侵害による逸失利益(A)

(1) 亡大田からの年扶養額 金一二〇万円(X)

(2) 原告大田照子の亡大田死亡時の年令 満七五歳

(3) 原告大田照子の平均余命 九・四七年

(4) 右平均余命の年数を九年とした新ホフマン係数七・二七八(Z)

(5) 原告大田照子の亡大田死亡時の逸失扶養料の額金八七三万三六〇〇円(A、A=X×Z)

(6) 原告大田照子は、前述のとおり、亡大田の母である。

亡大田は、昭和九年二月七日、原告大田照子と訴外亡大田源三(昭和四三年一月三日死亡。)との間の二男として出生した。

原告大田照子と亡大田源三との間には、亡大田の外に長男訴外大田明(死亡)、長女訴外藤本恵美子、次女訴外沢田昌子、三女訴外上本文子、四女訴外大田和子がいる。

亡大田は、昭和二三年、旧制城南中学校を卒業し、その後いくつかの職業に就いた後、昭和四四年一〇月二四日、訴外小川(現姓)育子と婚姻し、昭和四五年九月一二日、訴外育子との間に長男訴外貫之をもうけたが、昭和四六年五月二一日、訴外育子と調停離婚した。訴外貫之は訴外育子が親権者となり、同人が引取つた。なお、右調停離婚の際、亡大田が訴外育子に対し訴外貫之の扶養料として毎月金一万円を送金して支払う旨の約束がなされた。亡大田は、訴外育子との婚姻当時は「荒源」という梱包資材を製造する会社の運転手をしていたが、昭和四七年ころそこをやめて、株式会社日興機械製作所に勤務し始め、機械工として機械部品の製作の仕事をするようになり、以後本件事故によつて死亡するまで同社に勤務していた。亡大田は生まれて以降、原告大田の下で養育を受け、訴外育子との婚姻中は原告大田と同居し、訴外育子と離婚した後は、死亡する時まで、亡大田と原告大田と訴外大田和子が同居していた。

原告大田にとつて長男大田明が早く死亡したため、亡大田は残る唯一の男の子供であり、実質上一人息子に等しかつた。昭和四三年、亡大田源三が死亡してからは、家族の中で亡大田がただ一人の男手となり、それ以降原告大田にとつて、亡大田は頼りがいのある息子であり、同人が離婚した後は、同人の日常生活全ての面倒を見ながら、他方で同人から全面的に生活の援助を受け、扶養を受ける関係にあつた。亡大田の昭和五六年度の収入は金三二〇万七二四一円であつたが、月に平均すると手取り約二五万円の収入であつた。亡大田は毎月の収入から同人の小遣いとして三ないし五万円を差引き、残り二〇数万円を生活費として原告大田に渡し、この金で二人の生活が営まれていた。このように、原告大田が毎月亡大田から受けていた扶養の金額は金一〇万円を下らなかつた。

(二) 慰謝料 金二〇〇〇万円(B)

原告大田にとつて、事故の日の朝元気に出て行つた亡大田が、そのまま帰らぬ人となつてしまうとは思いもよらなかつた。亡大田は原告大田にとつて、優しく親に尽くす頼りになる息子であつた。原告大田の子供の中でも特に親しみをもつて接し、苦楽を共にしてきた亡大田が大迫ダムの無謀な放流によつて命を奪われ、そのうえ必死の捜索にもかかわらず、遺体さえも上がらなかつたため、原告大田は亡大田の骨も拾えないのである。その悔しさ悲しさは、とても言葉にできるものではない。原告大田は葬儀が終わつてから事故現場に何度か赴き、亡大田の冥福を祈つたが、眼前の川の流れを見ていると「こんな広い所で運動神経が発達した亡大田がなぜ逃げれなかつたのか。よほど早くたくさんの水が来たのだろうな。」という思いがし、泳げないまま濁流に流され、恐ろしい思いをしながら死んでいつた亡大田の無念さに胸が痛み、涙が出るのを止めることができなかつた。それまでは健康で医者にかかつたこともなかつた原告大田だつたが、本件事故の後心痛のあまり体調が悪くなり、高血圧で症状を呈するようになり、通院するようになつてしまつた。

以上のように、本件事故によつて原告大田が受けた多大な精神的苦痛に対する賠償額は金二〇〇〇万円を下らない。

(三) 葬祭費 金六一万五二四〇円(C)

右はすべて葬儀費

(四) 捜索費 金二一七万一三一八円(D)

右の内訳

<1> 捜索のための実費 金四八万六三一八円

右の内訳

i 自動車交通費 金二九万四九一八円

ii 電車賃 金一九万一四〇〇円

<2> 捜索参加者の日当 金一六八万五〇〇〇円

亡大田の捜索は、八月一日から昭和五七年一一月二一日まで、延べ三三七名の者によつて行われた。

(五) 弁護士費用以外の損害合計

金三一五二万〇一五八円(M、M=A+B+C+D)

(六) 弁護士費用 金三一五万二〇一五円(N)

(七) 損害総合計 金三四六七万二一七三円(N+M)

3 原告森田豊子、同森田眞治及び同森田光美の損害

(一) 亡森田の逸失利益(A)

(1) 年収 金四四二万一二〇〇円(X)

(2) 生活費控除率 四〇パーセント(Y=〇・四)

(3) 死亡時の年令 満五二歳(昭和四年八月二四日生)

(4) 稼動可能期間 一五年

(5) 右稼働可能期間の新ホフマン係数一〇・九八一(Z)

(6) 死亡時の逸失利益の額

金二九一二万九五一八万{A、A=X×(1-Y)×Z}

亡森田は、本件被災当時、満五二歳の健康な男子であつて、自宅において農業及び建具商を営んでいた。同人は単独で自有農地、田三反・畑二反半を耕作し、自家消費分を含めれば、諸経費控除後の米及び野菜の収穫純益合計金二四〇万円強の農業収入を得ていたのに加え、建具職としても、経費控除後の純益約二一〇万円の収入をあげていたので、それらを合わせた同人の総収入は年額金四五〇万円を下ることはなかつた。昭和五六年度賃金センサスによる産業計・学歴計五〇ないし五四歳の男子労働者平均賃金年間金四四二万一二〇〇円の数値を使用すると、右のとおり金二九一二万九五一八円となるが、右のように同人の年収は当該平均賃金を上回つているので、本件死亡による同人の逸失利益が右数値を下回ることはない。

(二) 慰謝料

(1) 原告森田豊子 金一〇〇〇万円(B1)

(2) 原告森田眞治 金五〇〇万円(B2)

(3) 原告森田光美 金五〇〇万円(B3)

(4) 本件異常放流は、亡森田自身の生命のみならず、家族との平和で幸福な生活をも一挙に押し流すものであつた。家族の者は前日就寝時に同人の元気な姿を見たのが最後となり、同人は生きて再び家族の前に姿を見せることはできなかつたのである。長年の趣味としていた鮎釣りの成果をもつて、家族との日曜のだんらんを楽しみにしていたさなかの突然の災厄であり、まさに天国から地獄へ突き落とされたとしかいいようのないものであつた。塵芥にまみれて奔流する泥水に弄ばれつつも、いちるの生への希望にすがつて荒れ狂う激流と戦い続けたが及ばす、ついには力尽きて濁流に飲まれるに至るまでの同人の胸中はまさに想像を絶するものであり、一方、膨れあがつてみるかげもない惨状をていした遺体と対面せざるを得なかつた遺族の心中も察するに余りあるものである。長年連れ添つた最愛の夫を理不尽にも奪い去られた妻原告森田豊子は、一家の大黒柱を失つたことから、生活のために労働に励むあまり手を負傷した。また、学業のさなかに若くして父を失つた息子原告森田眞治、花嫁姿を父に見せる夢を絶たれたうえに片親というハンデを背負うこととなつた娘原告森田光美、これら遺族の悲しみ、苦しみ、心の痛手は決して癒えるものではありえない。のこされた家族の右の精神的苦痛は絶大なものであり、それに対する慰謝料は、それぞれ右(1)ないし(3)掲記の額が相当である。

(三) 葬祭費 金一七七万八四四〇円(C)

右の内訳

<1> 葬儀費 金一六六万一二四〇円

<2> 法要費 金一一万七二〇〇円

(四) 捜索費 金一四四万一九七〇円(D)

右の内訳

<1> 捜索のための実費 金二四万一九七〇円

右の内訳

i 自動車交通費 金一一万七〇〇〇円

ii 食費等 金一二万四九七〇円

<2> 捜索参加者の日当 金一二〇万円

亡森田の捜索は、八月一日、同月二日及び同月四日に、延べ二四〇名の者によつて行われた。

(五) 死体検案関係費 金一万四二〇〇円(E)

(六) 弁護士費用以外の損害合計

(1) 原告森田豊子

金二七七九万九三六九円(M1、M1=A/2+B1+C+D+E)

(2) 原告森田眞治

金一二二八万二三七九円(M2、M2=A/4+B2)

(3) 原告森田光美

金一二二八万二三七九円(M3、M3=A/4+B3)

(七) 弁護士費用

(1) 原告森田豊子 金二七七万九九三六円(N1)

(2) 原告森田眞治 金一二二万八二三七円(N2)

(3) 原告森田光美 金一二二万八二三七円(N3)

(八) 損害総合計

(1) 原告森田豊子 金三〇五七万九三〇五円(M1+N1)

(2) 原告森田眞治 金一三五一万〇六一六円(M2+N2)

(3) 原告森田光美 金一三五一万〇六一六円(M3+N3)

4 原告稲葉咲子、同稲葉力及び同稲葉美佐枝の損害

(一) 亡稲葉の逸失利益(A)

(1) 年収 金四五五万三九〇〇円(X)

(2) 生活費控除率 四〇パーセント(Y=〇・四)

(3) 死亡時の年命 満四八歳(昭和九年五月一一日生)

(4) 稼働可能期間 一九年

(5) 右稼働可能期間の新ホフマン係数 一三・一一六(Z)

(6) 死亡時の逸失利益の額

金三五八三万七三七一円{A、A=X×(1-Y)×Z}

(7) 亡稲葉は、本件被災当時、健康に恵まれ働き盛りの満四八歳の男子であつた。同人は、四反半の田と一町三反半程の畑を有して農業を営み、自家消費分を含めれば、諸経費控除後の純収益は年に金三〇〇万円を下らない収入をえていた。同人は又造園業も営み、これによる収入は年に金一八〇万円以上あつた。これらを合わせた同人の年間総収入は、金四八〇万円を下らなかつた。昭和五六年度賃金センサスによる産業計・学歴計四五ないし四九歳の男子労働者平均賃金年間金四五五万三九〇〇円をもとに、逸失利益を計算すると、右のとおり金三五八三万七三七一円となる。

(二) 慰謝料

(1) 原告稲葉咲子 金一〇〇〇万円(B1)

(2) 原告稲葉力 金五〇〇万円(B2)

(3) 原告稲葉美佐枝 金五〇〇万円(B3)

(4) 亡稲葉は、本件異常放流によつて濁流に飲み込まれ、苦しみのうちに死亡した。そして、約四〇キロメートル流され、三八日目に変わり果てた姿で発見されたのである。死に至るまでの恐怖と苦しみは想像を絶する。

同人は、体重七〇キログラムを超える偉丈夫であつたが、家族には優しく、親を大事にして申し分のない夫であり、父親であり、子であつた。

約二〇年にわたつて生活を共にしてきた妻原告稲葉咲子の無念は察するに余りある。また、思春期に父親を亡くした二人の子供らの悲しみは誠に深いものがある。加えて、長男原告稲葉力は、働き手を失つた一家のために希望の進路を放棄することを余儀なくされているのである。子供に先立たれるという最も残酷な運命に見舞われた亡稲葉の父親は悲しみの中で死亡し、母親もめつきり弱つてしまつた。

このように、遺族の精神的苦痛は絶大なものがあるので、その慰謝料は、それぞれ右(1)ないし(3)掲記の額が相当である。

(三) 葬祭費 金一九四万四一五〇円(C)

右の内訳

<1> 葬儀費 金一四九万三一五〇円

<2> 法要費 金四五万一〇〇〇円

(四) 捜索費 金四七四万六三六二円(D)

右の内訳

<1> 捜索のための実費 金九三万一三六二円

右の内訳

i 舟使用謝礼 金五万円

ii ブルトーザー、ユンボ使用謝礼 金七〇〇〇円

iii 発見者謝礼 金二万円

iv 消防団等へのタバコ、酒等 金一八万七〇六〇円

v 炊き出し等謝礼 金三〇万円

vi 飲食費(捜索期間中)金三一万一一五〇円

vii 飲食費(捜索終了後)金五万六一五二円

<2> 捜査参加者の日当 金三八一万五〇〇〇円

亡稲葉の捜索は、八月一日から昭和五七年九月七日まで、延べ七六三名の者によつて行われた。

(五) 弁護士費用以外の損害合計

(1) 原告稲葉咲子

金三四六〇万九一九七円(M1、M1=A/2+B1+C+D)

(2) 原告稲葉力

金一三九五万九三四二円(M2、M2=A/4+B2)

(3) 原告稲葉美佐枝

金一三九五万九三四二円(M3、M3=A/4+B3)

(六) 弁護士費用

(1) 原告稲葉咲子  金三四六万〇九一七円(N1)

(2) 原告稲葉力   金一三九万五九三四円(N2)

(3) 原告稲葉美佐枝 金一三九万五九三四円(N3)

(七) 損害総合計

(1) 原告稲葉咲子  金三八〇七万〇一一四円(M1+N1)

(2) 原告稲葉力   金一五三五万五二七六円(M2+N2)

(3) 原告稲葉美佐枝 金一五三五万五二七六円(M3+N3)

5 原告梅田町子、同梅田容子、同梅田知宏及び同梅田佳孝の損害

(一) 亡梅田の逸失利益(A)

(1) 年収 金三七七万八七九九円(X)

(2) 生活費控除率 四〇パーセント(Y=〇・四)

(3) 死亡時の年令 満四九歳(昭和七年一一月三日生)

(4) 稼動可能期間 一八年

(5) 右稼働可能期間の新ホフマン係数 一二・六〇三(Z)

(6) 死亡時の逸失利益の額

金二八五七万四五二二円{A、A=X×(1-Y)×Z}

(二) 慰謝料

(1) 原告梅田町子 金一〇〇〇万円(B1)

(2) 原告梅田容子 金三五〇万円(B2)

(3) 原告梅田知宏 金三五〇万円(B3)

(4) 原告梅田佳孝 金三五〇万円(B4)

(5) 亡梅田は、三〇年にわたる刻苦勉励が実つて、ようやく家業の米穀店の営業も安定した矢先の事故遭遇であり、三人の子供の成長も見届けないまま他界した。遺体も懸命の捜索にもかかわらず八月五日午後まで見つからず、発見時は相当に痛んでいた。右原告らの悲しみは計り知れないが、亡梅田の死亡が右原告ら家族及び家業に与えた混乱もまた看過しえない。

前述の被災状況及びこれらの事情を勘案すると、慰謝料は、それぞれ右(1)ないし(4)掲記の額が相当である。

(三) 葬祭費 金二七四万七二〇〇円(C)

右は葬儀費及び仏壇購入費

(四) 捜索費 金一四三万六八〇〇円(D)

右の内訳

<1> 捜索のための実費 金三二万一八〇〇円

右の内訳

i 宿泊費 金九万円

ii 死体運搬費その他 金八万八八〇〇円

iii 松田建設、刑事課、消防団等謝礼

金一万九〇〇〇円

iv 親戚謝礼 金四万円

v 町内会謝礼 金三万七〇〇〇円

vi 米穀組合謝礼 金四万二〇〇〇円

vii 麦藁帽子代 金五〇〇〇円

<2> 捜査参加者の日当 金一一一万五〇〇〇円

亡梅田の捜索は、昭和五七年八月二日から同月五日まで、延べ二二三名の者によつて行われた。

(五) 死体検案書代 金六〇〇〇円(E)

(六) 弁護士費用以外の損害合計

(1) 原告梅田町子

金二八四七万七二六一円(M1、M1=A/2+B1+C+D+E)

(2) 原告梅田容子

金八二六万二四二〇円(M2、M2=A/6+B2)

(3) 原告梅田知宏

金八二六万二四二〇円(M3、M3=A/6+B3)

(4) 原告梅田佳孝

金八二六万二四二〇円(M4、M4=A/6+B4)

(七) 弁護士費用

(1) 原告梅田町子 金二八四万七七二六円(N1)

(2) 原告梅田容子 金八二万六二四二円(N2)

(3) 原告梅田知宏 金八二万六二四二円(N3)

(4) 原告梅田佳孝 金八二万六二四二円(N4)

(八) 損害総合計

(1) 原告梅田町子 金三一三二万四九八七円(M1+N1)

(2) 原告梅田容子 金九〇八万八六六二円(M2+N2)

(3) 原告梅田知宏 金九〇八万八六六二円(M3+N3)

(4) 原告梅田佳孝 金九〇八万八六六二円(M4+N4)

6 原告奥中勝代、同奥中嘉代、同奥中三津枝及び同奥中和美の損害

(一) 亡奥中の逸失利益(A)

(1) 年収 金四五五万三九〇〇円(X)

(2) 生活費控除率 四〇パーセント(Y=〇・四)

(3) 死亡時の年令 満四六歳(昭和一一年六月二七日生)

(4) 稼働可能期間 二一年

(5) 右稼働可能期間の新ホフマン係数 一四・一〇四(Z)

(6) 死亡時の逸失利益の額

金三八五三万六九二三円{A、A=X×(1-Y)×Z}

(7) 亡奥中は、本件事故で死亡した当時、満四九歳の働きざかりの年齢であつた。同人は、弟の訴外良三の手伝いを得て、米穀販売業を営んでいた。なお、同人の年収は、本件請求においては金四五五万三九〇〇円としているが、この額は現実の支出額からみて、低いことはあつても決して高い額ではなかつた。即ち、亡奥中の妻原告奥中勝代は、同人から家族七人の生活費として一か月あたり金三〇万円を貰つており、この亡奥中の父や亡奥中自身の小遣い等から算出すれば、亡奥中の収入は、月額金四〇万円を超えていたことが明らかである。なお、米穀販売業の名義は父訴外嘉三名義であつたことから、税金は、父訴外嘉三と亡奥中の二名に分けて申告していたが、現実には訴外嘉三は隠居しており、米穀販売業には全く関与していなかつた。したがつて、実際は亡奥中一人の収入であるものを、形だけ二人にして申告していたにすぎない。

(二) 慰謝料

(1) 原告奥中勝代  金一〇〇〇万円(B1)

(2) 原告奥中嘉代  金三五〇万円(B2)

(3) 原告奥中三津枝 金三五〇万円(B3)

(4) 原告奥中和美  金三五〇万円(B4)

(5) 亡奥中の遺体発見後、その相続人である右原告らは、各々の立場において深い悲しみと憤りを持ちながら、一致協力して生活してきた。即ち、妻である原告奥中勝代はこれまでほとんど米穀販売の手伝いをしたことがなかつたが、亡奥中が死亡したことから、米穀業の一からその仕事を習い始めた。女手一つで六〇キログラムの重量を動かす時の辛さ、あるいは共に仕事を手伝つてもらつた訴外良三が一か月胆石で入院したこと等、仕事上の苦労は筆舌に尽くしがたかつた。また、原告奥中勝代の力では不充分であつたため、長女である原告奥中嘉代に短大を中退させてまで家業の手伝いをさせた。また、次女の原告奥中三津枝、三女の原告奥中和美らは、いずれは大学又は高校受験をひかえて精神的に不安定な時期であつたが、苦しみに耐えて、現在進学を果たしている。原告奥中勝代は現在でもたびたび夫の夢を見、その時の寂しさは、言葉に尽し難いものであり、このことは亡奥中関係の原告四名に共通するものである。右原告らの夫であり、父である亡奥中の死亡により受けた右原告らの悲しみや苦しみは、多大のものがあり、本件請求の慰謝料額は、それぞれ右(1)ないし(4)掲記の額が相当である。

(三) 葬祭費 金二〇九万八六六三円(C)

右の内訳

<1> 遺体発見前弔問接待費、葬儀費等 金一八五万一〇三三円

<2> 法要費 金二四万七六三〇円

亡奥中は、生前、米穀販売業だけでなく、堺東防犯協議会の委員や堺米穀販売業組合の会長をする等の地域ならびに同業者の活動も積極的に行い、多くの人から信頼され、慕われてきた。そのため、同人の葬儀には、七〇〇名以上の人々から香奠が寄せられた。また、葬儀には交通整理が必要なほど多数の人々が、参列した。本件で請求している亡奥中関係の葬儀費はいずれも残存している領収書及びメモに基づくものであるが、葬儀の規模からみて、右は相当な金額である。

(四) 捜索費 金三一七万六六〇〇円(D)

右内訳

<1> 捜索のための実費 金一七万六六〇〇円

右の内訳

i 宿泊費 金一〇万円

ii 食費 金四万〇九〇〇円

iii 警察、消防団等謝礼 金二万円

iv 麦藁帽子代 金五七〇〇円

v その他 金一万円

<2> 捜索参加者の日当 金三〇〇万円

亡奥中の捜索は、八月一日から同月五日まで、延べ六〇〇名の者によつて行われた。

(五) 死体検案書代 金一万四二〇〇円(E)

(六) 弁護士費用以外の損害合計

(1) 原告奥中勝代

金三四五五万七九二四円(M1、M1=A/2+B1+C+D+E)

(2) 原告奥中嘉代

金九九二万二八二〇円(M2、M2=A/6+B2)

(3) 原告奥中三津枝

金九九二万二八二〇円(M3、M3=A/6+B3)

(4) 原告奥中和美

金九九二万二八二〇円(M4、M4=A/6+B4)

(七) 弁護士費用

(1) 原告奥中勝代  金三四五万五七九二円(N1)

(2) 原告奥中嘉代  金九九万二二八二円(N2)

(3) 原告奥中三津枝 金九九万二二八二円(N3)

(4) 原告奥中和美  金九九万二二八二円(N4)

(八) 損害総合計

(1) 原告奥中勝代  金三八〇一万三七一六円(M1+N1)

(2) 原告奥中嘉代  金一〇九一万五一〇二円(M2+N2)

(3) 原告奥中三津枝 金一〇九一万五一〇二円(M3+N3)

(4) 原告奥中和美  金一〇九一万五一〇二円(M4+N4)

7 原告下岡民子、同下岡恵美、同下岡智恵及び同下岡直美の損害

(一) 亡下岡の逸失利益(A)

(1) 年収 金四二八万七四一〇円(X)

(2) 生活費控除率 四〇パーセント(Y=〇・四)

(3) 死亡時の年令 満四四歳(昭和一二年一〇月三〇日生)

(4) 稼働可能期間 二三年

(5) 右稼働可能期間の新ホフマン係数 一五・〇四五(Z)

(6) 死亡時の逸失利益の額

金三八七〇万二四五〇円{A、A=X×(1-Y)×Z}

(二) 慰謝料

(1) 原告下岡民子 金一〇〇〇万円(B1)

(2) 原告下岡恵美 金三五〇万円(B2)

(3) 原告下岡智恵 金三五〇万円(B3)

(4) 原告下岡直美 金三五〇万円(B4)

(5) 前述の亡下岡の被災状況、特に同人の受けたすさまじい死の恐怖及び濁流に流されながらの溺死という悽惨な死の苦しみ、そして、のこされた右原告らの悲嘆と癒し難い心の傷からして、同原告らの精神的損害はそれぞれ右(1)ないし(4)の額を下回ることはない。

(三) 葬祭費 金一一二万五〇〇〇円(C)

右の内訳

<1> 葬儀費 金一〇四万円

<2> 法要費 金八万五〇〇〇円

(四) 捜索費 金八五万三三〇〇円(D)

右の内訳

<1> 捜索のための実費 金二二万三三〇〇円

右の内訳

i 自動車交通費 金八万九〇〇〇円

ii 電車賃、タクシー代 金七八〇〇円

iii 食費、電話料 九万一六五〇円

iv 花代 金一万一〇〇〇円

v 長靴、手袋、帽子代 金八八五〇円

vi 役場、警察、発見者謝礼 金一万五〇〇〇円

<2> 捜索参加者の日当 金六三万円

亡下岡の捜索は、八月一日から同月八日まで、延べ一二六名の者によつて行われた。

(五) 那賀町役場死体検案書証明代 金三三〇〇円(E)

(六) 弁護士費用以外の損害合計

(1) 原告下岡民子

金三一三三万二八二五円(M1、M1=A/2+B1+C+D+E)

(2) 原告下岡恵美

金九九五万〇四〇八円(M2、M2=A/6+B2)

(3) 原告下岡智恵

金九九五万〇四〇八円(M3、M3=A/6+B3)

(4) 原告下岡直美

金九九五万〇四〇八円(M4、M4=A/6+B4)

(七) 弁護士費用

(1) 原告下岡民子 金三一三万三二八二円(N1)

(2) 原告下岡恵美 金九九万五〇四〇円(N2)

(3) 原告下岡智恵 金九九万五〇四〇円(N3)

(4) 原告下岡直美 金九九万五〇四〇円(N4)

(八) 損害総合計

(1) 原告下岡民子 金三四四六万六一〇七円(M1+N1)

(2) 原告下岡恵美 金一〇九四万五四四八円(M2+N2)

(3) 原告下岡智恵 金一〇九四万五四四八円(M3+N3)

(4) 原告下岡直美 金一〇九四万五四四八円(M4+N4)

8 原告門の損害

(一) 慰謝料 金五〇〇万円(A)

原告門の被災状況、特に、急激な増水の恐怖、流されてから濁流にもまれ、岸にはい上る迄約四〇分死と直面した苦闘に照せば、同原告の精神的損害は、金五〇〇万円を下らない。

(2) 物損 金一〇万九五〇〇円(B)

右の内訳

<1> 釣り竿一本 金四万五〇〇〇円(購入価格)

<2> 釣り針、釣り糸、鉛 金二万八〇〇〇円(購入価格)

<3> ゴム長 金一万八〇〇〇円(購入価格)

<4> 鮎鑑札 金七〇〇〇円(購入価格)

<5> 鮎缶 金六〇〇〇円(購入価格)

<6> ビール二缶 金五〇〇円(購入価格)

<7> ナツプサツク、弁当、カツパ 金五〇〇〇円(見込み時価)

(三) 亡下岡の葬儀、捜索費等 金七五万四九〇〇円(C)

右の内訳

<1> モーターボート借賃(捜索用) 金五万円

<2> 右モーターボート世話人謝礼 金二万円

<3> 自動車交通費(捜索用) 金七万三〇〇〇円

<4> 捜索打ち合わせ茶代 金三〇〇〇円

<5> 軽二輪車(捜索用) 金五万六九〇〇円

<6> 捜索時食費 金一万三〇〇〇円

<7> 亡下岡の捜索参加者の日当 金二三万円(延べ四〇名)

<8> 花代 合計金一万四〇〇〇円

<9> 亡下岡の火葬費 金七万五〇〇〇円

<10> 亡下岡の密葬費 金七万円

<11> 寺謝礼 金三万円

<12> 亡下岡の告別式出席のための休業損害 金一万五〇〇〇円

<13> 香典 金四万円

<14> 法事御仏前 金二万円

<15> 亡下岡の死亡証明書 金二万円

<16> 自動車交通費(弁護士の現場検分同行のため) 金五〇〇〇円

<17> 警察の実況検分立会のための休業損害 金一万五〇〇〇円

<18> 自動車交通費(警察の実況検分立会のため) 金五〇〇〇円

(四) 弁護士費用以外の損害合計

金五八六万四四〇〇円(M、M=A+B+C)

(五) 弁護士費用 金五八万六四四〇円(N)

(六) 損害総合計 金六四五万〇八四〇円(M+N)

九  結論

よつて、原告らは、国家賠償法二条一項又は同法一条一項に基づく損害賠償請求権により、被告に対し、

原告塩崎庄一に対し金四一一〇万八〇四三円、

同塩崎笑子に対し金三〇五九万五〇〇二円、

同大田照子に対し金三四六七万二一七三円、

同森田豊子に対し金三〇五七万九三〇五円、

同森田眞治及び同森田光美に対し各金一三五一万〇六一六円、

同稲葉咲子に対し金三八〇七万〇一一四円、

同稲葉力及び同稲葉美佐枝に対し各金一五三五万五二七六円、

同梅田町子に対し金三一三二万四九八七円、

同梅田容子、同梅田知宏及び同梅田佳孝に対し各金九〇八万八六六二円、

同奥中勝代に対し金三八〇一万三七一六円、

同奥中嘉代、同奥中三津枝及び同奥中和美に対し各金一〇九一万五一〇二円、

同下岡民子に対し金三四四六万六一〇七円、

同下岡恵美、同下岡智恵及び同下岡直美に対し各金一〇九四万五四四八円、

同門宏正に対し金六四五万〇八四〇円、

並びに右の各金員のうち弁護士費用を除いた

同塩崎庄一については金三七三七万〇九四九円、

同塩崎笑子については金二七八一万三六三九円、

同大田照子については金三一五二万〇一五八円、

同森田豊子については金二七七九万九三六九円、

同森田眞治及び同森田光美については各金一二二八万二三七九円、

同稲葉咲子については金三四六〇万九一九七円、

同稲葉力及び同稲葉美佐枝については各金一三九五万九三四二円、

同梅田町子については金二八四七万七二六一円、

同梅田容子、同梅田知宏及び同梅佳孝については各金八二六万二四二〇円、

同奥中勝代については金三四五五万七九二四円、

同奥中嘉代、同奥中三津枝及び同奥中和美については各金九九二万二八二〇円、

同下岡民子については金三一三三万二八二五円、

同下岡恵美、同下岡智恵及び同下岡直美については各金九九五万〇四〇八円、

同門宏正については金五八六万四四〇〇円

に対する営造物の設置若しくは管理の瑕疵、又は、公権力の行使に当たる公務員の職務を行うについての故意又は過失による違法な行為によつて原告らが損害を被つた日である昭和五七年八月一日から支払い済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払うことを求める。

第二請求原因に対する被告の認否

一  (当事者について)

1 (原告について)

請求原因一1のうち、原告門を除く被災者が死亡したことは認め、その余は知らない。

2 (被告について)

同一2は認める。

二  (大迫ダムの概要について)

同二は認める。

三  (亡塩崎ら及び原告門の吉野川での被災について)

1 (各被災者の被災日時等について)

同三1のうち、原告門を除く被災者が死亡したこと及び亡塩崎及び亡大田の遺体が発見されていないことは認め、その余は知らない。

2 (各被災者の被災状況について)

同三2はすべて知らない。

四  (各被災者が押し流された増水の原因について)

1 (大迫ダムの放流について)

同四1は明らかに争わない。

2 (本件放流と被災時の増水の関係について)

同四2は否認する。

五  (本件放流に関するダム管理の瑕疵及び被告の義務違反について)

1 (ダムの管理、操作についての注意義務について)

(一) (ダム管理者の災害防止及び安全性保持義務について)

同五1(一)は認める。

(二) (大迫ダムの管理操作について従うべき法規について)

同五1(二)は認める。

2 (大迫ダムの管理主任技術者訴外宮田の義務について)

同五2は認める。

3 (大迫ダムの特殊性及び安全性保持義務について)

(一) (利水ダムにおける安全性保持義務について)

(1) (ダムの種類と平常時の貯留について)

同五3(一)(1)は認める。

(2) (ダムによる下流の危険性について)

ア (治水ダムの治水機能の限界について)

同五3(一)(2)アは否認する。

イ (急激な放流の可能性について)

同五3(一)(2)イは否認する。

ウ (水流の伝播速度増大と河道貯留効果減殺について)

同五3(一)(2)ウは認める。

(3) (利水ダムの危険性について)

ア (利水ダムの放流についての余裕について)

同五3(一)(3)アは認める。

イ (利水ダムの危険性について)

同五3(一)(3)イは否認する。

(4) (利水ダムにおける安全性保持義務について)

同五3(一)(4)は争う。

(二) (大迫ダムの特殊性について)

(1) (大迫ダム建設までの経緯について)

同五3(二)(1)は認める。

(2) (吉野川上流域の特性について)

同五3(二)(2)は認める。

(3) (大迫ダムの危険性について)

同五3(二)(3)は否認する。

(三) (大迫ダムについての安全性保持義務について)

同五3(三)は争う。

4 (大迫ダムの夜間等の管理体制及び管理システムの欠陥について)

(一) (あるべきダム管理体制について)

同五4(一)は認める。

(二) (夜間等の管理体制の欠陥について)

(1) (夜間等の国職員不配備について)

同五4(二)(1)は認める。

(2) (委託職員の権限について)

ア (バルブ、ゲートの操作について)

同五4(二)(2)アは認める。

イ (洪水吐ゲート操作についての運用について)

同五4(二)(2)イは否認する。

(3) (災害防止に不十分な人的設備について)

同五4(二)(3)は否認する。

(三) (総合管理システムの欠陥について)

(1) (総合管理システムの概要について)

同五4(三)(1)は認める。

(2) (流入量計算装置の欠陥について)

ア (表示される流入量のずれについて)

同五4(三)(2)アは認める。

イ (コンピユータープログラムの欠陥について)

同五4(三)(2)イは否認する。

(3) (総合管理システムの欠陥について)

同五4(三)(3)は否認する。

(四) (杜撰な管理体制の本件への影響について)

同五4(四)は否認する。

5 (伯母谷水位観測所の設置、点検、整備義務違反について)

(一) (伯母谷水位観測所の設置、点検、整備義務について)

同五5(一)は認める。

(二) (伯母谷水位観測所の倒壊状態での放置について)

同五5(二)は認める。

(三) (右放置の示す被告の管理体制の杜撰さについて)

同五5(三)は否認する。

6 (気象状況把握義務違反について)

(一) (気象状況把握義務について)

同五6(一)は認める。

(二) (大迫ダムの集水域の降雨の特性)

同五6(二)は認める。

(三) (七月三一日の大迫ダム集水域の大雨の危険性について)

(1) (豪雨発生の条件について)

同五6(三)(1)は認める。

(2) (大台ヶ原の地形的特性について)

同五6(三)(2)は認める。

(3) (七月三一日の気象状況について)

同五6(三)(3)は認める。

(4) (大迫ダム集水域の大雨の危険性について)

同五6(三)(4)は否認する。

(四) (本件当時の吉野川の河川内の状況について)

(1) (河川内でのキヤンプについて)

同五6(四)(1)は認める。

(2) (訴外宮田らの右事実の認識について)

同五6(四)(2)は認める。

(3) (鮎釣りの名所について)

同五6(四)(3)は認める。

(五) (訴外宮田の気象状況把握義務について)

同五6(五)のうち、他のダムより高度の義務があるとする点、及び、奈良地方気象台から注意報、警報についての通知を入手する以上のダム集水域以外の気象状況の入手義務があるとする点は争い、その余は認める。

(六) (訴外宮田の気象状況把握義務の懈怠について)

(1) (七月三一日昼の打ち合わせについて)

同五6(六)(1)は認める。

(2) (その後の対応について)

同五6(六)(2)は認める。

(3) (気象状況の不知について)

同五6(六)(3)は認める。

(七) (訴外宮田の気象状況把握義務懈怠の本件への影響について)

(1) (七月三一日夜の降雨の特性について)

同五6(七)(1)は明らかに争わない。

(2) (気象状況把握義務懈怠の本件への影響について)

同五6(七)(2)は否認する。

7 予備警戒時における義務違反

(一) (予備警戒時における訴外宮田の義務について)

同五7(一)は認める。

(二) (本件における予備警戒時について)

同五7(二)は認める。

(三) (訴外宮田の「予備警戒時」概念の誤解について)

(1) (大迫ダム操作規程における「予備警戒時」の概念について)

同五7(三)(1)のうち、予備警戒時には常に洪水発生のおそれがあるとする点は争い、その余は認める。

(2) (訴外宮田の「予備警戒時」概念の理解について)

同五7(三)(2)は認める。

(3) (予備警戒時概念誤解の本件への影響について)

同五7(三)(3)は否認する。

(四) (洪水時に備えたダム管理要員確保義務の違反について)

(1) (大迫ダムの国職員配備義務について)

同五7(四)(1)は争う。

(2) (国職員の不配備について)

同五7(四)(2)は認める。

(3) (国職員不配備の本件への影響について)

同五7(四)(3)は否認する。

(五) (観測施設点検、整備義務の違反について)

(1) (観測施設点検、整備義務について)

同五7(五)(1)のうち、伯母谷水位観測所の点検、整備義務は争い、その余は認める。

(2) (伯母谷水位観測所の倒壊放置について)

同五7(五)(2)は認める。

(六) (七月三一日午後一一時の大台ヶ原時間雨量連絡の過誤について)

(1) (連絡の過誤について)

同五7(六)(1)は否認する。

(2) (右過誤の本件への影響について)

同五7(六)(2)は否認する。

(七) (七月三一日午後一一時三〇分の観測義務の違反について)

(1) (三〇分ごとの観測義務について)

同五7(七)(1)は認める。

(2) (七月三一日午後一一時三〇分の観測の不実施について)

同五7(七)(2)は認める。

(3) (右観測不実施の本件への影響について)

同五7(七)(3)は否認する。

(八) (気象官署の気象観測成果の収集義務違反について)

(1) (気象観測結果収集義務について)

同五7(八)(1)のうち、奈良地方気象台から注意報、警報についての通知を入手する以上のダム集水域以外の気象状況の入手義務があるとする点は争い、その余は認める。

(2) (ダム集水域周辺の降雨状況の不知について)

同五7(八)(2)は認める。

(3) (右懈怠の本件への影響について)

同五7(八)(3)は否認する。

(九) (奈良県知事等への通報義務の違反について)

(1) (奈良県知事等への通報義務について)

同五7(九)(1)は認める。

(2) (通報義務の懈怠について)

同五7(九)(2)のうち、予備警戒時のうちに行つていないことは認めるが、その後に行つている。

8 (洪水警戒時における義務違反)

(一) (洪水警戒時における訴外宮田の義務について)

同五8(一)は認める。

(二) (本件における洪水警戒時について)

(1) (八月一日午前〇時三〇分までのデータについて)

同五8(二)(1)は認める。

(2) (大きい洪水発生のおそれについて)

同五8(二)(2)は否認する。

(三) (操作規程二〇条一九条(一ないし五号)に定める義務の違反について)

(1) (洪水時に備えたダム管理要員確保義務の違反について)

ア (大迫ダムへの国職員配備義務について)

同五8(三)(1)アは争う。

イ (国職員の不配備について)

同五8(三)(1)イは認める。

ウ (国職員不配備の本件への影響について)

同五8(三)(1)ウは否認する。

(2) (観測施設点検、整備義務の違反について)

ア (観測施設点検、整備義務について)

同五8(三)(2)アのうち、伯母谷水位観測所の点検、整備義務は争い、その余は認める。

イ (伯母谷水位観測所の倒壊放置について)

同五8(三)(2)イは認める。

(3) (気象官署の気象観測成果の収集義務違反について)

ア (気象観測結果収集義務について)

同五8(三)(3)アのうち、奈良地方気象台から注意報、警報についての通知を入手する以上のダム集水域以外の気象状況の入手義務があるとする点は否認し、その余は認める。

イ (ダム集水域周辺の降雨状況の不知について)

同五8(三)(3)イは認める。

ウ (右懈怠の本件への影響について)

同五8(三)(3)ウは否認する。

(4) (奈良県知事等への通報義務の違反について)

ア (奈良県知事等への通報義務について)

同五8(三)(4)アは認める。

イ (通報義務の懈怠について)

同五8(三)(4)イのうち、洪水警戒時のうちに行つていないことは認めるが、その後に行つている。

(5) (義務違反の違法性の強度化について)

同五8(三)(5)は争う。

(四) (貯水池への流入量予測の過誤について)

(1) (ダム集水域への降雨量及び貯水池への流入量の推移からの予測について)

同五8(四)(1)は否認する。

(2) (大台ヶ原累計雨量一ミリメートル増加につき流入量毎秒一トン増加の経験則類推による洪水予測について)

同五8(四)(2)は否認する。

(3) (流入量数値の算出方法及び実際の流入量の推移について)

ア (流入量データ数値の算出方法について)

同五8(四)(3)アは認める。

イ (実際の流入量の推移について)

同五8(四)(3)イは明らかに争わない。

(4) (訴外宮田の流入量データ数値の意味の誤解について)

ア (流入量数値の違い及びその理由について)

同五8(四)(4)アは認める。

イ (訴外宮田の右の違い及びその理由の不知について)

同五8(四)(4)イは明らかに争わない。

ウ (流入量の予測方法の誤りについて)

同五8(四)(4)ウは認める。

エ (データ数値の意味の誤解について)

同五8(四)(4)エは否認する。

オ (右誤解の本件への影響について)

同五8(四)(4)オは否認する。

(5) (洪水を予測できた時点について)

同五8(四)(5)は否認する。

(6) (訴外宮田の洪水予測について)

同五8(四)(6)は認める。

(7) (洪水予測の過誤の本件への影響について)

同五8(四)(7)は否認する。

9 (洪水時の放流に関する義務違反及びダムの瑕疵について)

(一) (放流についての注意義務について)

同五9(一)は認める。

(二) (本件における洪水時について)

同五9(二)は明らかに争わない。

(三) (放流開始義務について)

同五9(三)は争う。

(四) (放流開始の遅延について)

同五9(四)は認める。

(五) (放流開始の遅延による越流の異常事態について)

同五9(五)は認める。

(六) (訴外宮田の洪水吐ゲート操作について)

同五9(六)は認める。

(七) (自然の増水速度を越えた放流について)

同五9(七)のうち、八月一日午前二時三〇分から同日午前三時二四分までの放流量の増加率が流入量の増加率を上回つていたことは認め、その余は明らかに争わない。

(八) (ダムの管理の瑕疵について)

同五9(八)は争う。

10 (危害防止措置に関する義務違反について)

(一) (放流開始通知義務違反について)

(1) (放流開始通知義務について)

ア (河川法等に基づく義務について)

同五10(一)アは認める。

イ (一時間前の通知義務の趣旨について)

同五10(一)(1)イは争う。

(2) (通知時間についての義務違反について)

ア (通知開始義務について)

(ア) (八月一日午前〇時三〇分過ぎの通知開始義務について)

同五10(一)(2)ア(ア)は争う。

(イ) (八月一日午前一時過ぎの通知開始義務について)

同五10(一)(2)ア(イ)は争う。

イ (通知の指示及び通知がなされた時間について)

同五10(一)(2)イは認める。

ウ (より迅速な通知の可能性について)

同五10(一)(2)ウは否認する。

エ (通知が遅延した原因について)

同五10(一)(2)エは否認する。

(3) (ダム操作日時通知義務違反について)

ア (操作日時の通知義務について)

同五10(一)(3)アは認める。

イ (具体的操作日時の欠如した通知について)

同五10(一)(3)イは認める。ただし、通知先から問合わせがあつた場合には、納得のいくように答えている。

ウ (右通知の違法性について)

同五10(一)(3)ウは争う。

(4) (放流量又は下流水位の上昇見込み通知義務違反について)

ア (放流量又は下流水位の上昇見込みの通知義務について)

同五10(一)(4)アは認める。

イ (放流量又は下流水位の上昇見込みの欠如した通知について)

同五10(一)(4)イは認める。

ウ (右通知の違法性について)

同五10(一)(4)ウは争う。

(5) (放流開始時刻及び放流量の変更による再通知義務違反について)

ア (放流開始時刻及び放流量の変更による再通知義務について)

(ア) (予想を越えた流入及び放流について)

同五10(一)(5)ア(ア)は認める。

(イ) (再通知義務について)

同五10(一)(5)ア(イ)は争う。

イ (再通知の不実施について)

同五10(一)(5)イは認める。

(6) (通知に関する義務違反の影響について)

同五10(一)(6)は否認する。

(二) (警告装置による警告義務違反について)

(1) (警告装置による警告義務について)

同五10(二)(1)は認める。

(2) (警告時間の不遵守について)

ア (ダム地点における警告について)

同五10(二)(2)アは認める。

イ (ダム地点以外の地点における警告について)

同五10(二)(2)イは否認する。

(3) (警告義務違反が示す被告の警報体制の杜撰さについて)

同五10(二)(3)は否認する。

(三) (警報義務違反について)

(1) (警報義務について)

ア (河川法四八条の警報義務について)

同五10(三)(1)アは認める。

イ (吉野川における義務警告区間について)

(ア) (本件の被災場所について)

同五10(三)(1)イ(ア)は知らない。

(イ) (五條警察署からの通知依頼について)

同五10(三)(1)イ(イ)は認める。

(ウ) (義務警告区間について)

同五10(三)(1)イ(ウ)は争う。

(2) (操作規程一四条自体の違法について)

ア (操作規程一四条の定める警報区間について)

同五10(三)(2)アは認める。

イ (操作規程一四条の違法について)

同五10(三)(2)イは争う。

(3) (実際になされた警報の区間についての義務違反について)

ア (実際に警報がなされた区間について)

同五10(三)(3)アは認める。

イ (実際になされた警報区間限定の違法について)

同五10(三)(3)イは争う。

(4) (各警報車のとつたルートの不適切について)

ア (警報車一〇八三号のルートの不適切について)

(ア) (警報車一〇八三号の採るべきルートについて)

同五10(三)(4)ア(ア)は争う。

(イ) (警報車一〇八三号が採つたルートについて)

同五10(三)(4)ア(イ)は認める。

イ (警報車五七九号のルートの不適切について)

(ア) (警報車五七九号の採るべきルートについて)

同五10(三)(4)イ(ア)は争う。

(イ) (警報車五七九号の採つたルートについて)

同五10(三)(4)イ(イ)は認める。

ウ (警報車八一〇号のルートの不適切について)

(ア) (警報車八一〇号の採るべきルートについて)

同五10(三)(4)ウ(ア)は争う。

(イ) (警報車八一〇号の採つたルートについて)

同五10(三)(4)ウ(イ)は認める。

エ (各警報ルートの不適切についての総括について)

同五10(三)(4)エは否認する。

(5) (警報の方法についての義務違反について)

ア (なされるべき警報活動について)

同五10(三)(5)アは争う。

イ (警報車一〇八三号の警報活動について)

同五10(三)(5)イは認める。

ウ (警報車五七九号の警報活動について)

同五10(三)(5)ウは認める。

(6) (津風呂ダム警報局の不利用の不相当について)

ア (津風呂ダム警報局の利用の相当性について)

(ア) (吉野川沿岸の津風呂ダム警報局の存在について)

同五10(三)(6)ア(ア)は認める。

(イ) (津風呂支所長の臨席について)

同五10(三)(6)ア(イ)は認める。

(ウ) (降雨と流入量の予想外の展開について)

同五10(三)(6)ア(ウ)は認める。

(エ) (津風呂ダム警報局利用の相当性について)

同五10(三)(6)ア(エ)は争う。

イ (右警報局の不利用について)

同五10(三)(6)イは認める。

ウ (右警報局不利用の示す硬直的で杜撰な管理体制及び行動について)

同五10(三)(6)ウは否認する。

(7) (国職員が大迫支所に向かう途上の警報及び通報の不実施について)

ア (吉野川への入川者の発見について)

同五10(三)(7)アは認める。

イ (警報及び通報の不実施について)

同五10(三)(7)イは認める。

ウ (右警報及び通報不実施の示す警報活動の杜撰さについて)

同五10(三)(7)ウは否認する。

(四) (八月一日午前六時以降の再通知、再警報義務違反について)

(1) (下渕頭首工地点での急激な水位上昇について)

同五10(四)(1)は認める。

(2) (下渕頭首工より下流での水位上昇の予測について)

同五10(四)(2)は明らかに争わない。

(3) (再通知義務違反について)

ア (再通知義務について)

同五10(四)(3)アは争う。

イ (再通知の不実施について)

同五10(四)(3)イは認める。

(4) (再警報義務違反について)

ア (再警報義務について)

(ア) (警報車一〇八三号の再警報による救助について)

同五10(四)(4)ア(ア)は認める。

(イ) (下渕頭首工より下流の警報について)

同五10(四)(4)ア(イ)は認める。

(ウ) (再警報が可能であることについて)

同五10(四)(4)ア(ウ)は明らかに争わない。

(エ) (再警報義務について)

同五10(四)(4)ア(エ)は争う。

イ (再警報の不実施について)

同五10(四)(4)イは認める。

(5) (再通知、再警報義務違反の本件への影響について)

同五10(四)(5)は否認する。

(五) (警告のための立札設置義務違反について)

(1) (立札設置義務について)

同五10(五)(1)は認める。

(2) (立札の設置保存状況について)

同五10(五)(2)は否認する。

(六) (危害防止措置に関する義務違反の総括について)

同五10(六)は否認する。

11 (以上の事実の法的評価について)

(一) (ダム設置又は管理の瑕疵について)

同五11(一)は争う。

(二) (訴外宮田の過失について)

同五11(二)は争う。

六  (瑕疵又は故意過失と本件被災との因果関係について)

同六は否認する。

七  (被告の損害賠償義務について)

同七は争う。

八  (原告らの損害について)

同八はすべて争う。

第三被告の主張

一  吉野川の特性

1 我が国の河川の特性

我が国の国土の地形的特性と気象的特性とが相まつて、本件の吉野川も含め、我が国の河川は、おおむね次のような自然的特性を有している。

<1> 流路が短く、河床勾配が著しく急であるため、降雨が生じてから洪水が発生するまでの時間が極めて短く、洪水の流下速度も速く、流路が安定せず変動しやすい。

<2> 洪水の出が早く、梅雨、台風等による集中豪雨の降雨量が大きいため、単位流域面積当たりの基本高水のピーク流量(洪水時比流量)は、諸外国の河川より一桁も二桁も大きい(別表3参照)。

<3> 河川のある地点の洪水時の水位又は流量の時間的変化を見るために縦軸に水位又は流量を、横軸に時間をとつた曲線を「ハイドログラフ(洪水流出時間曲線)」というが、このハイドログラフの型が諸外国の主要河川に比べて極めて鋭く、水位・流量が短時間に急激に変化する(別図5参照)。すなわち、流域に雨が降り始めると、一定時間遅れて水位が急に上昇し始め、やがてピーク流量に達し、雨が降り止むと、一定時間遅れて水位が急に低下するのが一般的で、ピーク流量ないしそれに近い流量が長時間継続することは極めてまれであり、時間単位の早さで変動する。

そのため、洪水の予測やその制御が極めて困難である。

<4> 河川の洪水時の流出量と渇水時の流出量の比を「河状系数」というが、これが二〇〇ないし四〇〇程度で、諸外国の河川より一桁大きい(別図6参照)。

そのため、治水面での洪水対策と利水面での渇水対策が重要課題である。

2 吉野川の特性

吉野川は、近畿地方有数の一級河川であり、総延長一三五・九キロメートルで奈良・和歌山県両県を経て紀伊水道に注いでいる。

吉野川の源から五條市までの約六〇キロメートルは、平均勾配一六〇分の一という急勾配であり、典形的な山岳河川の形状を呈している。

吉野川の水源は、大台ヶ原と吉野連山である。この大台ヶ原は、日の出岳(標高一六九五メートル)、三津河落山(標高一六〇〇メートル)、経ヶ峰(標高一五二九メートル)などに囲まれた高原地帯で、頂上付近に四〇〇平方キロメートルに及ぶ平地がある。

吉野川の流域面積は約一七〇〇平方キロメートルであるが、全流域面積に対する山地面積の割合は八五・五パーセントである。

また、吉野川は、和泉山脈、龍門山系、高野の諸山嶺の間を東西に貫流しているため、別図7のとおり、これらの山々に源を持つ数多くの支流がある。そして、これらの支流は、そのほとんどが大迫ダムの下流で吉野川に流入しているが、別表4のとおり、大迫ダムの流域面積(一一四・八平方キロメートル)に比べてその流域面積が大きく橋本市隅田より上流では約五・五倍である。その上、これらの支流はいずれも急勾配で流路が短いため、降雨は短時間で流出し、これらの支流から吉野川に流入するため、本流の流況にも大きな影響を与えている。

3 大台ヶ原一帯の降雨の特性と「まくれ水」

ところで、大台ヶ原一帯は、平均年雨量四〇〇〇ミリメートルを越す(全国平均の二倍強)日本でも有数の多雨地帯に属し、大正九年には年間雨量八二一四ミリメートルを記録しており、我が国の気象特性とも相まつて梅雨前線の停滞や台風の通過によつて、多量の雨が降ることが多い。これは、台高山脈と熊野灘が比較的近く、その最短距離にある三重県北牟婁郡紀伊長島町から尾鷲市付近の海岸線がちようど椀形に凹んでいることから南西方向の風が吹くと太平洋の湿つた空気が補給され、吉野地方で背降りと言われる尾根附近での極めて激しい降雨現象が生じるからである。

その結果、吉野川は、しばしば洪水をおこし、その流速が速いことも相まつて、流域全体にわたつて大きな被害を及ぼしている。古くから、真夏日の夕立程度の降雨でも、河川が突如として急激に増水する「まくれ水」がほとんど毎年のように発生し、尊い人命が失われてきたのである。

さらに、大台ヶ原を挟む形で大峰山脈があるため、その影響で雨の降り方が複雑になつており、極地的な集中豪雨の予報は極めて難しい。

二  大迫ダムの諸相

1 ダムの機能と災害防止

(一) はじめに

ダムは、原告らが主張するとおり、治水ダムと利水ダムの二つに大別される。ダムによる治水及び利水の二つの機能は、互いに相反する面があるため、一方(治水)が災害防止に有効であるのに対し、他方(利水)はそれを妨げると考えられやすい。そして、原告らは、利水ダムが治水ダムに比べてあらゆる点で危険であり、治水ダム以上に災害の発生を助長させるかのごとき主張を展開している。しかし、これは以下に述べるとおり、ダムの機能についての本質を無視した極めて短絡的な考えである。

また、本件各被災事故は、洪水等の流水が本来あるがままの自然の状態で通過すれば足りる河道内で発生したものであつて、河川法が防止目的の柱とする河道外での災害とは根本的に異なるものである。したがつて、本件でダムの災害防止機能を論じること自体筋違いである。

(二) 治水ダムと放流操作

河川法は、洪水、高潮による災害の発生防止をその目的の一つとし(一条)、その目的を達成するための手段として、河川管理施設を構築し、これを維持管理(河川管理)することにしている(三条二項)。しかし、右にいう災害とは、河道外の一般居住地域での災害であつて、河道内での災害ではない。

前記一1のとおり、我が国の河川は、河状系数が大きく、出水時のハイドログラフのピーク流量は極めて大きいが、ピーク付近の継続時間は短く突出した形となる。そこで、このような特徴を持つ出水に対する治水面での対応としては、延々とした堤防を構築管理するまでもなく、そのハイドログラフのピークの部分を一時治水ダムで貯留すること(俗に「ピークカツト」という。)により、あたかも堤防を構築したのと同様の効果を生じさせることができる。

治水ダムがあらかじめダムを空にしておくのは、洪水が発生した場合に、下流の河川が一定水位以内の増水に止まるよう、洪水のピークカツトを行うためである。したがつて、治水ダムでは、出水の初期にいかに急激な貯水池への流入があつても、あらかじめ定められた洪水調節容量をその本来の目的であるピークカツトの貯留以外に使用することはできない。これは、出水の早い段階から貯留を開始したとすれば、肝心のピークカツトを行うべきときに所定の空き容量が不足し、計画どおりの洪水調節ができなくなつてしまうからである。

そのため、治水ダムでは、洪水をむかえるまでは常にその本来の洪水調節機能を保持するために、あらかじめダムを空にしておくことが義務付けられている。具体的には、制限水位等これ以上ため込んではならないという制約を設け、貯水位が当初から制限水位の状態にあるときは、その制限された貯水位を守るため当初から流入量の全量を放流し、これを洪水調節を開始すべき流入量、すなわち洪水と定義された流入量が流入するまで継続する。

したがつて、当初から急激な出水があれば治水ダムの下流でも急激な出水が生ずることがあるのである。また、治水ダムの貯水位が制限水位以上のときは、制限水位を保持するため、所定の洪水調節方針に沿つてさらに積極的な放流が行われる。

以上のとおり、一般に治水ダムが洪水調節を開始する頃には、ダム下流の河道内の流況は既に洪水状態となつているのであり、治水ダムは、その空虚容量を利用してまで河道内での人身災害の防止を保障するものではない。

(三) 利水ダムと放流操作

利水ダムは、河川が適正に利用され、流水の正常な機能が維持されるという河川法の目的を達成するための手段の一つである。

利水ダムは、専らその利水を行う事業者が、河川法二三条、二四条及び二六条に基づき河川管理者の許可を受けて(国が事業者であるときは、同法九五条に基づく協議を経て)構築し、かつ、管理するものであつて許可工作物として位置付けられている(河川管理施設等構造令一条)。そして、右許可(又は同意)は、河川法の趣旨である国土の保全と開発に寄与し、公共の安全を保持し、かつ、公共の福祉を増進するように行われている。

一般に利水ダムは、豊水期等に利用されないで海洋に流下する流水を水資源として留めておき、渇水期等の水需要に応ずるものであるため、常時はできるだけ多く水を留め込むことが要請される。そのため、利水ダムにとつて洪水の発生は、時には、有効な水資源となることもあるが、時には、不必要な流水として単にダムを通過するだけのものとなる。後者の場合、ダムの立地によつては、ダムによつて流水の通過が妨げられ、上流で氾濫、湛水その他の洪水被害を生じさせ、河川の機能を損うことになる。したがつて、利水ダムが許可工作物として認め得るものであるためには、洪水時に、その河川の従前通りの機能を維持すること、すなわちその利水ダムを設置する以前にその河川が有していた洪水時の疎通機能を維持することが大原則となる。

このように、利水ダムは、洪水時に、河川の従前の機能を維持することが義務付けられているだけであり、治水(洪水調節)義務は全くない。ただし、利水ダムも、その放流によつて生ずるおそれのある人身災害、下流の河川管理施設、河川区域内の工作物の損壊防止等河道内での災害防止義務があることは、治水ダムと変わりがない。

なお、大迫ダムのように農業用の利水ダムでは、その利水運用の性格から、水田への灌漑用水の補給が特に必要とされる夏季半ばごろまでは、できるだけダムを満水に近い状態に保つことが要請されるが、その補給がピークとなる五、六月ころ(大迫ダムでは、六月ころ)の田植期と八月ころの旱天時には、その貯留水の放水によつていつたん貯水位が相当程度低下するのが常であり、特に八月末ころにはダムの底が見えるほどに貯水位が低下することもある。この低下した貯水位の回復は、主として六、七月ころの梅雨期及び九月ころを中心とする台風期の各降雨出水によつて行われ、その時々の貯水位によつては、結果的に、利水ダムがあたかも洪水調節をしたかのごとき効果を生じさせることがある。

原告らは、治水ダムでさえ、その治水機能の限界を越えた洪水に対しては、何らの治水機能がないばかりか、異常放流によつて下流に災害が発生することがあるのであるから、専ら利水を目的とするダムの場合、ダムがない場合に比べて下流ははるかに危険であるとして、利水ダムの存在自体が危険である旨主張する。

しかし、右に述べたとおり、利水ダムは、その本来の利水機能に加えて、副次的ではあるが、洪水の発生を抑止することさえあるのである。

原告らは、利水ダム自体の存在が危険である理由として、利水ダムではその水利用に備えて、できるだけ満水状態にしておく必要があるので、いつたん流入量が増加し出すと短時間のうちに越流の可能性が生じ、急激な放流がなされやすい旨主張する。

しかし、治水ダムの空虚容量確保の真の目的は、前述のとおり、急激な流入を緩和するための貯留のために確保されたものではなく、洪水ピークカツトのためにあるのであり、また利水ダムは、常時はできるだけ多く水を貯め込むことを要請されているとはいえ、常に満水状態にあるわけではなく、河川の流況と利水との関係から極めて低水位となることもしばしばであるから、原告らの右主張は、その本質や実態を無視した誤つたものである。

ただし、治水ダムと利水ダムでは、その機能の違いから、その時々のダムの状況及び流入の状態によつて、放流操作が異なることがあり、ピークカツトの機能を有しない利水専用ダムの場合には、本件のように異常な集中豪雨に伴う急激な洪水流入があつたときには、放流せざるを得ず、その結果、下流河川が短時間のうちに洪水状態となることがある。しかし、これは、避け得べくもないことであつて、そのこと自体、ダム管理者にとつては何ら問責されるところはなく、この場合、仮に洪水放流により下流で災害が発生したとしても災害防止義務に基づく責任は存しない。

(四) 危害防止のための放流操作等

河川は、流入が通過する場所であるとともに、一般人がこれを自由に使用する場所である。ダム等の工作物によつて人工的にせき止められた流水を放流するについては、それが、治水ダムであるか利水ダムであるかにかかわらず、これによつて生ずる危害を防止するため、放流操作は、すべて河川法の趣旨に沿つて行なわなければならない。

それぞれのダムの「操作規則」又は「操作規程」に定める放流の方法は、河川法の趣旨に沿つた制約を受けたものであり、具体的には、洪水時のダム操作を除き、すべてダムの放流は下流の水位の急激な変動を生じないようにして行うことが共通の原則とされ、その基準として一般に三〇分間に三〇ないし五〇センチメートルの水位上昇速度が増量の限度とされている。

しかし、流入の状況によつては右の制限を守ることができない(ないしは、その制限が解除される)こともある。この場合、もし下流の水位の急激な変動を防止することの方を重視しなければならないとすれば、ダム容量は、原理的には莫大な容量を必要とすることとなり、実際問題としてそれは不可能である。したがつて、このような場合は、河川本来の姿に近づけることを優先させ、その時の流入量の増加率の範囲内で、貯水池から右水位上昇速度の限界とされる基準を上回る放流を行うことができる。

原告らは、ダムがない場合、自然の増水速度は一定の限度があるので、洪水に対し事前にしかも時間的にゆとりを持つて対応できるが、ダムがあるためギリギリまでせき止められていた水が急に出水すると、事前に対応できないことによつて被害が大きくなる旨主張する。

しかし、自然現象に一定の限度があろうはずはなく、自然増水の速度は様々で、一定の限度を見い出すことは不可能である。また、仮に原告らの主張のとおり急に出水したとしてみても、ダムがあるために事前に通知警報が行われ、入川者は急な出水を察知し事前に対応することができる。

また、急な出水は、吉野川のまくれ水のように自然河川につきものであるが、このような自然出水を入川者が事前に察知することは、よほど当該河川や地域の事情に詳しく、かつ、注意深い人でないと、まず考えられないことであり、一般人では、通常の自然増水による三〇分間に三〇ないし五〇センチメートル以上の増水速度の増水を事前に察知することもできない。そのような場合でも、ダムがあれば、その急激とされる自然増水がダムを経由して流下するときは、一定の通知警報等が行われ、通常ならば知ることができない危険状態を事前に入川者は知ることができるのである。

(五) 多目的ダム

多目的ダムについては、もともと洪水調節と用水確保という相反する役割をひとつのダムに持たせることは難かしいのであり、多目的ダムという単一のダムであつても、その運用に当たつてはどちらか一方の目的に重点を置かざるを得ない。このため、多目的ダムでは、時期によつて一方の目的を優先させる等の措置(出水期における制限水位、予備放流水位等の設定)がとられているのである。

したがつて、多目的ダムが利水ダムに比して安全であるかのごとき原告らの主張も、何ら合理的根拠がない。

2 大迫ダム建設の経緯

(一) 十津川紀の川総合開発計画

地域住民にとつて永年の悲願であつた吉野川の総合開発は、第二次大戦終了後、十津川紀の川総合開発計画として具体化された。

これは、我が国有数の多雨地帯である大台ヶ原等に源を発する十津川及び吉野川(紀の川)の各流域にダム群を築造し、豊富な水源を開発統制して、旱魃に悩む大和、紀伊平野の合計約二万ヘクタールの農地に灌漑用水の補給を行うとともに、発電を行うものであり、大迫ダムはその中心的な施設である。

(二) 十津川紀の川土地改良事業

右の計画を具体化する事業の一つが、国営十津川紀の川土地改良事業であり、事業実施までの間には、利害を共有する奈良、和歌山両県の合意(プルニエ協定)や、その他数多くの検討調整を了してきており、大迫ダムについても数度の計画変更を経てきた。いかなるダム建設においても当初の計画時点から具体化な事業着手時までには相当長期間を要するのが一般的であり、大迫ダムにおいても、その時点時点における最良のものたるべく、経済性、効率性を考慮した国家的視点に立つて計画変更がなされてきたのである。そして、その都度関係法規に基づく協議調整その他必要とされる関係者の同意を得ている。

右の土地改良事業は、着手以来三〇有余年の歳月と三八二億円の巨費を投じて昭和五九年五月にそのすべてが完工した(大迫ダムは昭和四八年に完工。)。大迫ダムを含む本土地改良事業の完成は、大和平野と紀伊平野で毎年のように繰り返されてきた旱害を解消し、農業経営の近代化等を図るとともに、奈良県水道用水の供給をするなど、今日の両平野発展の基となつている。

3 大迫ダムの機能及び効果

(一) 大迫ダムの利水機能

大迫ダムは、河川法九五条に基づき、同法二三条、二四条、及び二六条に係る河川管理者の同意を得て農林水産大臣が建設、管理する農業用の利水ダムであり、その利水に係る一般的な機能は、前述の利水ダムと同様である。

(二) 大迫ダムの副次的効果

大迫ダムの第一の副次的効果は、吉野川の流況が安定したことである。夏場の渇水が解消され、これまで主として近在の子供達のみの遊び場であつた吉野川は、今日のような鮎漁に代表される放流漁業が栄え、遠来の人々を迎えて活況を呈し、多くの人々の憩いの場となつている。

第二の副次的効果は、まくれ水が激減したことである。これは、ダムによる直接的な遮断効果と、ダムの利水放流等による河川流況の安定に伴う間接的な緩和効果によるものである。前者はまくれ水発生の条件を直接断ち切るものであり、後者は渇水という川底の露呈による水の流れにくい状態を解消し、豊富な流量によつて常に水が流れ易い状態となつていることからくる水理条件の変化によるもので、緩やかな流況変化は人々をまくれ水の危険から救つている。

そして、何よりも端的に右の絶大な効果を如実に示した事例は、本件の異常出水時における大惨事の防御である。本件当時の吉野川は、夏休み最初の日曜日である八月一日を翌日に控えたこともあつて、前日の七月三一日(土曜日)から、川遊びの人々で所狭しと賑わつており、夜間になつても、家族連れや子供会等数百人(七〇〇人とも八〇〇人ともいわれる)のキヤンパーらが河川内に露営をしていた。これらの人々が昼間の疲れが出始めようやく眠りに着く頃豪雨が始まり、これら多くの人々が深い眠りに落ちた頃には、刻一刻と流入量が増加し、吉野川は急激な濁流に覆われ始めていた。吉野川の濁流は、八月一日午前〇時三〇分には、既にこれらの人々を呑み込むに十分な毎秒一三四・二立方メートルもの流量であり、以後も、増加の一途をたどつたのであつて、このような急激な流入を入川者が無事に逃げ切るまでの間、大迫ダムが遮ぎつたのである。しかも、この間にも、大迫ダム下流域の豪雨によつて、吉野川の支流が次々と増水し、これらが一度に吉野川に流れ込み、大迫ダムが本件放流を開始するころには、吉野川は、一面に自然増水の濁流に覆われていたのである。

(三) 大滝ダム建設との関係

原告らは、大滝ダムが完成していない今日では、大迫ダムは、洪水調節機能を有していないだけでなく、洪水時にはダムのない時にも増して危険な役割を果たすことが当初から予想されており、その分ダムの管理操作にあたつては、より高度の安全性への配慮が求められていた旨主張する。

しかし、右主張は何らの合理的根拠もない極めて観念的、かつ、誤つたものであり、大迫ダムに洪水調節機能がないことは、それ自体何らの問題もないことである。仮に、大迫ダムに治水機能を兼ね合わせたとしても、本件のごとき河道内の事故の防止には何らの効果も発揮し得ないばかりか、その本来の重要な利水機能を減殺して関係地域に多大の損失をもたらすことになる。

また、原告らが主張するとおり、伊勢湾台風の来襲を契機として、大迫ダムに洪水調節機能を兼ねさせる構想が検討されたことは事実であり、現に治水目的を持つ大滝ダムが計画建設中であるが、それらは原告らが主張するような利水目的のダムのみでは危険であるとの認識に基づくものではなく、この二つのダムが存在してはじめて危険性のないダムになるということでもない。二つのダムは、あくまでも独立した別個の使命を持ち、それぞれ独立して安全性と所要の機能を発揮するのである。吉野川に治水ダムが必要とされているのは、下流の堤防機能の不足を補うためであつて、下流で長大な堤防を補強構築したり、長大な河道を浚渫拡幅するよりも、治水ダムで洪水のピークカツトを行う方が効率的だからである。

そして、大滝ダムで洪水調節が開始される流量は、毎秒一八〇〇立方メートルとされており、この程度以内の流入量であれば積極的に放流を行つてその空虚容量を確保しない限り、所期の洪水調節機能を発揮することはできないのである。本件では、大迫ダム地点における流入量はせいぜい毎秒九〇〇立方メートル(一山目)ないし一二〇〇立方メートル(二山目)であつて(下流ではこれよりはるかに大きいが。)、治水ダムによつて河道内の流況がいささかも変わるものではない。

どのような論法をもつてしても河川管理施設である大滝ダムと、許可工作物である大迫ダムが、洪水等に対して一体不可分であり得るはずがなく、どのようなダムを建設してみても吉野川の河道内の本来の危険性は変わらない。

三  大迫ダムの管理体制

1 総合管理システム

(一) 総合管理システムの概要

十津川紀の川農業水利事業は、大迫ダム・津風呂ダム・下渕頭首工の三基幹施設により、農業用水の供給確保及び上水道用水の確保を実施しているものであり、下渕支所を総合管理事務所として、各ダムに支所(大迫支所、津風呂支所)を置き、右三基幹施設の有機的、機動的運用を行う総合管理システムをとつている。

右総合管理システムの概要は次のとおりである。

<1> 水位・雨量の情報は、各ダムごとにテレメーター装置によつて収集され、タイプライターで印字される。

<2> 右<1>の水位・雨量データ及びバルブ開度データは情報伝送装置で無線で下渕支所へ伝送される。

<3> 下渕支所では、右<2>で伝送されてきた情報に基づき、中央演算処理装置で各ダムごとの流入量・放流量・貯水量・日積算流入量・日積算放流量及び下渕頭首工での河川の流量・取水量が計算処理され、グラフイツクパネル(表示装置)に表示され、タイプライターで印字される。

<4> 計算処理されたデータのうち各ダムに関するデータは、情報伝送装置で無線で各ダムへ伝送され、各ダムのグラフイツクパネルに表示される。

<5> また、各ダムでは、時々刻々の貯水位(内・外水位)、下流水位もグラフイツクパネルに表示され、洪水時などのようにより詳細な観測結果を必要とする時には、テレメーター装置の監視時間間隔を短縮してデータ収集を行い、タイプライターで印字することができる。

<6> 各ダムでは、ダム管理要員が、以上の情報を記録、分析計算(分析は国職員が行う。)し、分析計算したデータに基づき、各ダムの放水バルブ、洪水吐ゲートの操作を行う。

<7> 右<6>のようにして操作されたダムの状況は、無線・電話等により下渕支所に伝達される。

<8> 下渕頭首工のゲートは、中央演算処理装置で処理されたデータに基づき、ゲートコントロール装置によつて自動制御される。

なお、システムに係る施設は、別表5のとおりである。

(二) 本件当時の各支所の担当職務

(1) 大迫支所

大迫支所の担当する職務は、次のとおりである。

<1> 水位、雨量観測局で観測されたデータをテレメーター装置によつて無線又は有線で収集し、印字記録して、その印字されたデータをホロージエツトバルブの開度データと一緒に情報伝送装置によつて無線で下渕支所に伝送する。

<2> 大迫ダム貯水池の水を洪水吐ゲートから放流する際、下流沿岸に設置されている無人警報局のサイレン及びスピーカーをリモートコントロールして河川流域の人に警告を行う。

<3> 下渕支所から伝送された必要なデータをグラフイツクパネルに表示し、監視する。

<4> 関係機関に対する通知及び大迫ダムから中井川合流地点までの間(義務警告区間)の警報活動を実施する。

なお、大迫ダムの維持管理及び水管理に関する一切の事項の統轄管理は、大迫ダム管理主任技術者である大迫支所長(本件当時は訴外宮田)の権限に委ねられていた。

(2) 津風呂支所

津風呂支所の担当する職務は、右(1)<1><2><3>と同様である。

なお、津風呂ダムの維持管理及び水管理に関する一切の事項の統轄管理は、津風呂ダム管理主任技術者である津風呂支所長(本件当時は訴外嶌田)の権限に委ねられていた。

(3) 下渕支所

下渕支所の担当する職務は、次のとおりである。

<1> 大迫、津風呂の各支所から伝送されて来たデータ(水位、雨量、バルブ開度)から、中央演算処理装置で流入量、放流量、貯水量、日積算流入量、日積算放流量、河川の流量、取水量を計算処理し、それをグラフイツクパネルに表示しタイプライターに印字し、これらを監視する。

<2> <1>で計算されたデータを情報伝送装置で無線で大迫、津風呂の各支所へ伝送する。

<3> 下渕頭首工の制御及び監視。

<4> 下渕下流水の取水施設及び水管理施設に関する各種データを収集記録する。

<5> 関係機関に対する通知及び義務警告区間外のうち中井川合流地点から五條市栄山寺地点までの間の警報活動を実施する。

なお、下渕支所では、下渕頭首工及び総合管理システムの維持管理及び水管理に関する事項のほか、下渕、大迫、津風呂の各支所の庶務一般に関する一切の事項の統轄管理が下渕支所長(本件当時は訴外小西)の権限に委ねられていた。そして、水利事業所次長(本件当時は訴外山田)が、下渕、大迫、津風呂三支所の実質的な統轄責任者であつた。

(三) 総合管理システムの効用

被告が、総合管理システムを採用するにあたつて期待した効果は、次の点である。

<1> 各ダムの水利水文情報を集中化することにより、管理対象地域全体の現象を的確に把握することができる。

<2> 各ダムの異常及び障害等の監視とこれに対する迅速な対応ができる。

<3> 下渕支所で、各ダムについての、必要取水量などきめ細かな操作運用の指示ができる。

<4> 管理運用体制・業務処理の一元化が可能であり、土地改良区等関連団体への窓口業務の一本化をはかることができる。

<5> 高性能の中央演算処理装置を利用した一元管理を行うことから、水資源の有効かつ円滑な利用が可能となる。

<6> 緊急事態に対応した適切な危害防止措置を講じることができる。

右総合管理システムの効果は着実に発現してきたが、特に洪水吐からの放流を行う緊急時には、このシステムによつて、有機的、かつ、機動的な操作管理が可能となり、その効果が遺憾なく発揮される。現に、本件当時も、休日の深夜であつたにもかかわらず、大迫支所職員だけでなく、下渕支所職員及び津風呂支所職員も一元的な指令に基づき出動し、協議して定められた作業分担に基づき、大迫ダムについての関係機関への通知、警報活動その他の業務を効率的に実施し得たのである。この総合管理システムがなかつた場合を想定すると、大迫支所と下渕支所とで別々に収集された水利水文情報を有線や無線で両支所間で連絡しあう必要が生じ、現場では、河川法四六条による通報、同法四八条による通知などのほかに、右のような情報交換をしなければならなくなり、本件のような非常時にはかなりの混乱が生じることは明らかであつて、このように総合管理システムが業務の効率的実施に果たす役割は極めて大きいのである。

(四) 原告らの主張する総合管理システムの欠陥について

(1) 出水記録と下渕支所に表示される流入量の差異について

原告らは、八月一日午前一時の大迫ダムの流入量について、下渕支所のグラフイツクパネルに表示された数値毎秒二三六・三立方メートルと大迫ダム出水記録の数値毎秒二七六・七立方メートルとが相違していることを挙げて、下渕支所のコンピユーターに用いた流入量の計算のプログラムそのものが本質的に正確な数値を出し得るものではなく、総合管理システムの出発点での瑕疵である旨主張する。

そこで、流入量について、右出水記録と下渕支所でタイプされた記録との間に差が生じ得ることについて説明する。出水記録の数値は、操作規程八条三、四項に基づき、大迫支所においてダム管理要員が、貯水位の変動量とその時のバルブ及びゲートからの放流量によつて算出しているものである。他方、下渕支所においても、操作規程八条三、四項に規定する方法により同支所設置の電子計算機によつて算出されるが、計算に際して入力される放流量のデータは、ダム下流水位計で観測した水位と「水位流量関係式」で算出される河川流量を使用している。

以上のように、それぞれの算出の基礎となるデータや手法が異なるために、両者の数値に差が生じ得るのである(後記のように時間差の問題もある。)。特に、下流水位を使用する下渕支所のものについては「水位流量関係式」の精度の問題がある。「水位流量関係式」における水位と流量の関係は、一般的に、その作成の経緯からして高水位では実際値と遊離する可能性があり、本地点でもこの時依然としてこのような要素が残つていたことは否定できない。

しかし、後述のとおり、訴外宮田は、八月一日午前一時の下渕支所のグラフイツクパネルに表示された流入毎秒二三六・三立方メートルの情報により、洪水警戒時に入つている。仮に、同日午前一時の時点で、大迫ダム出水記録の流入量毎秒二七六・七立方メートルの数値を採用し、今後の流入量予測をしたとしても、洪水の発生時点が大幅に繰り上がることは考えられず、その対応においてもそれほどの差異があつたとは考えられない。

(2) 緊急時の下渕支所への集合について

原告らは、総合管理システムは、とにかく何が何でもまず下渕支所でという硬直した発想に基づいたものであることから、その対応に遅れが生じた旨主張する。

そして、原告らは、警報車や広報車が下渕支所にあり大迫ダムに配備されていない旨主張する。

しかし、本件当時大迫ダムには広報車一台が配備されていたのであり、しかも、七月三一日、訴外宮田は、国職員全員の大迫支所退所後に非常時に移行した場合、国職員が二班に分かれて順次出動する場合もあり得、その場合、大迫ダムに向う途中で下渕支所や大迫支所と交信するには、無線装置のある警報車と広報車が必要であつたので、警報車一台と広報車一台を下渕支所に持つて来ていたのであり、この点に関する原告らの右主張は失当である。

また、原告らは、訴外宮田以下大迫支所国職員全員が、いつたん下渕支所に集合したことを非難する。その非難の理由は、大迫ダムに国職員がいない場合、大迫ダム委託職員のみでは洪水吐ケート操作をし得ないのであるから、国職員の一部でもダムに直行するべきである、ということである。

しかし、後述のとおり委託職員(技術員)は、国職員の指示があれば、ホロージエツトバルブ及び洪水吐ゲートの操作を行なうことができるのであり、また、訴外宮田以下大迫支所国職員は、下渕支所に集合し、最新のダム情報に基づき、訴外山田、同小西以下下渕支所国職員らと今後の対応を協議し、通知、警報の分担を再確認のうえ直ちに大迫ダムに向つたのであるから、その行動はむしろ適切であり何ら非難されることではない。

2 大迫ダムの職員配置

(一) 大迫ダムの職員

(1) 国職員と委託職員

大迫ダムの管理、操作等は、前述のとおり総合管理システムの一環として行つており、このシステムにおける管理操作に必要な要員は、国家公務員である農林水産技官等一九名(国職員)のほかに、国との契約に基づき配置された職員(委託職員。夜間及び休日に「管理員」を交替制で常に四名、全日「技術員」を交替制で常に二名。)をもつて充てられ、十分な管理体制がとられている。

(2) 委託職員の権能等

委託職員は、単なる下請というものではなく、ダム管理、操作等に関して国職員に比して何ら遜色なく十分な知識を有し、かつ、適正にその職務を行う権能を有する職員であり、契約に基づき、さらに必要があれば国職員の指示等にも従い、ダム施設の保守、点検、気象情報の受理、連絡等国職員と共に日常の業務に従事するほか、緊急時においては応急措置を講ずると同時に、あらかじめ定められた国職員への連絡、その指示を受けてのダム操作等その時において必要とされる一切の行動を遅滞なくとり得る権能を有しており、国職員と協同、一体となつて適切なダム管理を行つている。

そして、委託職員に対する委託の内容等は、次のとおりである。

<1> 管理員については、大和施設管理保障株式会社に委託しており、その委託の内容について、「ダム等管理業務請負契約書」及び「ダム等管理業務特別仕様書」が作成されている。

管理員は、常時、下渕支所に一名、津風呂支所に二名、大迫支所に一名が各配置され、その勤務時間は、夜間午後五時から翌日午前八時三〇分まで、昼間(日曜・祝日)午前八時三〇分から午後五時まで、昼間(土曜)午後〇時三〇分から午後五時までである。

<2> 技術員については、近畿設備株式会社に委託しており、その委託の内容について、「大迫ダム保守点検業務請負契約書」及び「大迫ダム保守点検業務特別仕様書」が作成されている。

技術員は、常時二名が配置され、その勤務時間は通常勤務の場合、午前八時三〇分から午後五時まで、庁内待機の場合午後五時から翌日午前八時三〇分までである。

<3> 委託職員(管理員・技術員)の権能の根拠は、右各会社との請負契約書であり、権能の内容は、各請負契約書及び特別仕様書に定められた業務内容である。

<4> 技術員は、放水バルブ・洪水吐ゲートの操作を国職員の指示に従つて行うが、国職員の指示なしに行い得る業務もある。管理員は、原則として国職員の指示に従つて業務を行うが、業務の範囲方法等通常行うべき事項については、あらかじめ指示を行つている。

<5> 右の各契約書、仕様書を定めるにあたつては、河川法適用下に行うダム管理の重要性、特質等を十分に踏まえて、作成されている。すなわち、通常時のダム管理といえども、緊急やむを得ない場合には、委託職員が独自に臨機の必要措置を講ずることができ、その場合には直ちに国職員である監督職員に連絡するものとされているが、その場合でも流水を制御している点においては何ら変わりのないことに鑑み、将来の用水管理、あるいは下流に不都合等の生じることのないよう、バルブ操作等に関してはいかなる場合にも委託職員の独自の判断ではなし得ないように、制限しているのである。

(3) 委託職員による洪水吐ゲート操作

原告らは、委託職員のみで洪水吐ゲートの操作をなし得ることに形式上なつてはいたが、実際の管理の場では、国職員が大迫ダムの現場を見たうえでなければ、たとえ洪水必至あるいは既に洪水となつている場合ですら、洪水吐ゲートの操作はなし得ないものとして運用されていた旨主張する。

原告らが右のような主張をする根拠は、八月一日午前〇時から同日午前二時までの間(訴外宮田以下国職員三名が大迫ダムに到着するまでの間。)、ダムへの流入量が急激に増加しているのに、その間洪水吐ゲートからの放流はなく、ホロージエツト・バルブからの放流をしただけで、その増加開度は小さいものにすぎなかつたことにあるようである。

しかし、委託職員(技術員)には、国職員の指示があればホロージエツト・バルブ及び洪水吐ゲートの操作を行なう権能があることは契約書で明記してあり、国職員が大迫ダムの現場を見たうえでなければ、たとえ洪水必至あるいは既に洪水となつている場合ですら、洪水吐ゲートの操作はなし得ないものとして運用されていたなどという事実はない。現に、本件当日も、洪水吐ゲートから放流をなすべき状況になかつたため、この点についての国職員による指示はなされなかつたが、国職員の指示に基づいてホロージエツト・バルブの増幅操作を行なつているのであり、このことからしても、原告らの右主張が失当であることは明らかである。

さらに、放流開始の遅くとも一時間前に関係機関への通知を終えていなければならないなど、所要の措置を講じた上でなければ洪水吐ゲートからの放流はできない旨操作規程一三条一号に明記されている。本件当日は、後述のとおり午前一時二〇分から関係機関への通知を開始しており、その関係からも、訴外宮田は、洪水放流開始を同日午前三時ころにせざるを得ないと判断していたため、自らが大迫ダムに到着後に判断操作し得るとして大迫ダムの委託職員(技術員)に指示するまでもなかつたのであり、決して委託職員が洪水吐ゲートからの放流をなし得ないものではない。

したがつて、委託職員のみを配備していたとしても何ら「要員」を欠く不十分な職員配備であると非難されるべきところはない。

なお、訴外宮田の大迫支所長在任中(昭和五六年一〇月から昭和五七年八月一日)、委託職員(技術員)のみで洪水吐ゲートの操作を行なわせる状況になつたこともなく、過去にもそのような事例はなかつた。

(二) 通常時の職員配置

洪水吐ゲートの操作が予定されない通常時の業務として、<1>利水を主とする放流管バルブの操作、<2>これと直結する流入量等の諸情報の把握、分析、記録、連絡、機器の操作、監視等、<3>機器の日常、又は定期的な点検、整備、ダム及び貯水池周辺の巡視、ダム管理事務所及び貯水池に関する保守管理的各種工事の発注、監督、<4>過去の観測諸量等を含むダム管理記録の回収、整理、分析、<5>堆砂測量等調査業務の発注、監督、<6>水利計画等に関する関係機関等との打合せ、<7>参考資料の収集、<8>庶務一般等がある。

国職員の勤務時間中は、右<1>から<8>までの管理業務全般を分担処理しているため、要員数についてもこれに見合つた配置をしている。

夜間、休日等の国職員の勤務時間外には、右業務中<1>及び<2>、すなわち利水を主とする通常時のダム操作及びこれと直結する業務に限つて実施しているため、その要員も、これに見合つた配置となつており、委託職員だけが配置されている。

委託職員は、委託職員が本来有している能力に加え、日常のダム管理における技術及び知識の翌得と蓄積により、非常時のダム管理に際しても有能な要員として行動し得るであろうことは明らかである。右のことから、委託職員も非常時には非常時の要員として行動するように、当初から予定されているのであり、大迫ダムでは、通常時でも、常に非常時に備えた要員の一部があらかじめ配置されているということができる。

昼、夜間等の時間帯によつてダム管理要員数に差があること、常に非常時に必要な要員のすべてを配置してダムに常駐させているとは限らないこと、その一部をあらかじめ配置している場合においても、必ずしもダム管理主任技術者等一定の資格、要件を備えた責任者が常駐しているとは限らないことは他のダムにおいてもみられることであり、そのようなダムにおいては、大迫ダムと同様に、緊急事態が発生し、又はその発生が予想される時になつて初めて、残りの人的配備がなされるのである。そして、夜間等の時間帯によつて配置する人員数等に差があることは、ダム以外でも一般に行なわれていることであり、当然のことである。したがつて、大迫ダムにおいて、国職員の勤務時間外には委託職員が配置されている点について、国防、警察等のように常に緊急時を想定し、指揮監督的立場の者を含め常時一定数の要員を配置して、警戒、警備に怠りなきを期している機関と同一に論ずることはできない。

(三) 非常時の職員配置

(1) 大迫ダムの非常時

大迫ダムの「非常時」には、操作規定で区分された「洪水時」「洪水警戒時」「予備警戒時」(操作規定四条ないし六条)の他、機器、操作室、管理棟、貯水池等において異常事態が発生したときがある。

通常時から非常時へ移行する場合、ダムの状況によつては、通常時から洪水警戒時又は洪水時に直接(つまり、予備警戒時を経ないで)移行することも、操作規程の記述の上からは想定されるが、気象・水象に係る観測データの収集等ダム管理の実情を考えると、このようなケースは容易にはあり得ず、同様に、予備警戒時から直接洪水時へ移行する(つまり、洪水警戒時を経ない。)ケースも容易にはあり得ない。したがつて、一般的なダム管理の状況下では、通常時から洪水時への移行に際しては、予備警戒時から洪水警戒時を経て洪水時へと順次移行していく。そして、このことは本件についても当てはまる。

(2) 非常時の職員配置

非常時における大迫力ダムの職員配置については、操作規程一九条一号で、予備警戒時にとるべき諸措置のひとつとして、「洪水時において、ダム及び貯水池を適切に管理することができる要員を確保する」ことが規定されているが、その具体的な措置は以下のとおりである。

国職員の勤務時間中は、国職員四名、委託職員二名(二名とも技術員)の計六名が配置されているが、国職員の勤務時間中に通常時から予備警戒時非常時に移行した場合には、国職員及び委託職員全員(右の六名)で非常時の勤務体制をとることとなつていた。

国職員の勤務時間外は、大迫支所には委託職員三名(内訳は、技術員二名、管理員一名)が、下渕支所には管理員一名がそれぞれ常時配置されているが、非常時には、まず右の四名の委託職員が非常時の勤務体制をとり、それとともに国職員が順次出動して非常時の勤務体制をとる、順次出動体制がとられていた(この点は下渕支所や津風呂ダムにおいてもほぼ同様であつた。)。

非常時における大迫支所の順次出動体制は、おおむね次のとおりであつた。

<1> 大迫支所の国職員四名を二つの班に分けて編成し、それぞれに班長を置く。

<2> 風雨・大雨等の注意報が発令されるなど予備警戒時の状態となると、あらかじめ定められた順番によりいずれかの一班が出動して非常時の勤務につく。

<3> その後、さらに警戒体制を強める必要が認められるときには他の班も出動する。

<4> 警戒体制が長時間継続して要員の交代を必要とする場合は、その警戒体制を一つの班で行つているときは、他の班が出動し、先に出動していた班に代わつて非常時の勤務に就き、また警戒体制を二つの班(全員)で行つていたときは、後から出動した班が引続き勤務し、他の班は自宅に引き上げるか、事務所で休養する。

右のように、非常時において、大迫支所の職員を一度に全員出動させないで、二班に分けた上で順次出動することとしていたのは、非常時であつても必ずしも洪水が発生し、洪水放流等のゲート放流があるとは限らず、しかも非常時の警戒体制の継続時間も長短さまざまであるから、非常時の最初から職員の全員配置を行えば、非常時が何日も続いた場合には、職員の健康に悪影響を与えたり、ダム管理業務そのものにも支障を生じたりするおそれが予想されるので、これを回避するためである。一般に、限られた人数の職員によつてダム管理が行われていることは他のダムについても同様であるが、右に述べた順次出動体制は、非常時のダム管理の遂行を適切かつ臨機応変に図るための極めて合理的かつ現実的措置である。

また、順次出動体制により国職員が出動する場合、大迫支所長は、最初から出動しないときでも、自宅で待機し、絶えず現場と連絡をとつて警戒に当たる。

そして、洪水吐(余水吐)からの放流が予想(予定ではない。)されたり、予備警戒時から洪水警戒時に移行する状況が近づくと、大迫支所の職員は全員出動し、下渕支所においてもあらかじめ予定されている通知、警報(広報)活動等の職務を分担する。

以上の説明は、原則的なものであつて、例えば、予備警戒時に移行して間もない時点であつても、洪水吐からの放流が当初から予想されるときなどには、順次出動体制をとることなく最初から全員出動体制をとる場合もあるなど、実際にはケース・バイ・ケースで臨機応変に判断しているのが実情であり、順次出動体制をとるか全員出動体制をとるかについての判断は大迫支所長が独自に行い、場合によつては、下渕支所職員の出動を必要とすること等もあるので、大迫支所長が下渕支所長又は水利事業所次長と相談のうえ行つていた。

(四) 管理体制の協議検討及び周知徹底

以上のような大迫ダムをはじめとする三基幹施設の管理体制については、毎年、水利事業所次長及び下渕、大迫、津風呂の三支所長が集まつて、利水期や出水期を迎えるにあたつての必要な事項やダムの緊急体制をはじめダム管理全般についての協議検討をしていた。

大迫支所長は、右の協議検討の結果を大迫支所に持ち帰り、委託職員を含む全職員に対し、その内容を十分理解を得られるように説明し、緊急時の体制表を職員の常時目につく事務室などに掲示するなどして、職員全員に周知徹底を図つていた。

3 気象及び水象情報の収集

(一) 大迫ダムの気象及び水象の観測施設と観測の仕組み

(1) 観測の必要性

ダムを管理するにあたつては、その管理体制の一つとして施設、機器等の物的設備をどのように配置し機能させるかということが重要であり、大迫ダムのように洪水吐(余水吐)ゲートを有し、通年的に利水放流等の操作を行つているダムでは、その利水時及び出水時の管理として、降雨や旱天等によるダムへの流入量の変化を常に把握しておくことが肝要であることから、ダムにおいて観測が行われる。

また、河川法四五条は、洪水吐ゲートを有するダムを設置する者に対し、観測施設の設置及び雨量等の観測を義務付けており、同条によりダムの設置者が設けるべき観測施設の設置基準は、河川法施行令二六条が定めている。

(2) 観測施設の配置状況

大迫ダムには、別表6のとおりの観測施設等が設置されている。

別表6に掲げた施設のうち、河川法四五条に係るものは、雨量観測局及び水位観測局である。このうち、

<1> 雨量観測局については、河川法施行令二六条の設置基準(ほぼ二〇〇平方キロメートルあたり一以上)からすれば、大迫ダムの集水面積は一一四・八平方キロメートルであるから本来一か所でよいが、四か所に自記雨量計を設置している。これは、二八・七平方キロメートルに一か所の割合で設置されていることとなり、二〇〇平方キロメートルあたり一か所との基準に比して約七倍の密度である。

<2> 推移観測局については、河川法施行令二六条に基づいて、必要であると認められる上流部地点(筏場、栃谷、伯母谷の三か所)すべてに自記水位計を設置している。

さらに、大迫ダム周辺にも、ダム下流並びにダム(内水位及び外水位)に、自記水位計を三か所、ダムサイトに自記雨量計を一か所設置している。

なお、大迫ダム操作規程一九条ないし二一条によれば、「気象官署が行う気象の観測の成果を的確かつ迅速に収集する」旨定められているが、ダム管理者自らも観測施設を設け気象情報を把握しているのに加えて、このように気象官署の情報をも収集することが義務付けられている趣旨は、両者の気象情報の有する価値に相異があるからである。

すなわち、前者の気象情報は、一般的には地域的(ダム集水域という特定性、限定性)、時間的(過去及び現在)な制約が不可避であり、そのために集水域外の情報が混在しない純粋なものであるから、ダムの直接の操作に対しては極めて有益なものである半面、ダム及び貯水池の今後の管理方法いかんという現在以降の問題に対しては、必ずしも十分とはいい得ない。他方、後者の気象情報は、ダムの直接の操作に対してはそれほど有益とはいい得ないものの、現在以降の問題に対して極めて有効となり得る。

そして、右両者の情報の有する価値の差に留意すれば、大迫ダム操作規程一九条ないし二一条に定める気象官署からの情報収集も、集水地域に係る今後の気象の変化を遅滞なく的確に把握することであり、その内容はダム管理に対して真に有益な情報を収集することに尽きるのであつて、定期的に大量、かつ、無関係な地域の情報までをも含むものではない。

(3) 観測の仕組み

右(2)の水位計及び雨量計はすべて自記のものである。これは、前述の河川法施行令二六条の設置基準としても定められているが、自記のものを用いることにより観測に誤りが少なくなる。また、右の水位観測局及び雨量観測局においては、操作規程上は、通常時には毎日一回以上、予備警戒時等非常時には三〇分ごとに一回ずつ、それぞれ水位、雨量の観測を行うこととされている(操作規程別表第三号(一六条一項))が、実際には、通常時には一時間ごと、非常時には三〇分ごとに観測を行つており、非常時には場合によつては観測頻度を一五分ごととしていた。

観測すべき事項については、河川法四五条に定められている水位、流量及び雨量(操作規程別表第三号)のほか操作規程一六条二項において、気象、水象、ダムの状況等についても観測又は測定することが義務付けられている。

そして、観測された水位及び雨量のデータは、テレメーター装置により大迫支所に伝送され、大迫支所操作室に設置されているグラフイツクパネルに表示されるとともに、タイプライターにより記録紙に印字される。

(二) 気象情報の収集

大迫ダムでは、自らの降雨量情報は、右のとおり濃密に把握できる体制となつている。したがつて、奈良地方気象台からの気象情報はその補完、補足のためをもつて十分である。

気象官署が行う気象観測の成果を的確、かつ、迅速に収集する義務については、奈良地方気象台における気象観測の成果について、それがダム管理にとつて真に有益な情報である場合には、これを迅速にダム管理者に提供されるよう同気象台に依頼済みであつて、現に、本件当時も、七月三一日午後一〇時五〇分発令の大雨雷雨注意報並びに翌八月一日午前一時一〇分発令(切替)の大雨・洪水警報及び雷雨注意報がそれぞれ略号により迅速に通報されている。

(三) 原告らの主張する気象状況把握義務違反について

(1) 気象状況把握義務について

原告らは、大台ヶ原が多雨地帯であること、台風が接近し梅雨である等大雨の予想される状況であつたこと、河川内に多数の人がいたことなどから、放流に伴う生命・身体・財産に対する危険回避のため、ダム管理者の気象状況把握義務が著しく高度なものとなる旨主張する。

しかし、大台ヶ原が多雨地帯であることについては、前述のとおり、大迫ダムでは、それを前提として操作規程に基づき、気象観測に万全を期していたのである。

また、大台ヶ原が多雨地帯であることは一般にはいえても、そのことが本件当日のように特定の日時に異常、かつ、急激な集中豪雨が発生することとは直接には結びつかない。

さらに、訴外宮田は、その在任中、テレビ、ラジオ、新聞等の気象情報に絶えず注意を払つて日々のダム管理を行つていたが、昭和五七年七月三一日当時、既に関西地方は梅雨明け宣言がなされていたうえ、当時の気象状況も集中豪雨をひき起こす気象条件にはなく、その予測もできなかつたのであり、原告らの本件当日の台風や降雨に関する主張は、結果からする議論にすぎない。

本件当時河川内に多数の入川者がいたことは、七月三一日が真夏日ともいえる天候にあつたことによるものであり、気象状況の把握と直接関係はない。

したがつて、現実に集中豪雨が発生した特定の日時ころ、大迫ダム集水域で、集中豪雨が発生すること及びそれが後述のとおり、本件のように短時間で異常な集中豪雨となることについて、本件当時、具体的に予測し得ない以上、原告らの主張するようにダム管理者の気象状況把握義務が高度になるものではない。

(2) 本件での豪雨予測の不可能

原告らは、本件においては、大迫ダム集水域である大台ヶ原の特性(日本有数の多雨地帯であること及び台風の影響を早期に受けやすいこと)や当日の気象状況(当時梅雨期の末期であり、台風が日本本土を目指していたこと)等を考慮すれば、ダム管理者において、より真摯に台風の針路・影響及び梅雨前線の動きに関する資料の収集をすべきであり、このことにより早い段階での豪雨の可能性の予測、現実の豪雨のより早い状況把握が可能であつたはずである旨主張し、右収集義務を尽さなかつたことにより、その後の予想、対応が不十分となり本件事故が発生した旨主張する。

本件では、集中豪雨を発生させ得る客観的条件があつたからこそ、後述のとおり、突発、かつ、異常な集中豪雨となつたのであり、結果からみればそれを引き起こす気象条件が存在したことは否定できない。

問題は、原告らの指摘する一般的な気象条件のみから、直ちに大迫ダム管理者が、本件当時、集中豪雨をひき起こした気象条件の存在、それが大迫ダム集水域という特定の地域で本件のように集中豪雨を発生させる蓋然性及び短時間で異常な集中豪雨となることについて具体的に予測し得たかどうかである。

そして、後述のとおり、奈良地方気象台は、気象予報業務の専門機関として、原告らの指摘する事項を当然考慮したうえで予警報を発令したのであるにもかかわらず、結果として、集中豪雨を、少なくとも八月一日午前一時過ぎまで予測することができなかつたのである。このように、専門機関である気象台でも予測し得ない集中豪雨をダム管理者が予測すべきであつたとする原告らの主張は失当である。

(3) 大迫ダム集水域の降雨予測義務について

原告らは、ダム湖への流入量予測の前提として大迫ダム集水域の降雨量を把握し、かつ、予測することが必要・不可欠であるとし、ダム管理者に大迫ダム集水域の今後の降雨量の予測義務がある旨主張するかのようである。

しかし、流入量予測と降雨量予測とは密接不可分の関係にあることは否定できないが、河川法にはもちろん、大迫ダム操作規程にもダム管理者に今後の降雨量予測を要求する規定は存しないのであり、このような義務がダム管理者にないことは明らかである。

むしろ、大迫ダム操作規程において、予測警戒時、洪水警戒時及び洪水時にとるべき措置の一つとして「気象官署が行なう気象の観測の成果を的確かつ迅速に収集すること」(操作規程一九条三号、二〇条一号、二一条本文)と規定されていることからみても、ダム管理に密接に関連する気象(降雨)予測は、気象予報業務の専門機関である気象台からその情報を入手すべきことを義務付けることによつてこれを達することとしているものと解される。

そして、本件当時も、被告からあらかじめなされた委託に基づき、奈良地方気象台から、降雨に関する気象の予警報がその発令直後に正確に下渕支所へ伝達されている。

(4) 大迫ダム集水域以外の降雨データ入手について

原告らは、七月三一日午後七時に埼玉県飯能市で一時間で五五ミリメートルの降雨があり、三重県宮川村で同日午後九時から午前〇時までの間に一〇九ミリメートルにも達する大量の降雨があつたのであるから、ダム管理者として今後の降雨予測のために右降雨データを収集すべきであつた旨主張する。

しかし、右のとおり、降雨に関する気象予測は、ダム管理者の責務ではなく、気象官署が行う気象観測の成果として予測された今後の降雨情報を入手すれば十分であるから右主張も失当である。

ところで、ダム管理者自らが、ダム管理(すなわち流入量予測)に必要な雨量データをどの範囲まで集めるかについては学問的にも難しく、また、いたずらにその範囲を広げることは、多額の経費を伴う上にシステムを繁雑にするばかりであり(このことは、大迫ダムにおいて、仮に日本全国の雨量データを集めるとした場合の作業内容、手順、装置、予算、人員等を思い浮かべれば容易に理解し得よう。)、その効用についても疑問が多いので、実務上は必要最少限に押さえ、その他は気象官署に委ねているのが実情である。このため、大迫ダムでも、その集水区域外の雨量データについては収集していないが、集水区域に設置した四か所の自記雨量計による観測で、集水区域全体の降雨量の把握に何らの支障も生じていない。そして、気象台のよつて得られた今後の降雨量情報によつて、ダム集水域全体の今後の降雨量も十分把握し得るのである。

また、気象台(本件では、奈良地方気象台)は、予警報の内容を決定するに際しては、奈良県のみならず全国の気象情報を総合勘案しているのであるから、大迫ダム管理者が自ら飯能市あるいは宮川村の降雨データを収集しなかつたからといつて、何ら非難されるものではない。

さらに、飯能市の午後七時の降雨、宮川村の午後九時から午前〇時までの降雨データを収集したとして(それも右時刻に直ちに収集されるものではない。)、それにより、右時点において、大迫ダム集水域でも同様に集中豪雨が発生するかどうか、その量はどの程度になるのかということが確実に予測し得るものでなく、まして、大迫ダムでの流入量予測に役立てられるものでもない。

(四) 水象情報の収集

大迫ダムにおける水位観測は、前述のとおり、ダムの直上流部(貯水池)及び必要であると認められる上流部地点(筏場、栃谷、伯母谷の上流部三か所)すべてに自記水位計を設置して迅速な情報の収集に努めている。

貯水池の上流部において河川の水位を測定する目的は、原告らが主張している洪水予測の確度を高めるためではなく、流入量の算定に利用するため、又はゲート操作に備えて貯水池への流入量の変動を把握するためである。ある時刻における流入量を迅速に把握し、それに等しい量の流水を通過放流する利水ダムのゲート操作では、ダム直上流部における水位、すなわち貯水位の測定のみでも十分なのであるが、今後のゲート操作についての見通しを立てておくことがダム操作上は非常に有益であるため、貯水池上流地点に水位計を設置し、極く近い将来、すなわち、五ないし一〇分程後の流入量の変動状況をあらかじめ把握しようとしているのである。そのため、右観測は、洪水(操作規程四条)発生前のみならず、洪水流入中から洪水終了後においても流入が続く限り常時行われている。

そして、右水位情報の収集は、その時々のダムの状況に応じて一時間、三〇分又は一五分ごとに行われている。なお、貯水位については、ほとんど瞬時ごとに大迫ダム諸量表示盤に表示される。

流入量の情報は、操作規程八条三項及び四項に従い行つている。これは、流入が実際に生じ、これが貯水位に置き換わると、それはあたかも流水を計量枡の中に入れたと同様の状態を呈することに着目して、貯水位の変動量(センチメートル)に相当する貯留量(立方メートル)をその変動を生じた一定時間(秒)で除することにより算定する方法であり(この一定時間中に放流が行われていれば、その放流量を加えた値が流入量となる。)。このようにして行われる流入量の算定結果は、操作規程八条一項及び二項に規定する方法によるものと比べてその信頼度が高い。

操作規定八条一項及び二項の算定方法は、あらかじめその水位測定地点で実施された流量観測により、その時々の河川水位(H)に対応する流量(Q)の関係を式又はグラフとして作成し、この式又はグラフにより関係する二量の一方である水位から、他方の流量を算定する方法である(この「水位流量関係式」又は「水位流量関係曲線」は、俗に「H~Q式」又は「H~Q曲線」と呼ばれ、一般に河川流量の算定に利用されている。)。そして、大迫ダムに流入する河川は、上流部で何条かの河川、谷等に分岐しており、これらが合流した後の地点でまとめて観測すれば簡便ではあるが、万一計器に一時的な故障等が発生した場合にも算定に支障がないよう、複数の地点を選定している。また、水位観測局が設置されている三地点における流入量の測定のみでは各観測地点より上流部からの流入量しか測定し得ないため、各観測地点より下流の直接貯水池に流入する量も含めた全体の流入量を知る必要があり、そのために、三観測地点で求めた流入量の合計に、その三地点の集水面積の合計(九〇平方キロメートル)に対するダム全体の集水面積(一一四・八平方キロメートル)の比率一・二七六を乗じて全体の流入量を求めることとしている。

したがつて、上流水位計から求める全流入量が実際に近いものであるためには、その時々において流域全体から実用的に均等とみなし得る降雨流出が生じているとの前提が成立していなければならず、しかも、その基となつた各観測地点での流入量計算のためのあらかじめ用意されているH~Q式が利用しようとするあらゆる水位に対して正確でなければならない。しかし、大迫ダムではこれまでの降雨出水において降雨分布に相当な偏りがあつたため、その前提のすべてを満たすことは非常に困難であると考えられたので、それによつて得られる値の信頼度を踏まえて実用に供しているのであり、一般のダム管理においても、右のようにして算定された流入量は、今後極く近い先のゲート操作等の見通しを立てるために利用している。

なお、実際のゲート操作においては、右のような算定方式で得た値だけに頼るのは危険であるので、貯水位を確認しながら一定の操作を行つている。

(五) 伯母谷水位観測所の倒壊及び復旧

(1) 伯母谷水位計欠測の影響

ダム操作は、数多くの情報の総合判断の結果に基づいてなされるものであつて、収集した情報中特定のもののみが決定的影響を与えるものではない。

そこで、本件において、伯母谷水位計の欠測が及ぼす影響いかんが問題となるが、大迫ダムにおける流入量の算定方法は右(四)で述べたとおり操作規程八条三項、四項により行つているので、右欠測があつたとしても流入量の算定には何ら影響はない。

また、伯母谷水位計地点の流域面積は約一一・八平方キロメートルであつてダム全体の集水面積一一四・八平方キロメートルに占める割合はわずか一〇・三パーセントに過ぎないうえ、右に述べた水位計から得られる値の実際の利用方法ないし利用価値からすると、右地点における観測の欠如がダム管理に与える影響は微たるものであつて、原告らが主張するような致命的なものではない。

(2) 伯母谷水位観測所の復旧工事

被告は、伯母谷水位観測所の故障を漫然と放置していたわけではなく、その復旧に最善の努力を尽し、昭和五七年度渇水期に復旧を終え、翌五八年一月には観測を再開している。

右観測所の故障は、観測施設そのものが、昭和五四年秋、上方山腹斜面からの崩落土砂によつて倒壊してしまつたものであつて、単なる計器類の故障とは異なる。

したがつて、その復旧にあたつては、倒壊の原因となつた山腹からの土砂崩落の再度の発生を防止するか、あるいは観測施設の位置を他に移すかのいずれしかないところ、後述の事由から前者の方法を採ることとし、しかも山腹の自然安定には相当の期間を要すると見込まれたので、直ちに山腹を管理している訴外川上村山林組合に対してその保護工事等の実施を要請すると共に、自らは昭和五五年度に復旧のための予算要求をし、昭和五六年度の予算に計上された。しかし、土砂崩落は小規模ながらその後も続いたため、結局灌木等の繁茂による自然安定を待たざるを得ないこととなり、昭和五七年一月に行われた昭和五六年度予算の実施計画の検討の際、復旧工事は来年度に実施することに変更し、実施可能な観測計器類の購入のみを行なつたのであり、ようやく昭和五七年に入つて一応安定状態に近づいたと認められたので、同年度冬期の渇水期に昭和五七年度の他の予算項目を流用して復旧工事に着手し、完成したのである。

観測施設の位置を変更せず、山腹の自然安定を待つこととした理由は次の点にある。

水位観測所の位置は、湾曲部等の複雑な地形の場所ではなく、しかも、洪水等によつて河床、河川の断面形状が変動することのない強固な地質の所でなければならない。洪水等によつて河川の形状が変動すれば、それ以前に測定した水位と流量との関係が乱れ、誤つた情報を入手することとなるからである。また、その位置が、貯水池から遠く離れ過ぎるとその支配区域が過小となつて信頼度が薄れ、反対に貯水池に近過ぎるとダム計画で対象としている一〇〇年に一回発生する程度の大洪水の時に背水(河床の縦断勾配にほぼ近似して流下している水面の縦断形状が、貯水池近くになると、貯水位の影響を受けて、次第に河床から上方に離れ水深を増しながら水平状態に近づく現象。)の影響を受けたりして支障が生ずる。したがつて、水位観測所の位置は、いずれでも良いというわけではない。

しかも、仮に位置変更が妥当とされた場合でも、恒久的な水位観測を実施するに際しては、前述のとおり、まず右観測しようとする地点で「水位流量関係式」を作成するための流量観測、つまり水位(メートル)、流速(メートル/秒)、流積(立方メートル)を実地観測しなければならず、「水位流量関係式」を実用に供する場合には、実際にある程度高い水位が記録される中小洪水を含める必要があり、そのためには少なくとも二、三年間は事前観測を継続しなければならない。

流出の現象等に関する調査のための観測ならば、仮に河床変動があつたとしても、また全くの白紙の状態から観測を始めたとしても、観測値について事後の修正、解析が十分可能であるので支障はないであろうが、ダム管理という実践の場においては事後にそのようなことを行つていては間に合わない。

伯母谷水位観測所も、以上のような準備を経て建設されたものであるため、山腹の自然安定を待つても、当初の位置に再建することが最良であるとの判断に達したのである。

以上のとおり、被告は、伯母谷水位観測所の倒壊を漫然と放置していたのではなく、やむを得ない事情により昭和五七年度の復旧工事に至つたのであるから、操作規程一六条、一七条に基づく義務違反の問題は生じない。

四  本件当時の降雨状況及びその異常性

1 気象台の発する予警報及び一時間雨量と降雨状況

(一) 気象台の発する予警報

気象庁では降雨災害等の防止を目的として、気象業務法に基づき降雨に関する予警報を発令しているが、右予警報は、それぞれの発表官署ごとに定められた基準に基づいて発令されており、この基準は、いわゆる大雨はどの程度の降雨量であるか、また、どのような降雨状況をいうのかを理解するうえで重要な示唆を与える。

また、右基準に基づく降雨に関する予警報は、一般の人が注意警戒すべき降雨状況を教示するものであり、本件でも参考になる。

大雨注意報の発令基準は、以下のとおりである。

<1> 降雨の継続状況については、短時間の強雨の場合、一時間又は三時間程度の降雨量を基準値とし(これと併せて発令時予想される総降雨量等も目安とされる場合が多い。)、連続的な降雨の場合には、二四時間程度の降雨量をその基準値としている。

<2> 量的基準については、短時間の強雨の場合、一時間雨量では概して二〇ミリメートル程度であり、地域によつては三〇ミリメートル程度(三重県南部と高知県の山地は四〇ミリメートル。)となつている。三時間雨量になると、三〇ないし六〇ミリメートル程度(高知県の山地は七〇ミリメートル。三重県南部と和歌山県の山地では八〇ミリメートル。)と地域によつてかなりの開きがある。二四時間の連続雨量では、地域間の開差と同時に平地と山地での開差が目立つ。すなわち、平地では、概して五〇ないし七〇ミリメートル程度の地域と九〇ないし一〇〇ミリメートル程度の地域に分けられるが、山地では八〇ないし一二〇ミリメートル又は一五〇ミリメートル以上の地域に分けられる。そして、奈良県南部が和歌山県と高知県の各山地とともに、二〇〇ミリメートル以上と最大の値となつている。

(二) 一時間雨量と降雨状況の関係

一時間雨量と降雨状況の関係は、別表7のとおりである。

2 七月三一日までの気象状況

(一) 七月三一日夕刻までの気象状況

昭和五七年六月一三日、近畿地方は例年より遅れて梅雨に入つたが、間もなくオホーツク海高気圧が日本付近を覆い、梅雨前線ははるか南方洋上に押し下げられたため、同年六月は少雨傾向が続いた。

同年七月中旬に入つてから、関東地方の南海上から九州にかけて梅雨前線が停滞し、西日本を中心に局地的に大雨があつた。同月二七日には、西日本の雨もやみ、九州、四国、近畿地方は梅雨明けとなつた。

同月二八日から三一日には、梅雨前線の停滞した本州中部や台風九号が接近した南西諸島では、局地的に風雨があつたものの、大迫ダム及びその集水域では、台風一〇号又は梅雨前線の影響は、少なくとも同月三一日夕刻(午後六時現在)時点で、ほとんどみられず、その予兆すらも判然としなかつた。

昭和五七年七月二四日発生した台風一〇号は、七月三一日午前九時の時点で、大台ヶ原の南方海上約九五〇キロメートル、北緯二五度二五分、東経一三七度五五分にあり、このころから進路を北西から北々西に転じ、同日午後六時には、北緯二六度二四分、東経一三七度三六分にあり、九時間に北々西方向に約一〇〇キロメートル移動したのみで、毎時約一〇キロメートルのゆつくりした速度で進んでいた。そして、右台風は大型台風として強い勢力を保つていたものの、その暴風域は半径約三〇〇キロメートルで、強風域の中心は大台ヶ原の八五〇キロメートル南方にあつた。

したがつて、七月三一日午後六時の時点では、右台風について、その進路に十分警戒を要するといつた以外には、これといつた具体的対策ないし対応措置は考えられなかつた。

梅雨前線についても、関東南岸から東方海上へ離れて停滞しており、台風からの湿つた空気の供給が行われていたとしても、大迫ダムとは何ら無関係の地域の出来事であるといえた。

大迫ダム集水域を含む奈良県南部の七月三一日の日中の気象状況は、右のような気圧配置の下にあり、真夏日そのものといえる晴天であつたのである。

しかし、山岳地帯の一部には、積乱雲があり、午後二時五〇分奈良県南部に雷雨注意報が発令されている。右注意報の内容は、「間もなく雷雨が強くなり、落雷の虞れがある。今後の雨量は一〇ないし三〇ミリメートル。今晩には弱くなる。」というものであつたが、大迫ダムの各観測所においてはみるべき雨量も記録されず、同注意報は午後七時二〇分に解除された。

(二) 七月三一日午後一〇時五〇分発令の大雨雷雨注意報

右(一)のような気象状況の下で、七月三一日午後一〇時五〇分、奈良地方気象台から奈良県南部に大雨雷雨注意報が発令された。その内容は、「間もなく雨が降る。雷雨が強くなり落雷のおそれがある。今後の雨量は三〇ないし五〇ミリメートル。所により(局地的に)七〇ないし一〇〇ミリメートル。短時間の強い雨に注意。河川は増水し低地浸水のおそれがある。崖崩れ、山崩れのおそれがある。今夜半過ぎには弱くなる」というものであつた。

右注意報の内容が如実に示しているとおり、この時点において、気象条件について最も確度の高い情報を有していた気象台ですら、降雨は多い所でも一〇〇ミリメートル程度のもので今夜半(夜中)過ぎには弱くなると判断していたものであつて、後述の豪雨は何人にも予想できなかつたものである。

(三) 七月三一日までの大迫ダム集水域の降雨状況

昭和五七年七月二八日から同月三一日までの大迫ダム集水域の降雨状況は、別表8のとおりである。

右のうち七月三一日の降雨状況をみると、午後一〇時までの累計雨量は、筏場で八ミリメートル、大台ヶ原で六ミリメートルにすぎなかつた。そして、奈良地方気象台から、大雨雷雨注意報が発令された後の同日午後一一時に大台ヶ原で時間雨量三一ミリメートルを記録し、大迫ダム集水域の四か所の雨量観測所の平均累計雨量がようやく一〇ミリメートルを越えたのであり、豪雨が降るための条件、あるいは降りやすい気圧配置等の気象現象はさておき、少なくとも七月三一日の気象状況は、梅雨前線、台風ともに何ら大迫ダム集水域に豪雨をもたらすような状態ではなく、むしろ真夏日そのものといつてよい天気であつたのである。

3 大迫ダム集水域の降雨状況及びその異常性

(一) 本件豪雨の発生

本件当時の大迫ダム集水域とその極く近傍地域の降雨状況は別表9のとおりであり、その降雨の経時的累増状況をグラフ化したものが別図8である。

右図から明らかなとおり、八月一日午前〇時現在、いずれの地点も累計雨量で一〇〇ミリメートル未満であり、大迫ダム集水域及びその近傍地域においては、極くあり得る降雨量であつた。ところが、同日午前一時ころから降雨の様相が激変しており、特に、同日午前一時から午前三時ころにかけて集中的に豪雨が発生している(以下この降雨を「本件豪雨」という。)。

(二) 本件豪雨の特異性

八月一日に発生した豪雨は、大迫ダム集水域では二山型の豪雨であり、一山目のピークは八月一日午前一時から午前二時にかけて最大一時間雨量平均六三・五ミリメートルを、二山目のピークは同日午後八時から午後九時にかけて最大一時間雨量平均五四・五ミリメートルをそれぞれ記録している。そして、二山目の豪雨が台風一〇号による直接の降雨と考えられるにしても、一山目の豪雨(本件豪雨)は台風一〇号の影響による前期降雨であり、一山目の豪雨が、気象台の注意報に反し集中豪雨となつたこと自体、ダム管理上特異性を有する。

なぜなら、気象台の予警報は、ダム管理上、良い結果の方向にはずれることはままあるにしても、その逆の方向に大きくはずれることはほとんどないからである。

(三) 本件豪雨の異常性

本件における吉野川の異常な増水について、まず銘記されなければならないことはその原因である本件豪雨の異常性である。ここでいう本件豪雨の異常性とは、豪雨の結果を水文統計学的に考察した結果表われた異常性である。

(1) 初期累計雨量増加の異常性

ア 本件降雨出水の初期の累増の早さ

大迫ダムがその貯留を開始してから昭和五七年度までの間に最大流入量が毎秒一〇〇立方メートル以上を記録した降雨出水は二二件あるが、七月三一日から八月一日にかけての降雨出水(以下「本件降雨出水」という。)の初期の累増の早さは他の二一件の降雨出水を格段に圧している。

そして、右二二件の降雨出水のうち大迫ダムの洪水流量である毎秒三五〇立方メートル以上を記録した九件の降雨出水について、毎秒三五〇立方メートルの洪水流量となつた時刻と降雨開始の時期との関係をみると、本件降雨出水はその間約二時間であるが、その他の降雨出水は、比較的早いもので、昭和五五年九月の降雨出水の約一一時間、昭和五〇年八月の降雨出水の約一三時間、昭和五七年八月下旬の降雨出水の約一五時間など、いずれも一〇時間以上の長時間を要しており(中には約三七時間を要したものもある。)、本件降雨出水の洪水発生は格段に早く、しかもその最大流入量(一山目)も大きいものとなつている。

なお、最大流入量に達するまでの到達時間の速さをみると、昭和五五年一〇月の降雨出水、昭和四九年六月の降雨出水等が本件降雨出水(一山目)に次いで速くなつているが、これらの降雨出水はいずれも洪水流量には達していない。

イ 初期累計雨量増加の発生確率

本件降雨出水が異常な速さで洪水流量に達したのは、本件豪雨の初期の降雨の累増が異常な速さだつたからである。

そして、本件豪雨の降雨量の急激な増加は、奈良地方気象台日の出岳雨量観測所のデータについてみると、八月一日午前一時の時点で四〇〇年から五〇〇年に一回程度、同日午前二時では二五〇〇年から七〇〇〇年に一回程度、同日午前三時では一万年に一回程度という、想像を絶する驚異的な発生確率である。そして、同日午前四時には一六〇〇年から四〇〇〇年に一回程度と驚異的な異常さについては鈍化の兆しをみせてはいるが、異常性そのものが去つたとは到底言い得ない状況が続いており、雨量の実量も依然増加の一途をたどつていた。

大迫ダム集水域付近の大台ヶ原山系一帯が、一般に多雨地帯として知られ、別表9の降雨量自体は過去において観測され、十分予想されるものであるにしても(本件当時の大迫ダムの最大流入量は、一〇〇年に一回程度の発生確率の大迫ダムの計画洪水流量毎秒二三〇〇立方メートルよりも小さい。)、その初期累増の速さにおいては看過し得ない超異常性があつたのである。すなわち、本件豪雨の累計雨量が異常性を示し始めた時点(八月一日午前一時)では、気象官署の大雨雷雨注意報の内容からみても、弱くなつても当然と考えられるにもかかわらず、現実には、それ以後もなおそれ以上に強く降り続いたのであつて、極めて特異な集中豪雨であり、また、その異常さは一万年に一回程度の割合でしか発生し得ないほどのものであつたと推定できるのである。

ウ 発生確率の検討で考慮した初期損失

降雨があつたからといつて、それがそのまま直ちに河川への流出には結びつかない。それは、雨水が流出し始めるまでには、降雨遮断、窪地貯留、土壤表層の水分増加など、いわゆる表面保留に関する複雑な機構があるからである。

このような降雨初期の出水(流出)に関与しない降雨は初期損失といわれる。そして、初期損失量は流域の地被状態により、また降雨前の土地の湿潤状態によつて著しい相違があるが、普通、山地流域における最大値は二〇ないし四〇ミリメートル程度といわれている。

右イの発生確率を検討するにあたり、日の出岳の累計雨量が最初に一〇ミリメートルを超えた時点の時間雨量を一時間目の累計雨量として起算し、統計処理したが、それは、初期損失量を考慮したからであり、決して恣意に基づくものではない。初期損失量は降雨出水(流出)に深く関係するものであるから、初期損失量を考慮した被告の右検討方法は相当である。

問題は、初期損失量をどの程度考慮するのが妥当であるかである。降雨の初期損失量は前述のとおり諸々の条件により左右されるが、本件豪雨の初期累計雨量の異常性を検討するについては、過去の降雨データのうち、初期の降雨状態が急激であつた記録が検討対象となるのであり、そのような場合、初期損失量もそれだけ小さな値であると考えられることから、右イの検討では一〇ミリメートルと想定したのである。

エ 想定する初期損失量を一ミリメートル減じた場合の発生確率

想定する初期損失量を一ミリメートル減じ、降り始めからの累計雨量が最初に九ミリメートルを超えた時点の時間的雨量を一時間目の累計雨量として起算し、統計処理しても、昭和五七年八月一日午前一時、同日午前二時及び同日午前三時現在の実質累計雨量の各再現期間は、それぞれ約一四〇年から二五〇年に一回程度、約三〇〇〇年から七〇〇〇年に一回程度及び約一一〇〇年から三〇〇〇年に一回程度の発生確率となるのであり、本件豪雨の初期累計雨量の異常性は、右イの検討結果と実質的に異ならない。

(2) 時間雨量の異常性

奈良地方気象台の日の出岳雨量観測所(一部大台ヶ原雨量観測所を含む)における観測データを使用し、各年(毎時雨量は、大正一三年から観測されている。しかし、昭和三〇年から昭和四〇年までの一一年間は、毎時観測ではなく定時観測が行われている。)の最大一時間連続雨量ないし最大六時間連続雨量を整理すると別表10のとおりである。

そうすると、本件豪雨の最大一時間連続雨量八七ミリメートル(八月一日午前一時から午前二時)及び最大二時間連続雨量一七〇ミリメートル(右同日午前〇時から午前二時)は、それぞれ観測記録中第五位に位置するものであり、しかも、いずれも降雨初期に右降雨量を記録しているのであり、ダム管理においては極めて異常なものであつた。

また、建設省大滝ダム工事事務所大台ヶ原雨量観測所が記録した本件降雨の最大一時間連続雨量一一二ミリメートル(八月一日午前〇時から午前一時)は、その観測記録中(昭和四四年からの一四年間)第一位であり、また大迫ダムの大台ヶ原雨量観測所が記録した本件降雨の最大一時間連続雨量一〇七ミリメートル(八月一日午前〇時から午前一時)は、その観測記録中第一位であり、右各観測値を別表10に対応させると、いずれも第二位ないし第三位に相当するものであつて、最大一時間雨量においても本件降雨が異常なものであつたことが明らかである。

ちなみに、別表10の第一位を占める昭和二八年の降雨は、同年九月二五日、襲来した台風一三号の影響によるものであり、紀の川筋の井堰八か所と入之波小学校が流出し、和歌山県関係だけでも、死傷者、行方不明者八〇人をもたらした大災害である。

4 大迫ダム下流域の降雨状況及びその異常性

(一) 大迫ダム下流域の降雨状況

吉野川の最大の支流である高見川の集水域及び大迫ダムから亡塩崎の被災場所の宮滝までのダム下流の吉野川の集水域の降雨状況は別表11及び12のとおりである。

そして、ダム下流の吉野川の降雨による自然増水に重要な影響を及ぼしていると思われる、七月三一日午後一一時三〇分から八月一日午前三時三〇分までの時間帯における右各地点の降雨の経時的累増状況をグラフ化したものが別図9及び10である。

別図9及び10と別図8を対比すれば明らかなように、降雨の累増状況は、その始期は別として、非常に近似しており、ダム集水域の集中豪雨がダム下流域に波及していたのである。

(二) 大迫ダム下流域のその他の状況

(1) 集水面積

前述のとおり、大迫ダムの集水面積は一一四・八平方キロメートルである。それに対し、大迫ダム下流集水域のうち、本件被災場所の最上流地点宮滝大橋までを対象にしても、その集水面積は一七六・一平方キロメートルあり、その間の支流高見川の集水面積一三一・五平方キロメートルを合計すると、大迫ダム集水面積の約二・七倍の広さである。

このことは、大迫ダム下流の集水域の降雨量が大迫ダムの集水域の降雨量の約三分の一程度であつても、宮滝大橋付近の河川の自然出水による流量はダムでの流入量とほぼ同程度であることを意味する。

(2) 集水域の地形

宮滝大橋付近から上流の吉野川集水域は、以下のとおりいずれの地点も、強雨時には急激に出水し得る地形である。

右の集水域はいずれも等高線の密集する急峻な山岳部であり、それを源に大小多数の支流が高見川及び吉野川に流れ込み、河川は典型的な山岳河川の状況を呈している。

(3) 支流の勾配

本件での降雨出水を考えるにあたり、吉野川に流れ込む大小多数の支流の河道長及びその勾配等は、出水の流下速度と関係するため、重要な意味を有する。

高見川の源流部に位置する高見山付近から本沢川の源流部付近に位置する大台ヶ原山付近にかけての、吉野川集水域の東端の分水嶺台高山脈は、大迫ダム集水域の分水嶺である部分(平均標高約一二二〇メートル)より大迫ダム下流集水域の分水嶺である部分(平均標高約一二七〇メートル)の方が高い(別図11参照)。

吉野川集水域の南西端部に分水嶺大峯山脈及び大峯山脈から日の出岳へと続く南端部の分水嶺(大迫ダム集水域の分水嶺でもあり、大普賢岳、伯母ヶ峰、経ヶ峰等を主要峰とする)も、大迫ダム集水域の分水嶺である部分より、大迫ダム下流集水域の分水嶺である部分の方が約四〇メートル高い(別図12参照)。

吉野川の宮滝付近より上流部は、南東方向から北西方向に向かつて貫流しているが、その位置は流域の南西部に偏していることと、右の各分水嶺の標高とを考えると、左岸側から吉野川に流れ込む各支流(伯母谷川、上多古川、下多古川、高原川等)はいずれも急流であることがうかがえる。そして、吉野川の川底の標高は下流に行くほど低くなつているから、支流の急流さの度合は、支流の河道長の点を無視すれば、おおむね下流に位置するものほど大きくなることがうかがえる。

これに対し、大迫ダム集水域内の各支流(北股川、三之公川、本沢川等)は、その位置が吉野川の最上流部の区域であり、前述の分水嶺の標高と川底の標高等の関係からすれば、その急流さの度合は大迫ダムの下流に位置する各支流よりも相対的に小さいことが、推察される。

吉野川に右岸から流れ込む高見川も、その源流部に位置する分水嶺と吉野川の分水嶺との右に述べた概略標高比及び両川の河道長の程度等から、吉野川本流よりはるかに急流をなしていると推察される。

ダム下流で吉野川に右岸から流れ込むその他の支流として、神之谷川、中奥川、井光川等がある。そして、ダム下流の右吉野川支流の集水域とダム集水域が共有する赤倉山から白鬚岳を経て大迫地点に至る分水嶺(中奥川及び神之谷川と北股川についての分水嶺)の平均標高は約一二三〇メートルであり(ただし、一〇〇〇メートル以上の峰をなす部分)、前述の台高山脈よりもやや高い。さらに、川上村と東吉野村の村界である中奥川の他方と井光川についての分水嶺の標高も、中奥川の源流部辺りは一二〇〇ないし一四〇〇メートル程度で台高山脈よりも高く、また、井光川の源流部辺りの右分水嶺の標高は一〇〇〇ないし一三〇〇メートル程度である(以上については、別図13参照。)。

したがつて、神之谷川、中奥川及び井光川等の各支流も、その位置、河道長から急流であると推察される。

(4) まとめ

以上のとおり、大迫ダム下流の集水域は、広大で、急流をなす大小多数の支流が存在するのであり、吉野川は、ダム下流の集水域にも生じた豪雨によつて、本件当日の早い時期から自然増水の生じ得る状況にあつたのである。

(三) 大迫ダム下流域の初期累計雨量増加の異常性

大迫ダム下流の吉野川本流域と高見川流域の各平均累計雨量の状況は、別表13のとおりであり、それをグラフ化したのが別図14及び15である。

ダムから宮滝付近までの吉野川本流域における降雨の状況は、別図14から明らかなように七月三一日夜半ころから激しくなり、八月一日午前一時ころにはほとんどの観測地点で二〇ないし四〇ミリメートル、同日午前二時三〇分ころには四〇ないし八〇ミリメートル程度の累計雨量を記録している。そして、その降雨量は、大迫ダムに近い上流の観測地点ほど多くなつているが、右流域の降雨の累増状況とダム集水域の降雨の累増状況とは、降雨の発生時間やその実量は別として、極めて酷似している。

他方、高見川集水域では、特に高見山で降雨開始後一時間以内の八月一日午前〇時までに四〇ミリメートルの降雨量を記録している。

また、別表13から明らかなとおり、七月三一日夜半ころから激しくなつた降雨は、八月一日午前一時ころには平均累計雨量で二〇ないし三〇ミリメートルとなり、同日午前二時三〇分には四〇ミリメートルを越えている。特に、同日午前一時三〇分から同日午前四時にかけての吉野川本流域の降雨状況は、三〇分ごとに約一〇ミリメートル程度の割合で降雨量が急増している。それに加えて、ダム下流から高見川合流点付近までの吉野川本流域の面積が約一七〇平方キロメートルと広大であることを考えると、降雨の初期出水の段階で、大迫ダム下流域の降雨量が与えた影響がいかに大きなものであるかは、容易に推察される。

以上のとおり、本件当時の大迫ダム下流の吉野川流域の降雨は、特にその初期の累増状況が極めて大きなものであつたのであり、また、その初期の累増の傾向は、大迫ダム集水域での傾向と酷似していたのである。したがつて、大迫ダム集水域における本件豪雨の異常な発生確率に匹敵する異常性を、大迫ダム下流域の降雨も内包していたのである。

(四) 大迫ダム下流域の総降水量の異常性

降雨流出を検討するためには、河川集水域の降水総量を抜きにして考えられない。

七月三一日から八月一日にかけての降雨による大迫ダム集水域、高見川集水域及び大迫ダム下流宮滝大橋地点までの吉野川集水域の各降水総量を算出したものが別図16である。

別図16によれば、大迫ダム集水域の降水総量は、八月一日午前〇時から同日午前三時ころにかけてほぼ同一の増加率で増加している。

これに対し、大迫ダム下流域の降水総量は、八月一日午前〇時ころには、大迫ダム集水域より少なく、その後午前一時三〇分にかけて時間の経過とともにその開差は大きくなつているが、午前一時三〇分を過ぎた頃から一転して増加の傾向を示し、その累増状況は大迫ダム集水域の増加率にほぼ匹敵するものとなつている。さらに、大迫ダム下流域の降水総量は午前四時三〇分過ぎには一段と急激に増加し、その約一〇分後には逆転して大迫ダム集水域の降水総量を大きく上回つてその後も急増している。

特に、本件放流を開始した八月一日午前二時三〇分ころから午前三時ころにかけて、大迫ダム下流集水域の降水総量は急激に増加し、約一時間半程度遅れて、大迫ダム集水域の降水総量とほぼ見合う量を記録しているところから、同日午前二時三〇分ころの下流河川(特に、高見川合流地点付近)の状況は、同日午前一時ころのダム流域の状況と近似した様相を呈していたといえる。

ダム下流域の降水総量の累増状況は、その発生時間の差異はあるものの、その初期段階においては、ダム集水域の降水総量の累増状況に匹敵する(午前五時ころ以降はそれをはるかに上回る)異常さであつたといえるのである。

5 被災場所及び被災者の居住地の降雨状況

(一) 被災場所及び被災者の居住地

各被災者の本件当時の居住地は、奈良県下(亡稲葉及び同森田)と大阪府下(亡塩崎、同大田、同梅田、同奥中、同下岡及び原告門)であり、被災場所は、奈良県南部の吉野町、下市町及び五條市内と和歌山県かつらぎ町である。

(二) 大阪府下の降雨状況

大阪府下の降雨は、八月一日未明から台風一〇号の影響によると考えられる前期降雨が始まり、同日午前三時ころから同日午前四時ころにかけて府下全域で降雨が観測されている。

堺では、八月一日午前三時ころから同日午前五時ころにかけて毎時六ないし三ミリメートルの強さ(三時間平均では毎時約五ミリメートル)の連続降雨があり、岸和田では同日午前二時一〇分から同日午前三時一〇分までの一時間に二〇・五ミリメートルの雷雨性が考えられる強い降雨があり、その最初の一〇分間は一四・〇ミリメートルというバケツをひつくり返したような土砂降りであつた。また、奈良県ないし和歌山県方向に位置する、生駒山や河内長野では同日午前二時ころから同日午前五時ころにかけて毎時八ないし三ミリメートルの強さ(四時間平均では毎時約四ないし五ミリメートル)の連続降雨があつた。

以上のような降雨状況下で、八月一日午前三時、大阪管区気象台は大阪府下一円に対し、大雨雷雨注意報を発令している。そして、これらの注意報はその後次第に強化されて洪水等についての注意報、警報へと発展している。

(三) 奈良県下の降雨状況

奈良県下では、八月一日午前一時ころから、雨量の大小はともかく南部、北部又は山地、平地を問わずほとんど全域で台風の影響と思われる前期降雨が始まつている。

すなわち、気象台当局が今夜半には弱くなると考えていた気象条件にこの頃から大きな変化が生じたものと認められる。

本件の各被災場所に比較的近い奈良地方気象台の地域気象観測所である壺坂(高取町)及び五條(五條市)、奈良県管理の観測所である葛城山(御所市)、高取(高取町)、上市(吉野町)及び五條(五條市)、農林水産省管理の観測所である下渕(大淀町)三茶屋、香束、津風呂ダムサイト(各吉野町)の本件当時の降雨状況は別表14及び15のとおりである。

奈良地方気象台は、本件当時の降雨条件等を踏まえ、七月三一日午後一〇時五〇分に大雨、雷雨注意報を発令し、八月一日午前一時一〇分には大雨、洪水警報と雷雨注意報を発令している。その後大雨については、一時注意報に変更された時期もあるが、洪水警報は八月二日午前九時二〇分まで継続している。

(四) 和歌山県下の降雨状況

和歌山県下では、前期降雨と考えられる降雨は一部の区域を除けばそれほど激しいとは言えないものの、南部では七月三一日午後九時ころから始まつている。しかし、時間の経過とともに北東方向への雨域の移動があり、八月一日午前二時ころまでには、その間一部の地域で途切れているがほとんどの地域で降雨を観測している。

吉野川近傍の雨量観測所である葛城山(那賀町)、かつらぎ(かつらぎ町)、高野山(高野町)、河内長野(河内長野市)及び千早(千早赤坂村)の本件当時の降雨状況は別表16のとおりである。

(五) まとめ

以上のとおり、本件当時の降雨は、地域によつてその量に相当な差異はあるものの、各被災者の居住地域等関係府県を含む広い範囲で発生している。そして、これらの地域を管轄する各気象官署においても、相次いで大雨の注意報又は警報を発令し、一般に対し広く注意を喚起しているとおり、このような悪天候のもとでレジヤーを楽しむことがあろうとは到底認められない状況であつた。

五  予備警戒時までの対応

1 七月三一日までの大迫ダムの状況

昭和五七年六月上旬、大迫ダムは、農業利水のための放流を開始したが、その当時の貯水位は、三九七・七メートルで常時満水位(三九八メートル)に近かつた。

しかし、前述のとおり、六月から七月にかけて空梅雨の状態でダム貯水位が下がり、七月になつてもダム貯水位は回復せず、三八七メートル前後で推移していたため、大迫支所及び下渕支所で渇水対策に苦慮していた。

ところが、七月一〇日過ぎに遅梅雨ともいえる降雨があり、ダム貯水位は三九五メートル前後まで回復した。

ダム貯水池への流入量は、同年七月中旬から下旬にかけての降雨により毎秒二〇ないし三〇立方メートル程度の流入があつたものの、七月三〇日から翌三一日午後一一時までは毎秒一〇立方メートル前後で推移し、顕著な変化はみられなかつた。

2 台風一〇号の動行の監視

昭和五七年七月二四日、台風一〇号が発生したため、大迫支所及び下渕支所では、新聞、テレビ等の気象情報に基づき、その動向を監視するために、気象表示板に台風一〇号の位置、規模、進行方向及び速度等が逐次記入され、国職員及び委託職員は、台風の現況及び今後の予想進路等を周知できた。

特に、同年七月二九日、台風一〇号が大型台風となつた以後は、大迫支所では下渕支所長訴外小西及び水利事業所次長訴外山田とも相互に緊密な連絡をとり、情報の収集とその分析検討を逐次行つていた。

3 七月三一日昼の大迫支所での打ち合わせ

七月三一日(土曜日)の気象状況は、前述のとおり豪雨の兆しはほとんどなく、真夏日そのものであつたが、はるか南方海上を台風が進行中であつたため、台風の影響による万一の降雨等に備え、同日午後〇時一〇分ころ、訴外宮田は大迫支所国職員と委託職員(技術員)とで台風一〇号の動向を含めた気象状況及び今後のダム管理について協議し、翌週八月二日(月曜日)の国職員の出勤時までに、気象状況及び水象状況に変化が生じたときには直ちに委託職員から国職員に連絡することを確認した。

そして、右台風の現在位置、進行方向、速度及び当日の新聞、テレビ(正午前のNHKの情報)の気象情報を総合的に検討し、台風がダム管理に影響するとしても、八月二日以降であろうとの結論となつた。

4 国職員の大迫支所からの退所

七月三一日午後〇時四〇分ころ、国職員は当日の勤務を終え、退所しているが、当時の気象状況からみて、非常時に移行するような兆候は全く認められなかつたのであるから、そのこと自体何ら問責されるところではない。

5 下渕支所での打ち合わせ

訴外宮田は、七月三一日午後二時ころ、下渕支所に赴き、訴外山田と台風等を含めた今後の気象状況及びダム管理体制等について打ち合せを行い、その際、訴外宮田は大迫支所での協議結果を報告し、訴外山田もそれを了承した。

6 七月三一日午後の職員配置

七月三一日午後は、大迫支所及び下渕支所には、国職員は帰宅して不在であつたが、ダム管理要員として、別表17のとおり委託職員がダム管理に当たつていた。

7 雷雨注意報発令と対応

同日午後二時五〇分、前述のとおり、奈良地方気象台は、雷雨注意報を発令し、その内容は略号で下渕支所に連絡された。

右注意報は、下渕支所から直ちに大迫支所管理員訴外瀬戸を経由して、訴外宮田に電話連絡された。

帰宅した訴外宮田は、直ちに大迫支所の訴外瀬戸に電話をして、右注意報の発令時刻とその内容を確認するとともに、同日午後二時現在のダム状況を確認したところ、雨量は、筏場二ミリメートル、その他(栃谷、大台ヶ原、ダムサイト)は〇であり、貯水位、流入量、放流量については、同日午後〇時現在と変化がないということであつた。

そこで、訴外宮田は、訴外瀬戸に対し、既に技術員にも右注意報の内容が連絡済みであることを確認し、退所時と同様ダム状況に変化があれば自宅で待機しているから連絡するように指示した。

8 雷雨注意報解除と対応

同日午後七時二〇分、右7の雷雨注意報は解除された。

右7の指示に基づき、訴外瀬戸は訴外宮田に対し、右解除の連絡をしたが、これを受け、訴外宮田は、同日午後七時現在のダム状況を訴外瀬戸に確認するとともに、雷雨による観測施設等の被害が生じていないことも確認した。

この時点での雨量は、筏場で累計雨量五ミリメートル、その他は依然〇であり、貯水位三九五・一八メートル、流入量、放流量とも昼間と全く変化のない状況であつた。

9 まとめ

以上のとおり、本件において、予備警戒時体制に入るまでの大迫ダムの管理は、気象状況の把握、ダム状況の監視及び要員確保について何ら問責されるところはない。

むしろ前述のとおり七月三一日の日中は真夏日そのものといえる晴天で、梅雨前線、台風とも大迫ダム周辺に何ら豪雨をもたらすような状態にはなかつたにもかかわらず、台風の動向を含めて今後の気象状況に十分配慮し、ダム状況も絶えず監視していたのであり、十分なダム管理がなされていたのである。

六  予備警戒時の対応

1 予備警戒時の概念及び訴外宮田の理解

操作規程によれば、「予備警戒時」とは、「前条の予報区(ダムに係る直接集水域の全部又は、一部を含む予報区)を対象として風雨注意報又は大雨注意報が行なわれ、その他洪水が発生するおそれがあると認められるに至つた時から、洪水警戒時に至るまで又は、洪水警戒時に至ることがなくこれらの注意報が解除され、若しくは切り替えられ、その他洪水が発生するおそれがないと認められるに至るまでの間をいう」と規定されている(操作規程六条)。

「洪水(貯水池への流入量が毎秒三五〇立方メートル以上。操作規程四条。)が発生するおそれがある」と認められるか否かについては、具体的な数値に基づく判断はなく、個々の場合ごとに、過去の降雨や流出の実績を踏まえその時々の降雨等の気象状況、流入量等の水象状況等により判断する以外にないのが実情であるが、過去の降雨出水の実績をみても、大迫ダム集水域において総雨量一〇〇ミリメートル程度の場合には、ダム貯水池への最大流入量が毎秒一〇〇立方メートルを超えたことはほとんどなかつたのであり、また、奈良県南部において大雨注意報が発令される基準は、一時間雨量三〇ミリメートル、総雨量一〇〇ミリメートル、三時間雨量五〇ミリメートル、総雨量一五〇ミリメートルであること及び七月三一日午後一〇時五〇分発令の大雨雷雨注意報による予想降雨量が「今後の雨量は三〇ないし五〇ミリメートル。所により(局地的に)七〇ないし一〇〇ミリメートル。今夜半過ぎには弱くなる」というものであつたことに照らせば、大雨注意報が発令されたからといつて、必ずしも洪水が発生するおそれがあるとはいえない。

したがつて、本件当時、訴外宮田が操作規程六条について、大雨注意報が発令されても、必ずしも「洪水が発生するおそれがある」とは認められない場合もあると理解していたことは正当である。

原告らは、訴外宮田の操作規程の解釈について、理解不足であると非難する。

しかし、訴外宮田の、降雨流出という自然現象と対峙して日々のダム管理を行なう現場責任者としての操作規程五条、六条に関する解釈は、その趣旨において理解し得るのであり、本件当時も、右のとおりその判断は的確であつて、本件ダム管理の対応が遅れたわけではなく何ら問責されるところはない。すなわち、訴外宮田は、八月一日午前一時現在のダム状況により洪水警戒時に入つたが、それは、操作規程五条所定の「その他洪水が発生するおそれが大きい」と判断したのであり、また、操作規程六条所定の注意報が発令されても(洪水発生の抽象的なおそれは認められるにしても)ダム管理の上で当時のダム状況に照らし具体的に影響を受けるような洪水発生のおそれが認められない場合もあり得ると判断していたのである。

そして、注意報が発令されて、予備警戒時体制に入つても洪水時に至らず、非常時体制が解除されることが多いという現実をみれば、訴外宮田以下ダム管理者の右判断の相当性を理解し得よう。

2 本件における予備警戒時

大迫ダムでは、奈良地方気象台が七月三一日午後一〇時五〇分発令した大雨雷雨注意報の連絡を、同気象台から下渕支所を経由して受けると、直ちに予備警戒時体制に入つたが、それ以前の段階においては、操作規程六条に規定する予備警戒時の各状況は、一切認められない。

したがつて、本件における予備警戒時は、右大雨雷雨注意報が発令されたときからである。

3 国職員招集までの対応

(一) 大迫支所及び訴外宮田の対応

(1) 注意報及びダム状況の連絡並びに対応措置の指示

前述のとおり、七月三一日午後一〇時五〇分、奈良地方気象台は、奈良県南部に前記四2(二)の大雨雷雨注意報を発令した。そして、奈良地方気象台から下渕支所に、略号で右注意報の内容が連絡され、それが直ちに下渕支所から大迫支所に連絡された。

右注意報が発令された旨及びその内容は、同日午後一一時一五分ころ訴外瀬戸から直ちに訴外宮田に電話連絡された。

それを受けた訴外宮田は、直ちに、技術員に対し、出水記録の作成、計器機器の点検整備、予備発電機の試運転及びダム提体内部の監査廊の排水ポンプの点検等を指示し、管理員に対し、大迫ダム庁舎内外の保安及び外部からの連絡受理等に特に注意することを指示し、準備のうえ直ちに大迫ダムに向かうことを連絡した。

同時に、訴外宮田は、訴外瀬戸から、同日午後一一時現在のダム状況を確認し、右内容をメモした。それによれば、雨量は時間雨量で大台ヶ原・三一ミリメートル(累計雨量三七ミリメートル)、筏場・四ミリメートル(累計雨量一二ミリメートル)、栃谷・三ミリメートル(累計雨量も同値)及びダムサイト・一・五ミリメートル(累計雨量も同値)であり、貯水位は三九五・一七メートルで若干下がつているもののほとんど変化がなく、流入量(毎秒九・九立方メートル)、放流量(毎秒九・九立方メートル)ともに昼間とほとんど変化がなかつた。ちなみに、流入量は同日午後七時に毎秒七・一立方メートル、午後八時及び午後九時に毎秒九・九立方メートル、午後一〇時に毎秒七・一立方メートルと推移している。

以上の連絡と確認を終えたのが同日午後一一時三〇分ころであつた。

(2) 委託職員による指示の履践

大迫支所委託職員は、訴外宮田の右(1)の指示を履践し、その異常のないことを確認した。

(3) 訴外宮田の出動準備及び訴外土井(政)への連絡

大迫ダムでは、予備警戒時等緊急体制に入つた場合は、前記三2(三)(2)のとおり、順次出動体制により対応していたが、訴外宮田は、まず一班(班長訴外宮田及び訴外土井(政))が出動し、状況によつては二班(班長訴外雑賀及び訴外生駒)の出動によりダム管理要員を強化することを考え、出動準備の傍ら、訴外土井(政)に出動のために連絡をとつたが不在であつた。

訴外土井(政)は、当日滋賀県の実家にいたが、七月三一日退所時に緊急な用事があり、滋賀県の実家に帰ることになるかもしれない旨の報告を訴外宮田にしており、全く連絡のつかない状態ではなかつたが、訴外宮田は、距離的に本件緊急時の出動班員に組み入れることは困難であると判断した。

(4) 八月一日午前〇時のダム状況の連絡

訴外宮田が、出動準備を終え、一人で出動しようと考えていた矢先に、大迫支所技術員訴外土井(盛)から前記打合せに従い八月一日午前〇時現在のダム状況の電話報告があつた。

右報告の内容は、筏場、栃谷でも雨が強くなり(大台ヶ原・時間雨量四六ミリメートル、累計雨量八三ミリメートル、筏場・時間雨量五一ミリメートル、累計雨量六三ミリメートル、栃谷・時間雨量五九ミリメートル、累計雨量六二ミリメートル、ダムサイト・時間雨量一二・五ミリメートル、累計雨量一四ミリメートル)、貯水位三九五・二一メートル(七月三一日午後一一時より四センチメートル上昇)及び流入量毎秒二一・二立方メートル(七月三一日午後一一時より毎秒一一・三立方メートル増加)というものであつた。

(5) 大迫支所国職員全員出動決定及び下渕支所国職員招集要請

右(4)のダム状況の報告を受けた訴外宮田は、その状況から判断して、洪水吐ゲートからの放流をすることになるかも知れないと考え、大迫支所国職員の全員出動を決定し、大迫支所委託職員に対し、右国職員に直ちに下渕支所に集合するように電話連絡することを指示し、情報観測時間が大迫支所委託職員によつて三〇分ごとの間隔に短縮されていることを確認した。

そして、訴外宮田は、洪水吐ゲートからの放流があるかもしれない状況にかんがみ、下渕支所長訴外小西に対し、八月一日午前〇時のダム状況を説明し、下渕支所国職員の招集を要請し、自らは、同日午前〇時一五分ころ車で自宅を出発した。

(二) 下渕支所及び訴外小西の対応

(1) 注意報及びダム状況の連絡並びに自宅待機

下渕支所管理員訴外白草は、七月三一日午後一〇時五〇分発令の大雨雷雨注意報の連絡を略号で受理すると直ちに、大迫支所及び津風呂支所にその旨連絡し、それと同時に、下渕支所長訴外小西に対しても、略号を訳文したうえで同日午後一一時五分ころ右注意報の内容を正確に電話連絡した。

訴外小西は、訴外白草に同日午後一一時現在の大迫ダムの状況を確認したところ、「大迫ダムについては降雨がない。ダム状況については昼間と変化がない」との報告であつた。これは訴外白草が、電話連絡等に忙殺され、午後一〇時現在のダム状況を誤つて伝えたものである。

右通報を受けた訴外小西は、大迫支所が大雨雷雨注意報の発令により予備警戒時体制に入つていることから、自宅待機することとし、訴外白草に対し、その旨伝えるとともに何らかの変化が生じたときには連絡することを同人に指示した。

右注意報の通報は、訴外白草から下渕支所国職員訴外東嶋に対してもなされ、同人も自宅待機に入つた。

同日午後一一時一五分ころ、訴外小西は、水利事業所次長訴外山田に対し、右注意報の内容及びダム状況を連絡し、訴外山田も自宅待機に入つた。

(2) 下渕支所国職員招集要請及び招集決定

八月一日午前〇時一〇分ころ、訴外小西は訴外宮田から、洪水吐ゲートからの放流があるかもしれないので、それに備えて下渕支所国職員を招集するよう要請された。その際、訴外小西には訴外宮田から、午前〇時現在のダム状況の正確な情報を連絡された。

右要請を受けた訴外小西は、訴外山田と連絡協議したうえ、下渕支所国職員の招集を決定し、必要と思われる人員に対し自ら招集のための連絡をした後、自らも自宅を出発した。

4 国職員招集後の対応

(一) 午前〇時三〇分過ぎの時点での訴外宮田の流入量予測

訴外宮田は、八月一日午前〇時四二分ころ下渕支所に到着し、直ちに、大迫支所との電話連絡で、同日午前〇時三〇分現在の情報を確認したところ、雨量は三〇分間雨量(同日午前〇時から午前〇時三〇分まで)で、大台ヶ原五八ミリメートル(累計雨量一四一ミリメートル)、筏場二五ミリメートル(累計雨量八八ミリメートル)、栃谷三四ミリメートル(累計雨量九六ミリメートル)及びダムサイト五・五ミリメートル(累計雨量一九・五ミリメートル)であり、貯水位は三九五・四三メートル(午前〇時より二二センチメートル上昇)、流入量は毎秒一三四・二立方メートル(午前〇時より毎秒一一三立方メートル増加)であつた。

そして、訴外宮田は、流入量の予測に備えて、メモ書きした大迫ダムの七月三一日午後一一時、八月一日午前〇時及び同日午前〇時三〇分の四か所の雨量の平均累計雨量の算出等データ整理をし、ハイドログラフとあわせて降雨量変化のグラフの作成に着手した。

ハイドログラフとは、図上に、流入量の経時的変化を線グラフで表示するものである。大迫ダムでは緊急体制に入つた場合、流入量予測等のダム管理に資するためハイドログラフとあわせて降雨量(平均累計雨量と平均時間雨量)の変化を示すグラフを常に作成していた。そして、降雨出水のうち最大流入量が毎秒一〇〇立方メートル以上を記録したものについては、出水後その都度改めてハイドログラフその他を整理作成していた。そして、整理したハイドログラフ等は、大迫支所のほか下渕支所においても保管されていた。

現在の降雨流出と過去に発生した多くの降雨流出と対比して、そのいずれかと現在の降雨流出とが良く近似しているとすれば、それら過去のデータは今後の流入状況を具体的に示唆する重要な資料となり得るのであり、大迫ダムにおける洪水(流入量)予測は、直接過去のデータに依拠する方法によつていた。

訴外宮田は、右の流入量予測の方法に基づき、過去の降雨流出のデータを頭に思い浮かべ、即座に現在の降雨流出が昭和五五年一〇月一四日発生の降雨流出のデータと近似しているのではないかと思い立ち、これに基づいて流入量予測を行つた。

訴外宮田は、昭和五五年一〇月一四日のハイドログラフを複写し、その図上で右データの午後〇時三〇分を本件の七月三一日午後一一時に合わせて、七月三一日午後一一時、八月一日午前〇時及び〇時三〇分の概算出の各平均累計雨量と右各時点の流入量をプロツトし、各点を直線で結び、今後の最大流入量及びその発生時刻を予測した。この結果を再現すれば別図17のとおりである。

昭和五五年一〇月一四日は、午前一一時から午後二時までの三時間で約七五ミリメートル(降り始めからの五時間では約八五ミリメートル)の累計雨量を観測(流域内四か所の観測所の単純平均値)、午後二時(時間雨量のピーク時)現在の流入量は毎秒九二・四立方メートルであつたが、降雨のほうはその後次第に弱くなり、一方、流入はその一時間後の午後三時に最大となり、その量は毎秒二一五・八立方メートルを示している。

訴外宮田は、八月一日午前〇時三〇分以前の約三時間の累計雨量は、約八五ないし八六ミリメートル(流域内四か所の観測所の単純平均値)程度であり、現在流入量も毎秒一三四・二立方メートルである等昭和五五年の状況と近似していること、今夜半過ぎには降雨は弱くなる旨の注意報の内容から、降雨は午前〇時三〇分過ぎには徐々に弱くなると判断したことなどから、流入のピークは一時間後(午前一時三〇分ころ)と推測し、その量は、右参考とした実績の最大流入量を上回るとしても降雨、流入等の推移から、多くても毎秒三〇〇立方メートルであろうと予想した。

(二) 午前〇時三〇分過ぎの時点での訴外宮田の放流についての判断

午前〇時三〇分の大迫ダムの貯水位は、三九五・四三メートルで、常時満水位までには水位で二・五七メートルで、空虚容量で二、七一一、〇〇〇立方メートルであり、仮に今後右(一)で予測した最大量(毎秒三〇〇立方メートル)の流入が継続したとしても、常時満水位に達するまでには、二時間三〇分を要する状況にあつた。

そのため訴外宮田は、関係機関等に対する通知に要する時間を考え、放流開始は八月一日午前三時ころであると判断した。

(三) 下渕支所への国職員集合

訴外宮田が右のデータ整理及び予測作業をなしているうちに、午前〇時五〇分ころには、招集の指令を受けた国職員全員が下渕支所に集まつた。

このとき集合した者は、水利事業所次長訴外山田、下渕支所長訴外小西、係長訴外東嶋、係長訴外村山、事務官訴外川越、事務官訴外安川、大迫支所係長訴外雑賀、技官訴外生駒、津風呂支所長訴外嶌田及び大迫支所長訴外宮田である。

(四) ダム管理についての打ち合わせ

訴外宮田は、国職員集合後直ちに、訴外雑賀、訴外山田及び訴外小西らを交えて、今後のダム管理について打ち合せに入つた。

訴外宮田は、八月一日午前〇時三〇分までのダム状況の推移を説明したうえ、前記ハイドログラフに基づいて予測した今後の流入量の変化と放流開始時期と放流量の検討結果を報告し、全員の了承を得た。そして、関係機関等の通知先及び警報区間の分担と警報内容について確認、決定し、午前一時少し前に打ち合せを終えた。

5 予備警戒時の義務等について

(一) はじめに

大迫ダム操作規程一九条の「予備警戒時」とは、ある特定の瞬間を指すものではなく、時間的に相当の幅を有する概念であることは、同規程六条からも明らかである。また、操作規程一九条の措置を予備警戒時に講ずることは義務であるが、ここで、「直ちに」、「速やかに」等の言葉が使用されていないのは、降雨流出という自然を相手にするダム管理の特殊性のためである。すなわち、洪水の発生は、予備警戒時の段階で既にその必然性を判定し得るものではなく、洪水警戒時(操作規程五条)を迎えて洪水発生の必然性が高まり、さらにこの期間を終えて初めて洪水が発生するという時間的、段階的流れを経過するものであり、その遅速はあるにせよ、この流れを無視することは許されないからである。

したがつて、右の各現象の発生する遅速も含めて、右の現象把握がダム管理者に委ねられており、操作規程一九条はこのような流れに沿つて予備警戒時という時間的幅を有する特定の期間内に果たすべき義務を明示しているのである。

原告らは、大迫ダム管理者には、予備警戒時、洪水警戒時及び洪水時の時間的・段階的流れを的確に予測する能力がないのであるから、予備警戒時において、最悪の場合の「洪水」に備えて、直ちに、少なくとも洪水吐ゲートの操作も直接なし得るだけの国職員を配備し、その他予備警戒時の諸措置をとるべき義務がある旨主張する。

しかし、予備警戒時においてとるべき措置の内容によつては、右に述べた時間的・段階的流れの経過に従つて強化されていくことも操作規程は当然予定している。

例えば、操作規程一九条一号所定の「要員の確保」も、予備警戒時に突入したからといつて、その時の、ダム状況によつては直ちにすべての国職員を配備するまでの必要は認められず、洪水警戒時に至つて全員の出動という場合もあり得る。洪水警戒時においても、「洪水時において、ダム及び貯水池を適切に管理することができる要員確保」しなければならないと規定されているのは(操作規程二〇条本文)、右のような場合を想定してのことであり、予備警戒時にすべての国職員を配備すべきであるとすれば、同規程二〇条から同規程一九条一号は除くべきである。そして、これが「順次出動体制」の法的根拠である。予備警戒時ないし洪水警戒時において、どの程度の規模でダム管理要員を配備するかは、ダム管理主任技術者がその時々のダム状況から判断し決定する裁量判断である。

(二) ダム管理要員確保義務について

七月三一日午後には、ダム地点には委託職員三名が非常時に備えて配置されており、午後一〇時五〇分、奈良地方気象台発令の大雨雷雨注意報に接するとともに予備警戒時体制の勤務についている。

訴外宮田は、奈良地方気象台発令の大雨雷雨注意報に接するや直ちに警戒時体制に入り、右注意報の詳細、現在のダム状況等を把握するとともに、委託職員に操作規程一九条二号に掲げる措置(機器の点検及び自らの施設によるダム状況の監視)を行わせている。さらに、訴外宮田は、自からその時点までに把握し得た気象状況を念頭におき、ダム状況の監視を行つている。

右時点において、国職員は直ちに出動等の行動に出なかつたが、右要員により所要の措置が実施中でもあり、また、気象状況、ダム状況等の変化を勘案しながら体制を順次強化して行くというのが実態(順次出動体制)なのであり、本件豪雨は何人もその段階で予測し得なかつたのである。

前述のとおり、訴外宮田は、翌八月一日午前〇時に至つて、洪水にはならないが洪水吐からの放流があるかもしれないと予想し、これに備えて国職員の招集を開始したのであつて、右時点における国職員の招集開始が遅きに失したとのそしりを受けるいわれはない。

なお、以上の判断は、訴外宮田及び総合管理システムの責任者である訴外山田らの一致した見解であつた。

(三) 設備、機械器具等の点検、整備義務について

設備、機械器具等の点検及び整備に関する操作規程一九条二号所定の義務はすべて履践されている。

伯母谷水位観測所については、前記三3(五)(2)のとおり水位観測施設そのものが存在しなかつたのであり、問責されるべきものではない。

(四) 七月三一日午後一一時の大台ヶ原時間雨量の連絡について

原告らは、訴外宮田が、七月三一日午後一一時一五分ころ、訴外瀬戸から大雨雷雨注意報発令の連絡を受けた際、訴外瀬戸が訴外宮田に対し、同日午後一一時の大台ヶ原の時間雨量三一ミリメートルを「〇」と誤つて報告したため、それがその後の対応の遅れを生む一因となつた旨主張する。

しかし、訴外宮田は、前記六3(一)(1)のとおり訴外瀬戸から、大台ヶ原の右時間雨量も含め同日午後一一時現在の正確なダム状況の報告を受けているのであり、原告主張のような事実はない。

もつとも、下渕支所管理員訴外白草は、下渕支所長訴外小西に対し、右注意報の連絡をした際、同日午後一〇時現在のダム状況を記憶のまま降雨なしと誤つて報告したが、右時点での訴外小西の誤つた認識も、その後訴外宮田から下渕支所国職員の招集を要請された際に是正されている。訴外小西が、いつたん、大台ヶ原の雨量について誤認していたからといつて、それによつてダムの対応が遅れたとはいえない。

なお、大迫ダム管理員が、七月三一日午後一一時までの大台ヶ原の時間雨量を降雨なしと報告したように受け取れる文書(後記文書<2>)が存在するが、以下のとおり、これは、原告らの主張を裏付けるものではない。

近畿農政局(水利課)は、昭和五七年八月三日河川管理者である近畿地方建設局(河川部)から八月一日の大迫ダムの管理状況の概要報告を求められ、水利課長訴外古倉は、口頭(電話)で説明し、右報告に基づき、近畿地方建設局はメモ(以下「文書<1>」という。)を作成した。

近畿農政局建設部水利課長補佐訴外中村は、同年八月九日、近畿地方建設局に赴いた際、文書<1>の写しを取り寄せ、その内容についてさらに口頭で補足、訂正を行うとともに、この補足、訂正の内容を備忘のため別にメモする(以下「文書<2>」という。)とともに、さらに文書<1>の写しにも付記した(以下「文書<3>」という。)。

その後、訴外中村は、文書<2>の末尾に、さらに大迫ダムテレタイプ監視記録の内容等から推測した事項をコメントとして付記した。

訴外中村は、同年八月一一日ころ、農林水産省構造改善局水利課あてに、右の文書<2>及び文書<3>を送付したが、その際これらとともに、文書<3>を説明する文書(以下「文書<4>」という。)を作成して送付した。

文書<2>では、大迫ダム管理員が七月三一日午後一一時一五分、訴外宮田に連絡をした際、同日午後一一時の大台ヶ原の時間雨量を「降雨なし」と報告したと受け取れるかのような記載になつていることは事実であるが、右メモは訴外中村が本件事故直後の混乱の中で作成したものであり、当事者から十分当日の事情を聴取・確認のうえで作成したものでない。このことは、文書<2>のコメントで、「……と思われる」とか「……と思われるが実際は定かでない」と表現してあり、さらに文書<4>で、「今後修正も有り得る」と留保していることからも裏付けられる。

(五) 七月三一日午後一一時三〇分の観測義務について

原告らは、大迫ダムにおいて七月三一日午後一一時三〇分の情報が欠如していた点を問題とする。

しかし、午後一一時三〇分現在の降雨状況が把握できたとしても、これによつてそれ以降の大量の降雨がより早く確認できるわけではない。

自記紙の記録から右時刻の値を読みとると別表18のとおりである。

右値程度の降雨は過去にも何度となく発生しており、それらの時の降雨流出状況と比較してみれば明らかなように、右午後一一時三〇分の情報により本件当日のその後の行動が当時よりもより早い対応となつた可能性は皆無である。

すなわち、当時の大迫ダムの貯水位は三九五・一七メートルであり、常時満水位の三九八・〇メートルまでの空虚容量は二九七万六〇〇〇立方メートルである。常時満水位に達するまでの時間を当時の気象台予報による最大の総雨量一〇〇ミリメートルを想定して考えると、過去の流入実績からはピーク時でも毎秒一〇〇立方メートルを越えることはほとんどないが、安全を考慮してピーク時の流入量毎秒一〇〇立方メートルがそのまま継続して流入すると仮定しても、八時間三〇分が必要である。

そして、累計雨量は、特別に大きな値を示す大台ヶ原ですら六〇ミリメートルで、流域全体の単純平均は三一・五ミリメートルであるから、むしろ、当時の灌漑用利水ダムにとつては恵みの雨であつた。

さらに、前述のとおり、降雨があつても、それがそのまま流出に結び付くわけではなく、一般に山地流域では、降雨初期の二〇ないし四〇ミリメートルの雨量は流出せず、地中に保留される。

以上のとおり、降雨の初期段階で、降雨の総量が最も多いところで一〇〇ミリメートル程度と具体的な将来予測が現に示されている場合に、右の午後一一時三〇分の状況からすれば、緊急事態(本件豪雨の異常性)を予測することは到底不可能である。

(六) 気象官署の気象観測成果の収集義務について

奈良地方気象台の気象観測の成果については、それがダム管理にとつて真に有益な情報である場合には、これを迅速にダム管理者に提供するよう同気象台に依頼してあつたのであつて、単に気象情報を待つていたのではない。

現に、七月三一日午後一〇時五〇分発令の大雨雷雨注意報及び翌八月一日午前一時一〇分発令(切替)の大雨洪水警報及び雷雨注意報がそれぞれ略号により迅速に下渕支所に通報され、下渕支所の委託職員は、これを的確に収集して、直ちに関係ダムに略号で通知している。

午後一〇時五〇分発令の右注意報の内容は、前記四2(二)のとおりであるが、これは、ダム管理にとつて今後の対応を判断するために必要な気象官署の情報として、十分な具体的内容を備えたものであり、予備警戒時における情報としては十分なものである。すなわち、「所により」又は「局地的に」という言葉は、当時の気圧配置等からはその地域を特定できないからであり、また、広範な地域ではなくある限られた地域を指していることは明らかであるが、大迫ダム集水域は山岳地帯であるから奈良県南部の中でも降雨は多いと考える必要があり、十分安全をみて集水域全体(一一四・八平方キロメートル)を考えて対応することが望ましいことを意味し、また「今夜半過ぎ」とは、普通午前〇時半ころから一時ころまでを指しているのであつて、降雨の継続は今後二時間前後と認められ、それ以後は弱くなるということを意味しているのである。

なお、大迫ダムでは、同日午前二時以降、四か所の雨量観測所中一か所(大台ヶ原)が落雷により欠測しているが、他の三か所(栃谷、筏場、ダムサイト)は正常であるうえ、右時点でのダム管理にとつては、貯水位の変動状況を確認しつつゲート操作を行う段階にあるため、流入量が最重要情報となつており、流入量の把握が正常であれば、雨量計一か所の欠測はそれ以降のダム管理に特段の支障を与えることはない。そして、当時、流入量は正常に観測、把握されておりダム管理上の支障は生じていないが、念のため建設省大滝ダム工事事務所の観測記録を収集すべく架電し、一時間ごとに(二山目以降の出水に対して)これを得て参考に供している。

また、宮川村及び日の出岳の観測成果を収集しなかつたのは、既に大雨洪水警報により、今後の予想降雨量等を具体的情報として入手済みであつたこと及び前述のとおりこれを収集したとしても、その時点で、具体的に利用する術がなかつたからである。

(七) 奈良県知事等への通報義務について

原告らは、本件当時、被告は、河川法四六条に基づく通報を全くしなかつた旨主張する。

しかし、河川法四六条一項の規定に基づく河川管理者及び関係各県知事への通報(操作規程一九条四号)は、同法四八条の通知とあわせて行つているのである。

河川法四六条に規定する通報の目的は、河道外災害が発生し得る場合に備えて、あらかじめ河川管理者及び関係各県知事に対して周知させることにあり、したがつて、操作規程一九条四号、別表第1の摘要欄によれば、右河道外災害の発生し得る放流流量として毎秒三五〇立方メートル以上の場合にのみ、その通報の実施を規定している。

八月一日午前〇時三〇分までのデータに基づき、訴外宮田は、流入量を最大でも毎秒三〇〇立方メートル程度と予測したのであり、右摘要欄の流量を放流することはその時点では考えられなかつたのであるから、右通報を実施しなかつたのである。そして、午前一時の流入量データを入手した時点で、訴外宮田は、洪水発生が確実であるとの予測に基づき洪水警戒時体制に入り、直ちに河川法四六条の通報を実施することを考えていたのであるが、後述のとおり、史上稀なる極めて急激な異常出水の出現によつて本件当時の対応に追われ、結局河川法四八条の通知とあわせて実施したのである。

そして、右通報を決定したときには、既に緊急事態であつたため、通報の内容は同法施行令二七条に規定する事項のすべてにはわたつていないものの、緊急の放流であることが分かるよう配慮し、同規程別表第一に定められたところによつて実施している。

したがつて、原告らの予備警戒時に河川法四六条の通報が実施されていなかつたとの非難は失当である。

七  洪水警戒時の対応

1 八月一日午前一時過ぎの対応

(一) 午前一時過ぎの時点での訴外宮田の流入量予測

前記六4(四)の打ち合わせを終えた直後、八月一日午前一時のダム状況が下渕支所操作室のグラフイツクパネルに伝送表示された。同日午前〇時からの一時間雨量(()内は同日午前〇時三〇分からの三〇分間雨量。)は、大台ヶ原一〇七ミリメートル(四九ミリメートル)、筏場五八ミリメートル(三三ミリメートル)、栃谷六〇ミリメートル(二六ミリメートル)及びダムサイト(この分はグラフイツクパネルには表示されない。)一九・五ミリメートル(一四ミリメートル)、貯水池への流入量は毎秒二三六・三立方メートル、貯水池は三九六・〇一メートルであつた。

右情報に接した訴外宮田は、直ちに午前一時の平均累計雨量と流入量を、昭和五五年一〇月一四日のハイドログラフの午後二時三〇分時点にプロツトし、午前〇時三〇分時点の平均累計雨量及び流入量の各点とをそれぞれ直線で結び、今後の流入量予測資料とした。この結果を再現すれば別図18のとおりである。

右ハイドログラフに基づいて、訴外宮田は、午前一時三〇分過ぎには、貯水池への流入量が毎秒三五〇立方メートルに達することはほぼ間違いないと判断した。

八月一日午前一時までの累計雨量は、大台ヶ原一九〇ミリメートル、筏場一二一ミリメートル、栃谷一二二ミリメートル、ダムサイト三三・五ミリメートルであり、七月三一日午後一〇時五〇分発令の大雨雷雨注意報の内容(前記四2(二))に反し、降雨が弱まる様子はほとんどなかつたのである。

(二) 洪水警戒時体制への移行

訴外宮田は、右(一)の予測に基づき、操作規程五条所定の各警報はいまだ発令されていないけれども、「洪水の発生するおそれが大きい」と考え、洪水警戒時体制に入つた。

訴外宮田は、ダム状況の急激な変化に対応するため、大迫支所委託職員に対し、雨量、流入量、貯水位及び水位の各観測時間を三〇分間隔から一五分間隔に短縮すること及びホロージエツトバルブの開度の増幅を二・五パーセントから五パーセント引き上げることをそれぞれ指示し、これを実施させた。

訴外宮田は、洪水流量に達する時期も遠くはないであろうことは確かであるとしても、ゲート放流の量等通知の内容を決定するについては、このような急激な気象状況の下では、今一歩確実な情報を得たうえで判断する必要があり、気象台の予報を上回る降雨量であるにもかかわらずいまだ警報等が発令されていない状況にかんがみ、その予報のとおり今夜半には弱くなる可能性も十分残つており、あと一五分待つことによつて自らの施設による最新情報も入手することができ、この間の変化を見極めることで、より確実な通知、通報がなし得ると考えた。

通報にあたつて、最も新しい情報に基づいて行うべきことは当然であり、しかも、本件では、気象台の情報と大迫ダムの状況とがあまりに違つていたため特にその必要があつたのであり、さらにこの時点では、ダム貯水池の空虚容量等から午前三時ころ放流という当初の予定を変更する必要がなかつたことから、午前一時一五分まで待つ時間的余裕があると判断したのであつて、この判断は相当である。

(三) 大迫支所国職員の大迫ダムへの出発

訴外宮田は、午前一時一五分の最新情報を車中の無線で下渕支所から入手することにして、大迫支所国職員の訴外雑賀及び訴外生駒の二名とともに、午前一時一五分ころ、警報車と広報車に分乗して下渕支所を出発し、大迫支所に向かつた。

(四) 大雨洪水警報の発令

午前一時一〇分、奈良地方気象台から大雨洪水警報が発令(切替え)されたが、下渕支所国職員は、直ちにこれを訴外宮田に伝達している。

2 本件における洪水警戒時

(一) 本件における洪水警戒時

操作規程五条に規定する「洪水警戒時」は、本件においては八月一日午前一時からである。

(二) 午前〇時三〇分から洪水警戒時となるのではない理由

原告らは、本件における洪水警戒時を遅くとも八月一日午前〇時三〇分である旨主張する。

しかし、八月一日午前〇時三〇分の時点では、操作規程五条に定める各警報は発令されておらず、これが発令されたのは同日午前一時一〇分であるから、この間には現況判断によつて対応すべきこととなるところ、大迫ダムにおいて毎秒一三四・二立方メートルの流入量を観測した午前〇時三〇分現在の累計雨量は、栃谷九六ミリメートル、筏場八八ミリメートル、大台ヶ原一四一ミリメートルダムサイト一九・五ミリメートルであり、当時発令中の注意報の主旨(今後の雨量は三〇ないし五〇ミリメートル、所により(局地的に)七〇ないし一〇〇ミリメートル、短時間の強い雨に注意、今夜半過ぎには弱くなる。)のとおり、今夜半過ぎである右時点において所によつて、一〇〇ミリメートル程度の強い雨が発生していた。そして、八月一日午前〇時現在の降雨状況は、大台ヶ原の日の出岳で七月三一日午後一一時までの一時間雨量が五四ミリメートルであつたのに対し、八月一日午前〇時までの一時間雨量は三三ミリメートルと弱まつている反面、高見山、上北山においては強く降り出しており、強雨域が分散していることが認められる。

また、現実の警報は、午前一時一〇分になつて発令されている。

したがつて、午前〇時三〇分の時点では、奈良地方気象台でも、高見山と上北山とのほぼ中間に位置する大迫ダム集水域の今後の雨量や、今後どの地域に雷雨が発生し、かつどのように継続するかを具体的に予測し得たかは、極めて疑問である。なぜなら、現状では、右のような局地時な気象現象を事前に知り得る術は全くなく、気象台関係者といえども集中豪雨をもたらす気象現象の全貌を把握することはその局地性ゆえに極めて困難なことだからである。

以上の状況を前提とする限り、午前〇時三〇分の時点で、操作規程四条で定義された洪水の発生は考えられず、したがつて、この時点においては、洪水が発生するおそれが大きいと認められる状況には至つておらず、依然として、操作規程六条に定める予備警戒時にあつたのである。

(三) 午前一時からが洪水警戒時である理由

洪水の発生等流入量の予測については、単に現在発生している流入量の推移をみるのみでは足らず、降雨量等をも考慮する必要がある。

八月一日午前一時現在のダムの状況は、流入量が毎秒二三六・三立方メートル(下渕支所のグラフイツクパネルに表示されたもの。大迫ダム出水記録では毎秒二七六・七立方メートル。)であつて、いまだ洪水と定義された流量には達してはいない。

しかし、降雨は、気象台の予報に反して夜半以降も激しく降り続いており、累計雨量も栃谷一二二ミリメートル、筏場一二一ミリメートル、大台ヶ原一九〇ミリメートル、ダムサイト三三・五ミリメートルという急激な集中豪雨となり、大台ヶ原で予報の最大値の二倍近い値を示し、筏場、栃谷においても予報の最大値を大きく越えており、このようなことは本件ダム管理開始以降の気象台予報において全くなかつたことであつた。

しかも、これ以前一時間の降雨量は前述のとおり大きな値を示しておりこれらの点を総合判断すると、過去に右のような降雨にたいする流出実績データがないとはいえ、明らかに洪水発生のおそれが大きいものと認められたのである。

3 操作規程二〇条一九条(一ないし五号)の義務について原告らは、被告の操作規程二〇条違反を主張する。

しかし、予備警戒時においてとるべき諸措置について、前記六5のとおり何ら問責されるべき点はないのであるから、予備警戒時における義務違反を前提として操作規程二〇条違反をいう原告らの非難は失当である。

また、原告らは、八月一日午前一時過ぎに放流開始前の通知をしていないことについて、同時点で訴外宮田ら大迫ダム関係者が何ら放流開始の通知について思い至らなかつたからである旨主張する。

しかし、本件当日、下渕支所に集合した国職員は、八月一日午前〇時五〇分ころからの協議の際、通知の分担についても再確認しており、放流に際して、あらかじめ関係機関に通知しなければならないことを十分念頭に置いていたのである。

ただし、午前一時の時点では、洪水となることは間違いないこと及びそのおよその時間は予測できたものの、ダム貯水池の空虚容量等から、午前三時ころ放流という当初の予定を変更する必要がなかつたため、右の時点で直ちに通知を開始しなかつたにすぎない。

4 貯水池への流入量予測について

(一) 流入量予測の困難性

流入量予測とは、ダム地点の流量の推移を基礎として、降雨量の推移等にも着目した今後の流入量を判断する行為を指す。

流入量予測は、ダム集水域の降雨量の推移と密接不可分の関係にあり、具体的に流入量を予測するためには降雨量をも予測しなければならない。しかし、降雨量の推移を予測することは、実際のところその時々の気象状況によつては極めて困難なことである。

ダム管理のための流入量予測においては、ダム集水域に設置する雨量観測所のデータも貴重な資料となり得るが、急激な降雨であればあるほど今後の降雨量の推移がより重要となり、今後の降雨の予測については、気象台から得られる気象情報が唯一絶対の情報であるので、これを重要な判断基準として、それに依拠しているのが実情である。

もつとも、気象台の気象情報は、予報どおりの結果をもたらさないことがあり得るとしても、それは結果としてみればそういえることにすぎず、それに代わり得るものもないのであつて、ダム管理においても全く同様である。

突如として発生する雷雨についての降雨パターン及び降雨分布等の予測は、いまだそれを個々のダムにおける具体的な流入量予測に実用し得るほどには解明し尽されていないのであり、いわゆる集中豪雨と言われるものの予警報は、気象台関係者といえども格段の困難性がある。それに加えて、降雨の初期損失あるいは降雨の流出時間等はその集水域の複雑な地勢とも相まつて、流入量予測の困難性は降雨が初期段階であればあるほど大きい。

(二) 訴外宮田の流入量予測の相当性

(1) 直接過去のデータに依拠する方法について

大迫ダムにおける流入量予測は、直接過去のデータに依拠する方法をとつている。

これは、現在の降雨流出と過去に発生した多くの降雨流出とを対比してみて、そのいずれかと現在の降雨流出が良く近似しているとすれば、それら過去のデータは今後の流入状況を具体的に示唆する重要な資料となり得るからである。

そして、過去のデータに基づくかのような判断行為そのものが流入量予測の一方法でもある。

右の流入量予測方法は、ダム管理要員が過去の降雨流出の状況を整理したハイドログラフ等によつて、その特性を日常検討したうえで、ダム管理の実用に供するのであり、洪水警戒時等の緊急時において複雑なデータ整理を伴うことなく、短時間においてその所期の目的を達し得るものであり、妥当な方法であつた。

他に流入量予測方法として、学問的に提唱されているものもあるが、いずれも過去のデータに依拠してあらかじめ検証しておくものであり、その信頼度は降雨予測の点は格別として過去のデータの特異さや豊富さに左右されるため、ダム管理の実用に供するには日々のデータの蓄積により整備改善を図つているのが現状であつて、このような点をも考慮して大迫ダムでは、前述の方法に依拠していたのである。

(2) 平均累計雨量について

大迫ダムの流入量予測に用いるハイドログラフでは、時間雨量及び累計雨量ともにダム集水域の四か所の雨量観測所の単純(算術)平均値でデータ整理がなされている。

ダム管理においては、ダム集水域全体に降つた雨量(面積雨量)が重要であるが、一般的に右面積雨量を直接測ることはできないため、雨量観測所の各地点雨量から面積雨量を推定するのであり、その方法として、単純平均法、テイーセン法、等雨量線法、雨量・高度法、平均面積高度法が唱えられている。後二者はいずれも長期間の面積雨量の推定に適した方法であり、また、等雨量線法は、雨量の変化が著しい場合には個人誤差が生ずる欠点や降雨ごとに等雨量線図を描く手数を要することから、ダム管理における、特に流入量予測のために供する降雨データとしては、単純平均法ないしテイーセン法に依拠している。ダム管理で右の簡便な方法が用いられているのは、雨量観測所設置の際、その配置が簡便な平均雨量の算出方法を念頭に置いて定められていることにもよるが、即時に結果が得られるというダム管理にとり最大の利便さがあるためである。

大迫ダムでは単純平均法を用いているが、昭和四九年から同五七年までの本件を含む主な出水(二二件)時の降雨について、単純平均法とテイーセン法により算出された流域平均雨量はほぼ同程度の値となり、単純平均法による算出値がやや多目の値となる。

よつて、本件当日訴外宮田がダム集水域の四か所の雨量観測所の雨量の単純平均値を以て、流入量予測をしたことには何ら問題はない。

(3) 降雨の初期損失について

本件当時訴外宮田は、降雨と流入との関係を検討する場合に、大迫ダムでは、雨の降り始めから四か所の雨量観測所の平均累計雨量が一〇ミリメートル程度までは流入量の増加にほとんど変化がないことから、変化累計雨量が一〇ミリメートル程度になつた時点を降雨の実質的降り始めと考えていた。

前記四3(三)(1)ウのとおり、普通の山地流域の場合、初期損失量は二〇ないし四〇ミリメートル程度であつて大迫ダム流域においてもおおむね右の値のとおりであるから、訴外宮田の右判断は、右実際の状況からすればむしろ控え目に考慮していたともいえる。

(4) 「大台ヶ原累計雨量一ミリメートル増加につき流入量毎秒一トン増加」の経験則引継ぎについて

訴外宮田は、前任者から、大雨の場合は例外として、通常の場合(大台ヶ原で累計雨量一〇〇ミリメートル程度まで)大台ヶ原の雨量一ミリメートルがダム流入量として毎秒一立方メートル(一トン)に相当する旨の引継ぎを受けていた。

流入量予測は、その時点のダム状況等のみから判断し得るものではなく、過去に発生した多数の降雨流出の状況を、ハイドログラフ及び出水記録等を利用して日々行なわれている比較検討の結果をも踏まえてなされるが、右引継事項も右比較検討の結果の一つである。

なお、右比較検討に際しては、降雨流出の初期の特性がダム管理における初期の対応を決定するにあたり重要な判断要素となることから、降雨流出の初期特性については特に入念な検討がなされている。

右引継事項は、以下のとおり妥当なものである。

別図19の1は、大迫ダムの貯留を開始した昭和四九年から昭和五七年までの降雨流出のうち、大迫ダムの四か所の雨量観測所の総雨量の平均が一一〇ミリメートル以下の中小降雨で最大流入量が毎秒二〇立方メートル以上を記録したものを出水記録から抽出し、総雨量と最大流入量の関係を出水記録から整理し、さらに両者の関係をより明瞭な指標によつて明らかにしたものである(個々の降雨に整理番号を付した。)。

同図の「Y=X0」によつて表わされる直線は、平均累計雨量一ミリメートルにつき毎秒一立方メートルの流入量増加の関係を表わす指標となるものである。そして、ほとんどの降雨流出の最大流入量がこの直線の下方に位置している。

また、同図で最大流入量をプロツトした各点は、その降雨の開始時において既に発生していた流入量(以下、仮に「基底流入量」という。)を含むものであり、その降雨による純粋の増加流入量は右最大流入量から基底流入量を控除する必要がある。そこで、右基底流入量が毎秒一〇立方メートルと毎秒二〇立方メートルの場合を考えると、同図で「Y=X0」の直線の位置をそれぞれ「Y=X0+一〇」、「Y=X0+二〇」の直線の位置まで平行移動して眺めるのと同じような結果となる。そして、基底流入量は、本件当時は毎秒約一〇立方メートルであり、また、同図作成のデータである中小降雨時には毎秒二ないし二〇立方メートル程度であり、基底流入量を考慮すれば、さらに右引継事項の妥当性が補強される。

別図19の2は、大台ヶ原のみの総雨量と最大流入量との関係を、別図19の1作成のデータについて明らかにしたものである(個々の降雨の整理番号は別図19の1と同じものを付した。)。

別図19の2で累計雨量一ミリメートルにつき毎秒一立方メートルの流入量増加の関係を表わしたのが「Y=X」の直線であり、右直線より左上方にプロツトされた一四個の各点は一ミリメートルにつき毎秒一立方メートル以上の流入量となつていることを表わし、右下方にプロツトされた四四個の各点は一ミリメートルにつき毎秒一立方メートル以内の流入量となつていることを表している。同図の流入量は基底流入量を含み、増加流入量ではないから、これを増加流入量としてプロツトしたならば、その左上方にプロツトされた各点はその多くが、右下方に移動するであろうことは、別図19の1と同様である。

以上のとおり、右引継事項が、平均累計雨量についても大台ヶ原の累計雨量についても一応の目安として妥当なものであつたことは明らかであるが、雨量一ミリメートルにつき流入量が毎秒一立方メートル増加するとの指標を上回る降雨流出の原因について若干言及する。

別図19の1で、整理番号4、17及び56の出水は、その降雨量に比較して最大流入量は大きなものとなつている。

別図19の2で、右指標を上回る降雨流出は、右整理番号4、17及び56を含み一四件にのぼる。右一四件の降雨に係る出水時の状況を更に詳しく検討するため、右一四件の降雨出水を抜粋し、再整理したものが別表18の2である。同表をみると、整理番号4、17及び56のいずれの出水も直前の降雨出水による多量の基底流入量(整理番号4…毎秒二〇立方メートル。整理番号17…毎秒一一・九立方メートル。整理番号56…毎秒一七・〇立方メートル。)の寄与するところの大きいことがわかる。整理番号56の降雨は、その約一二時間前に整理番号55の降雨(最大流入量毎秒五三・七立方メートル)が終了したばかりであり、整理番号17の降雨はその約一四時間前に降雨が終了した整理番号16の降雨出水(最大流入量毎秒三七・六立方メートル)の、整理番号4の降雨はその三日前に降雨が終了した整理番号3の降雨出水(最大流入量毎秒九五・七立方メートル)の、それぞれ影響を受けたことは容易に推測される。

そして、同表で、平均雨量によつて一ミリメートルにつき毎秒一立方メートルの増加を指標とした場合、最大流入量が、この指標をも上回るものは算術平均雨量の欄に※印を付した八件(整理番号3、4、17、39、40、44、55及び56)のうち明らかに基底流量の影響が大きいと認められるものが五件あり(整理番号4、17、39、55及び56)、その影響を無視できないと思われるものも二、三件はある。そして、右八件の他の六件は大台ヶ原観測所以外の区域に降雨が偏つたためと考えられ、その偏りの状況は同表右方に降雨分布の特性として示したとおりである。ただし、整理番号55の出水(最大流入量毎秒五三・七立方メートル)は、大台ヶ原等上流に降雨が偏つているため、流入量増加に対しては、相反する現象となるが、短時間の強い降雨パターン(大台ヶ原降雨一二時三〇分からの一時間で三八ミリメートル、栃谷降雨一三時からの一時間で二九ミリメートル)となつている。しかし、増加流入量(毎秒四二・四立方メートル)について見れば大台ヶ原雨量(四七ミリメートル)に対し、その指標を下回つている。

(5) まとめ

前記六4(一)及び七―(一)の流入量予測は結果的には外れたが、その時点での流入量予測としてはむしろ的確になされたものである。

訴外宮田の流入量予測が相当であつたか否か、そしてそれが問責されるものかどうかは、当該時点において、その状況判断が適切であつたかどうかが検討されるべきものであり、全てが判明した結果のみから直ちに流入量予測の相当性を議論することはできない。

流入量予測がはずれた原因は、気象台すら予測し得なかつた本件豪雨の異常さによるものであり、前記四3(三)(1)のとおり午前一時現在の累計雨量に現れた急激な降雨量の増加の状況は人智を越えた異常なものであつた。気象台も午前一時現在の強い降雨状況にかんがみ、午前一時一〇分大雨洪水警報を発令したのが実情であり、それ自体むしろ適切に発令されたとさえいえるのである。

また、仮に「神」のごとくその後に生起した流入量を的確に予測できたとしても、その場合の放流は、本件放流の態様とそれほどの差異はなかつたのであるから、訴外宮田らの右流入量予測を致命的な誤りであると論難することは極めて不当である。

(三) 午前〇時三〇分過ぎの時点での洪水予測の不可能

(1) 午前〇時三〇分過ぎの時点での洪水予測の不可能

原告らは、八月一日午前〇時には、洪水警戒時に入つており、午前〇時三〇分には、その時点までのデータから洪水予測は可能であつた旨主張する。

しかし、前記七2のとおり、本件における洪水警戒時は八月一日午前一時からであり、八月一日午前〇時の時点又は同日午前〇時三〇分の時点で、洪水発生の恐れが大きいとは認められず、洪水を予測することは不可能であつた。

(2) 原告らの流入量予測について

ア ダム集水域への降雨量及び貯水池への流入量の推移からの予測について

原告らは、各地点における降雨はそのまま直ちにダムに流入するものではなく、その間に一ないし二時間の時間のずれが存在するので、八月一日午前〇時から午前〇時三〇分までの流入量の増大(毎秒一一三立法メートル)は、少なくとも一時間前後前の時間帯(実質的な降り始めの時期)の降雨に対応するほんの序の口程度のものであり、しかも同日午前〇時時点で、栃谷、筏場及び大台ヶ原では相当の降雨があり、午前〇時三〇分時点では、栃谷、筏場の降雨状況には改善の兆しがみえず、大台ヶ原の雨量は脅威的数値を示しているのであり、その時点で今後の降雨が下火になると仮定しても、右の各時点の降雨がダムに流入するのは今後一ないし二時間後であるから、さらに流入量も急激な増加が見込まれる旨主張する。

この点につき検討するに、まず、ダム集水域内の降雨がダム湖に流入してくる時間のずれ(これを通常「タイムラグ」という。)は、地表に落下した地点地点(例えば、山中、河川内、ダム湖内等及びダム湖からの距離等)によつて様々であつて一律に取り扱える問題ではない。もつともこれまでの経験から、大台ヶ原の降雨についてみれば、通常の降雨出水の場合、一ないし二時間程度と推定されるが、それは大雨の場合には該当しないのであり、右の一ないし二時間後という推定も大台ヶ原に降雨が片寄つた場合の推定であり、正確に測定した結果ではなく、また、正確に測定し得るほど単純なものでもない。

そして、右タイムラグが、ある時期に流域全体に平均した状態で認められることがあり、その具体的な例が、その降雨のピーク時と流入のピーク時の発生時点のズレである。そして、このズレもまた、降雨パターン、降雨分布等に左右される。

したがつて、これらの複雑な問題は個々の観測地点地点の降雨ごとにその都度取り扱うことは実際問題として不可能であり、むしろ、本件大迫ダム流域程度の流域であれば、これを総合して流域全体の平均としてみるのがより現実的、かつ、合理的であるから、大迫ダムでは、流域雨量をもつて降雨流出を判断する場合の指標としていたのである。そして、過去の降雨流出データがすべてこのような観点に立つて整理保存されていた。

よつて、降雨と流入のタイムラグのみをとらえて一律に降雨流出を論じること自体無意味なことである。まして、降雨ピークと流出のピークの関係でもなく、初期損失量にも影響する降雨初期の時点と現在の流出とを対応させるなどという原告らの主張は、右のタイムラグの内容(降り終わつた降雨が混然となつている。)を理解していないだけでなく、全くの誤りである。

さらに、原告らの主張に沿つて検討してみても、七月三一日午後一一時及び午後一一時三〇分時点の雨量(平均累計雨量はそれぞれ約一一・八ミリメートル、三一・五ミリメートル)程度では、過去の最大流入量は、多くて毎秒三〇ないし五五立方メートル程度が記録されたにすぎず、毎秒一三四・二立方メートルの流入量を記録することは考えられない。

したがつて、八月一日午前〇時三〇分の流入量毎秒一三四・二立方メートルの流量は、一律に降り始めのころの降雨に対応するものとはいえず、単純にこれを対応させようとする原告らの右主張は基本的に誤つている。

そうすると、原告らが指摘する前記流入量の増加は、本件降雨の累計雨量の急激な増加によつて、その降雨流出が地表面(斜面)においても河道内においても急速に加速されていつたことに起因するものと考えるのがごく自然である。

イ 「大台ヶ原累計雨量一ミリメートル増加につき流入量毎秒一トン増加」の経験則類推による洪水予測について

原告らの流入量予測の算定について

前記七4(二)(4)のとおり訴外宮田は、前任者から、大台ヶ原累計雨量一ミリメートルにつき増加流入量毎秒一立方メートル(一トン)との引継ぎを受け、その引継事項はダム管理の上でおおよその目安として妥当する。

しかるに、原告らは、右引継事項を使用した上で、独自の手法により、八月一日午前〇時及び同日午前〇時三〇分の各時点の降雨から数量を算定し、それらがそれぞれ約一時間後の実際の流入量数値にほぼ対応する旨主張する。

しかし、原告らの右算定手法は、右引継事項の趣旨を曲解してなされており、その前提において失当である。

すなわち、右引継事項は、大台ヶ原のみならず、他の集水域においても降雨が発生している場合を前提としており、また、平均累計雨量一〇〇ミリメートル程度では最大流入量毎秒一〇〇立方メートルを超えることは過去においてほとんどなかつたのである。

原告らの算定手法は、大台ヶ原雨量以外に、筏場、ダムサイトの雨量を重複して使用し算出しているために、極めて不当な数値になつたのであり、明らかに誤つている。

(四) 八月一日午前一時の流入量数値の出水記録と下渕支所データの差異について

(1) 出水記録及び下渕支所データの流入量算定方法

大迫ダム出水記録の流入量は、操作規程八条三項に「流入量は、これを算定すべき時を含む一定の時間における貯水池の貯水量の増分と当該一定時間における貯水池からの延べ放流量との合算量を当該一定の時間で除して算定する」と規程するとおり、観測時間帯における一秒あたりの平均流入量である。そして、大迫ダムでは、右値を操作規程八条三項、四項の基づき、右観測時間帯の終期の時点の値として、ダム管理のための運用に供しており、他のダムにおいても同様である。

他方、下渕支所の流入量データは、ダム貯水池の増分量の観測時間帯の一秒当たりの平均量に、ダム下流に設置された水位計の水位から、前記H~Q曲線に基づいて算出される瞬間流量を合算したものである。

(2) 流入量数値の差異の理由

本件当時、訴外宮田が流入量予測に用いた下渕支所のグラフイツクパネルに表示された八月一日午前一時のダム流入量は、毎秒二三六・三立方メートルであり、大迫ダムにおいて記録された右時点の流入量は毎秒二七六・七立方メートルであつて、異なつている。

右両数値が相違する理由は、大迫ダムの右データは八月一日午前〇時三〇分から同一時までの三〇分間の平均流入量であり、下渕支所の右データは、同日午前〇時から午前一時までの一時間の平均流入量であり、両所において、放流量算定方法の差異はあるものの、その当時洪水吐ゲートからの放流はなされていないことを勘案すると(ただし、ダム下流域の降雨流出のダム下流水位計に与えた影響は無視し得ない。)、その差異が観測時間の長短によることは否定できない。

(3) 本件の諸対応との無関係

前記七1の(一)及び(二)のとおり訴外宮田は、八月一日午前一時現在の下渕支所の流入量データ(毎秒二三六・三立方メートル)に接すると、直ちに洪水流量の発生は間違いないと的確に判断して洪水警戒体制に入つた。

訴外宮田らが、下渕支所の流入量データに接して、洪水警戒時体制に入らなかつたのであれば、非難もされようが、同日午前一時の降雨データも踏まえて、前記奈良地方気象台の注意報の予報に反して異常な事態が発生した緊急状況の下で、訴外宮田以下ダム管理者は適切にその後の対応に当たつたのであるから、流入量数値の差異は本件諸対応と無関係である。

八  洪水時の本件放流

1 国職員の大迫ダム到着までの対応

(一) 大迫支所及び訴外宮田の対応

(1) 午前一時一五分のダム状況の確認

八月一日午前一時一五分過ぎ、訴外宮田は、大迫ダムへ向う車中の無線で下渕支所と交信し、同日午前一時一五分現在の大迫ダムの状況を確認したところ、流入量は洪水流量を超えて毎秒五三四・五立方メートルであり、貯水位は、三九六・三五メートルであつた。

右の際、訴外宮田は、あわせて、午前一時一〇分発令の大雨警報の内容も確認した。

(2) 関係機関への放流通知の指示及び大迫支所からの通知の実施

訴外宮田は、午前一時一五分のダム状況確認後直ちに、想像を絶する異常かつ急激な流入状況からみて、そのまま推移すれば午前三時ころには洪水吐からの放流は避けられないものと判断し、直ちに関係機関への通知を実施するように指示し、訴外小西と協議して、通知内容を、ダム集水域に集中豪雨が発生し、ダム流入量の激増により間もなく緊急放流を行う旨、すなわち、緊急事態が生じていることを通知先に理解してもらえるものにすることを決定した。

右協議に基づき、訴外小西は、直ちに大迫支所に電話連絡して、関係機関への通知を直ちに実施することの指示を伝え、通知の内容も右趣旨に沿つた「こちら大迫ダムです。ここ一~二時間の間にダムの上流にあたる大台ヶ原にて雨が急に多く降り、時間雨量が一〇〇ミリメートルをこえ、ダムへの流入量も毎秒何百トン単位で入つているので、ダムの水を相当な量、流入量に見合う量をもうしばらくすると放流しますので、よろしくお願いします。」というものに決め、大迫支所技術員は大迫支所分担の関係機関へ右の内容を通知した。

(3) 川上村役場の野外スピーカー利用の警告の依頼と拒絶

午前一時三〇分ころ、訴外宮田は、川上村役場にある放送用の野外スピーカーを利用して、入川者に対し警告放送をしてもらうことを考え、下渕支所を通じて大迫支所にその依頼を指示した。

しかし、川上村は、真夜中でもあり、このような時間に川に行く人はいない等の理由で、右依頼を拒絶し、その旨の連絡が大迫支所から下渕支所になされた。

そのため、川上村役場の野外スピーカーを利用した警告はなされなかつた。

(4) 午前一時四五分のダム状況及び大迫支所からの通知完了等の確認

訴外宮田は、大迫ダムに向かう途中でもダム状況の確認をして監視しており、午前一時三〇分のダム状況は無線の交信状態が悪く大迫支所からも下渕支所からも確認できなかつたが、午前一時四五分のダム状況は大迫支所との直接の交信により確認した。

また、点検を指示してあつた警報装置に異常がなく、関係機関への通知も完了したことを確認した。

(二) 下渕支所の対応

(1) 訴外小西の業務分担の指示

本件当日、招集を受けて下渕支所には同支所の国職員六名と管理員一名がいたが、午前一時ころ、訴外小西は、自ら関係機関への通知業務等の対外的折衝を分担することとし、下渕支所分担の警報関係を訴外、東嶋、同安川及び同川越に、また、大迫ダム、津風呂ダム、及び、下渕頭首工のデータ整理の業務を訴外村上に、それぞれ指示した。

(2) 訴外小西の行動

訴外小西は、午前一時一五分の大迫ダムの状況の無線による訴外宮田への連絡、関係機関への通知開始の決定とその通知内容の協議、右協議を受けての大迫支所への連絡と具体的な通知内容の決定、大迫支所からの大迫支所分担の通知先である大滝ダム工事事務所に連絡がつかないため当該通知を下渕支所から行うことの依頼、前述の川上村の放送用野外スピーカーを利用した警告放送についての訴外宮田及び大迫支所との連絡等種々の連絡に忙殺されていた。

訴外小西が分担した関係機関への通知については、右のような事情に加えて、深夜であることから、最初に連絡がついたのが、午前一時四〇分(大淀町役場)であつた。

(3) 訴外村上の行動

訴外村上は、七月三一日午後一〇時又は同日午後一一時以降の、大迫ダム、津風呂ダム及び下渕頭首工の雨量、貯水位及び流入量等のデータを一覧表に整理し、八月一日午前一時一五分以後の各データも大迫支所及び津風呂支所に問い合わせて逐一整理していた。

右データ整理は、訴外小西が関係機関への通知の際に具体的な問合わせ等にも臨機に解答し得るためのものであり(過去に行つた通知に際しては必ず具体的な問合わせが行われていた。)、訴外村上は観測時間ごとの整理の都度右データ記録をコピーして、訴外小西及び同山田に配布し、ダム状況の周知を図つていた。

(4) 訴外東嶋の行動

訴外東嶋は、午前一時前の訴外宮田を中心とする今後の対応についての打合わせに加わり、午前一時過ぎ洪水警戒時体制に移行したことを知ると、直ちに一階の予備発電機の点検を行ない異常がないことを確認した。その後、訴外小西から、訴外川越と二人で下渕支所から中井川合流地点までの区間の警報活動を行うこと及びその警告放送の内容の指示を受けた。

訴外東嶋は、下渕頭首工の操作を訴外村上に託して訴外川越とともに午前一時五〇分ごろ、下渕支所を警報活動のために出発したが、それまでの間にも下渕頭首工関係機器の点検をしたり奈良地方気象台から大雨洪水警報に更新(切替)された旨の連絡を下渕支所管理員が受けると、訴外山田の指示により、訴外宮田らに伝達したり、警報車等の点検準備をし、下渕頭首工の取水ゲートの操作(午前〇時四九分毎秒五立方メートル、午前一時一八分毎秒四立方メートル、午前一時四一分毎秒三立方メートル、にそれぞれ取水量を減量。)を管理員に指示したり、自らも行つたりしていた。

(5) 訴外安川の行動

訴外安川は、訴外小西から警報活動の業務分担の指示を受けて、警報車及び警報関係用器具の準備、点検を行い、午前一時五〇分ころ、警報活動のために下渕支所を出発した。

(6) 訴外白草の行動

訴外白草は、庁内の保守、見回りに従事していた。

(7) 訴外山田の行動

訴外山田は、全体の統括責任者の立場から、本件緊急時における下渕支所職員の各業務を指揮監督していた。

(三) まとめ

以上のとおり、大迫支所においても下渕支所においても、国職員及び委託職員は、ダムの状況が急激に変化する状況下で、それぞれの分担業務を誠実、かつ、臨機応変に対応していたのである。

2 国職員の大迫ダム到着後の対応

(一) 国職員の大迫ダム到着

訴外宮田以下大迫支所国職員は、八月一日午前二時五分ころ大迫支所に到着した。

(二) 午前二時の大迫ダムの状況

大迫ダムでは、午前二時には貯水位は常時満水位(三九八・〇〇メートル)まで四センチメートルと迫り、流入量も毎秒六五二・三立方メートルと依然急増傾向にあつた。

貯水位は、午前一時の時点(三九五・九〇メートル)から二メートル余りの上昇であり、一五分後の午前二時一五分には、計画洪水位(三九八・五〇メートル)すら突破した。

(三) 警報装置による警告及び警報車による警報の指示

訴外宮田は、直ちに出水記録により、午前二時現在のダム状況を確認するとともに、国職員と委託職員を集めて、業務分担を再確認し、警告装置による警告と警報車による警報を直ちに実施することを指示した。

洪水放流開始を午前三時ころと考えていた訴外宮田は、関係機関への通知は既に指示、実施済みであるから、大迫支所到着後直ちに警報装置による警告及び警報車による警報を指示、実施すれば、十分操作規程一四条の内容を充足し得るものと考えていたのである。

(四) 午前二時二〇分の大迫ダムの状況

大迫ダムでは、午前二時二〇分には、洪水吐ゲートの上端(三九八・六五メートル)から越流が始まり、二〇分間に六九センチメートルと、貯水位の上昇速度は加速を強めていた。

前述のとおり、訴外宮田は、午前三時ころには洪水放流の開始が必要と考えていたのであるが、その後、大迫ダム到着後の急激な水位上昇速度からすれば、午前三時ころには貯水位がダム堤頂(四〇〇・五メートル)を越えて越流する危険な事態すら予想された。

(五) 放流開始時刻の操上決定

右(四)のとおり、貯水位の急上昇からすれば貯水位がダム堤頂(四〇〇・五メートル)を越え、ダム堤頂からの越流により流水の国道その他への氾濫(舗装された急勾配の国道路面は流路としても最高の条件を有し、通行人・通行車両、近隣人家等に対する危険は図り知れないものがある。)、貯水池外、河道外の急斜面の高速流下等異常、かつ、危険極まりない事態の発生も予想された。

右異常事態の発生を予想した訴外宮田は、ダム堤頂からの越流だけは絶対に防止しなければならないと判断し、警報装置による警告の後、洪水放流開始との間に操作規程一四条二項一号所定の三〇分の経過を持つていては、ダム堤頂からの越流を避けることは困難と考えられたので、既に通知、警報、警告が開始されている状況にかんがみ、八月一日午前二時三〇分からの洪水放流開始を決定した。こうして同時刻からの洪水放流を徐々に開始した。

3 本件放流について

(一) 洪水吐ゲートからの放流と操作規程

(1) 洪水吐ゲートから放流できる場合

洪水吐ゲートから放流することができる場合には、操作規程二一条一号に基づく場合、常時満水位を超えないために必要とする場合(操作規程九条)、ダムその他貯水池内の施設又は工作物の点検又は、整備のために必要とする場合及びその他やむを得ない必要がある場合等がある(操作規程一〇条二号、三号、四号、五号)。

(2) 操作規程二一条一号について

操作規程二一条一号イ、ロ、ハ、ニの放流の仕方はすべて明確であり、規定として十分である。

大迫ダムは操作規程三条二号ホにいう常時満水位(三九八・〇〇メートル)から同号へにいう最低水位(三五一・〇〇メートル)の間でその容量(すなわち、貯留のときは空虚容量が、利水放流のときは貯留していた水量)が利用されるため、貯水位は洪水時を除き絶えずこの間で変動している。

操作規程二一条一号ロにいう「イに規定する操作を行うことができない間」とは、本件当日のように突然として洪水時が始まつたような時に、操作規程所定の関係機関に対する通知(操作規程一三条)ないし、警報装置による警告(操作規程一四条二項一号)が履践されていないために洪水放流が全くできない場合や既に洪水吐ゲートからの放流を実施中に、洪水時に突入したものの、洪水吐ゲートの開閉の方法等により流入量に相当する量の放流が直ちにできない状態を意味する。この場合には、ホロージエツト・バルブを全開するとともに、洪水吐ゲートからは、下流の水位に必要最小限度において急激な変動を生じないように、徐々に放流量を増加しながらできるだけ早く、流入量にすり合せられるように洪水吐ゲートを操作するのである。

なお、一般的には、次の各場合も、操作規程二一条一号イの操作ができない場合として考えられる。

洪水吐ゲート放流に際しては、洪水吐ゲートの敷高である三九〇・〇〇メートル以上の貯水位が主として利用され、あわせて放流管バルブも利用される。したがつて、右敷高以下の貯水位では洪水(操作規程四条)流量以上の流水が流入している場合でも、ダムの構造上洪水吐ゲートからの放流を行うことはできず、この場合は流水量のうち放流できない流入水を貯留しなければならないこととなる(ダム構造上の理由による場合)。

しかし、右敷高以上の貯水位で洪水流量以上の流水が流入している場合でも、それによつて常時満水位をこえる恐れが認められないときは、利水ダムの性格上この有効な水資源を無効にしないために同規定に従い貯留することがある。

(3) 操作規程一一条について

操作規程一〇条二号、四号及び五号に基づく放流の場合は、原則として下流の水位の急激な変動を生じないように、操作規程別図第二の限度カーブに従つて放流しなければならない(操作規程一一条本文)。

操作規程一一条別図第二は、下流の水位の急激な変動を生じさせないための放流量の限度を示すものである。

河川法四八条の「ダムを操作することによつて流水の状況に著しい変化が生ずると認められる場合」とは、ダムの操作によつて放流された流水が下流の河川の水位を急激にしかも相当に上昇させる場合を指す。この水位変動の限界については、三〇分間に三〇ないし五〇センチメートル程度の水位上昇速度が基準とされており、右水位上昇速度の基準は、河道内での人的災害等、危害防止のための同条の措置が必要か否かを判断するための指標とされている。

右のとおり、別図第二は、放流に際し河川法四八条の措置を要しないと認められる増量の仕方を右の基準とされる指標に準拠して算定し、これを毎秒の「流量」で示しているのであつて、放流の増加率を示しているものではない。

操作規程一〇条三号に基づく放流(すなわち、操作規程二一条一号による洪水放流)の場合は、「下流の水位の急激な変動を生じないため、必要最小限度において、その急激な変動を生じないようにしてすること」との訓示的制約はあるものの、右のような具体的な制約はない。むしろ、洪水放流では、放流量の決定は、操作規程一〇条三号の趣旨の範囲内においてある程度の裁量権限がダム管理責任者に与えられているのである。

そして、操作規程一〇条二号、四号、五号に基づく放流においても、流入量が急激に増加しているときは、操作規程別図第二の限度カーブの制約から解放され、当該流入量の増加率の範囲内で放流量を増加することができる(同規程一一条ただし書)。

(4) 操作規程一二条について

原告らは、操作規程一二条を下流の水位の急激な変動を防止するための措置と考えているようであるが、同規程自体に右主張の趣旨が含まれていることは否定し得ないものの、同規程はこれとともに機械装置の保護・監視と流水の河道中央への誘導を目的としているものである。

すなわち、大迫ダムの計画洪水流量は、毎秒二三〇〇立方メートル(操作規程三条一号へ)であり、これを全部で五門あるゲートにより均等に放流するとすれば、一門当たりの放流量は毎秒四六〇立方メートルとなるので(これは、大迫ダムの洪水流量毎秒三五〇立方メートル(操作規程四条)を大きく上回る量である。)、普通の降雨出水の場合、単に一門のみの操作だけでも十分放流できるのである。それにもかかわらず、洪水吐ゲートを操作する場合はできるだけ多数のゲートを使用する規程となつているのは、機械装置をできるだけ均等に働かせ、その負担と稼働条件をできるだけ同じにし、五門すべての稼働状況を日頃から監視し、大洪水に際してもすべてのゲート装置が円滑に作動することを狙いとしているのである。したがつて、このような意図を実現するためには、その一回の開閉量を制限する必要があり、これを〇・五メートルと規定しているのである。また、開閉の順序を規定しているのは水流が常に河川の中央部にむかつてできるだけ均等に流れるように配慮しているのである。

そして、操作規程一〇条各号のいずれの放流であつても、流入量が急激に増加している場合において、常時満水位を守るためにやむを得ないと認められるときは、操作規程一二条三項所定の洪水吐ゲートの開閉の制限(一回五〇センチメートル)もないのである(操作規程一二条三項但書)。

(二) 放流開始時期について

原告らは、別図3の折れ線Aによれば、八月一日〇時五〇分頃、また大迫ダムテレタイプ監視記録及び出水記録によれば同日午前一時五分ころには洪水時になつており、その際のダム外水位は三九六メートル前後であり、右時点までの各測定地点における降雨量及び貯水池への流入量の増加状況から、遠からず常時満水位をこえることが容易に予測できたのであるから、操作規程二一条一号に定めるところにしたがい、ただちに、しかるべく放流を開始する義務があつた旨主張する。

右時点において、洪水吐ゲートから放流するためには、少なくともその一時間前である八月一日午前〇時ころには関係機関への通知を終えていなければならず(操作規程一三条一項)、その通知に要する時間を考慮すれば、仮に、これを三〇分以内になし得るとみなしても、七月三一日午後一一時三〇分ごろには、関係機関への通知を開始しなければならない。

ところが、七月三一日午後一一時三〇分のダム状況は、いまだ予備警戒時にある。すなわち、右時点で記録されたと推定される雨量は、流域全体の単純平均累計雨量で三一・五ミリメートルであり、この程度の降雨は過去にも何度となく発生したごくありふれた普通の降雨でしかなく、しかも、当時発令中の大雨雷雨注意報の趣旨(今後の雨量は三〇ないし五〇ミリメートル、所により七〇ないし一〇〇ミリメートル。今夜半過ぎには弱くなる。)と大迫ダム流域では、総雨量が一〇〇ミリメートル程度までの降雨については、最大流入量が毎秒一〇〇立方メートルを超えることは、ほとんどなかつた過去の流入実績に照らしても、右時点で訴外宮田らダム管理者が、その後にダム貯水池への流入量が毎秒三五〇立方メートルを超えることを予測し、さらには、洪水放流をどのように行うかを予定して、関係機関への通知を実施することは、全く不可能であつた。

そして、右に述べたことは、八月一日午前〇時現在のダム状況の下においても、同様に該当する。すなわち、右時点の累計雨量は、栃谷六二ミリメートル、筏場六三ミリメートル、大台ヶ原八三ミリメートル、ダムサイト一四ミリメートル、四か所平均五五・五ミリメートルであり、予想される降雨についても右と同様のものであり、流入量も若干増加をみたものの、いまだ毎秒二一・二立方メートルにすぎない。したがつて、八月一日午前〇時過ぎの時点でも、洪水を予測し、洪水放流をどのように行うかを予定して関係機関への通知を実施することは不可能であつた。

訴外宮田は、洪水時突入後八月一日午前二時三〇分まで洪水吐ゲートからの放流をせず、そのためダム外水位の高騰をもたらしたが、これは、当初の奈良地方気象台の予報にも反する異常な本件豪雨に起因するやむを得ないものであり、このような場合の対応として、午前二時三〇分まで放流しなかつたことは、操作規程二一条一号ロ後段に照らし、非難されるべきことではない。

原告らは、本件当時、訴外宮田は、利水ダムのため、少しでも水を貯留しておきたいとの意識があり、それが災いして過剰貯留を招いた旨主張するが、それは全く根拠のない主張である。

(三) 洪水吐ゲートの操作について

本件放流における洪水吐ゲートの操作については、ゲート操作の開閉の順序及び一つのゲート操作から次のゲート操作に移行するまで三〇秒の間隔を置くことは、遵守された。

ゲートの操作開度については、訴外宮田は、第一、第二順目の洪水吐ゲートの操作開度を三〇センチメートル、四〇センチメートルとし第三順目の開度を八〇センチメートルとした。

これは、流入量が洪水時の流量を大きく上まわり、しかも、異常、かつ、急激な増加をしており、また、貯水位も常時満水位を越えて異常に急上昇していたので、本来ならば最初から一五〇センチメートル(第一順目から第三順目の合計)を越える開度とすることも許されたのであるが、下流の水位の急激な変動を防止するために極力小刻みの操作としたからであり、操作規程一二条三項ただし書及び同二一条一号の精神(貯水池からの放流は、下流の水位の急激な変動を生じないため、必要最小限度において、その急激な変動を生じないようにしてすること。)を遵守したものであつて、何ら違法なものではない。すなわち、訴外宮田は、右状況下において行うこととした小刻み操作につき、第一順目から操作開度を右三〇ないし四〇センチメートル以上にすることも当初考えていたが、でき得る限り下流水位に急激な変動を生じさせないようにするために、三〇ないし四〇センチメートルの小さな操作開度とし、順次操作開度を大きくしていくこととしたのであり、第三順目についても、流入量の状況からみて一メートル以上にすることも考えたが、右と同様の趣旨に基づいて操作開度八〇センチメートルと決定したのである。

以上のとおり、本件放流の際の洪水吐ゲートの操作は、下流水位の上昇に対しても十分配慮しながらなされたものであり、何ら問責されるところはない。

(四) 放流管バルブの操作について

放流管バルブは本来利水操作のために設置されているものであるが、洪水時においても必要があれば積極的に利用することとしている。

大迫ダムの放流管バルブの能力は、低水位時の水理条件下で、その開度を物理的全開(一〇〇パーセント)としたとき、利水上の最大所要放流量毎秒二〇立方メートル(操作規程三条三号)の放流が可能となるように構造及び諸機能が決定されている。右放流管バルブの修理、点検等の際の止水用の弁(バタフライ弁)が放流管バルブの前方(上流側)に別途設置されているが、これは円板状の弁体が管内に内臓された構造のため流速が一定以上に早くなる(流量が一定量以上となる)と弁体が振動したり、キヤビテーシヨン現象(流れの中に局部的な真空状態が発生する現象)によつて弁体や弁軸部に損傷を与えるので、その能力(すなわち、最大放流量毎秒二〇立方メートル)が一〇〇パーセント発揮されることを上限として放流管バルブの操作を行つている。そして、大迫ダムの放流管バルブは、最高水位時に物理的開度六〇パーセントがその構造上の能力一〇〇パーセント(すなわち最大放流量)に相当するようになつている。

本件当時は、特に異常な高水位であつたので、弁体の破損を防止するため放流管バルブの開度をやや控え目としていたのである。

また、本件当日、放流管バルブの最大所要放流量毎秒二〇立方メートルとほぼ同量である毎秒一七・四立方メートルにした放流操作は、午前二時三〇分からであるが、原告らが洪水に到達したと主張する午前一時ころの貯水位から常時満水位までの空虚容量が二二三万三〇〇〇立方メートルであることを考えれば、それまでの間において、実際になされた放流管バルブからの放流量(毎秒一〇・七立方メートル)と右最大所要放流量との差毎秒九・三立方メートルの流入量が貯留された(現実には、この間にも右バルブ放流の増量を行つている。)としても、それによる貯水位の上昇は無視し得るほど小さなものであつた。

(五) 放流量の増加率が流入量の増加率を上回つたことについて

八月一日午前二時三〇分から同日午前三時二四分までの放流量の増加率が、流入量の増加率を上回つていたことは、原告ら指摘のとおりである。

しかし、右放流量は同日午前二時二〇分からの洪水吐ゲートからの越流量を含むものであり(この越流自体、異常な本件豪雨による流入量の急増を如実に物語つている。)、右流入量の異常な急増によりダム貯水位はダム堤頂(四〇〇・五メートル)を越えて越流する危険な事態の発生が予想された状況下において、その発生を防止するため本件のように流入量の増加率を上回る放流を行うことは、やむを得なかつたのであり、かつ、これは操作規程上許されている(操作規程二一条。実質的理由は、右のような放流が許されないとすれば、常時満水位が保たれなくなつてしまうことである。)といわなければならない。

九  危害防止措置

1 河川の自由使用と危害防止責任

河川は、河川法上公共用物として位置付けられており(河川法二条一項)、道路、海浜、港湾、公園等と同様に直接一般公衆の共同使用に供せられる。したがつて、国民は、河川を原則として自らの意思と責任において自由に使用することができる。

他面、河川は、元来、降雨、降雪という自然現象によつて生じた多量の雨水、融雪水が、流下する経路として自然的に発生し、長い年月で形成され、その形成の過程において、太古より洪水氾濫を繰り返し、河道や河幅を変えるなど絶えず変化してきたものである。そのため、河川は自然現象による洪水氾濫の危険を常に内包しており、その危険を完全に回避することは不可能である。

したがつて、キヤンプや魚釣り等の目的で入川しようとする者は、その上流にダムがあるか否かにかかわらず、また、河川管理者等からの警告等危害防止措置の有無にかかわらず、あらかじめ、河川の有する右のような危険性を十分わきまえ、入川に伴う危害の防止をまず自らの責任において行うべきである。

2 関係機関に対する通知

(一) 通知の要否及び通知先

(1) 通知の要否

河川法四八条に基づく関係機関への通知は、「ダムを操作することによつて流水の状況に著しい変化を生ずると認められる場合において、これによつて生ずる危害を防止するため必要があると認められるとき」に行うものとされている。

ここで、「流水の状況に著しい変化を生ずると認められる場合」とは、三〇分間に三〇ないし五〇センチメートル程度の水位上昇速度が基準とされ、本条の通知の要否を判定するための指標として利用されている。そして、この水位上昇速度に基づく放流の限度をあらわしたものが操作規程一一条別図第二(いわゆる「限度カーブ」)である。

同法四八条では、右別図第二を越える放流であつても危害を防止する必要があると認められない場合には通知を必要としないのであるが、危害を防止するためにその通知が必要であるか否かの判断は困難であることから、右別図第二の限度を越える放流が予定されるときは、常に法四八条に基づき関係機関への通知を行つている。そして、このことは後述の一般への周知措置についても同様である。

(2) 通知先

河川法四八条規定の「関係都道府県知事、関係市町村長及び関係警察署長」とは、ダムからの放流により急激かつ相当な水位の変動を生ずる下流の河川の区域が存する右各関係機関の長をいう。

また、操作規程一三条一項の別表第一記載の関係機関にも水防活動に資するために通知を行つている。

その他にも吉野川流域の関係機関等から事前通知の要請があつた機関に対し、できる限り、その要請に応じて通知を実施している。

(二) 通知の実施状況

訴外土井(盛)及び同小西は、訴外宮田の指示に基づき、延べ一九の関係機関(うち法的義務のあるもの七機関、サービスとして行つているもの一二機関)に対して、八月一日午前一時二〇分から通知を開始し、午前二時三〇分にこれを終了した。

ほぼ同時刻に通知を受ければ、下流域の関係機関ほどその対応に対して時間的余裕をもち得るので、本件放流は、特に緊急な事態でもあることから、この点を考慮して、できるだけ上流の機関から順次下流の機関へと通知した。

通知の内容は、大迫支所からの通知は、「こちらは大迫ダムです。ここ一~二時間の間にダムの上流にあたる大台ヶ原にて雨が急に多く降り時間雨量が一〇〇ミリメートルを越え、ダムへの流入量も毎秒何百トン単位で入つてきているのでダムの水を相当な量、流入量に見合う量をもうしばらくすると放流しますので、よろしくお願いします。」というものであり、下渕支所からの通知は、「大台ヶ原に集中豪雨が発生している。時間雨量は一〇七ミリメートル、大迫ダムに相当量の水が流入している。大迫ダムから相当量の水を緊急放流するのでよろしく頼みます。」というものであつた。

(三) 通知時間について

(1) 通知が遅延した原因

原告らは、下渕支所からの通知が午前一時四〇分から開始されたことを非難するが、前記八1(二)(2)のとおり、訴外小西は種々の連絡に忙殺されていたのであり、夜間で、相手方のある問題であるうえ、緊急時のことであるから、予測できないことが生じることは避けられないことであつて、この点を無視して、単なる時間的遅れのみを非難する原告らの主張は失当である。

そして、その後に通知が長くかかつたのは、本件当日は休日(日曜日)で、かつ、夜間でもあり、しかも、通知をしている際、相手方からも種々の問合わせがあつてこれに応答していたことなどから、予想以上に時間を要する結果となつたからである。そして、前述のとおり、ダムの状況が急激に悪化の一途をたどり、洪水放流の開始を午前二時三〇分に繰り上げたために、結果的に右操作規程の一部を遵守できないこととなつたのであり、右のような異常事態のもとではやむを得ないものである。

原告らは、午前一時三〇分ころまでに関係機関への通知をすべて完了することが十分可能であつたとして、下渕支所には、訴外小西以外に訴外山田、同村上及び白草がいたことや電話が他に二台あつたことを指摘する。

しかし、前述のとおり、下渕支所は、総合管理システムの総合管理事務所であり、本件のような緊急時には、単に下渕支所からの一方的な連絡通知だけでなく、気象情報の連絡、河川管理者・警察消防署等関係機関からの緊急連絡や問合せ等はすべて下渕支所で一元的に処理されるシステムとなつていた。このため、下渕支所に電話が三台あつても、関係機関に対する通知のために使用する電話以外の二台を緊急連絡用に確保しておく必要があつた。もし、三台すべてを関係機関に対する通知に使用していたとすれば重大な緊急連絡があつてもそれを受理することができず、不測の事態を招くことにもなりかねなかつたのである。

そして、前述のとおり、訴外小西が、関係機関に対し通知している間他の下渕支所の職員は、いずれもダム放流にあたつて絶対に欠くことのできない業務にそれぞれの責任者として従事していたのであり、決して手持ち無さたで怠けていたのでない。

また、原告らは、通知が遅れた原因の一つとして、緊急時における具体的な業務分担が事前に協議されておらず徹底されていなかつた旨主張する。

しかし、本件のような緊急時というものは、その生じる日時及びその緊急性の程度・内容をあらかじめ設定することとができる性格のものではない。したがつて、あらかじめ緊急時を想定して個々人の具体的な業務分担をきめ細かくとり決めることは困難であるばかりか、仮にそれを定めたとしても、当該緊急性の程度・内容によつてはこれに対応し得ないことも生じるであろうし、またその当日になつて、病気等の支障のためやむを得ず出勤できない者が生じることもあり、かえつて緊急事態に対する対応が混乱し、迅速な業務遂行にそごをきたすおそれも多分にある。したがつて、順次出勤体制により出勤した人員を基礎にして、責任者が臨機応変に適確な業務分担を定めて業務に当たる手法は、極めて現実的な対応である。本件当日、この臨機応変の業務分担によつて適切な諸措置がなされたのであつて、不必要な時間を空費した事実は一切ない。

(2) 放流開始一時間前までの通知を定めた操作規程の趣旨

操作規程一三条は、放流開始の少なくとも一時間前に同条別表第一の関係機関に通知すべきものとしている。

河川法四八条の趣旨からすれば、通知すべき時期はダム放流水の下流各地点への到達時期を基準として判断できれば好都合であるが、右判断は事前の流入量予測に基づき行うものであるから、非常に困難であり、あえて通知を行つた場合はその不確実さゆえにかえつて混乱を生ずることにもなりかねないことから、一律に放流開始のときを基準としているのである。

原告らは、操作規程で関係機関に対する通知を放流開始の一時間前としていることについて、関係諸機関の実効的な水防活動その他に救助活動が期待し得なくなる最低限の基準を定めたものであつて、これに違反した通知は、河川法や同施行令の趣旨を逸脱したものとなる旨主張する。

しかし、河川法四八条が関係機関に対する通知を義務付けているのは、ダム放流に当たつてダム管理者の行う警報活動と地域関係者の行う警報活動とを有機的一体的に行わせることにより、一層的確かつ効果的な警報活動を期待したものであり、放流開始一時間前の通知という規定は、通知を受けた関係機関が当該警報活動に従事するために必要なおおよその時間の目途を設定したものであり、この時間は、関係機関が実質的に対応できる時間的余裕を確保できるものであれば足りるのである。

しかも、時として、特に本件のような緊急事態のもとでは、予期せざる事情により、放流開始一時間前の通知が遵守できないこともあり得るのであり、右「一時間」が確保されなかつたことで、ただちに関係諸機関の実効的な水防活動その他の救助活動が期待し得なくなる性格のものではなく、ただちに河川法及び同法施行令の趣旨に反するものではない。

(3) 通知の遅延の影響

後述のとおり、本件当日は、被告の職員である農水省職員が適切かつ妥当な警報活動を行つているうえ、右(二)の通知によつて、数多くの警察、消防署、消防団関係者等が迅速、かつ、的確な警報、救助活動を行つていたのであるから、通知の目的が十分果たせていたことは明らかである。

したがつて、右のように一部の関係機関に放流開始の一時間前に通知できなかつたことは、本件の各被災事故の発生とは何ら関係がなく、この関係では、何ら問責されることはない。

(四) 通知内容について

原告らは、訴外小西らによつてなされた通知の内容は、河川法等の法令に照らして違法不当なものであつた旨主張する。

しかし、原告らの右主張は、以下に述べるとおり理由がない。

河川法四八条、同法施行令三一条は、ダム設置者に対し、<1>放流の日時と放流量、又は<2>放流の日時と下流の水位の上昇見込みのいずれかを通知することを義務付けており、本件当日なされた通知は右のうち<1>の通知事項を選択したものである。

限られた時間内で通知を行う場合、一方に通知事項を具体的、かつ、詳細に行うとの要請がある反面、他方では迅速、機敏に行うとの要請もあつて、両者は容易には両立し難いものであり、このような場合、ダム管理者は、当該状況下で最も妥当な裁量判断を強いられるのであり、本件は正にこのような状況であつた。すなわち、午前一時から同一時一五分にかけての状況下で、ダム管理者としては詳細を検討し通知時期が遅れるよりは一刻も早くその切迫性、異常性をありのまま伝えることの方が、より重要であると判断したのである。そして、事前通知の目的からすれば、その内容は、ダム放流に対する関係諸機関が対応を含めて判断し得るだけの契機的事項を十分に有していたかどうかが最も重要であり、本件のような異常事態のもとでは右の通知内容でも十分その目的に合致したものである。

なぜなら、放流量については、大迫支所からの通知の、「ダムへの流入量も毎秒何百トン単位で入つてきているのでダムの水を相当な量、流入量に見合う量」とは「雨が急に多く降り時間雨量が百ミリメートルをこえ」との言葉によりその内容において十分具体的であり、放流量が毎秒数百トン(立方メートル)の量であることを推察するにさほどの困難はない。下渕支所からの通知でも、「大台ヶ原に集中豪雨が発生している」「時間雨量一〇七ミリメートル」「大迫ダムに相当量の水が流入している」との言葉が補完されることによつて放流量はかなりの量になるとの認識は容易である。また、放流の日時についても、本件のような状況下にあつては「もうしばらくすると放流します」「緊急放流する」との内容で十分である。その通知の時期が普通なら寝静まつている真夜中であることもあわせて考慮すれば、量についても、日時についてもその契機的な内容は十分備えている。したがつて、通知の目的は充分達しているのである。また、電話の応答のなかには、相手方から放流量、流入量、水位等の問合せをするものもあり、それに対しては、訴外小西は、その都度納得のゆくように答えている。以上のように、相手方にも当時の状況が十分伝達されたからこそ、後刻において関係機関からの問合せが一切なかつたのである。

そして、後述のとおり、現に、本件事故当日、大迫ダム関係者のほか、警察関係者、消防署、消防団関係者等が極めて大多数警報、救助活動に従事して、八〇〇人もいたといわれる入川者のほとんどが事故にもあわず無事非難し得たことは、被告の行つた通知がその目的を達していることを裏付けている。

(五) 再通知の必要性について

(1) 放流開始時刻の変更による再通知について

原告らは、放流開始の時刻が午前三時の予定から午前二時三〇分になつたことに伴い、その変更があつたことをついてすべきであつた旨主張する。

しかし、この変更は八月一日午前二時二五、六分ころ決定されたものであり、その時には、既に関係機関に対する通知もほぼ終了しており、その通知内容は放流開始の緊急性、切迫性を十分備えたものであり、また、既に警報車も出発し、サイレンの吹鳴、放送施設による放送も開始している状況であつたため、改めて放流開始時刻の変更の通知をする実益はなかつたのであつて、右変更通知をしなかつたことを非難されるべきではない。

(2) 八月一日午前六時以降の再通知について

原告らは、八月一日午前六時以降に、下渕頭首工から下流域の関係諸機関に対し、操作規程上の義務を超えて再度の通知をすべきであつた旨主張する。

しかし、このような再通知をすべき法的義務は一切ないうえ、ダム放流水が下流域に達するには相当の時間を要することは、通知を受ける関係機関が最も承知しているはずであつて、本件当日の下流付近の降雨の状況からして、改めて通知を受けるまでもなく、当該機関としての所要の措置は的確に講じられたはずである。したがつて、原告らの右主張は失当である。

3 義務警告区間の設定について

(一) 義務警告区間の設定

操作規程一四条は、河川法四八条、同法施行令三一条に規定する一般に周知させる措置として、ダム地点から中井川合流地点までの操作規程別表第二の各地点において、警報装置による警告と警報車の拡声機による警告義務を課している。

原告らは、ダム地点から中井川合流地点までの義務警告区間について、このように義務警告区間を限定した操作規程一四条は、河川法四八条の趣旨を没却しており違法である旨主張する。

しかし、右主張は以下に述べるとおり失当である。

すなわち、当該警告区間は、過去の著名洪水について、基準となる区間におけるダムからの放流の影響による下流の水位上昇を検討し、<1>ダム下流の吉野川(奈良県内)の形状は、前述のとおり山岳河川の性状を呈しているが、大迫ダムから中井川合流点付近までが狭さく部が多く最も急であり、中井川を過ぎたあたりから五條市栄山寺付近までが少し緩やかでほぼ一定の勾配(短区間をみるときは急流部分と比較的緩やかな部分が繰り返されている川)を呈し、しかも、中井川合流地点直下では川幅の広い高見川と合流しており、それより下流は和歌山県内の部分も含め全体に緩やかで川幅の極めて広い大河川へと移行しているように、中井川合流地点付近までは狭さく部分が多く、水位の上昇の度合が極めて大きいこと、<2>ダム下流の流域面積が人知付近で大迫ダム流域とほぼ同じ面積となり、中井川合流地点付近では約一・五倍に相当すること、その他、地元川上村の意向等を総合的に勘案し、前述の区間が設定されたのであつて、警告区間を限定したことは同法の趣旨からも合理的である。

さらに、右義務警告区間の設定については、ダム管理における財政的、技術的及び社会的諸制約の下での同種・同規模のダムの管理の一般水準及び社会通念に照らしてその裁量の範囲内のものとして是認されるべきものであり、過去の吉野川における水害の発生状況や降雨量等から予測し得べき水害の危険性を防止するとの見地から設定されている。

(二) 義務警告区間外の警報活動との関係

大迫ダム管理者は、本件当時以前から、中井川合流地点より下流の五條市栄山寺橋付近まで、常時立札による警告を行うとともに、警報車による警報活動等を行つていた。

これは、ダム建設時における地元の要望やダム建設協力に対する地元への配慮の意味から、サービスとして従来から行われていたものであり、ダム管理者がより積極的に河川法四八条の趣旨を履行していこうとの任意かつ積極的な意思によるものとして評価されるべきであるが、義務警告区間の設定とは直接関係のないことである。

ところで、原告らは、本件当日、被告職員の行つた中井川合流地点より下流の義務警告区間外での警報車による警告につき、法規の趣旨に従つた適切な警告とはいえず、警報義務違反がある旨主張する。

しかし、右(1)のとおり、義務警告区間の設定は合理的であり、義務警告区間外での警報活動は、ダム管理者の裁量に基づき、予算、人員等の許す範囲内において行う行政サービスであつて、法律上警報義務が生ずる性格のものではないから、既にこの点において原告らの右主張は失当である。

4 警報装置による警告

(一) 警告装置の仕組みと管理

大迫ダムでは、河川法四八条の規定に基づく一般に対する周知の方法の一つとして、大迫ダム地点から川上村白屋地点までの間に九か所の警報局を設置している。

これらの警報局には、大迫ダムからの洪水放流を行う際沿川の住民等に警告するためのサイレン及び放送施設を設置しており、大迫ダムから洪水放流を行う場合には、あらかじめ。これらの各放送局から、スピーカーにより、「お知らせします。こちらは大迫ダム管理所です。洪水のため、大迫ダムの放流量を増やしますから川の水が急に増えてきます。危いので河原に降りないで下さい。河原にいる人は急いで河原から上がつて下さい。」という内容の放送をし、その後サイレンを吹鳴している。各警報局の警告放送及びサイレンの吹鳴は、大迫ダム管理支所の操作室からダム地点に設置された警報局は有線で、その他の警報局は無線で、自動的に作動し得る仕組みとなつている(操作規程別表第二)。

そして、洪水放流を行う際、吹鳴すべきサイレンに異常がないかどうかを、大迫支所の操作室から各警報局舎あてに電波を発進することによつて確認することができ、本件事故当日も、この方法でサイレンが正常に作動していたことが確認されている。

(二) 警報装置による警告の実施状況

八月一日の、本件放流の際の警報装置による警告の実施状況は、別表19のとおりである。

(三) ダム地点の警告時間について

原告らは、八月一日午前二時三〇分の放流に対して、ダム地点における警告がなされたのが午前二時二二分であつたことをとらえ、被告の警報体制全般が杜撰であつた旨主張する。

しかし、訴外雑賀は、午前三時ころの放流を前提にして、ダム地点の放流施設による警告放送及びサイレンの吹鳴を、午前二時二二分及び午前二時二三分にそれぞれ行つたが、その後、訴外宮田が午前二時二五、六分ころ放流の開始時刻を当初の午前三時ころから午前二時三〇分に変更したのである。したがつて、午前三時ころの放流を前提に、操作規程一四条一号の規程に従い、警告放送を開始したものが、その後の事情変更により結果的に右操作規程に合致しないこととなつたにすぎず、これをもつて被告の警報体制がずさんであるとは到底いえない。

しかも、仮に、この時点で、操作規程一四条一号の規程を遵守するために放流の開始を遅らせていたなら、前述のとおりダム越流という不測の事態を招くおそれが十分にあり、このような事態こそ絶対に避けなければならないものであつて、被告の右措置が非難されるいわれはない。

(四) 津風呂ダム警報局の不利用について

原告らは、本件当時、被告が津風呂ダムに属する「河原屋」及び「上市」の二警報局の警報装置を利用しなかつたことを非難する。

しかし、右二警報局が吉野川沿岸に設置されていたことは事実であるが、これらは、操作規程上は「津風呂ダム」から放流するときに限つて操作することになつており、原告ら主張の警報を行う義務はない。しかも、このことは、単に規定上だけでなく、その旨を当該警報局設置以後ダム管理演習時に、広報車で地域住民に知らせるとともに関係町にも文書通知していること等から一般周知のことがらとなつており、したがつて、仮に、本件当時、右の警報局からサイレンを吹鳴すれば、地域住民や関係機関の間に津風呂ダムからも放流があるとの誤つた情報を流すこととなり、かえつて混乱を招くおそれがあつた。

さらに、右二警報局の設置地点と本件各被災地点との距離からして、右二警報局のサイレンを吹鳴しなかつたことと本件各被災事故の発生とは全く関係がない。すなわち、「河原屋警報局」から最も近い被災事故地点である宮滝大橋までは約二七〇〇メートル離れており、また、「上市警報局」から最も近い被災事故地点である阿知賀の中州までは約四三〇〇メートル離れており、いずれも右二警報局からの放送やサイレンは届くことはなかつた。

5 警報車による警報

(一) 吉野川の特性と警報活動の限界

(1) 警報活動を困難にする吉野川の特性

吉野川は以下のとおり種々の特徴を有しており、これが危害防止措置、特に本件のような夜間でしかも降雨中といつた悪条件下での河川警報活動の履践を著しく困難にしている。

<1> 河川の形状は、極めて急峻で蛇行が多く、特に切り立つた岩肌が露頭した部分において狭さく部が随所に存在する。

<2> 河岸及び河川内に大きな岩が各所に露頭し、川の流れを複雑にし、深みや浅瀬を形成し、河原の見通しを悪くしている。

<3> 河岸と主要道路の高低差が大きく二〇ないし五〇メートルの段差があり、河岸は断崖絶壁となつている箇所が多く、侵入路等以外からの河川への行き帰りが困難である。また、河川内の移動もよほど条件の良い時又は場所でないと無理な所が多く、河川沿いに道路が接近している区間を除き、河川を点としてしかとらえることができない箇所が多い。

<4> 河原は、<2>で述べたとおり岩が露頭し、さらに浅瀬と深みが繰り返され、河川が比較的直線であつてもみお筋(平水時に水の流れている中心で深い所)は蛇行して岩の露頭や堆砂により複雑な州や中州状を呈している箇所が多く、また、これらの州は増水時には絶えず水をかぶり、かつ、形状は絶えず変化し、州を形成する土石の粒径や形状も場所により一様でないこと等から、河川内では昼間でも歩行が困難な場所が多く、夜間、特に降雨時の歩行は極めて危険である。

(2) 警報活動の限界

右(1)の吉野川の特性は、必然的にダム放流の際等の河川警報活動の実施を極めて困難にしている。

さらに、吉野川には、吉野川同様に急峻な山岳河川である高見川のほか無数の大小支流が合流している。したがつて、大迫ダムから放流をしなくとも大迫ダム下流域及び支流からの流入により吉野川が増水することが度々あり、このことが、義務警告区間外の大迫ダム下流域での警報活動を一層困難にしている。

急激に洪水が流入する場合には、それに応じて洪水放流に先立つ警報活動もダム操作規程の定めるところにより短時間に行う必要がある。しかも、限られた予算と人員の範囲内で義務警告区間だけでなく義務警告区間外の長大な区域についても警報活動を行うためには、相当効率的に行う必要もある。このような趣旨を踏まえ、大迫ダム管理者は、義務警告区間外の警報の方法について、河川の実情に即し必要な箇所をできるだけ効率的に行うため、関係県、関係市町の意見を聴取して実施しているが必ずしも容易なものではない。

そうすると、吉野川の流域のすべてについて万遍なく入川者の有無を確認し、警告を与えることは、理想ではあつても(特に、本件のように結果的に被災者が出た場合においては、このことを強く期待することは心情として理解し得るが。)、現実には不可能であり、警報活動の内容及び程度にはおのずから一定の限界のあることが許容されるべきである。しかも、この種警報活動は、本件のように夜間や降雨時等の条件の悪い状況下では、簡単に河川に降りられず、通常なら人が入川すると思われないような危険な箇所にまであえて出向いて警報活動を実施すべきであるとすれば、警報活動実施者自身の二次災害の発生するおそれも極めて高い。そのため、警報活動は、当該河川の現況や過去の経緯、警報を実施する時間、天候状況等からみて、警報活動者の裁量により、キヤンプや魚釣り等の目的のため入川者のいると思われる場所であり、かつ、安全に警報が実施し得る場所にポイントをしぼつて実施することも、やむを得ないものである。

したがつて、河川法四八条の趣旨からすると、同条の警報活動は、人が立ち入る恐れがある場合に、ダム放流に伴つて危害を与える恐れがある場合に行うものであつて、社会通念上およそ人が立ち入るとは考えられないような所についてまで、しかも、夜間、降雨中という悪条件下で、あえて警報活動を行えば、警報実施者の二次災害を招くことも十分に予想されるような危険な箇所についてまでの警報活動は河川法上要求されていないというべきである。

まして、河川法四八条の適用を受けない、行政サービスとして行われている義務警告区間外の警報活動では、より一層右のことが当てはまる。

したがつて、義務警告区間外の警報活動については、その実施方法や内容、特に中井川合流地点より下流のどの範囲までの地域をどの程度警報するか等に関しては、義務警告区間において行う場合と比較して差が生ずることは当然であり、かつ、ダム管理者の裁量の働く場がより大きいものである。

(二) 義務警告区間の警報活動(訴外生駒及び同松本)

大迫ダムから中井川合流地点までの義務警告区間については、大迫支所国職員の訴外生駒及び同支所の委託職員の訴外松本の両名が、八月一日午前二時二〇分から同日午前六時までの間、警報車八一〇号(農林二号)で警報活動を行つた。

(1) 訴外生駒の経歴等

訴外生駒は、本件事故当時、大迫支所管理第一係に所属していたが、同人は警報担当者として吉野川の実態に即した適切な知識と能力を有していた。すなわち、訴外生駒は、昭和五年三月一二日、奈良県桜井市大三輪町に生まれ、昭和三〇年一〇月、水利事業所に勤務し、昭和四五年四月、大迫支所に配置替えになり、以後同所で勤務していたのであり、同人は物心つくころから、奈良県南部の吉野川の特性については自分の庭のごとく十分熟知していた。また、訴外生駒は、昭和三〇年一〇月以降本件事故当日までの約二七年間、吉野川沿川の吉野郡大淀町に居住し、水利事業所に勤務して主として官用車の運転業務に従事してきたので、経験上吉野川沿いの地理のみならずキヤンプや魚釣り等のため人が立ち入りやすい場所を十分に熟知していた。しかも、訴外生駒は、本件事故当時までに二五、六回にも及ぶ警報活動に従事しており、その間には毎秒約八〇〇立方メートルもの大量の洪水放流を経験している。したがつて、訴外生駒は、ダム放流水がその放流量に応じてどのような速さで吉野川を流下するかを経験的に十分熟知していたうえ、警報車による警報を放流水の到達する約一五分前に行うべきこととの関係で、ある地点を警報する場合にその地点についていつまでに警報を終了させる必要があるかについて十分承知していたのである。

(2) 警報活動の実施状況

訴外生駒らは、警報車を走行するにあたり、単に車内から吉野川の河原を確認しただけではなく、「お知らせします。こちらは大迫ダム管理所です。洪水のため大迫ダムの放流量を増やしますから川の水が急に増えてきます。危いので河原に降りないで下さい。河原に居る人は急いで河原から上がつて下さい。」との内容の警告文を吹き込んだテープを絶えず放送しながら走行しており、この放送が入川者に十分聞こえていたことは、武木口下流で入川者が電灯を丸く振つて合図をしたことからも明らかである。

大迫ダム地点から中井川合流地点までは、吉野川右岸は際立つた山であり、道路はすべて左岸沿いに位置していることから、警報車の走行に際し、左側通行では警報車から吉野川左岸の状況が分り難いので、あえて右側通行をして入川者の存否を確認しながら走行するなど極めてきめ細かい配慮もしている。

訴外生駒らが、警報活動の過程で、キヤンパー等が吉野川の河原にいることを確認したのは武木及び武木口下流の地点のみであり、他の地点では入川者が見当たらなかつた。入川者のいた二地点では、いずれも入川者らの安全を確保するため、テープをいつたん止めたうえで車内の警備用のマイクにより入川者に必要な指示を与える等の措置を講じている。その他入川者はいなくても、シヨベルカーやトラツク、乗用車等が河原に放置されている場合には、これを引き上げるよう大迫支所に無線で連絡するなどの措置を行つた。

警報車八一〇号が大迫ダムを出発したのは八月一日午前二時二〇分であり、訴外宮田が放流を同日午前二時三〇分とする旨決定したのは同日午前二時二五、六分ころであるが、訴外生駒らは、直ちに放流開始の時間が二時三〇分になつた旨の連絡を無線で受けた。その際、放流量の連絡はなかつたが、訴外生駒は、一時一五分に大迫ダムへの流入量が毎秒五〇〇立方メートルを越えていた旨の情報を得ていたので、右時刻より一時間くらい経過していることを考慮して、毎秒六〇〇ないし七〇〇立方メートルくらいの流入量があり、それに近い放流があると予想して警報活動を続けていた。そして、この予想にほぼ間違いはなく、訴外生駒は警報に回つた各地点で、それぞれ大迫ダムの水が到達していないことを確認している。

加えて、大迫ダムから中井川合流地点までの義務警告区間では、一人も被災していない。

以上のとおり、河川法四八条に基づいて行う義務警告区間での本件当日の警報活動は、すべて適切、かつ、円滑に行われており、何に問責されるところはない。

(3) 中井川合流地点で引き返したことについて

原告らは、訴外生駒及び同松本の行つた警報活動に関し、同人らが中井川合流点まで警報し、その後転回して、ダム地点に引返した事実をとらえ、不適切である旨主張する。

しかし、訴外生駒らが実施すべき警報は中井川合流地点までであり、同人らは、この間について極めて適切に警報活動を実施しており、警報活動終了後、次の業務に当たるべくダムに向つたことは、大迫ダム職員として当然の行動であり、何ら問責されるところではない。

(三) 義務警告区間外の警報活動

(1) 中井川合流地点-下渕頭首工間(訴外東嶋及び同川越)

中井川合流地点から下渕頭首工地点までの警報活動は、下渕支所職員の訴外東嶋及び同川越の両名が、八月一日午前一時五〇分ころから同日午前七時までの間、警報車五七九号(農林一号)で実施した。

なお、右区間のうち吉野高校地点から下渕頭首工地点までは、より一層の安全を期するため、訴外村上及び同安川が、同日午前三時三〇分ころから同日午前六時ころまでの間、警報車一〇八三号で再度の警報活動を行つている。

ア 訴外東嶋の経歴等

訴外東嶋は、昭和五四年一〇月から本件事故当日まで約三年間下渕支所に勤務しており、吉野川沿川の地理のみならずキヤンプや魚釣り等のため人が立ち入りやすい場所を十分熟知していた。しかも、訴外東嶋は、本件事故当日までに大迫ダムの放流に伴う警報活動に六、七回従事しており、警報活動の知識と技能を十分習得しており、ダム放流水がその放流量に応じてどのような速さで吉野川を流下するかを経験的に十分熟知していた。

イ 警報活動の全般的実施状況

訴外東嶋らは、八月一日午前一時五〇分ころ、下渕支所を出発した。これは、訴外東嶋らが午前〇時五〇分ころからの前記六4(四)の協議に参加し、午前三時ころ毎秒約三〇〇立方メートルの放流があることを承知し、過去の経験から下渕頭首工地点から中井川合流地点までのダム放流水の放流量に応じた流下速度を熟知し、さらに警報活動のポイントとなるべき地点を十分承知していたので、警報活動の開始までにはまだ十分余裕があつたからである。また、訴外東嶋らは、その間職務を怠つていたのではなく、本来の業務である下渕頭首工の監視及び操作の業務に従事していたのであり、午前一時五〇分ころ警報活動に出発したことをもつて何ら問責されるべきところはない。

訴外東嶋らが警報活動に回るコースについては、本件当日は、訴外小西が「従前どおり」との簡単な指示を与えたのみであるが、下渕支所職員は、過去の経験や実績等から人が通常立ち入りそうなキヤンプ場や釣り場所を十分認識したうえで最も効率的に警報活動をするコースを事前に確定していたのであり、東嶋らも警報活動にあたりこの点を十分認識していた。

吉野高校前の吉野川河原(片州)は、吉野川沿川でもキヤンプのされることの多い箇所であり、夏期には家族連れなど多数の入川者がみられるところである。それに対して、下渕支所から吉野高校前までの間は通常キヤンプをしている者がみられない箇所である。そのため、訴外東嶋らは、下渕支所を出発すると、まず、過去の経験から警報に回る区間で一番キヤンプしている所の警報を最初に行うべきであると判断して、吉野高校前の吉野川河原に直行したのであり、これは緊急事態のもとでの警報活動として適切な判断に基づく妥当な行動である。

しかも、訴外東嶋らはその間漫然と走行したわけでなく、回転灯を点灯しながら、要所要所では訴外小西から渡されたメモにより、「お知らせします。こちらは大迫ダム管理所です。ダムから放流がありますので川に入つている人はすぐ上がつて下さい。」との内容の(この放送内容は、ダム放流に伴う入川者に対する警告の内容として必要、かつ、十分なものである。)放送をしながら、吉野川右岸を時速約三〇キロメートルという警報活動を行うに十分な速度で、上流に向かつて走行したのである。

さらに、訴外東嶋らは、吉野高校より上流は一層スピードを落として時速約一〇キロメートルで走行して右と同様の警報をしており、吉野町北菜摘辺りまで来た午前三時ころ、下渕支所の訴外村上に連絡をとり、念のため吉野高校までを再度警報するよう要請して、これを実施させた。その際、訴外村上から、午前二時三〇分に大迫ダムから洪水放流したことを聞き、それ以後は、警告放送を「大迫ダムから放流しましたから川からすぐ上がつて下さい。」と変更した。

訴外東嶋らは、中井川合流点までの間に、本件被災地点の一つである宮滝大橋を含む四つの橋を渡つているがそれらの橋にさしかかつたときには、いずれも橋の真中で停車してマイクで三回も警報のための放送をしたのみならず、その時が真夜中でしかも降雨の中にもかかわらず、訴外川越がわざわざ車から降り、橋の上から電池六本入りの照明器具を使つて橋の上流及び下流を照らして入川者の有無を確認している。

入川者が多数いた吉野高校前の河原では、訴外東嶋らは、河原に警報車を乗り入れるや、約二〇張りのテントを確認したため、当時降雨が強かつたにもかかわらず二人とも下車して、警報車のマイクを外に引つぱり出して車のスピーカーを使つて警告するとともに、岸辺にあつた五つくらいのテントや入口が閉まつているテントについてはテントの前まで出向いてキヤンパーに退川するよう警告した。中には、レジヤー妨害だとして絡んでくる者もおり、これらを納得させるために相当の時間と苦労を強いられたが、訴外東嶋らは根気よく説明して入川者の納得を得た。さらに、このように警告してもなお起きてこないキヤンパーに対しては、再度個々に警告し、訴外東嶋らが同所を立ち去るまでには、ほとんどのキヤンパーが川から上がる用意をしていたが、訴外東嶋らは、念を入れて、再度警報車のスピーカーで川から出るよう警告の放送をした。

訴外東嶋らは、午前四時二五分ころ、中井川合流地点付近の衣引で、上流から警報活動を行つていた訴外生駒らと合流し、警報活動を終了したが、この間、矢治地点で吉野警察らしいパトカーに会つた際、新子地点で新子駐在所に立ち寄つた際、宮滝地点から新子地点までの間で家族連れ等に出会つた際、それぞれ入川者の状況や警察の警報活動の状況を確認したうえで適切な警報活動を実施している。

以上のとおり、訴外東嶋らが、本件当日行つた警報活動は、義務警告区間外であり、かつ、吉野川という警報活動の困難な地形等種々の特性をもつ中で、夜間降雨中という悪条件下にもかかわらず、決しておざなりなものでなく、警報活動として十分すぎるほど極めて念入りに行つているのである。

ウ 宮滝大橋付近での警報活動について

そもそも、宮滝大橋真下の吉野川の岩場の中州は、およそキヤンプなどすることが常識的には考えられない危険な場所であり、仮に本件当日、農水省の警報車がこの宮滝大橋付近を全く通らず、一切警報活動が行われていなくとも、本来何ら問責されるべきではない。

しかし、訴外東嶋らは、本件当日、宮滝大橋付近においても警報活動を行つている。八月一日午前二時四〇分ころ、訴外東嶋らの警報車は、宮滝大橋から一つ下流の柴橋を右岸から渡り、吉野川左岸を上がり、宮滝大橋を左岸から渡つたが、同人らは、常時車内のマイクを使つて警報するとともに、橋の上では中央で停車し警告放送を三回繰り返し、訴外川越が車を降りて吉野川の中を懐中電灯で照らして入川者の有無を確認している。

仮に、宮滝大橋の真上からの警告放送が風雨のため聞こえにくかつたとしても、そのことは悪気象条件下という不可抗力によるものであつて、本件当日の警報活動自体の相当性を揺がすものではない。

もつとも、訴外東嶋らは、本件当日警告をしながら吉野川左岸道路を通つて宮滝大橋に渡つており、この橋のたもとからの警告放送は、距離、方向のいずれの点からみても宮滝大橋真下の岩場の中州にいた亡塩崎及び訴外西山に聞こえるに十分なものであり、右仮定は成り立ち得ないものである。しかも、訴外安川は、本件当日、降雨の中でマイクを使わずに警告して優に、三〇メートル以上はなれていた入川者に聞こえたことを相手方から確認していること、また、訴外生駒も、警告放送が両岸の入川者に確かに聞こえていたことを相手方から確認していること、さらに、訴外岡本が五社大橋の右岸詰でのパトカーの警告を対岸の自宅ではつきり聞いていること等からすれば、本件当日、大迫ダム関係者の行つた警告放送は、すべて入川者に聞こえるものであつたというべきである。

そして、亡塩崎及び訴外西山は、八月一日午前一時ころから同日午前四時ころまでの間寝込んでいた。しかも、亡塩崎及び訴外西山は、七月二八日から同月三〇日までの二泊三日のグアム旅行を終え、帰国するや、自宅には戻らず、そのまま大阪市内の訴外西山の友人宅で一泊し、同月三一日午前一〇時ころ右友人宅を出て、亡塩崎所有の車を訴外西山が運転し、途中買物をし、キヤンプ地の物色をしながら、同日午後一時か二時ころ宮滝大橋に到着し、その後午後八時の食事までの間、テント張り、買物、水遊び、食事の準備など全く休む間もなく行動し、七月三一日午後一〇時ころ就寝したものの八月一日午前一時ころまで起きていたのであるから(なお、訴外西山らは飲酒して酩酊していた可能性もある。)、両名とも相当程度疲労していたものと推認され、八月一日午前一時ころ寝入つた後は少々の物音では起きることができない程寝込んでしまつていたとしても不思議なことではない。

そうすると、仮に、訴外西山が警報活動に気付かなかつたとしても、それは、同人らがグアム旅行や水遊びなどによる疲労等のため、ぐつすり寝込んでいたなどの事情から訴外東嶋らの警報活動に気付かなかつたのであつて、それは警戒を怠つた同人らの責に帰すべきことであり、訴外東嶋らの警報活動が相当であつたことを覆すものではない。

原告らは、訴外東嶋、及び同川越が宮滝大橋下の亡塩崎及び訴外西山らのテント並びに対岸のワゴン車を発見していないこと、矢治地点のキヤンパーを発見していないことを非難する。

しかし、訴外西山らのテントの位置及びその対岸のワゴン車の位置は、宮滝大橋の真下であつて、訴外川越が橋の上のらんかんから川をのぞき込むようにして見下してもちようど死角になつて見えない位置であり、しかも、当初からその位置に訴外西山らがテントを張つていることが分かつていればともかく、本件のような気象条件下で危険極まりない宮滝大橋の下にテントを張つて退川しないということは通常では考えられず、結果として、訴外川越らがテントやワゴン車に気付かなかつたこともやむを得ないものである。また、矢治の中州は、訴外東嶋らが走行した道からは六〇メートル以上離れ、さらにその道から川岸の間には民家もあり、しかも、この中州は川岸の高さから約一〇メートルも低い位置にあつたのであるから、訴外東嶋らが警報車で走行中に当該中州のキヤンパーに気付かなかつたこともやむを得なかつたものである。

エ 警報活動終了について

原告らは、訴外東嶋らの五七九号車による警報に関し、同人らが、午前四時二五分ころ衣引地点で八一〇号車と出会い、その後、大迫ダムへ向かつたことをとらえ、その後の警報活動を放棄したものであると主張する。

しかし、訴外東嶋らが実施すべき警報は、午前〇時五〇分からの関係者による協議の際確認された警報の分担及び訴外小西の指示に基づき、下渕頭首工から中井川合流地点までについて行うこととなつており、同人らは、前述のとおり、この間の警報を極めて濃密に行つている。しかも、訴外東嶋らは、漫然と上流に向つたのではなく、途中訴外生駒の要請を受けて迫地点の車二台の引上げ作業に従事しているのであるから、原告らの右主張は失当である。

(2) 桜橋ー下渕頭首工間(訴外村上及び同安川)

吉野高校下流地点(桜橋)から下渕頭首工地点までの警報活動は、右に述べた訴外東嶋らの警報活動に引き続いて、下渕支所職員の訴外村上及び同安川の両名が、八月一日午前三時三〇分ころから同日午前六時ころまでの間、警報車一〇八三号で実施した。

ア 訴外村上の経歴等

訴外村上は、昭和五六年四月から、本件当日まで約一年四か月下渕支所に勤務しており、吉野川沿川、特に下渕頭首工周辺の地理、及び、キヤンプや魚釣り等のために人が立ち入りやすい場所を十分熟知していた。

イ 警報活動の全般的実施状況

訴外村上は、八月一日午前三時過ぎ、警報活動に出ていた訴外東嶋から無線で、吉野高校前地点まで再度警報してほしい旨の要請を受け、直ちに訴外小西と相談のうえ、下渕地点から下流の警報活動から戻つてきた訴外安川とともに、午前三時三〇分ころ、吉野高校前地点まで再度の警報活動に出発した。

訴外村上は、それまで、同日午前〇時五〇分前に下渕支所に出勤後、訴外小西の指示により、大迫ダム、津風呂ダム及び下渕頭首工に関する気象、水文関係のデータ整理に従事していたのであつて、右職務もダム管理上欠かせなかつたものである。また、訴外村上は、同日午前二時三〇分に本件放流がなされたことを知つており、洪水放流の場合の放流水は下渕まで到達するのに五、六時間かかることを日頃から認識していた。訴外村上らは、下渕支所を出発後、吉野川右岸を上流に向かつたが、警報活動の方法としては、すでに訴外東嶋らが同区間を警告放送しながら巡回していることから、さらに入川者がいそうと思われる場所に重点を絞つて入川者の有無を確認することとし、具体的には、美吉野橋付近、吉野大橋付近、近鉄鉄橋付近、上市橋付近、桜橋付近(この橋からは吉野高校前の河原が一望に見渡せる。)野々熊、椿橋付近(この橋の下流側に阿知賀の河原があり、一望に見渡さる。)及び阿知賀の八か所について警報活動を実施した。

このうち、近鉄鉄橋、桜橋、野々熊、阿知賀以外の場所は入川者が見当たらなかつたが、入川者が確認できた右の各場所については、いずれも訴外村上が入川者に個別に警告を与えており、相手方から退川もしくは警告が分かつた旨の合図を受け、了解していることを確認しているのであり、訴外村上らが本件当日行つた警報活動は適切であり、訴外東嶋らが行つた警報活動とともに何ら問責されるべきところはない。

ウ 阿知賀の中州での警報活動について

原告らは、被災者亡大田は、訴外井上とともに、八月一日阿知賀の中州でキヤンプしていたと主張しているが、以下に述べるとおり、訴外村上らは、亡大田らに対し、直接警告を与え、かつ、その警告内容は同人らに十分通じていた。

訴外村上らは、八月一日午前五時三〇分ころ、警報車に乗り吉野川左岸道路(県道宮滝五條線)を下流に向かつて走行し、下市町阿知賀地先の椿橋上で車を停車し、同橋上から吉野川の上下流を見たところ、下流二〇〇ないし三〇〇メートルの河原にキヤンパーのテントが二、三張りあることを発見した。この河原が本件当日、亡大田及び訴外井上がキヤンプをしていた中州である。

その後、<1>訴外村上らは、直ちに県道まで引返し、県道を下流に向かつて走行し、右中州に通ずる道路の分岐点で車を停車し、訴外村上が車から降りて急いで走つて河原に出た。<2>訴外村上は、右分岐点から約二〇〇メートルの地点で河原から上がつてきた一台の車に出会つたので、車中にいた男一名に対し、「今ダムから放流していますので、危険ですから至急上がつて下さい。」と警告するとともに同人に川の中の状況を問い合わせ、川の中にテントを張つている人がいる旨の情報を得た。<3>そこで、訴外村上は、至急そのテントの方に行こうとしたところ、後方から男の釣り人二名が川の中に入ろうとしていたので、川の中に入らないよう警告すると、その二名は警告を聞き入れ、川に入ることを思いとどまつた。<4>その後、訴外村上は、河原を約五〇メートル進んだ地点で河原にテントを張つている家族連れらしい一組に出会つた。そのうちの一名は、既に荷物を積み込み退去の準備をしているところであつたが、「ダムから放流していますので川の水が増えて危険ですからすぐ上がつて下さい。」と警告したところ、その者はすぐ了解し荷作りの作業を早めた。<5>さらに、訴外村上は、川を渡り中州に入つたところ、一張りのテントを発見したため、そのテントの入口付近で「ダムから放流してますので、水が増えて危険ですから、すぐ上つて下さい。」と大声で警告した。すると、テントの中から「すぐですか。」と問合せがあつたので訴外村上は、「すぐです。」と返答して再度至急の退去を促した。<6>そして、訴外村上は、周囲を見渡してこのテントのほかに中州に別のテントがないかどうか確認したところ、テントはなかつた。<7>訴外村上は、その後、もと来た経路を引き返すと、前記<4>の家族連れらしい一組がまだ河岸にいたので、もう一度「急いで上つて下さい。」と警告した。<8>さらに、<2>の地点まで戻ると、前記<3>の釣り人二名が、なおも中州の方へ入ろうとしていたので「危いからやめて下さい。」と再度警告したところ、同人らは、「中州じやなくて、岸やつたらええやろう。」と反発したので、訴外村上は、「それでもだめです。すぐ上がつて下さい。」と再度警告したにもかかわらず、同人らはこれを無視して強引に岸沿いに中州に入つていつた。

訴外井上及び亡大田が本件当日キヤンプを張つていた場所は、阿知賀の中州で吉野川左側の岸から五〇メートル、右側の水の流れから四〇メートル以上の所であり、これは、前記<5>のとおり訴外村上が阿知賀の中州で最後にキヤンパーに警告した場所と符号するうえ、この中州には、当時右テントのほかは前記<4>の家族連れらしい一組のテントしかなかつたことからすれば、訴外井上及び亡大田がキヤンプしていたテントは、訴外村上が前記<5>で警告したテントであることは間違いなく、訴外村上は、訴外井上及び亡大田に対し、前記<5>のとおり、至急退川するよう警告していたのである。

以上のとおり、訴外村上は、阿知賀地先の吉野川の中州で訴外井上及び亡大田に対し、ダムの放流を告げ危険なので至急退川するよう警告したのであるから、警報活動として適切なものであつた。結果として、亡大田の被災事故が発生しているが、これは、訴外村上の警告にもかかわらず亡大田が直ちに従うことはなく中州にとどまつたという同人らの異常な行動によるものであつて、訴外村上らの警報活動の適否とは無関係のものである。

(3) 下渕頭首工-栄山寺橋間(訴外安川)

下渕頭首工地点から五條市栄山寺橋地点までの義務警告区間外の警報活動は、下渕支所職員の訴外安川が、八月一日午前一時五〇分ころから同日午前三時一〇分ころまでの間、警報車一〇八三号で行つた。

ア 訴外安川の経歴等

訴外安川は、昭和一六年、奈良県吉野郡大淀町で生まれ、現在に至るまで同所に居住しており、物心つくころから奈良県南部の吉野川の特性について自分の庭のごとく十分熟知していた。しかも、訴外安川は、昭和三九年九月から下渕支所に勤務し、本件事故当日までの約一八年間、主として官用車の運転業務に従事し、その間何回かの警報活動にも従事したことがあるため、経験上、吉野川沿川の地理のみならずキヤンプや魚釣り等のため人が立ち入りやすい場所を十分に熟知していた。

イ 下渕頭首工ー栄山寺橋間の特徴

下渕頭首工ー栄山寺橋間には、警報活動を特に困難にする以下のとおりの特徴がある。

<1> 下渕頭首工地点から上流は、吉野川に隣接して一般道路が建設されているのに対し、下渕頭首工地点から下流は、一般道路の大部分が吉野川から相当の距離を隔てて敷設されており、一般道路と吉野川との間が樹木等で覆われていることなどによつて、地域住民ですら、入川者を用意に発見できるような地形的条件にない。

<2> 栄山寺橋の河原を除いては、いずれも河原に至る道路がないか、あつても未舗装の所が多くて河岸にたどりにくい。しかも、河岸にたどりついたとしても川の横断形状はU字形を呈しているため、河岸と河原との段差が大きく容易には河原に下りることができず、また、河原から河原にも容易には戻れない箇所が多い。したがつて、特に非常時には、河原や河岸に近寄つての警報活動や迅速な非難が著しく困難である。

<3> 吉野川が幾重にも蛇行しているため河原内の見通しが悪く、また、河原は川幅が狭く急流をなし露頭する岩場があり、頭部大の石が堆積点在している。そのため昼間でも歩行が困難な箇所が多く、まして夜間における歩行の困難さは一層である。

以上のとおり、右区間は、他の区間に比べてもはるかに警報活動の難しい箇所である。しかも、特に夜間で、降雨中の警報活動は、周囲が暗く街灯もほとんどないこと、吉野川の幾重もの蛇行、未舗装道路などのため昼間に比べはるかに走行しにくく、昼間の警報活動に比べて格段に困難なものであり、場合によつては道路の崖からの転落等警報活動者自身の二次災害が生じる危険性もかなり高い。

そして、本件当日被災事故が発生したとされる東阿田、島野及び六倉地点は、いずれも右<1>ないし<3>の特徴をすべて備えており、右各被災地点は、特に夜間、降雨中で緊急時の警報活動が著しく困難な箇所である。

ウ 警報活動の全般的実施状況

訴外安川は、訴外小西から、「ポイント、ポイントで河川に人がいるかいないか確認して、人がいれば警告して川から上つてもらうように。」との指示をうけるとともに、警告する内容について、「大迫ダムから放流量を増やしますので増水します。すぐ川から上つて下さい。」との内容を記載したメモを渡された。

入川者の有無を確認すべき場所として、訴外小西は、「ポイントとなる場所」と指示しているが、これは「通常入川者のいそうな場所」のことであつて、この区間のうち通常人が入りそうなキャンプ場や魚釣り場所については、訴外安川は経験上十分認識していたのである。吉野川沿川の河岸、河原のすべてを万遍なく警報活動するのが理想としても、前述の吉野川の特性や夜間で降雨中の警報活動の困難性等からすれば、右要求はおよそ実現不可能なものであり、経験上通常入川者のいそうな場所を想定して警報活動を行うことは相当である。

また、警報すべき内容として訴外小西が手渡したメモの文言は、訴外東嶋の行つた警報活動状況について述べたと同様、ダム放流に伴い入川者に対して警告する文書として必要、かつ、十分な内容を備えている。

訴外安川は、八月一日午前一時五〇分ころ、下渕支所を出発したが、これは、同人が、あらかじめ午前三時前ころ大迫ダムからの放流があることを知らされており、また、大迫ダムから放流した場合には放流水の到着までに通常五、六時間かかることを聞かされていたからであり、下流域で降雨があり増水が早まることを懸念して十分時間的余裕をもつて右時刻から警報活動に従事したのであつて、何ら問責されるべきところはない。

訴外安川は、下渕支所を出発後、吉野川右岸を走行して、大淀町佐名伝地先の「梁瀬橋」、同橋を渡り吉野川左岸を走行して五條市南阿田地先の「阿田橋」、「南阿田選果場前河原」、同市六倉地先の「大昭橋」、同橋を渡り再び吉野川右岸を走行し、同市「栄山寺前の河原」、「栄山寺橋」、「東阿田採石場」等について警報活動を実施したが、これらの場所は、いずれも一般道路が川に接近しているか橋の付近であつて、通常人がいる可能性がある場所であり、かつ、地域住民からも発見されやすい場所である。

これに対し、右以外の場所は、すべて道路からかなり離れており、およそ人が一般には入川できず、特定の限られた人しか知り得ない危険な場所である。しかも、本件当日のように、既に台風が接近し、大雨降水警報が発令されている最中であり、かつ、降雨も相当ある状況下にあつて、入川者がいるか、本件各被災者のように新たに後で入つてくるなどとは到底考えられないのである。

訴外安川は前記六か所のポイントとなる場所で、車を停車し車から降りて懐中電燈で河原を照らしながら入川者の有無を確認したところ、いずれも入川者が見当たらなかつた。

右のように、訴外安川は適正に警報活動を終了して、午前三時一〇分ころ下渕支所に帰庁し、午前三時三〇分ころ、訴外村上とともに警報車一〇八三号に乗り前記九5(三)(2)の下渕頭首工地点から吉野高校(桜橋)地点までの警報活動を行つた。

エ 東阿田、島野及び六倉の各被災場所の警報について

(ア) 東阿田の中州

亡森田が、本件当日釣りをしていたとされる場所は、原告森田豊子の主張によれば、五條市東阿田町の自宅から一〇〇メートル(実際には、一五〇メートル以上ある。)離れた吉野川の中州である。

右地点は、吉野川右岸側の一般道路に面した亡森田の自宅裏から一五〇メートル以上も離れているうえ、その間には、途中に大きな段差のある畑(しかも、段差のある畑の下の部分は耕作を放棄しているらしく背丈ほどの雑草が繁茂している。)がある。吉野川河岸に行くためには、右畑の耕作者らが耕作用につけたと考えられる幅員一メートル足らずの畦道(下段部分については背丈ほどの雑草が繁茂して道の所在すら不明である。)らしき道を通つていくことになろうが、当該箇所は、昼間でさえもその道らしいものは見えない場所であり、一般には到底その付近から吉野川に近寄つていくことができるとは考えられないし、ましてや深夜で、かつ降雨中であれば絶対に入川者はおらず、また、新たに立ち入る者もいないと考えても相当というべき箇所である。

亡森田は、自宅裏にある吉野川であるからこそ釣りに行つたものであり通常では人が立ち寄る場所ではない。

なお、当該箇所の吉野川左岸側は、河原からうつそうとした竹藪や雑木が繁茂し、吉野川に通じる道もないから、左岸側からは到底人が近寄ることはできない。

しかも、右被災地点まで本件当日警報活動をしようとすれば、深夜で、かつ、降雨もあつて警報活動者自身の二次災害の危険性も十分あつた。

したがつて、訴外安川が東阿田の亡森田被災地点を本件当日の警報活動のポイントとしなかつたとしても、何ら問責されるものではない。

(イ) 島野の中州

亡稲葉が、本件当日、釣りをしていたと思われる場所は、五條市島野下島野地先にある吉野川の中州である。

吉野川左岸からは直接右中州に渡る道はない(なお、吉野川左岸から、右中州の上流にある別の州に降りる道も県道宮滝五條線から幅一・五メートル程度の農道を約三〇〇メートル中に入りなお一〇〇メートルくらい竹藪の中を抜け、けもの道の様な草原をかきわけて初めて入ることが出来るのみである。しかし、この様な場所の入口付近にも万が一のことを考慮して立札は立てている。)。右中州に入るためには、吉野川右岸側、すなわち、訴外安川が、本件当日の警報に際し走行した往路(奈良県道五條吉野線)の途中の五條市原町(阿太橋)から栄山寺手前約一・五キロメートルをつなぐ五條市道(五條市道栄山寺原線)を通り、かつ、この市道から分岐して河川に侵入する約二〇〇メートルの未舗装の工事用道路(以前に砂利採取用に取り付けられた砂利運搬用道路)を通つて降りるよりほかはない。

右五條市道は、本件中州付近で吉野川に接近するが、道路の位置(高さ)から河原(中州)の地盤まではおよそ五〇メートルを越す断崖絶壁となつている。しかも、この市道は、本件事故当時は、未舗装であり、かつ、ガードレールや街灯も一切設置されておらず、道幅も未整備のため狭く、夜間や降雨の際はもちろん、昼間でさえこの市道を自動車で走行することは河川内に転落する恐れが十分あり、極めて危険であつたばかりでなく、見通しが極めて悪かつた。そして、右市道から分岐した道路としての体裁を全くなしていない河川への侵入路は、両側から草が覆いかぶさり、降雨により中央部が著しくえぐられ、降雨時には侵入路が水路のようになり、およそ夜間に車を走行することはもちろん走行すらも困難、かつ、危険であつた。

このように、亡稲葉の被災地点とされる島野の吉野川中州は、本件当日のような状況下で入川者がいるか又は、新たに後で入つてくるなどとは到底考えられない場所であり、警報活動を行うにもその危険性が極めて大きかつたことを考えあわせると、本件当日、訴外安川が右五條市道を走行せず河川敷内に下りて警報活動をしなかつたとしても、何ら問責されるべきところではない。

なお、原告らは、本件当日、訴外安川がとつた警報ルートに関し、訴外安川が帰路にとつた道順は相当でなく、栄山寺から東へ七〇〇ないし八〇〇メートル行つたところから入る狭い道を選ぶべきであつた旨主張する。

しかし、警報ルートの選択も警報者の裁量の問題であり、しかも、原告らの主張する右の狭い道(市道)は、右に述べたとおり亡稲葉が被災したとされる中州付近で吉野川に接するが、本件当時は、夜間で降雨の際はもちろん、昼間でも自動車で走行することは、河川内に転落するおそれが十分あつて極めて危険な道であり、車がひんぱんに通る道でもなかつたのであり、訴外安川が右の市道を走行しなかつたことは何ら問題なく、逆に右市道を走行せよというのは困難を強いるものであつて相当でない。

(ウ) 六倉の中州

亡梅田及び同奥中が、本件当日釣りをしていたとされる場所は、原告らの主張によれば、五條市六倉町地先の吉野川中州である。

右被災地点は、吉野川が幾重にも蛇行している区間にあたり、両岸に山が迫り川に入つていく道らしい道はない。そのため、この中州にあえて降りようとすれば、吉野川右岸の県道五條宮滝線の五條市六倉地先から川に向かつてほぼ直角に分岐している農道を利用せざるを得ず、この農道を約四二〇メートル進行することにより、河岸近くの崖上に到着する。この農道は、普通乗用車がやつと通れるくらいの細いでこぼこの未舗装の道であつて、本件当時は、この農道を進入した車が引き返すためには、そのままUターンすることはできず、バックにより約三二〇メートル手前にある他の農道との交差点まで戻る必要があつたのであり、夜間でしかも降雨という条件下では輪だちが水路のようになり、車の運転操作に極めて危険を伴う場所であつた。

そして、前記農道が川とほぼ直角に交差する河岸(河岸付近は背丈程に繁茂した雑草地となつている。)は、河原まで約二〇メートルの高さの断崖となつており、ここから直接中州に降りることは到底できない。中州に降りるためには、車で当該箇所まで来た場合には河岸近くで車を停め、そこから徒歩で左折し、河原に続く幅約六〇センチメートルくらいの急傾斜で未舗装の小道を雑木や木々の間をくぐり抜けながら、約一〇〇メートル進むことになる。この小道は、本件当時笹竹が胸あたりまで繁つていて河原に続く小道をすつかり覆い隠しており、車を停めた位置からは先に小道が続いているかどうかすら分からなかつたのであり、直接河原を見ることもできなかつた。また、河原の手前、二〇メートルくらいから急な下り坂となりそれを下りると崖となつており、川へはこの崖から岩伝いに二、三メートルの高さを降りるのであつて、川への降り口はこの一か所しかないのである。

したがつて、仮に本件被災地点を警報活動するとした場合には、かなりの無理危険をおかして、右の農道の終点まで車をのりつけ、さらに右の小道を歩いて亡梅田らが釣りをしていた河原に出なければならないが、昼間でさえ歩行困難なこの小道を、本件当日のように夜間でしかも、降雨時においては容易に通ることはできず、雨で小道がぬかるんでいるため、降り口の手前二〇メートルの急坂から崖をすべり落ち、河原に転落するおそれが十分ある。

また、この中州付近の河原の状況は、激しいヘアーピン形の屈曲をなし、岩礁露頭が著しく、極めて見通しが悪い。そして、亡梅田らが本件当日鮎釣りをしていたとされる河原は、河川の凸岸部に形成され極めて大粒径の礫が一面に堆積し容易には歩行し得ない。しかも、河原への降り口は右のとおり一か所しかなく、しかもその降り口付近は凸岸部から凹岸部に変化する位置に当たり、水流の反動、渦流等によつてえぐられて極めて低くなつている。

このような中州の形状からすれば、本件箇所は、およそ入川には適しない極めて危険な場所である。亡梅田らが右場所で鮎釣りをしていたとしても、この場所には一般には人が入つてこず、よほどの物好きな釣り客しか入つてこない、いわば穴場である。しかも、本件当日のように既に大雨洪水警報が発令されている最中であり、かつ、降雨も相当あつて、吉野川も増水している状況下において、後から釣り客が入つてくるとはおよそ考えられず、警報活動者として、かかる者まで念頭において警報に当たるべきであるとすることは、二次災害の発生するおそれも強く、なし難きを強いるものであつて相当でない。

以上のとおり、訴外安川が亡梅田らが鮎釣りをしていたとされる中州を警報活動の対象としていなかつたとしても、何ら問責されるべきところはない。

(エ) 立札設置との関係

被告は、後述のとおり右(ア)ないし(ウ)の各地点にダムの放流に対する注意を呼びかける立札を設置しているが、これは、警告の趣旨の徹底を期して通常ならば人が近寄らないと思われる場所にも設置していたのである。

しかも、注意立札は、入川者に対する事前注意(警告)の趣旨から設置されるものであり、地形的、予算的制約はあるが、その設置は比較的容易であり、広範囲に設置することもできるのに対し、警報活動は、地形的、気象的、人的制約のもとにできる限り効率的に行わなければならず、しかも、常に警報者自身の二次災害発生の危険も十分考慮しながら行なわれるものであるから、警報活動の対象区域も当然には注意立札が設置されている区域全域をカバーするものでなく、仮に右区域をすべて行おうとしても、状況によつては、注意立札の設置によつて入川者の自覚を促すのみで済む、ないしは済まさざるを得ない場合や地域もあり、注意立札と警報活動の役割を同一に論ぜられないことは明らかである。

(4) 右(2)及び(3)の警報の方法について

原告らは、右(2)及び(3)の警報車一〇八三号による警報活動で、近鉄鉄橋や桜橋といつた地点を除いて拡声機による警告を行つていないことを非難する。

しかし、操作規程上拡声機によつて行う警報が義務付けられているのは、中井川合流地点より上流の義務警告区間内だけであり、義務警告区間外の行政サービスとして行う警報の方法については特段の定めはなく、警報実施者が河川の実情や入川者の状況に応じて最も適当と思われる方法により行えばよいのである

(四) 西渋田の警報について

亡下岡及び原告門が、本件当日釣りをしていたとされる場所は、原告らの主張によれば、和歌山県伊都郡かつらぎ町西渋田地先の吉野川中州である。

そして、原告らは、警報区間の最下流地点を五条市栄山寺橋としていたことについて疑問であるとし、より下流沿岸地点まで延長することも考慮すべきであつた旨主張する。

しかし、義務警告区間外の警報活動が前述のとおりダム管理者の裁量に基づくものである以上、それをどこまでの区間にわたつて行うかについても裁量の問題である。放流通知の対象機関に五條警察が入つているのは五条警察署の要望があつたからであり、このことから直ちに五條警察署の管轄区域に属する下流までが警報車による警報活動をすべき区間となるものではない。ちなみに、放流通知と警報車による警報活動とでは、それに要する人員、時間、労力等において格段の違いがあることも考慮されるべきである。警報活動は、吉野川のすべての地点において行うことが理想であるとしても、財政的、人的制約を当然に内包しているのであるから、本件当日、大迫ダム関係の職員が本件被災地点のような下流についてまで警報活動を行うことは現実には不可能であつた。

さらに、亡下岡らの被災地点は、大迫ダム地点から約八五キロメートル下流に位置し、大迫ダム、津風呂ダムを除く下流のみの流域面積も大迫ダムの約八倍である。しかも、吉野川は、奈良県内は全体的に川幅も狭く勾配も比較的急峻であるが、五條市栄山寺付近から和歌山県内に入るにしたがつて、川幅も拡がり、河川勾配も約六〇〇分の一くらいと緩やかとなり、大和丹生川や紀伊丹生川等大小の支流が流入して平地河川へと移行する。そして、吉野川は、かつらぎ町西渋田地先の本件被災地点付近では川幅が優に三〇〇メートルを超す大河川となる。

一般にダム放流水の影響については、河道距離が長くなればなるほどダム放流水の直接の影響は少なくなり、流域面積が増大すればするほど下流域の降雨量の影響が増大して、ダム放流水の影響は少なくなり、川幅が拡がれば拡かるほどダム放流水による水位上昇の度合は緩やかとなる。したがつて、右のような地形的、地理的条件にあるかつらぎ町西渋田地点は、警報活動を行わなければならないほどダム放流による影響があるとはおよそ考えられない。

以上のとおり、和歌山県かつらぎ町にまで警報区間を延長するべきであつたとする原告らの右主張は、被災者が出たという結果からのみする主張であり、人員、距離、気象条件、地形、被災者等入川者がいつ入川するか予測できないこと等からみて、失当であることは明白であり、とりわけ、本件当日実行不可能であつたことは改めて論ずるまでもないところであり、大迫ダム関係の職員が、本件当日、本件被災地点について警報活動をしなかつたとしても、何ら問責されるべきところはない。

(五) 国職員が大迫支所へ向かう途上の警報について

原告らは、訴外宮田ら三名が、下渕支所から大迫ダムに向う途中で警報活動をしなかつたことは、人命を軽視した不当な処置であつた旨主張する。

しかし、義務警告区間での警報は、操作規程一四条三号で、水位上昇が開始されると認められるときの約一五分前に行うこととされており、したがつて、警報活動を行うとしても上流から行うことが基本である。また、その当時における訴外宮田らの当面採るべき措置は、まず、大迫ダムに直行して必要な措置を講ずることであつたのであり、仮に警報をしながらダムに向うこととすれば、比較的ゆつくりと走行しなければならないことから、かえつて、本来の目的である採るべき措置に間に合わないおそれも十分あつた。

したがつて、訴外宮田らが、警報活動をせずにダムに直行したことに何ら避難されるべきところはない。

(六) 八月一日午前六時以降の再警報について

原告らは、八月一日午前六時以降、下渕頭首工から下流について再度警報を行うべきであつたのに、被告は、これを懈怠した旨主張する。

しかし、下渕頭首工から下流における警報については、前記九5(三)(3)のとおり訴外安川が適切に行つており、しかも、訴外安川は、右の警報活動を行つた後、休むことなく直ちに下渕頭首工から上流の警報活動に出かけているのであり、その職務を誠実に遂行している。

原告らの右主張は、本件各被災事故が、訴外安川が警報活動を行つた区間で発生したという結果のみを過度に強調するものにすぎない。

さらに本件で被災した者のように、釣り人の中には大雨洪水警報が発令され、降雨があり川が増水しているにもかかわらず強引に入川し、中州というとりわけ危険な場所で釣りをするというおよそ常識では考えられない行動をとる者もまれにはあり得るが、いかに警報活動を行うべきであるといつても、いつ、どこに入川するか全く不明な釣り人に対して、しかも、地元住民ですら発見できないような場所にまで、漏れなく警報をすべきというのは不可能を強いるものであつて相当でない。

このように不特定な時間及び不特定な場所に入川しようとする者に、漏れなく警報するとすれば、何十キロという長大な距離を流下する水に先立つて、岩かげ等にいる入川者を確認し、個別に警告をするための人員を、延々と川沿いに長時間にわたつて配置する方法しかないのであり、これはおよそ公物管理の概念を超えた膨大な組織、人員、経費を要し、全く不可能である。そもそも、河川は許可を受けて排他的に利用される以外はすべて自由使用に委ねられており、一般道路のような利用規制の措置を講ずるまでもなく、河川本来の性格から、河川の利用にあたつては、まず利用者自らが危害防止措置を講ずべきであつて、特に本件当時のような状況下で新たに入川する者にはとりわけこの責任が大きい。本件各被災者らには、右の点が著しく欠けていたのでありこのような者に対して、警報を何回すれば良いといつたことは本来無関係なことである。

(七) 警察等他の機関の警報活動

現行法上、「洪水又は高潮に際し、水災を警戒し、防ぎよし、及びこれに因る被害を軽減し、もつて公共の安全を保持することを目的」(一条)として、水防法が制定されている。そして、同法によれば、「市町村は、その区域における水防を十分に果たすべき責任を有」(三条)し、「都道府県は、その区域における水防管理団体が行う水防が十分に行われるように確保すべき責任を有する」(三条の六)とされ、また、「水防管理者は、……水防上必要があると認めるときは、……水防団及び消防機関を出勤させ……なければならない。」(一〇条の五)、「水防管理者は、水防のため必要があると認めるときは、警察署長に対して、警察官の出勤を求めることがてきる。」(一五条)とされている。

また、警察は、「個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、……公共の安全と秩序の維持に当たることをもつてその責任とする。」(警察法二条一項)とされている。

このように、水防法及び警察法(その他地方自治法、災害対策基本法参照)の規定からも明らかなとおり、関係都道府県、市町村、消防機関、警察等地域の関係機関も洪水の発生等による危害防止のための措置をとるべき法律上の責務がある。そして、河川法四八条が、関係都道府県知事、関係市町村及び関係警察署長への通知を規定しているのは、ダム管理者の行う危害防止措置と地域関係者の行う危害防止措置とを有機的一体的に行わせることにより、より一層適切、かつ、効果的な危害防止措置が行われることを期待したものである。したがつて、ダム放流に際してとられた危害防止措置の適否を考えるにあたつては、右両者の行つた危害防止措置を総合して検討する必要がある。

本件当日の吉野川の異常出水に関連しては、大迫ダム関係者のほか、八月一日から同月四日にかけて、吉野川沿川の関係消防職員、消防団員その他の職員述べ六六〇〇人が警告救助活動を行なつているように、警察、消防署、消防団、市町村その他の機関の関係者等極めて大多数の者が警報、救助活動に従事していたのであり、これらの者各自が悪条件下にもかかわらず適切妥当な警報、救助活動を行つた結果、万全の態勢がとれたため、本件当日約八〇〇人もいたとされる吉野川の入川者のうち、本件被災者らを除くすべての者が無事避難し得たのである。

(八) まとめ

以上のとおり、警報活動は、全体としてみると正に万全であつたのであり、結果として、本件当日、被災者らの被災事故が発生したが、これはあくまでも結果論にすぎず、警報活動が吉野川の河原を万遍なく線のごとく行われ完璧を期することは望ましいこととはいえ、これは吉野川の特性や、深夜で降雨時という状況下では不可能であり、法的義務としても要求されているものではない。

しかも、本件被災者らは、いずれも、中州という非常に危険な箇所でキヤンプをし、降雨による河川増水にもかかわらず退川せずに居残つたり、河川の増水後新たに入川した者ばかりであり、被災者自身の責に帰すべき特異な行動が見受けられるのであり、本件各被災事故の発生は、被告の職員である農水省職員や警察、消防署、消防団等関係機関による警報活動の内容の当否とは無関係のものである。

6 立札の設置

(一) 立札の設置及び点検、修理

ダムを設置する者は、河川法四八条、同法施行令三一条の規定により、<1>ダムを操作することによつて流水の状況に著しい変化を生ずると認められる場合で、<2>これによつて生ずる危害を防止するため必要があると認められる場合には、ダム放流に伴う危害防止のための一般に対する周知の方法の一つとして、立札の掲示を行うこととされている。

大迫ダムでは、この趣旨を踏まえて、義務警告区間である大迫ダム地点から中井川合流地点までは、河川法施行令三一条の規定に基づき、ダム管理者たる水利事業所名をもつて、同法施行規則二六条に定める様式例にならつた様式による立札(以下「警告板」という。)を二四か所にわたつて設置していたほか、河川法に基づかず、農林水産省、吉野警察署、川上村及び河川管理者の関係機関の任意の積極的な意志でその連名による立札(以下「注意立札」という。)も三八か所にわたつて設置していた。

さらに義務警告区間外でも、農林水産省、関係警察署、関係市町村等の関係機関の任意の積極的な意思により、注意立札を河川への出入りが行われると思われる道路、通路等はもちろん、より一層の確実を期して例えばいつたん河原に降りれば容易には岸に上がれない場所等通常なら人が立ち入るとは思われないような場所にも設置しており、その数は八〇か所にも及んでいる。

これらの立札は本件事故後にダム管理者によつて必要な修復が行われているが、これは、昭和五七年八月一日より同月二日にかけての豪雨による濁流と浮遊物によつて汚損、損傷、倒壊、流失したと認められるものが数多くあつたからである。もちろん、マナーの悪い入川者等によつて故意に損傷されたと認められるものも含まれていたことも事実であるが、ダム管理者は、警告板は定期的に(約二か月ごと)、注意立札は随時(年一、二回程度)、巡視による点検と必要な小修理等を行つており、日頃の管理を怠つておらずその実効性は十分確保されていたのであり、昭和五七年八月一日以降行つた修理等もこの通常の管理業務の一環として行つたものであり、決して本件事故後あわてて実施したものではない。

また、原告らは、立札の設置場所、数量等についても問題であるかのごとく主張するが、立札をどこに、どの程度設置するかは、大迫ダム管理者が吉野川の地形、地理的条件のほか財政的条件をも考慮して裁量に基づいて決定すべきものであり、大迫ダム管理者は、義務警告区間のみならず、義務警告区間外にも、関係機関の協力を得て立札を設置しており、しかもこれらの立札設置場所の選定に際しては、いずれも現地の事情に詳しい地元民の意見を聞いたうえ、通常なら人が近寄らないと思われる場所にも設置していたのであつて、立札の設置場所、数量等についても非難されるべきところはない。

(二) 入川者のとるべき注意

前記九1のとおり、入川に伴う危害の防止は、まず入川者自らの責任で行うべきものである。

したがつて、入川するに先立つて付近にダム設置者等が設置した危険防止のための立札がないかどうかを十分確認することは、入川しようとする者のとるべき最も基本的な態度であり、設置された立札に記載された内容を遵守すべきである。そして、一般に誰にでも見える位置にダム管理者等の設置した立札があるにもかかわらず、入川者がそれに気がつかず見過ごしたとすれば、これは、明らかに入川者の責任である。

もつとも、立札による掲示は、沿岸住民等地元に住む者には周知されやすいが、キヤンプ、魚釣り等のために入川する外来者等に対しては、記載内容の徹底を期しがたい面があることも否定し得ない。そのため、前述のとおり、大迫ダム管理者は警告板のほかに、注意立札を数多く設置し、より一層の警告の趣旨の徹底を期するとともに、外来者等を含む入川者に対して確実に危険を周知させるとの見地から、ダム放流に先立つて吉野川沿いに警報車を走らせ、入川者に呼びかけるといつた警報活動を実施しているのである。

(三) 各被災場所の立札について

(1) 宮滝大橋

宮滝大橋付近には、本件被災事故当時、吉野町区長会連合会が、入川しようとする者に対する注意立札を、宮滝大橋付近吉野川左岸の吉野町道沿いに、<1>宮滝大橋詰めから約三〇〇メートル下流地点から分岐する県道わき及び<2>右分岐点からさらに約三〇〇メートル下流地点にそれぞれ設置していた。

この立札は、当時著しくマナーの悪くなつた入川者にする、注意喚起を目的とする立札であるが、右立札に記載されている注意書の一つとして、「当区長の許可なくキヤンプ(川あそび)をすることを禁止する。」がある。これは、地元消防団等を通じ吉野川の清掃、水難救助活動を実施している吉野町各区が、キヤンプや水遊び等のために入川する者の安全とマナーについて注意喚起するためのものであり、中州(岩場)はキヤンプをするにはあまりにも危険な場所であり、このことは地元の住民の間では当然の事実となつているから、宮滝大橋下でのキヤンプには区長の許可が下りるはずがないのである。したがつて、当該立札に書かれていることを遵守しようとする入川者は、宮滝大橋下でキヤンプをするなどということはあり得ず、もし宮滝大橋下でキヤンプをしたとすれば、それは、右立札に書かれていた注意書を無視して強引にキヤンプしたか右立札を見過ごしたとしかいいようがない。

右立札に書かれている「許可」とは法律等にその根拠を有するものではないが、それにもかかわらず「許可」ということを明記しているのは、右地点付近があまりに危険な場所であるためどうしても入川してもらいたくないという区長の意思が表われているのであり、真に右立札の意思をくむ誠実な者であれば、単に「注意喚起」にとどまらず、「入川してはいけない」という意識が働くはずであり、そうでない者であれば、そもそもいかなる内容の立札を設置したところで何の意味もない。

したがつて、大迫ダム管理者が宮滝大橋付近に改めて「注意喚起」のための立札を設置する必要は全くなかつたのであつて、この点につき何ら問責されるべきところはない。

(2) 阿知賀

亡大田の被災事故地点とされる阿知賀地点付近には、本件事故当時、五か所の立札が設置されていた。

すなわち、<1>近鉄越部駅の裏約六〇メートル吉野川寄りの川岸<2>椿橋の右岸たもと、<3>椿橋の左岸たもと、<4>県道宮滝五條線から阿知賀地先の中州に通じる道路が吉野川と直角に交わる地点の川岸、<5><4>の立札から約三四〇メートル下流の左岸の川岸にそれぞれ注意札が設置されており、いずれも極めて目につきやすい状況であつた。

なお、<4>の立札は、本件当日の吉野川の増水で流失したため、昭和五八年五月に旧位置より南西方向約五メートルの角に立て直している。

訴外井上と亡大田が、七月三一日、近鉄越部駅で下車し、徒歩で約三四〇メートル上流の椿橋を吉野川右岸側から渡り、県道宮滝五條線まで出て当該県道を下り、分岐点を右折して吉野川に出、さらに左折して本件中州に入つたとすると、同人らには、少なくとも右<2><3><4>の立札が容易に目につく位置にあつた。訴外井上らが右<2><3><4>の立札のすべてに気がつかなかつたことはおよそ考えられないところであるが、仮に、気がつかなかつたとすれば、同人らがいかに入川者のとるべき注意に欠けていたかを物語つているものである。特に、右<2>の立札には、「川原でのキヤンプはやめて下さい。」と明記されているのであり、同人らの吉野川中州でのキヤンプは右立札の警告の趣旨に沿わないものである。

(3) 東阿田

亡森田の被災事故地点とされる五條市東阿田地先の吉野川の中州は、前述のとおり、一般道路から吉野川まで二〇〇メートル以上も離れていて当該道路からは吉野川は見えず、しかも通常では人が近寄れるような場所ではないから、この付近には立札が設置されていなくとも本来何ら問責されることはないのであるが、大迫ダム管理者は、本件事故当時、この付近に五か所の立札を設置していた。

すなわち、<1><2>吉野川左岸に二か所、<3>亡森田の自宅から西の五條市街地寄りに約二〇〇メートル離れた東阿太郵便局前(東阿田公民館の斜め前)、<4><3>の立札から南西方向約一五〇メートルの里道わき杉本宅裏、<5>西阿田バス停前、にそれぞれ立札が設置されており、いずれも極めて目につきやすい状況であつた。

そうすると、亡森田は、その近所に長らく居住していたことからすると、右立札を日頃から目にしていたことは容易に推認し得る。

(4) 六倉

亡梅田及び同奥中の被災事故地点とされる五條市六倉地先の吉野川の中州は、前述のとおり、一般道路から約四二〇メートル以上も離れ、道路からは吉野川を見ることはできず、通常なら到底人が近寄ることは考えられない場所であるから、この付近に立札が設置されていなくても、本来、何ら問責されるものではないが、大迫ダム管理者は、本件事故当時、この付近に三か所の立札を設置していた。

すなわち、<1>吉野川の左岸側の被災地点から北東方向約四〇〇メートル地点道路わき、<2>吉野川右岸側県道五條吉野線の六倉地先から川に向かつてほぼ直角に分岐している農道と他の農道との交差点(吉野川から約三二〇メートル手前の交差点)<3>右県道からの農道との分岐点から北西(五條市街地)方向約一〇〇メートル地点の右道路わき、にそれぞれ立札が設置されており、いずれも極めて目につきやすい状況であつた。

亡梅田、同奥中、訴外石田及び同東条の四名が、八月一日午前三時三〇分ころ堺を出て、六倉の中州に至るまでの経路及びそれが真夏の午前五時前の明るい時であることからみて、同人らにとつては、少なくとも<2>及び<3>の立札が容易に目につく位置にあつた。まして、同人らは、右六倉の中州には、本件事故前に既に五、六回も魚釣りにきていたのであるから、昭和四九年ころから設置されていた右立札に当然気づいてしかるべきである。仮に、同人らが右立札のすべてに気がつかなかつたとすれば、同人らがいかに入川者のとるべき注意に欠けていたかを物語つている。

(5) 西渋田

亡下岡及び原告門の被災事故地点とされる西渋田地先の吉野川は、前述のとおり、地形的、地理的条件から、大迫ダムからの放流下が、危害防止措置を講じなければならないほどの影響があるとは考えられないから、大迫ダム管理者としては立札の設置の必要性を認めなかつたのである。

河川のどの程度下流にまで立札を設置するかについては、地形的、地理的、財政的条件等を考慮した自由な裁量に基づくものであり、いかなる場所についても立札を設置すべきであるというような義務はない。

したがつて、本件当時かつらぎ町西渋田地先付近に立札を設置していなつたことをもつて、何ら問責されるべきところはない。

一〇  因果関係の不存在

1 はじめに

以下に述べるとおり、本件の各被災事故は、各被災地点の危険性などからみて、大迫ダムからの放流水によつてしか説明できないものではない。

加えて、各被災者は、奈良県南部で大雨洪水警報が発令され、吉野川集水域に集中豪雨が発生している危険な状況下で、かつ、吉野川の中州又は州という大変危険な場所で、キヤンプをし、又は新たに釣りのため入川したのであり、このような行動自体、通常人としては理解し難い特異な行動であるから、本件各被災事故と大迫ダムの放流との間には因果関係はなく、また、観点を変えれば国家賠償法二条一項の「管理の瑕疵」にも該当しない。

2 亡塩崎について

(一) 被災場所の河川の状況及びその危険性

吉野川は、前記一4のとおり、強い夕立程度の降雨でにわかに増水し、時としてまくれ水が発生するといわれ、急な増水が起こりやすい河川であり、特に、宮滝大橋付近は、吉野川が湾曲して流れ、幅員も狭く、流れも急になつている場所で、典型的な山岳河川の性状を呈し、降雨時には、急激な出水が起こり得る場所である。

宮滝大橋地点は、大迫ダムから河道距離で約三三キロメートル下流に位置し、約七キロメートル上流で、高見川が合流しており、大迫ダムからの放流がなくとも高見川の増水又は下流域の降雨のみによる増水で亡塩崎らがキヤンプしていた中州は、しばしば水没している。

加えて、宮滝大橋地点には、支流の谷山川(延長四・五キロメートル、幅三ないし五メートル。)が流れ込む地形にある。谷山川は、川の延長が短く、地形が急峻なため、いつたん降雨があれば増水しやすく、本件事故当時も、午前三時ころには、かなりの程度増水して、石がカラカラと音を立てて流れていた。しかも、右支流から流れ込む流水は、中州の上流部の岩場に遮られ、いち早く左岸側へと流れ込み亡塩崎らがテントを張つていた中州の砂利付近を直撃する位置関係にあつた。

また、亡塩崎らがテントを張つていた場所は、水面からわずか一〇センチメートル、水際からも、人ひとりがテントにすり寄つてようやく通れるくらいしか離れていない場所であつた。そして、右中州は、河岸からの距離が左岸側で約二〇メートル、右岸側で約三〇メートルあり、周位の水流の水深は、七月三一日でも、左岸側の一番浅い所で膝下くらいであつた。

しかも、吉野川の湾曲のため、増水すると流れの中心が左岸側へぶつかり、亡塩崎らがキヤンプしていた中州の砂利付近に大量の水が流れ込む形となる。

以上のとおり、亡塩崎らがキヤンプしていた中州は、たとえ異常な豪雨がなく又は大迫ダムからの放流がなくとも、ダム下流域のわずかな降雨による吉野川の自然増水により水没するか水没すれすれの状態となつて川岸から孤立する場所であり、水の流れもあつて川岸まで渡ることはたとえ水泳の得意な者でも難しい危険な場所であつた。

(二) 亡塩崎の被災時刻

(1) 訴外西山の被災後の行動及びその所要時間からの推定

亡塩崎とともに宮滝大橋下の中州で被災した、訴外西山の被災後の行動とその所要時間は次のとおりである。

<1> 流されて左岸にたどり着く。

<2> 左岸にたどり着き、竹藪を抜け道路に出る。        …約一〇分。

<3> 左岸側道路を亡塩崎を探しながら下流に下り柴橋下流まで行き、連絡のため引き返し、宮滝大橋を渡り、吉野広域消防組合本部に行く。       …約三〇分。

<4> 右消防組合本部で説明と救助要請する。          …約 五分。

<5> 再度、右岸側道路を下流に下り、柴橋を渡り、左岸側道路を下流に下つたところでパトロールカーと出会い、乗せてもらつて右消防組合本部に戻る。 …約一五分。

<6> 右消防組合本部で具体的に説明する。           …約一〇分。

<7> 再度、亡塩崎を探しに右消防組合本部を出る。

また、訴外西山は、柴橋左岸下流約五〇〇メートルの地点(御園屯所)で、訴外阪本と話している途中で、パトロールカーに乗つて上流へ向かい、その後、宮滝大橋付近路上で、救難活動に出動した訴外岡本に、亡塩崎の捜索を依頼している。そして、右捜索依頼がなされたのは、八月一日午前四時四〇分ころであつた。

右捜索依頼がなされたのは、右の<6>の直前又は<7>の時点であつたと考えられ、そうすると、亡塩崎らの被災時刻は、八月一日午前五時ころではなく、遅くとも同日午前四時前である。

(2) 被災場所の降雨状況からの推定

亡塩崎及び訴外西山は、宮滝大橋の排水溝からの水滴がテントを打つ音で目が覚めたが、その時は、まだ暗く、音もなく静かな霧雨が降つていた。亡塩崎らは、相談して、夜が明けてから退川することを決め、テント内の小物等を整理したり、外の様子をみたりして、明るくなつたと同時くらいにテントをたたみ始めたが、たたみ終わらないうちに水嵩が増えてきた。右の間約一時間程度でありその間の降雨状況は同じであつた。

霧雨というのは、霧のように細かい雨滴が降る場合の雨で雨量としては少なく、また、雨の強さと雨の降る状況との関係は前述の別表7のとおりである。

そして、宮滝地点の本件当時の降雨状況は次のとおりである。

八月一日午前〇時(三〇分間雨量) 三・五ミリメートル

同日 午前〇時三〇分(右同)   一・〇ミリメートル

同日 午前一時   (右同)   二・五ミリメートル

同日 午前一時三〇分(右同)   二・五ミリメートル

同日 午前二時   (右同)   二・五ミリメートル

同日 午前二時三〇分(右同)   二・五ミリメートル

同日 午前三時   (右同)   二・五ミリメートル

同日 午前三時三〇分(右同)   三・五ミリメートル

同日 午前四時   (右同)   五・五ミリメートル

同日 午前四時三〇分(右同)   七・〇ミリメートル

同日 午前五時   (右同)  一〇・〇ミリメートル

同日 午前五時三〇分(右同)  一四・五ミリメートル

同日 午前六時   (右同)   九・〇ミリメートル

同日 午前六時三〇分(右同)   五・〇ミリメートル

同日 午前七時   (右同)   三・〇ミリメートル

そうすると、右の降雨状況からみて午前四時ころに霧雨の状況ということはあり得ない。午前四時から午前五時にかけては、時間雨量で一七ミリメートルを記録しているのであつて、相談して夜が明けてから退川することに決めるような悠長な状況では全くなく、右のような悠長な相談があつたのは、遅くても同日午前三時以前のことであると推認できる。

(3) 明るくなる時刻からの推定

八月一日は、午前四時前後に明るくなる。明るくなる時刻は、日の出の時刻より相当早い時刻であることは誰でもが経験することであり、それは山地等の条件による影響はない。これを天文学的には「薄明」といい、日常では、「空が白みかける」と表現する。

亡塩崎らは、明るくなると同時にテントをたたみ始め、その直後に被災したのであるから、本件被災時刻は午前四時ころと推認できる。

(三) 本件放流水の被災場所への到達時刻

(1) 放流水の到達時間算定の困難性

ダムの放流水がある地点にいつ到達するかを算定することは、その時々の河川の自然流況等が明らかでなく、かつ、まちまちであることから著しく困難である。

特に、本件のように、洪水放流を必要とする場合、ダム集水域だけでなく、ダム下流域及び高見川等多数の支流集水域で、強い降雨が発生している場合、ダム下流域及び支流集水域の降雨流出とダム放流水のいずれがその地点の水位上昇を生ぜしめたかを正確に論じることは、事後においても正確に検証することは、不可能を強いるに等しいものである。

(2) 水位観測記録からの推定

大迫ダムの本件放流開始時刻は八月一日午前二時三〇分である。

下渕支所では、同日午前六時八分以降に他とは異なつた水位の上昇がみられる。

大迫ダム地点から宮滝地点までの河道距離は約三二・七キロメートルであり、宮滝地点から下渕支所までの河道距離は約一三・三キロメートルである。

右の下渕支所での水位上昇が大迫ダムの本件放流による放流水の影響によるものと仮定し、かつ、大迫ダム地点から下渕支所まで一定の流速で流下したと仮定したうえで、左記算式によつて、本件放流が宮滝地点に到達した時刻を算出すると、同日午前五時五分ころ到達したといえる。

t(所要時間)≒32.7(km)/32.7(km)+13.3(km)×218(分)=155(分)=2時間35分

T(到達時刻)≒2時30分+t(2時間35分)=5時05分

(3) ダム管理に利用するグラフからの類推

大迫ダムの管理において、警告及び警報の実施のための一応の目安として利用されていた「大迫ダムからの放水の到達時間」と題するグラフが存在する。

右グラフの基礎資料の作成については、義務警告区間(ダム地点から中井川合流点まで)のうち、柏木、北和田、白川渡、下多古、武木口、井戸(二か所)、白屋及び衣引の九地点の「水位・流量関係式」がまず作成される。右「水位・流量関係式」を求めるについては、それら各地点の横断面図を作成(実測)し、その後に発生した降雨流出のうち、比較的低水位のときは、流量観測により当該観測水位に対する流量を求め、高水位のときには、右観測が困難なことから、右横断図面と公式により当該水位に対応する流量を算出し、次いで、その結果、河川水位(H)に対応する流量(Q)を右各地点ごとに図上にプロツトし、各点を結んで右基礎資料のグラフ(水位流量関係曲線、H~Q曲線)が作成される。次に、流量毎秒二〇立方メートルと毎秒三五〇立方メートルのときの右各地点の各水位を、右「水位流量関係曲線」で算定し、右各水位のときの各地点の河川の断面積(流積)を右横断面図により求積し、右流量(毎秒二〇立方メートル又は毎秒三五〇立方メートル)を流積で除すと右各地点のそれぞれの場合の平均流速が算出される。そして、例えば、白屋と衣引間は一〇・八キロメートルの距離があるから、白屋地点の流速で流水が流れるものとして、その所要時間を算出し、右区間ごとに右作業をすれば、右各流量の各区間ごとの到達時間が算出されるのであり、それを右各区間にわたつてグラフ化したものが右の「大迫ダムからの放水の到達時間」と題するグラフである。

右グラフの考え方を推し進め、衣引(中井川合流地点)から六倉地点までの間を新たに加え、毎秒八一三立方メートル(本件放流の一山目の最大値。)の放流量について、大迫ダムから各地点までの到達時間をグラフ化すると、大迫ダムから瞬時に毎秒八一三立方メートルの流量を放流し、それを継続した場合には、放流水が宮滝地点に到達するまで約二時間三六分の時間を要することがわかる。

そうすると、本件放流開始時刻は同日午前二時三〇分(ただし、この時に毎秒八一三立方メートルの流量を放流したわけではない。)であるから、右最大放流量による到達時間からすれば、大迫ダムからの放流水が宮滝地点に到達するのは早くみても同日午前五時六分であり、これは右(2)で求めた到達時刻(午前五時五分ころ)とほぼ一致する。

(4) その他の事実からの検討

前記(二)の宮滝地点での亡塩崎らの被災時刻(八月一日午前四時ころ)には、本件放流水が同地点に到達していなかつたことは、以下の各事実からも明らかである。

<1> 本件当日警報活動に従事した訴外生駒が、中井川合流点に着いた同日午前四時二七分ころには、ダム放流水は同地点に到達しておらず同人がダム放流水が来ていると感じたのは同日午前四時四〇分ころ大滝地点においてである。

<2> 吉野警察署新子駐在所の巡査訴外山岡が、同日午前四時三〇分ころ、吉野町窪垣内の川原(高見川合流地点付近)でキヤンプ中のテントを発見し、地元消防団の協力を得てキヤンパーを救助したが、その時点でダムの放流水はその上流約一キロメートルの地点までしか来ていなかつた。

<3> 訴外村上が、八月一日午前四時二〇分ころ、警報活動の途中で吉野警察署に立ち寄つた際、同署では既に宮滝地点での救助活動について電話による打合せが行われていた。

<4> 氏名不祥の橿原の釣人は、八月一日、鮎釣の場所取りに暗いうちから柴橋の地点に来ていたが、川がほんのりと見えるようになつたころ、胴に寝袋と思われる黒いものを巻いた亡塩崎と思われる者がもがきながら流されて行くのを目撃している。

(四) 被災場所までの大迫ダム下流域の降雨状況

大迫ダム下流域の降雨状況は、前記四4(一)のとおりである。

すなわち、大迫ダム下流の吉野川本流域の降雨は、七月三一日午後一〇時三〇分から同日午後一一時ころに降り始め、翌八月一日午前〇時ころにはほとんど全域に降り、時間を追うごとにその強さを増していつた。特に、本件放流開始時には、降雨は、大部分の地域で四〇ないし七〇ミリメートル程度(累計雨量)に達し、また、一時間雨量も強いところでは二〇ないし四〇ミリメートルという強いものであり、かなりの増水を発生させるに十分なものであつた。この強い雨は、八月一日午前二時三〇分以降も引き続き、その強さは流域全体の平均値で毎時約二〇ミリメートルであつた。

そして、高見川流域でも、本件放流開始以前に二〇ないし六〇ミリメートル以上の累計雨量に達し、特に高見山では、七月三一日午後一一時から八月一日午前〇時の一時間に四〇ミリメートルという極めて強い強雨を記録している。そして、この降雨は、その後も引き続き、流域全体の平均でも毎時一〇ミリメートル程度の豪雨が継続したのである。

また、宮滝地点の降雨状況は、右(二)(2)のとおりであり、七月三一日午後一一時三〇分過ぎから降雨が始まり、強くなつたり弱くなつたりしながら断続的に降り続き、特に午前三時三〇分過ぎからはその強度を増していた。

(五) 吉野川の本件放流水到達前の増水

右(四)の大迫ダム下流域の降雨状況及び以下の事実から明らかなとおり、吉野川は、本件放流水到達前から自然増水していたのである。

<1> 吉野消防団中荘支団第四分団長訴外田向は、八月一日午前二時過ぎ、宮滝大橋地点より上流約二・五キロメートルの五社大橋地点で、吉野川が普段より少し増水しているのを確認しており、河川の増水による危険から既に入川者の救助活動を行つている。

<2> 前記一〇2(一)のとおり、宮滝大橋下の中州に直撃するように流れ込む吉野川の支流の谷山川は、八月一日午前三時ころ、かなりの程度増水しており、石がカラカラと音を立てて流れていた。

<3> 訴外岡本は、八月一日午前四時過ぎ、宮滝大橋地点から上流約二・六キロメートルの樫尾の訴外岡本宅前の吉野川は、一面の濁流で川原も水没するほどに増水していることを現認しており、また、それ以前に、雨もやみそうになく瀬音も高くなつてきたので、増水が気にかかり、地元消防団員の出動について思案していた。

<4> 吉野町消防団中荘支団第二分団部長訴外阪本は、同日午前四時過ぎ、出動の連絡を受け、一〇分ないし一五後、宮滝地点から下流約一・二キロメートルの御園の屯所に到着したとき、下流でキヤンプをしていた人が流されたが無事避難し得たことを確認している。

<5> 同中荘支団第三分団班長訴外上田は、同日午前四時二〇分ころ、宮滝地点直下流の増水状況について、一番高い岩場の頭だけが水面から出て、付近の川原はすべて水没し、白く光つている感じであつたことを確認している。

<6> 八月一日の吉野川の状況は、上多古川の合流点では、ダムの放流よりも支流から流れている水の量が非常に多く、濁流状態になつて本流に流れており、その下流でも、各支流から流れ込む水は、濁流となつているため本流も濁り、下流に行くほど水嵩も多い状況であつた。

<7> 八月一日午前四時ころ、高見川は、既にゴウゴウとものすごい音をたてて流れていて、吉野川本流と間違う状況にあつた。

<8> 八月一日午前四時三五分ころ、宮滝大橋地点から河道距離で約二・六キロメートル上流の樫尾地点で、水は、消防水利のための施設を越えて護岸ブロツクの三、四段目くらいのところまで来ていた。

そして、水がブロツク四段目までくるときの流量は、毎秒二七〇立方メートルより多い。

(六) 亡塩崎らの被災状況

(1) 増水時の行動

亡塩崎と訴外西山は、増水に対して以下のとおりの行動をとつている。

<1> 荷物を一段一段と岩場の高い所へ押し上げた。

<2> テントにも未練をもち、荷物を捨てて退避しなかつた。

<3> 増水に気付いていない右岸のワゴン車が流されるいきさつをつぶさに観察している。

<4> 訴外西山と亡塩崎は、手をつなぎ、亡塩崎は寝袋を肩にかけ、訴外西山はゴミ袋(荷物)を手に持ち、渡ろうとした。

<5> その後、亡塩崎らは、二〇メートルくらい押し流された時点で「舟形の岩」にぶつかり、手が離れ、亡塩崎は本流へ流された。

右<4>の事実は、その当時原告らが主張するような急速、かつ、急激な増水状況になかつたことを物語つている。なぜなら、流され泳ぐような状況であるとすれば、亡塩崎らが手をつないで川の中に入ることはおよそ常識では考えられないことだからである。亡塩崎らの寝袋やゴミ袋は、歩いて渡る途中足元をとられ転倒したときに備えて浮き代わりにしようとしたものと考えられる。そして、二、三メートルもの高さの中州が完全に冠水するまでの急激な状況になかつたことは、右<5>の「舟形の岩」に二人がぶつかつた事実からもうかがえる。そして、右<1>ないし<3>の亡塩崎らの一連の行動をみても、いかにも悠長な行動であつて、緊迫感が一切感じられない。

したがつて、原告らが主張するような急速、かつ、急激な増水によつて、亡塩崎らが流されたものではないことは明らかである。

(2) 流水に流された後の状況

訴外西山と亡塩崎が二人で押し流された後、二〇メートルくらい押し流されて、舟形の岩のあたりでつないでいた両手の間に衝撃があり、岩か流木かで、手を離され、亡塩崎は右岸の本流の方向に流され、訴外西山は反対側に流された。

右の手が離れた舟形の岩は、吉野川が枯渇状態のような時でもわずか一メートル程度の高さでしかなく、吉野川の流量が毎秒七〇立方メートル程度の増水で既に水没してしまう。なお、右の程度の増水で、対岸にあつたワゴン車は、既に危険な状態になり、さらに流量が増加して毎秒一〇〇立方メートル程度になれば、ワゴン車は完全に流失し得る状況となる。

そして、しつかりつないでいた手が離れ、スポーツ万能で泳ぎも得意の亡塩崎のみが、本流の方向に流されたということは、頑丈な固形物(舟形の岩)によつて分離されたとみるのが自然である。

以上によると右当時は中州がすべて水没してはいない状態であつたというべきである。

(七) 因果関係の不存在(自然増水による被災)

以上のとおり、本件当日相当量の降雨が吉野川本流及び吉野川の大小多数の支流を通じて吉野川本流に流れ込み、既に、吉野川は、本件当日の早い時刻から自然増水していたのであり、しかも、亡塩崎らがテントを張つていた中州の砂利のたまつた所はわずかの増水で冠水し、中州全体も容易に水没してしまう非常に危険な場所であつたから、大迫ダムの放流水でなくとも、それ以前に始まつている自然増水により、孤立してしまう場所であつて、そのため、亡塩崎らも中州に取り残され孤立してしまい、対岸まで避難しようとして腰までつかりながら川を渡つている際中に、自然増水による水流によつて流されてしまつたのである。増水中の河川を渡ろうとするとき急激なものでなくても水流によつて体の自由を奪われて流されてしまうことは絶えずあることで、ダム放流水でなければ人間が流されないというものではない。

他方、本件放流による水はいまだ宮滝大橋付近に到達していないから、亡塩崎らは、ダム放流水により流されたものではない。

よつて、本件大迫ダムの放流と亡塩崎の死亡との間に因果関係はない。

3 亡大田について

(一) 被災場所の河川の状況及びその危険性

亡大田の被災場所である阿知賀の吉野川の中州は、大迫ダムから河道距離で約四四キロメートル下流に位置し、大迫ダム及び津風呂ダムの流域を除いた流域面積は約四〇〇平方キロメートルで、大迫ダム流域の約四倍に相当することから、ダム放流に伴う増水等の影響は相当薄れるが、逆に下流域での降雨による影響が大きく働き、水量もそれだけ多くなり、危険であることには変わりはない。

また、阿地賀付近の吉野川は比較的川幅も広く、右中州の広さも広いが、平常時は中州の直前付近で急に流れの中心(みお筋)が右岸寄りに方向を変え、左岸側は水が流れていないか、又は流れていても少量で水深も浅いが、増水時には流れは亡大田らがキヤンプしていた付近を狭み込む形で中央又は左岸寄りにも流れ込み、完全な中州となつて孤立するような地形である。

そして、七月三一日、亡大田らが右中州に渡つた部分は冠水していなかつたが、少しの増水で完全な中州となる危険な場所であつた。

しかも、亡大田らが本件当日テントを張つた場所は吉野川左岸側から約三〇メートルで、高さは水面からわずか三〇ないし四〇センチメートルの所であるから、少しの増水で冠水又は水没し、泳いでしか川岸に避難できず(それも水流があり容易とはいえない。)、孤立しやすい場所であつて、夜間泊り込んでキヤンプをする場所としては論外な危険な場所であつた。

(二) 被災場所の降雨状況

阿知賀から下流約二キロメートルの下渕支所の降雨状況は、別表20のとおりであり、阿知賀でも、下渕支所と同様の(上流に位置することから下渕支所よりむしろ強いとも考えられる。)降雨状況であつたと推認される。

(三) 亡大田らの異常行動

八月一日の亡大田らの被災に至るまでの行動は、以下に指摘するとおり異常である。

亡大田らは、本件当日午前一時ころテントをたたく激しい雨の音で目を覚まし、その後も眠られる状態でない降雨が続いており、河川内の中州であるキヤンプ場所は危険が増していく状況にあつたにもかかわらず特段理由らしき理由もなく川から避難せず、被災まで約五時間にわたつて漫然と無為な時間をすごした。

特に、亡大田らは、前記九5(三)(2)ウのとおり訴外村上から、直接「ダムから放流していますので、水が増えて危険ですから、すぐ上がつて下さい。」と大声で警告されているにもかかわらず、これに直ちに従うことなくそのまま中州にとどまり退川しなかつたのである。

しかも、亡大田は泳げず中州に孤立してしまえば避難できなくなるのは目にみえていたのであり、亡大田らの右行動は、分別ある社会人の行動としては到底理解し難く、異常なものである。

(四) 因果関係の不存在等

(1) 自然増水による被災

亡大田らの被災当時、前記一〇2(五)の吉野川の自然増水によつて、亡大田らがキヤンプしていた中州は完全に川岸から孤立しており、水泳のできない亡大田は、冠水ないし水没した中州から対岸まで渡るため川の中に入つたところ、自然増水した流水によつて体の自由を奪われ流されてしまつたのであり、急激な流水によつて流されたのではない。

(2) 異常行動による被災

亡大田らの本件被災事故に遭うまでの行動は、社会通念上一般人がとるべき行動を大きく逸脱した自殺的行動とも評価すべき特異なものであり、本件被災事故は右異常行動に起因するものであつて、ダムの放流水との間には関係はないから因果関係はなく、また、観点を変えれば法的保護に値しないという面で「設置管理の瑕疵」がないということができる。

4 亡森田について

(一) 被災した時刻、場所及び状況の不明確

原告らは、亡森田が、大迫ダムの本件放流による増水で被災した旨主張するが、本件当日、亡森田が釣りに行くのを見た者はいないし、釣りをしている状況を見た者もいないことから、亡森田の被災時刻、被災場所、被災状況のいずれも一切明らかでなく、原告らは何ら根拠もなしに単に推測に基づく主張をしているにすぎず、本件放流による増水によるという結論のみを所与の大前提として、被災時刻、被災場所、被災状況を立論しており、これのみからも既に因果関係の存在することを認定し難いことは明らかである。

(二) 被災場所の河川の状況及びその危険性

原告らが、亡森田の被災場所と主張する東阿田の中州は、大迫ダムから河道距離で約四八・六キロメートル下流に位置し、大迫ダム、津風呂ダムの集水域を除いた流域面積は約四三〇平方キロメートルに及び、大迫ダム流域の約四倍弱に相当するから、ダム放流に伴う影響は極めて少なくなり、逆に同ダム下流域からの流入の影響が極めて大きくなる箇所である。

本件当時、右中州の両側に水流があり、下流に向かつて左岸沿いは流れが早く、右岸沿いは溜り水状になつており、しかも、右中州は、水面より少し出ているだけの低い砂利で、右岸沿いの溜り水の場所は水が増えると流れ出し、降雨時のわずかな増水による水位の上昇によつて、中州自体が完全に水没してしまう危険な場所であつた。

(三) 被災場所の降雨状況

東阿田から上流約二・六キロメートルの下渕支所の降雨状況は、前記一〇3(二)のとおりであり、東阿田でも、下渕支所とほぼ同様の降雨状況であつたと推認される。

(四) 被災場所の自然増水

下渕支所の下流水位の上昇は、別表21のとおりであり、下渕支所で降雨が始まつたと思われる八月一日午前一時の水位は一二八・四四メートルであり、同日午前六時には一二八・八二メートルに上昇し、その間の三八センチメートルの水位上昇は前記一〇2(五)の降雨流入による自然増水に起因する。

そして、東阿田地点の吉野川でも、同日午前一時ころから水位の上昇が始まり、同日午前六時ころには三〇ないし四〇センチメートルの水位上昇があり、流量も多くその流れは急激なものであつたと推認される。

(五) 因果関係の不存在

(1) 中州での釣りの異常性

八月一日午前六時ころは、東阿田地点の吉野川もかなり増水しており、原告らが亡森田の被災場所と主張する中州もかなりの部分が冠水していたものと思われ、右時刻に亡森田が吉野川に入り、本件中州で釣りをしていたとは到底考え難く、仮に亡森田が右のように危険極まりない中州に入川して釣りをしていたとすればそれは通常人として到底予測できない異常な行動によるものであつて、その結果による被災事故を被告の責に帰することはできない。

(2) 岸からの転落又は急流で足をすくわれた可能性

被災場所及び被災状況の一切明らかでない本件では、亡森田は、岸辺から釣つており、その途中足を踏みはずして吉野川に転落したか又は川の中に入つて釣つていて急流で足元をすくわれ転倒した可能性も十分考えられる。

(3) まとめ

以上のとおり、東阿田地点での亡森田の本件被災事故が大迫ダムの本件洪水放流に起因するとの原告らの主張立証は、不十分である。

5 亡稲葉について

(一) 被災場所の河川の状況及びその危険性

吉野川は、川上村大滝付近で曲流が始まり、吉野町楢井で上流部の曲流部が終わる。その後、河川の幅も広く勾配も緩い中流部が続くが、五條市阿田付近で第二の曲流が始まり、五條市栄山寺までこの曲流が続く。大迫ダム及び津風呂ダムの流域を除いた上島野地点での吉野川の流域面積は、約四四〇平方キロメートルであり、これは大迫ダム流域の約四倍に相当する。

亡稲葉が被災したとされる上島野の中州は、大迫ダムから河道距離で約五三キロメートル下流に位置し、右の第二の曲流がわずかながら直流状を呈する辺りの島状に突出した岩礁に沿つて砂礫が堆積したもので、絶えず発達衰退を繰り返しつつ今日に至つている極めて不安定な中州である。このため、右中州の形状は、菱形に近い不整形で、中州の上端から下端までの距離は約二〇〇メートル、左岸側から右岸側までの幅は広いところで七〇ないし八〇メートルである。中州の水面からの高さは、その位置によつて異なるが、せいぜい約一〇センチメートルから一メートル程度である。

本件当時右中州の左岸側が本流(みお筋)であつたが、この本流は、上流から下流へ中州をS字状にう回するように流れている。したがつて、いつたん増水すると、水流の方向はS字状から直流状に変化し、右中州を直撃するように流れる。このため、中州と右岸との間が日頃は干上つて水は流れていないが、わずかの増水で中州と右岸との間に水が流れて完全な中州となり、孤立してしまう極めて危険な場所であつた。

(二) 亡稲葉の被災状況

亡稲葉の被災状況は以下のとおりである。

<1> 訴外小松が釣りのため、亡稲葉の被災場所の中州に来たのは、八月一日午前六時三〇分ころであつたが、その時には、亡稲葉は既に来ており、腰の辺りまで川の中に入り釣りをしていた。その時点では吉野川はささ濁りの状態で既に増水しつつあつた。

<2> 訴外小松は、同日午前六時三〇分過ぎから、釣りを始めたところ、水面から二〇~三〇センチメートルくらい出ていた岩が水没したため、増水に気付いた。

<3> その後、訴外小松と同様増水に気付いた亡稲葉が、右<2>の訴外小松が釣つていた場所まで(この間約二三〇メートル。)来て、増水していることなどを話し、もう少し様子をみることにした。

<4> 右<2>の訴外小松が釣つていた辺りで、二人で様子をみていると、右<1>の中州は急にという鉄砲水とか、そういう感じではなく、徐々に冠水し、中州と右岸との間の流れも広く、かつ、急になり、二人で様子を見ていた地点の足元も冠水し出したために、二人は少し高い場所に行つた。

<5> そうしているうちに、右<4>の少し高い場所も冠水し、中州が完全に水没したため、吉野川左岸に向かつて二人で泳いだ。

(三) 因果関係の不存在(自然増水による被災)

前記一〇の2(五)及び4(四)のとおり、八月一日には、吉野川は自然増水していた。

そして、訴外小松が現地に到着した八月一日午前六時三〇分ころは既に吉野川はささ濁りの状態で、河川の増水は始まつており、その後の中州の冠水も急激でなく徐々に始まつたのであつて、亡稲葉及び訴外小松は急激な水によつて突然押し流されたのではなく、吉野川左岸に向かつて任意に泳ぎ出しその際体の自由を奪われて流されたのである。そして、右(三)の流れる際の状況からすれば、亡稲葉が、大迫ダムの放流水によつて流されたものとはいえず、かつて、本件豪雨による自然増水によつても亡稲葉の被災事故は十分発生し得る状況であつた。

したがつて、稲葉の被災事故と本件放流との間に因果関係は存しない。

6 亡梅田及び同奥中について

(一) 被災場所の河川の状況及びその危険性

亡梅田及び同奥中が被災したという六倉の吉野川の州(河原)は、大迫ダムから河道距離で約五五キロメートル下流に位置し、大迫ダム及び津風呂ダム集水域を除く流域面積は約四五〇平方キロメートルであり、これは大迫ダム集水域の約四倍に相当する。したがつて、右州は、大迫ダムや津風呂ダムからの放流がなくても大迫ダム下流域の降雨による増水によつて水没し、流れが一層急流となる大変危険な場所である。

右州付近の吉野川は、激しいヘアーピン形の屈曲をした岩礁露頭の著しい河川であり、亡梅田らが釣りをしていた右州は、河川の凸岸部に極めて大粒径の礫によつて形成されている。そのため、この州では、通常時でも歩行は容易でなく、まして降水があり、あるいは河川が増水し始めると石が濡れてすべり転倒しやすくなるうえ、水流に足をとられ州からの避難が著しく困難となる。

そして、川岸の崖から河原への降り口付近の河原は、えぐられていて、州の堆積物は急激に減少し、降り口の露頭岩のつけ根付近も同様に深くえぐられて、その深さは河原からでも二メートル程度である。

また、右州の上流側と下流側では約二メートルほどもの高低差があり、水の流れは通常時でも急なうえに、河川の屈曲状況からして、水流は、増水が始まると、まず右州を直撃する以前に左岸の岩礁を直撃し、現在のみお筋に沿つて流下すると考えられる。

水流の直進する現象は、水量が多ければ多いほど、その有するエネルギーの点からより顕著に現われる。そして、水流の流速は、同じ川の中であれば、浅いところよりも深いところの方が速い。

右州付近で、増水が始まれば右州(河原)が水没するはるか以前の段階で、河原への降り口付近の窪みは水没して完全な中州状になり、孤立しやすく、避難しようとしても深みにはまる可能性が大きく、水没の度合いによつては泳がないと渡れないほどとなる。

このように、亡梅田及び同奥中らがいた右州は極めて危険な場所である。

(二) 亡梅田及び同奥中の被災時刻

亡梅田及び同奥中の被災時刻は、八月一日午前六時半過ぎから遅くとも同日午前六時四五分までの間である。

(三) 本件放流水の被災場所への到達時刻等

(1) 下渕と隅田の吉野川の水位の状況

下渕の測水所と隅田の測水所とは、河道距離で約一九・一キロメートル離れており、亡梅田及び同奥中の被災場所は、両地点のほぼ中間に位置し、下渕地点から下流約九・二キロメートルの所にある。

本件当時の右両測水所の水位は別表21のとおりである。

(2) 被災場所の自然増水

右(1)の両地点とも、八月一日午前〇時ころから、水位の上昇が始まつており、右被災地点でも同様に右時刻から増水が始まつていたことは明らかであり、これは、前記一〇の2(五)及び4(四)の自然増水によるものである。

(3) 本件放流水の被災場所への到達時刻

別表21によれば、右両地点で他とは違つた水位上昇をみるのは、下渕では同日午前六時八分より後であり、隅田では同日午前八時より後であつて、下渕及び隅田の各測水所と右被災場所との位置関係からみて、右被災場所で右と同様に他とは違つた水位上昇がみられた時刻を推定すると、同日午前七時二分より後となる。その計算式は、左のとおりである。

(8:00-6:08)×9.2/19.1+6:08=7:02

そうすると、本件放流水が右被災場所に到達したのは、同日午前七時二分より後である。

なお別表21によれば、隅田地点では、同日午前七時三〇分から午前八時までの間に三七センチメートルの水位上昇がみられるがその上昇程度からみて本件放流による増水でないことは明らかである。

(四) 因果関係の不存在(自然増水による被災)

以上のとおり、亡梅田及び同奥中が被災したのは、本件放流水が亡梅田らの被災場所に到達する前である。

そして、前記一〇6(三)(2)のとおり、右被災場所では、本件放流水が到達する前に自然増水していた。

また、河川は、一〇センチメートル前後の増水によつても、水流に足をとられ体の自由を失つて流される危険が大きい。

亡梅田らは、川の中に膝の下までぐらい入つて上へ行つたり下へ行つたりして岸の方から放つてひつかける釣りばかりやつてたのであるから、同人らは、自然増水を見落としている可能性が強く、既に中州状となつた州にとり残されていたと推認される。

そして、前記一〇6(一)の州の地形的・水象的特徴からすれば、亡梅田らは、増水に気付き右州から唯一の避難口である河原への降り口に向かつて避難しようとした際、河原が一段と低くなり大きな石にすべつて避難が著しく困難となつたうえ河川への降り口手前四、五メートルの所の深みでは、ほとんど泳ぐ格好となつたのである。しかも亡梅田及び同奥中の服装は胴まで一緒になつた長ぐつ(俗に「胴長」という。)を着用しており、深みにはまつた場合、胴長に水が入れば水の重さで極端に行動の自由が奪われ、完全に転倒して足先が上になれば、長ぐつの先に残つた空気が浮きがわりとなつて起き上ることが困難となり、右州の特徴と考えあわせると著しく避難しにくくなる。

以上のとおり、本件当日、亡梅田及び同奥中が流されたことも、自然増水に気付いて避難中に転倒し、さらに、深みにはまつて体の自由を奪われたことによることが十分に考えられ、むしろそう考える方が合理的である。

したがつて、亡梅田及び同奥中の被災事故は、自然増水が原因であつて、本件放流との間に因果関係はない。

7 亡下岡及び原告門について

(一) 被災場所の河川の状況及びその危険性

亡下岡及び原告門が被災したとされる西渋田の吉野川の中州は、大迫ダムから河道距離で約八五キロメートル下流に位置し、その付近は、河川勾配も緩やかで、川幅も三〇〇メートル以上ある。

河川勾配も緩く、川幅も広い河川状況は、右中州の上流約二四キロメートルの地点から続き、大迫ダム下流から右中州までの流域面積も大迫ダム集水域の約八倍にも及ぶから、大迫ダム下流域に発生した降雨流出による自然増水の影響は甚大である反面、ダム放流水による増水の影響は極めて弱い。

右中州は、本流(みお筋)が河川の左岸ないし中央寄りから右岸側にう回しているあたりの河川の中央部に低く不整形に堆積したものであるところから、少しの増水により、川の流れは河原を真つすぐ下流の船岡山に向けて突き抜ける。そして、本件当日も、原告門が右中州に到着した午前九時三〇分ころには、既に増水していて、普段夏場には干上がつて水の流れのない部分にも幅二メートルくらい、深さはくるぶしくらいで水が流れており、右中州は、わずかの増水でこの水流の部分で岸から分断され孤立してしまう極めて危険な場所であつた。

(二) 被災場所までの大迫ダム下流域の降雨状況

大迫ダム下流域での降雨の状況は、前記四4(一)及び一〇2(四)のとおりであり、かつらぎ町では前記四5(四)のとおり、八月一日午前一時ころから降雨が始まり、時間雨量で、同日午前二時六ミリメートル、同日午前三時八ミリメートル、同日午前四時五ミリメートルと相当の降雨を記録し、その後も断続的に降り続いている。

(三) 因果関係の不存在(自然増水による被災)

亡下岡らは、膝下の高さくらい水位が上昇したため、退川しようとして急流で足元をすくわれ転倒し避難することができず、被災場所の中州に孤立せざるを得なくなつたが、このような状況を作り出したのは、降雨流出による自然増水が原因であり、水位上昇の程度(膝下の高さくらい)からみても本件放流による増水とはいえないことが明らかである。前記一〇6つ(三)のとおり、下渕支所の水位上昇からみても、降雨流出による三〇ないし四〇センチメートルの増水は十分あり得る。

また、右被災場所の川幅の広さからみても急激な増水は発生しにくく、亡下岡らが流されたときの増水状況は、一分もたたないうちにまくれるように腰ぐらいの高さで勢いの強い水が押し寄せたというものでは決してあり得ず、徐々に増水していたのである。

以上のとおり、本件当時、右中州付近の河川の水位は徐々に上昇していたのであり、その上昇はダム流域の降雨流出による自然増水に起因するものであつて、本件放流によるものではない。少なくとも、原告らが主張するように、亡下岡らが流された増水が本件放流によるものであるとは断定し得ないことは明らかである。

以上のとおり、亡下岡及び原告門の被災と本件放流との間に因果関係があるとの原告らの主張は十分立証されたとはいえず、そうであれば、結局因果関係は存在しないものといわなければならない。

一一  被告の責任の不存在

1 国家賠償法二条一項の責任について

原告らは、本件事故時における大迫ダムの管理・操作は、操作規定及び河川法に違反していることは明白であり、これらは国家賠償法二条一項の営造物の設置管理の瑕疵に当たる旨主張する。

しかし、原告らの主張のように、国家賠償法二条一項所定の瑕疵の中に、いわゆる物的性状瑕疵だけでなく供用関連瑕疵を含めて解釈すること自体問題であるばかりでなく、仮に、一定の範囲内の共用関連瑕疵を含めて解釈することが許容される余地があるとしても、少なくとも、本件のように特定の日時における大迫ダムの管理・操作といつた、過去のある時点での一回性の、しかも人為的な措置の問題を、同法二条の瑕疵の中に含めて解釈することは、同法一条との関連で到底是認できない誤つた解釈である。

そもそも、同法一条と二条は責任根拠を異にしており、両条の各要件も、その各法条が示すとおり、明らかに異なつている。すなわち、同法一条は、特定の公務員が、「故意又は過失」によつて、「違法に」公権力の行使をしたことによる賠償責任の規定であり、それは、人(管理権者)の行為それ自体を責任根拠とする。これに対して、同法二条の責任根拠は、営造物の設置又は管理をし、瑕疵を生ぜしめた人(管理者又は第三者)の行為それ自体にあるのではなく、他人に損害を生ぜしめるような危険な欠陥のある営造物を公の目的に供している(支配している)こと自体にある。

だからこそ、同法一条と異なり、同法二条では、故意、過失は問題にならないのである。なぜなら、人の行為を問題にするのではないから、そこに故意、過失を考える余地がないからである。この点は、実定法の建て方からくる相異であつて、動かし難い前提である。両条は、その責任根拠に応じて構成要件を異にしているから、訴訟の実際でも、原告の主張、立証事項は異なる。つまり、同法一条の中心課題は、当該公務員に職務執行上「故意又は過失」行為があつたかどうかであり、同法二条のそれは、客観的基準に照らして、営造物に安全性の欠如=瑕疵があつたかどうかである。さらに、構成要件的差異を重視する旧訴訟物理論をとる限り、同法一条による請求と同法二条によるそれとは、訴訟物を異にする。

このような視点に立つて同法二条をみると、その瑕疵とは、一般に「営造物が通常有すべき安全性を欠いていること」(最高裁判所昭和四五年八月二〇日第一小法廷判決・民集二四巻九号一二六八ページ)といわれるが、それは、当該営造物自体が安全性を欠いた状態にあることを意味すると解すべきである。つまり、それは、客観的に営造物の安全性の欠如が営造物に内在する物的瑕疵、又は営造物自体を設置し管理する行為によるかどうかによつて決めるべきものである(これは、客観説であり、通説である。)。以上、要するに、同法二条の瑕疵は、いわゆる物的性状瑕疵に限定すべきであり管理者の人為的要素を多分に含むその共用に関連する瑕疵は、これに含まれないと解するべきである。

ところで、最高裁判所昭和五六年一二月一六日大法廷判決(民集三五巻一〇号一三六九ページ、大阪空港訴訟最高裁判決)は、国家賠償法二条の瑕疵について、「…その営造物が共用目的に沿つて利用されることとの関連において危害を生ぜしめる危険性がある場合をも含み、また、その危害は、営造物の利用者に対してのみならず、利用者意外の第三者に対するそれをも含むものと解すべきである。すなわち、当該営造物利用の態様及び程度が一定の限度にとどまる限りにおいてはその施設に危害を生ぜしめる危険性がなくても、これを超える利用によつて危害を生ぜしめる危険性がある状況にある場合には、そのような利用に供される限りにおいて、右営造物の設置、管理には瑕疵があるというを妨げず、…」と判示している。右判示部分は、要するに、営造物そのものには物的欠陥がない場合でも、その付近住民に受忍限度を超える騒音等の被害を及ぼす営造物は、その限りにおいて、機能的欠陥のある営造物であり、この機能的欠陥を営造物の設置、管理上の瑕疵としてとらえる考え方ともいえる。しかし、右判示部分は本来、営造物の利用という人の行為の態様や程度を問題にし、それを責任根拠にしなければならないものを、同法二条の問題にし、あるいは、一条の違法性の判断で問題になるはずの受忍限度論を二条の問題で論じている点で問題がある。前述した立場からすれば、同法一条の要件と二条の要件をもつと明確に区別すべきであつたといえる。そして少なくとも、右の最高裁判決は、大阪空港訴訟という極めて特殊な事件についての一判例としてとらえるべきであり、この判決があるからといつて、他の事件についても、一般的に同法二条の瑕疵の中に、広く、共用関連瑕疵を含めて解釈することは、できない。そうでなければ、結局は、国家賠償法の一条と二条という条文の建て方自体を根本的に否定することになつてしまう危険があるからである。

本件における大迫ダムの管理・操作の適否は、仮に、右大阪空港訴訟最高裁判決の前記判示部分の立場に立つとしても、同法二条の瑕疵としてとらえることはできない。なぜなら、前記判示部分には、「…当該営造物の利用の態様及び程度が一定の限度にとどまる限りにおいては、その施設に危害を生ぜしめる危険性がなくても、これを超える利用によつて危害を生ぜしめる危険性がある状況にある場合には、…」とあり、これは、恒常的な、少なくともある程度継続した営造物の利用状態を問題としているといわなければならず、過去の一回的な利用行為を問題にしているのではなく、これに対して、本件において問題になつているのは、本件当日の大迫ダムからの放流に際し、被告の職員がとつたダム管理及び放流のための措置の適否であり、これは、正に過去の一回的な公務員の行為の適否の問題であるからである。

このような点を問題にする以上、原告らは、具体的に、どの公務員が、どの時点で、いかなる措置を講ずべき義務があり、それがどのように懈怠されたか、その点について過失があつたか否かを逐一主張、立証すべきであり、このことは正に人の行為を責任根拠とする場合であつて、典型的な国家賠償法一条による責任の有無が問題とされる態様である。

したがつて、仮に、右大阪空港訴訟最高裁判決を前提としても、本件における大迫ダムの管理・操作の適否を国家賠償法二条の中に含めて解釈することは許されず、この点に関する原告らの主張はそれ自体失当である。

2 国家賠償法一条一項の責任について

原告らは、仮に大迫ダムの管理・操作の誤りが国家賠償法二条一項の営造物の設置又は管理の瑕疵に該当しないとしても、そのこと自体、同法一条の公権力の行使に当たる公務員のその職務を行うについての故意又は過失(本件の場合はダム管理主任技術者である訴外宮田の故意又は過失に集約される。)があつた旨主張する。

しかし、国家賠償法一条一項の責任を問題とする限り、原告らにおいて、本件各被災事故との関係で、具体的にどの公務員が、どの時点で、いかなる措置を講ずべきであつたか、そしてどのような内容の故意又は過失によつて本件各被災事故が引き起こされたか、逆にいえば、具体的にどの公務員が、どの時点で、いかなる措置を講じておけば(しかも右措置を講じることが可能であることを含む。)本件各被災事故は現実に防げたかについて、逐一主張、立証すべきである。しかるに、原告らの主張はこの点が必ずしも十分とはいえず、本件当時の緊急状況を全く無視して、いたずらにささいな事項の不遵守を強調して結果からする議論を繰り返しているものであつて、失当である。

3 まとめ

以上のとおり、本件当時、被告職員は、休日で、かつ、夜間でもあり、さらに類まれなる異常豪雨とこれによる異常出水にもかかわらず、職員一体となつて全力を尽くしたのであつて、その内容も適正・妥当なものであり、加えて、被告の職員の行為と本件各被災者の被災事故との間に因果関係はないから、本件につき、被告に国家賠償法上の責任が発生する余地はない。

一二  原告らの損害について

1 はじめに

以上に述べたとおり、被告(農水省)の職員が、本件洪水に対してとつた大迫ダムからの放流及びその際の諸措置には何ら過失はなく、河川法の趣旨からみても適法であるうえ、本件放流と本件各被災者らの被災事故との間には相当因果関係がないから、その余の点を論じるまでもなく、原告らの被告に対する本訴請求はいずれも棄却されるべきであり、原告らの損害について議論する必要はないが、原告らの損害についての主張には、種々の問題点があるので、念のため、反論を加える。

2 原告塩崎庄一及び同塩崎笑子について

(一) 逸失利益について

原告塩崎らの主張では、税金の控除は全く考慮されていない。

しかし、不法行為制度の目的は、被害者に生じた損害の回復であり、もともと最終的には自己の所得にし得なかつた税金相当の所得については、その回復を観念する余地はない。特に、亡塩崎については、原告塩崎ら主張に係る将来の収入が認定し得るとすれば、その税額も容易に認定し得るから、税金(本件では、所得税金一五万六〇〇〇円のほかに市・府民税がある。)は社会生活上の必要経費として、逸失利益算定にあたつて控除すべきである。

(二) 慰謝料について

原告塩崎らは、亡塩崎の死亡慰謝料を各金一〇〇〇万円が相当である旨主張する。しかし、本件被災事故の発生については、前述の因果関係及び後述の過失相殺等の主張のとおり、亡塩崎正人の一連の軽率な行動が多分にその原因をなしており、かつ、本件において仮に被告の責任が認められるとしても、故意責任ではあり得ず過失責任の事案であるから(国家賠償法二条についても危険責任の現われとされており、故意責任とは同一に論じられない。)慰謝料の算定にあたつては、相当程度減額されるべきである。

昭和五七年当時の成人世帯主の死亡による慰謝料は、通常金一二〇〇万円であり、亡塩崎のように独身者の場合は、これより減額されるのが一般である。そうすると、原告塩崎ら主張に係る前記亡塩崎の死亡慰謝料はあまりに高額すぎる。

(三) 葬祭費について

葬祭費は、社会通念上相当と認められる限度において不法行為により通常生ずべき損害とされるものであつて、それゆえ原告塩崎らが支出した費用の全額が損害賠償の対象となるわけではない。

本件において、原告塩崎らの主張する亡塩崎の葬儀費は、同人の年令、職業、社会的地位等を考慮し、さらには他の被災者らと比較してみても高額すぎる。ちなみに、昭和五七年当時の無職の未成年者以外の者の葬祭費は、通常金五〇万円である(この中には、通常の場合の墓碑建立、仏壇、仏具購入費を含む。)。

なお、原告塩崎らは、満中陰関係、仏壇購入費についても独立の費用として主張するが、法律上賠償を求め得る葬祭費は事故と相当因果関係のあるものに限られるから、葬祭費の全項目について判断されるものではなく、葬祭費全般について考えられなければならない。

(四) 捜索費について

捜索関連費についても、出捐額すべてが損害賠償の対象となるものではなく、相当因果関係の範囲内のものに限られるべきである。

ところが、原告塩崎ら主張に係る捜索費の実費は、あまりに高額にすぎ、このことは他の原告らと比較しても明らかである。しかも、そもそも原告塩崎ら主張の捜索費の中には、同原告らを除く第三者に要した車両交通費、電車賃、民宿宿泊費、潜水夫費用や捜索のための日当が大半を占め、これらはいずれも原告塩崎らが法律上負担する根拠は全くなく、捜索人らが原告らにその費用の支払を請求しているわけでもないので、原告塩崎らが被つた損害とはなし得ない。

3 原告大田照子について

(一) 扶養請求権侵害による逸失利益について

本来、人が死亡した場合の消極損害については、死者本人の逸失利益の相続という法律構成がなされるのが一般であり、相続人がいる場合において(本件では、亡大田の長男訴外小川貴之が相続人となる。)、相続人でない者に相続を認めたのと同様の効果が軽々に認められるべきではない。特に、原告大田照子の主張する扶養請求権侵害については、これを認める裁判例がないわけではないが、いまだその要件、効果ともに明確となつているとはいえない。

しかも、原告大田照子は、扶養額として月一〇万円と主張するが、これを裏付けるに足りる客観的証拠はなく、他方、同原告は、亡大田、四女訴外大田和子と同居していたのであり、訴外大田和子は自身で喫茶店を経営しており収入もあつたから、亡大田が全面的に原告大田照子を扶養していたものではなく、亡大田及び訴外大田和子が共同で原告大田照子を扶養していたものというべきである。

また、民法八七七条によれば、直系血族は互いに扶養する義務があるから、原告大田照子を法律上扶養する義務のあることは、亡大田のほか、長女訴外藤本恵美子、次女同沢田昌子、三女同上本文子、四女同大田和子、孫同小川貴之についても同様である。したがつて、亡大田の死亡によつて直ちに原告大田照子に扶養請求権侵害による損害が発生したとするには疑問があり、また、仮に亡大田が原告大田照子を扶養し生活費を負担していたとしても、法律的には平等の割合をもつて負担すれば足り、それ以上は、自己の負担する義務のないものまで負担していたにすぎず(亡大田は他の扶養義務者に不当利得として求償し得る立場にある。)、全額を損害として評価することはできない。

(二) 慰謝料について

原告大田照子は、亡大田の死亡慰謝料を金二〇〇〇万円とするのが相当である旨主張する。

しかし、本件慰謝料の算定にあたつては、右2(二)と同様の事情がある。しかも、亡大田は、離婚しており死亡当時独身であつたから、これは減額される要素となる。また、実務上慰謝料は相続人の数、その他の遺族の数の多寡と無関係に総額を一定にする扱いが一般であるところ、本件では、少なくとも原告大田照子のほかに訴外小川貴之が慰謝料を請求し得る立場にあるから、この点も減額要素として考慮されるべきである。

(三) 葬祭費について

右2(三)と同様である。

(四) 捜索費について

右2(四)と同様である。

4 原告森田豊子、同森田眞治及び同森田光美について

(一) 逸失利益について

原告森田らは、亡森田の収入として農業収入金二四〇万円強、建具職収入約二一〇万円で、合計金四五〇万円を下回らない旨主張するが、これを裏付けるに足りる証明書類等は一切提出されておらず、わずかに、原告森田豊子の供述と陳述書があるだけである。

亡森田は、自営業として農業及び建具商を営んでいたのであるから、所轄税務署長に対し、毎年分の事業所得をその年中の総収入の全額及び必要経費の内容を記載した書類を添付して確定申告しなければならず、その際確定申告書の写しが控えとして手元に残ることになつている。しかも、亡森田は確定申告をしていたのであるから、右確定申告書の写しを本法廷に提出しさえすれば亡森田の事業所得を容易に立証できるものである。仮に、右控えが手元になくとも、所轄税務署において確認することもできれば、住民税を支払つていることから市役所から収入を確認することもでき、このことは格別困難なことではない。

さらに、亡森田は、田三反、畑二反半を耕作し、米、ナス、キユウリ等を栽培していたのであり、妻である原告森田豊子も亡森田の農業収入に相当程度寄与していたことが容易に推認し得るから、亡森田の農業収入の認定にあたつて、原告森田豊子が、夫の収入に寄与した部分は控除すべきであり、それが衡平を保つゆえんである。

また、右2(一)と同様、税金についても逸失利益算定にあたつて控除すべきである。

(二) 慰謝料について

原告森田らは、亡森田の死亡慰謝料を原告森田豊子につき金一〇〇〇万円、その余の原告らにつき各金五〇〇万円とするのが相当である旨主張する。

しかし、本件慰謝料の算定にあたつては、右2(二)と同様の事情があるから、亡森田の右死亡慰謝料はあまりに高額すぎる。

(三) 葬祭費について

原告森田ら主張の葬祭費金一七九万二六四〇円は、右2(三)に述べたと同様の理由から、高額すぎる。

(四) 捜索費について

原告森田ら主張の捜索費は、右2(四)に述べたと同様の理由から、高額すぎる。特に、このうち捜索費実費食費金一二万四九七〇円は捜索に必要なものでなく、また、日当金一二〇万円についても、原告森田らが法律上支払うべき根拠はなく、単に原告森田豊子が、「この裁判勝訴の暁には、右の捜索に協力頂いた方々に対して相応のお礼をすることにしています。」というにすぎず、何ら支出を義務付けられているものではなく、かつ、相当因果関係を有するものでもない。

5 原告稲葉咲子、同稲葉力及び同稲葉美佐枝について

(一) 逸失利益について

原告稲葉らは、亡稲葉の収入として、諸経費控除後の純農業収益金三〇〇万円、造園業収入金一八〇万円合計金四八〇万円を下らなかつた旨主張するが、これを裏付けるに足りる証明書類等は一切提出されておらず、わずかに原告稲葉咲子の供述と陳述書があるだけである。

亡稲葉稔は、田四反半、畑一町三反半くらいを耕作して農業収入を得ていたところ、亡稲葉の妻である原告稲葉咲子は、亡稲葉の農業の手伝いをしていたのであるから、原告稲葉咲子も亡稲葉の農業収入に相当程度寄与していたのであり、したがつて、亡稲葉の農業収入の認定にあたつて、原告稲葉咲子の寄与分は控除されるべきである。また、亡稲葉の造園収入についても、日当一万円、年収約一八〇万円以上としているが、そうすると亡稲葉は一年のうち半分以上が造園業をしていたことになるところ、右の農業の耕作面積からみてにわかに措信し難い(仮に真実とすれば、原告咲子が一層農業収入に寄与していたのである。)。

さらに、右2(一)と同様、税金についても逸失利益算定にあたつて控除すべきである。

(二) 慰謝料について

原告稲葉らは、亡稲葉の死亡慰謝料が原告稲葉咲子につき金一〇〇〇万円、その余の原告らにつき各金五〇〇万円を下らない旨主張する。

しかし、本件慰謝料の算定にあたつては、右2(二)と同様の事情があるから、亡稲葉の右死亡慰謝料はあまりに高額すぎる。

(三) 葬祭費について

原告稲葉ら主張の葬祭費金一九四万四一五〇円は、右2(三)に述べたと同様の理由から、高額すぎる。

(四) 捜索費について

原告稲葉ら主張の捜索費は、右2(四)及び4(四)に述べたと同様の理由から、高額すぎる。

6 原告梅田町子、同梅田容子、同梅田知宏及び同梅田佳孝について

(一) 逸失利益について

右2(一)と同様、税金(市・府民税金二三万五二八〇円、ほかに所得税がある。)についても逸失利益算定にあたつて控除すべきである。また、亡梅田の米穀業収入に原告町子が寄与した部分を控除すべきである。

(二) 慰謝料、葬祭費及び捜索費について

右5の(二)ないし(四)に述べたと同様の理由から高額すぎる。

7 原告奥中勝代、同奥中嘉代、同奥中美津枝及び同奥中和美について

(一) 逸失利益について

原告奥中らは、亡奥中の米穀販売業収入を年収金四五五万三九〇〇円である旨主張するが、これを裏付けるに足りる証明書類等は一切提出されておらず、わずかに原告奥中勝代本人の供述と陳述書があるだけである。

また、亡奥中の妻である原告奥中勝代も、亡奥中の米穀業収入に店番、注文の取次ぎ等相当程度寄与していたものと推認されるから、夫の収入に寄与した部分は控除すべきである。

さらに、右2(一)と同様、税金についても逸失利益算定にあたつて控除すべきである。

(二) 慰謝料、葬祭費及び捜索費について

右5の(二)ないし(四)に述べたと同様の理由から高額すぎる。

8 原告下岡民子、同下岡恵美、同下岡智恵及び同下岡直美について

(一) 逸失利益について

右2(一)と同様、税金についても逸失利益算定にあたつて控除すべきである。

(二) 慰謝料、葬儀費及び捜索費について

右5の(二)ないし(四)に述べたと同様の理由から高額すぎる。

9 原告門宏正について

(一) 慰謝料について

原告門は、慰謝料として金五〇〇万円を下回らない旨主張するが、右2(二)と同様の事情があるうえ、原告門の被災内容等からすれば、右慰謝料はあまりに高額すぎる。

(二) 物損について

原告門は、物損として釣道具一式金一〇万九五〇〇円を主張するが、損害賠償の本質は原状回復にあることからすれば、滅失した動産類についての損害額は、事故当時の時価(交換価格)を基準とすべきであり、同原告はこれを立証すべきであるのにその立証を一切していないから、同原告の右主張は失当である。

(三) 亡下岡の葬儀、捜索費について

原告門は、亡下岡の捜索費等金七五万四九〇〇円を主張するが、その内訳とする亡下岡の捜索に関係して支出した費用、同人の葬儀に関連して支出した費用、捜索協力者に将来支払う日当相当の謝礼は、いずれも原告門が法律上負担する根拠は全くなく、損害とはなし得ない。

一三  過失相殺

1 はじめに

(一) 河川の一般的危険性と危険回避責任の所在

前述のとおり、河川は、その流域における降雨という自然現象によつて必然的にもたらされる雨水等を集めてこれを海等に流す機能を有するものであるから、上流に降雨があれば増水し、河川内の水位が上がる。しかも、河川は、本来自然発生的な公共用物であつて、管理者による公用開始のための特別の行為を要することなく自然の状態において公共の用に供される物であるから、通常は当初から人工的に安全性を備えた物として設置され管理者の公用開始行為によつて公共の用に供されを道路その他の営造物とは性質を異にし、もともと洪水等の自然的原因による災害をもたらす危険性を内包しているものである。

したがつて、河川の使用についても、河川が本来的に災害発生の危険性を内包するものとして、その前提のもとに河川の自由使用が許されているのであつて、水難事故の危険性は、本来河川の利用者たる市民自らの責任において回避されるべきであり、過失相殺の判断にあたつては特にこの点が留意されなければならない。

(二) キヤンプや釣りをするにあたつての基本的遵守事項

(1) 共通事項

キヤンプや釣りは、個人的な楽しみないしは趣味に属することであつて、これを行うこと自体を非難することはできない。しかし、キヤンプや釣りを行うにあたつては、おのずから一定の社会的に遵守すべきルールがあり、特に本来的に洪水等の災害発生の危険性を内包する河川内(とりわけ、中州)でのキヤンプや釣りについては、この点が強調されなければならない。しかるに、本件では、後述するとおり、本件各被災者のすべての者が、安全性に対する配慮もなく安易に入川し、キヤンプや釣りを行つており過失があつたのである。

キヤンプや釣りは、自然を相手として行ういわゆる野外自然活動であるから、それ自体に危険が内包している。したがつて、野外活動においては、自らの手で危険から身を守るということが必要であり、既に計画策定の段階から十分な安全対策を考えなければならない。自然活動において危険度ゼロということはまず考えられない。したがつて、デザイン、プログラム作成の時点から二重ないし三重の危険のチエツクと安全対策を考えねばならない。

自然の中での危険というものはその九九パーセントまでが、自然活動者の持つ危険であつて、天災的なものは残りの一パーセントである。

その半面、現代における安全についての考え方は、安全とは他人がつくつてくれるものという考え方が、自然活動者にも保護者にもある。安全を自分自身の問題としてとらえないのが現代の特徴である。依存と過保護の時代ということになる。これはまた、信頼の消失の時代ということでもある。

(2) キヤンプについて

キヤンプに関し、危険防止のため特に注意すべき事項として、次の点が挙げられる。

ア テントサイトの選択について

テントサイトを選ぶとき、当然のことであるが忘れがちなのは安全な場所を選ぶということである。特に、キヤンプは、野外、暗闇、睡眠という人間の一番無防備の状態が伴うものであるから、テントサイトの選択が最も大切である。就寝中に増水、雪崩、突風、落石、雷雨などで命を落とした例は数知れない。したがつて、本来的に危険性の高い河川内でキヤンプをすることは著しく慎重を欠く行為であり、とりわけ中州にテントを張ることは全く論外なことである。やむなく、河原にテントを張らなければならないときには、今後の天気予報を十分に考慮し、増水による水位の上昇の影響を受けない場所を選ばなければならない。

イ 気象通報を聞き天気に注意すること

一般に、天候は夜外での行動を大きく左右するもので、天候の悪化に対処できないときには、遭難等の災害が発生する場合が多い。したがつて、野外行動者は、常に自分で今後の天気予測をしなければならない。そのための重要な情報手段としては、例えばラジオがある。キヤンパーは常にラジオを携帯し気象通報に常時気を配らなければならない。

(3) 釣りについて

釣りに関し、危害防止のため特に注意すべき事項として、次の点が挙げられる。

ア 釣り場に注意すること

釣り場によつては、異常事態が発生した場合直ちに避難できない場合がある。特に、中州は河川の水が増水すると孤立しやすく河岸に戻れないことが多い。また、万一増水した場合を考えて荷物をまとめておくなど退川準備も十分しておくことが大切である。

イ 水難防止のための心得等

釣りは水難の危険性があるので水泳等の心得がなければならない。水辺又は水の中に入つて釣ることはできるだけ避けるか特に水難に注意する必要がある。

ウ 足もとに注意すること

竿等釣具を持つている場合は、行動の自由が制約されるから、足もとに注意する必要がある。大きい石ころがあるなど退川しにくい地形の場所での釣りは、特に慎重でなければならない。

エ 気象通報を聞き天候に注意すること

右(3)イで述べたと同様、気象通報には十分注意しなければならず、降雨等があると河川に入らず(危険に接近しない)、また、たとえ入川しても速やかに釣りを中止して退川するいさぎよさが必要である。

(三) 吉野川の特性と気象状況把握の必要性

前述のとおり、吉野川は種々の特性を有しており、しかも、吉野川には大小たくさんの支流があることから、これらが相まつて、吉野川流域は極めて出水し易いという特性を有するものとなつている。特に、吉野川流域は、地形が急峻であるため一たび集中豪雨が降るとたちまち増水し、いわゆる「まくれ水」などが起こることもあり、また、吉野川は流路延長が長いため下流で雨が降らないときでも上流の降雨により大きい出水が生じたり、大峰山系で降雨がなくとも高見山系やその近辺の降雨により吉野川が直ちに増水することもある。

このように、吉野川流域は、広大な山地流域とともに極めて出水し易いという特性を有しており、これが時として洪水等の災害につながることもある。したがつて、キヤンプや釣りなどの野外活動を行う者は、一般的に気象情報の把握等を行う義務のあることはもちろんのこと、特に、右に述べた吉野川特有の危険性を考慮して、流域の局地的な気象状況を把握することも必要である。この点、地元に長く居住する人は吉野川の自然に深い関心を払つているのに対し、他所から娯楽等のため吉野川に入川する者の中には、右吉野川の危険性を軽視する風潮があることも事実である。

本件被災者らは、本件当日、吉野川でキヤンプや釣りを行つていたのであるが、以下に述べるとおり、右吉野川流域の気象的特性に注意を払つた様子は全くうかがえず、この点において過失があつたものである(なお、前記一〇の因果関係で述べた事情も過失相殺にあたつて十分考慮されるべきである。)

2 亡塩崎の過失

前述のとおり、野外での活動には常に天候の変化に対処できるだけの準備を要するものであるところ、本件の亡塩崎及び訴外西山のように、山岳河川である吉野川の中州においてキヤンプをし就寝するなど長時間にわたつて野外での活動を行う者は、天気予報や気象台の気象情報などにより時々刻々変化する気象情報を十分把握する必要が強い。そして、そのために重要な情報源はテレビ、ラジオ等であるから、亡塩崎らは、出発にあたつて、これらを必ず携帯すべきであつたにもかかわらずそれを行わず、漫然と宮滝地点でキヤンプしていたのである。もし、亡塩崎らがラジオを携帯し、それを聞いておれば、七月三一日午後一〇時五〇分発令の大雨雷雨注意報、八月一日午前一時一〇分発令の大雨洪水警報及び雷雨注意報その他天気予報により宮滝地点辺りの気象変化を知ることができたし、そうすると、吉野川が増水する以前に容易に退川することができ本件被災に遭わなかつたのである。

ところが、本件において、亡塩崎らは気象情報の把握について全く関心すら示していなかつたのであり、その懈怠は著しいものである。

本件被災事故を引き起こした重要な要因として、亡塩崎らのキヤンプ計画の杜撰さを挙げることができ、この点でも同人らの過失があつた。特に、亡塩崎は、小学校の教師であり、常日頃より児童を預かる者として通常の人以上に安全性に配慮すべき立場にいる者である。

まず、本件の宮滝地点でのキヤンプは、綿密な計画のもとにおこなわれたものではなく、単に、グアムに泳ぎに行つたが現地が雨ばかりで全く泳げなかつたことから、昭和五七年七月三〇日、グアム島からの帰りの飛行機の中で急拠思いつき決まつたものである。

しかも、亡塩崎らは、昭和五七年七月二八日から同月三〇日まで二泊三日のグアム旅行を終え、同月三〇日午前八時三〇分に大阪空港に到着後、二人とも自宅に戻らず友人宅に泊まり、翌三一日早朝から友人宅を出て吉野川に向かい午後一、二時ころ、宮滝大橋に到着し、その後休む間もなく水遊び、買い物をするなどして、テントを張り、食事の準備、食事をして八月一日午前一時ころまで起きていたのである。その間の両名の行動は衝動的なものであつて、危険な野外生活に入るための計画性とか生命、身体に対する安全性への配慮などは全くうかがえない。しかも、右両名の行動からみて、両名ともかなり疲労し、あるいは、飲酒によつて相当酔つていたものと推認され、これらが両名の河川からの速やかな退川行動を遅らせたものであり、これらは、ひとえに亡塩崎らのキヤンプ計画の杜撰さに帰因するものである。

さらに、亡塩崎らには、キヤンプ場所選定にも過失があつた。キヤンプは野外、暗闇、睡眠という人間にとつて一番無防備な状態に長時間身を置くこととなるものであるから、キヤンプ地の選定にあたつては、まず安全を第一に考えなければならない。ところが、亡塩崎らはこの点を全く考慮しておらず、キヤンプ地の選定の理由は、<1>他の場所は人がいつぱいだつた、<2>車で河原へ下りられる場所であつた、<3>見晴しが良く水もきれいだつたということであり、キヤンプ地として最も重要な「安全性」に対する点検が欠落している。しかも、河川は、前述のとおり、洪水等の自然的原因による災害をもたらす危険性があることから、キヤンプ場所として河川を選定すること自体問題であるのに、宮滝大橋下の吉野川中州は、吉野川の中州の中でも最も危険な場所ともいえるのであつて、亡塩崎らが、本件当日、この場所をキヤンプ場所とし、テントを張つて就寝したことは、全く論外の無謀な行為であつた。

前述のとおり、宮滝大橋付近では、本件当時、注意立札が設置されており、注意事項として、「当区長の許可なくキヤンプ(川あそび)をすることを禁止する。」と記載されていたが、これは、中州はキヤンプするにはあまりに危険なため入川してもらいたくないという地元住民でもある区長の意思が表わされているのであり、このことは地元の住民の間では当然の事実となつていた。ところが、亡塩崎らは、右注意立札を無視して強引にキヤンプをしたか又は不注意により右立札を見過ごしてキヤンプをしたのである。もし、亡塩崎らが、この注意立札の注意事項を素直に遵守していれば、本件中州のようなあまりに危険な場所でキヤンプをすることなどなかつたのであり、そうすると本件被災事故にも遭わなかつたのであるから、亡塩崎には、この点に過失がある。

亡塩崎の本件被災地点は、操作規定一四条にいう義務警告区間ではないが、本件当日は、前述のとおり、下渕支所職員の訴外東嶋及び同川越が、警報車五七九号に乗り、同日午前二時四〇分ごろ、宮滝大橋の上からも「お知らせします。こちらは大迫ダム管理支所です。ダムから放流がありますので川に入つている人はすぐ上がつて下さい。」という内容の警告放送を三回繰り返している。右警告放送は入川者に十分聞こえるものであつたから、当然、亡塩崎らはこれを聞いたはずであつて、それにもかかわらず退川しなかつた亡塩崎の行動は常識に反する異常な行動であり、仮に聞いていないとすれば、亡塩崎らがグアム旅行や水遊びなどによる疲労及び飲酒等で寝込んでいたことによるものであり、河川という危険な場所に入川しながら安全性を配慮しない同人の過失を裏付けるものである。

3 亡大田の過失

前述のとおり、阿知賀地点付近には、本件事故当時四か所に注意立札が立てられており、特に、「川原でのキヤンプはやめて下さい。」と明記されている立札もあつた。したがつて、亡大田らは、右注意立札の趣旨に従つて、吉野川でキヤンプをしなければ本件事故にも遭わなかつたものであるから、注意立札による警告を無視した過失がある。

前述のとおり、キヤンプを行う者は、気象情報や河川の増水状況を十分把握しなければならない。特に亡大田らの本件被災地点は、八月一日午前一時ころから激しい雨に見舞われ、テントから雨漏りがして横になることもできず、一睡もできない状態であつたのであるから、この雨が将来どう推移するのか、吉野川が増水するのか等について十分検討を加え万一の場合に対処することを考える義務があるにもかかわらず、亡大田らはラジオを持参していながらラジオによる天気予報の確認すら行つていない。

このように、亡大田らは、気象情報と河川の増水状況の把握を怠つた結果、避難する時期を逸したのである。

亡大田らには、キヤンプ場所の選定にも過失があつた。すなわち、亡大田らが阿知賀地点をキヤンプ場所としたのは、<1>幾度か電車で通つたことがある、<2>広々として感じが良かつたという理由によつてであり、キヤンプ地として最も重要な「安全性」についての検討が欠落していた。河川は洪水等の自然的災害をもたらす危険性があり、とりわけ中州はその危険性が大きい。しかも、本件中州は、前述のとおり、少しの増水で完全な中州となり、さらに冠水、水没しやすい場所であつて、孤立しやすく、そうなると、川岸に避難することも困難な危険な場所であるから、キヤンプをする場所として選定することは論外である。

しかも、中州で孤立すると川岸に避難するためには泳がなければならないことが多いにもかかわらず、亡大田は水泳が全くできなかつたこと、その他亡大田らは、本件当日、キヤンプ中に相当量飲酒しており、亡大田の重過失は明らかである。

亡大田らには、因果関係について述べたとおり、通常人としては到底理解できない異常な行動があるから、この点は過失相殺にあたつても相当程度考慮されるべきである。

4 亡森田の過失

本件当時は、東阿田地点の中州を含む奈良県南部には、七月三一日午後一〇時五〇分に大雨雷雨注意報が発令されており、八月一日午前一時一〇分にはこれが大雨洪水警報に切替えられていた。亡森田が、八月一日の何時ころ自宅を出たかは不明であるが、前記のとおり同日午前四時から同七時ころまでは、亡森田の自宅付近でもかなりの降雨が続き「強雨」という状態であつた。したがつて、亡森田としては、自宅を出る前に(特に釣りに出かけるのであればなおさら)、気象情報に気を配るべきであり、仮にラジオ等の天気予報を聞くなどしておれば、前記気象情報を十分認識し、釣りに出かけることもなかつたのであり、亡森田には、気象情報の把握を怠つた重大な過失がある。

前述のとおり、亡森田の自宅から約二〇〇メートル離れた東阿田公民館前には、上流に大迫ダムがあり、降雨による増水時にはダムからの放流をすることがあるので注意すべき旨記載された注意立札を立てられており、その他亡森田の自宅のすぐ近くだけでも、東阿田訴外杉本宅裏及び西阿田バス停前の二か所に、同趣旨の記載のある注意立札が、いずれも昭和四九年以来立てられていた。これらの注意立札は、亡森田が、二〇数年間居住してきた同一町内で、それも常日頃寄合い等を行う場所や通行していた道路わきの人目につきやすい所に立てられていたものであるから、同人がこの立札を見逃すことは絶対にあり得ない。しかも、河川の中州で釣りを行うことを趣味としていた亡森田は、降雨があれば河川が増水すること及び場合によつては上流の大迫ダムから放流することもあることを経験的に認識していたものと考えられる。そうすると、森田は、前記注意立札の趣旨に従つて、本件当日吉野川に入川しなければ本件事故にも遭わなかつたのであるから、注意立札による警告を無視した過失がある。

前述したとおり、東阿田地点の中州は、降雨時のわずかの増水による水位上昇によつても中州が完全に水没してしまい孤立する危険な場所であるから、通常時の釣り場所としても必ずしも望ましい場所でなく、まして、本件当日のように既に降雨による増水が始まつており、かつ、強雨の中を右中州で釣りを行つたことは危険極わまりないものである。したがつて、亡森田が、右中州に釣りに行つたこと自体が重過失である(亡森田については、被災場所、被災状況が一切明らかでないため明確な主張はできないが、他の被災者と同様に被災状況や避難行動についてもさらに亡森田の過失が推認される。)。

5 亡稲葉の過失

本件当時は、上島野地点を含む奈良県南部には、七月三一日午後一〇時五〇分に大雨雷雨注意報が発令されており、八月一日午前一時一〇分にはこれが大雨洪水警報に切り替えられていたのであり、かつ、亡稲葉が釣りのため自宅を出た八月一日午前五時三〇分ごろは前述のとおり降雨があつたのであるから、亡稲葉は、自宅を出るにあたつて特に気象情報に気を配るべきであつたにもかかわらず、これを怠つて吉野川に釣りに出かけたのであつて、亡稲葉には、気象情報の把握を怠つた重大な過失がある。

本件被災地点の下流の五條市大川橋等には、いたる所にダム放流による増水に注意するようにとの注意立札が立てられていた。亡稲葉は、よく釣りのため吉野川に入川していたのであるから、本件被災地点付近を含む吉野川沿川の右注意立札につき、本件当日のみならずそれ以前からも十分認識していたと考えられるところ、亡稲葉が、右注意立札の趣旨に従つて、本件当日吉野川に入川しなければ本件事故にも遭わなかつたのであるから、注意立札による警告を無視した過失がある。

前述のとおり、上島野地点の中州は降雨時のわずかの増水による水位上昇によつても川岸と中州の間に水が流れて中州が孤立してしまう極めて危険な場所であるから、本件当日のような降雨の日には中州で釣りを行うことは危険極わまりないことであつて、亡稲葉が、この点を軽視して中州で釣りを行つたこと自体が重過失である。しかも、河川は徐々に増水してきて、ささ濁りの状態となつており、中州も冠水してきたのであるから、遅くとも増水に気付いた時点では危険を察知し、いさぎよく釣りをやめて早急に避難すべきであつたのに、気象情報の把握や注意立札の趣旨の懈怠も加わつて、しばらく様子をみようとして中州にとどまつたため、すみすみ避難の時期を逸してしまつたのであり、早急に避難すべき義務を怠つた過失がある。

6 亡梅田及び同奥中の過失

亡梅田、同奥中ら四名は、八月一日午前三時三〇分ころ、大阪府堺市の自宅を出発して六倉地点に向かつたが、右四名の出発時刻に相当する同日午前三時ころから同日午前四時までの間に堺市付近では時間雨量三・五ミリメートルの雨が降つており、その後本件被災場所に来るまでもほぼ同様であり、また、奈良県南部には、七月三一日午後一〇時五〇分に大雨雷雨注意報、八月一日午前一時一〇分にはこれが大雨洪水警報に切替えられていたのであるから、亡梅田らとしては、自宅を出るにあたつて気象情報に気を配るべきであり、特に、これから釣りを行う場所での天候等を確かめることは、河川での危害防止のため欠かせないものである。しかるに、亡梅田らは、これを怠つて吉野川に入川したのであり、気象情報把握を怠つた重大な過失がある。

亡梅田及び同奥中らが本件当日釣りをしていた六倉地点の吉野川の州は、前述のとおり、増水時には流水が激しく孤立しやすく、避難しようにも深みにはまつたり転倒するなどしやすいため困難であり、非常に危険な場所である(釣り場としては穴場かもしれないが、安全性の面からみれば危険極わまりない。)

さらに、亡梅田らの服装が避難行動を困難とするものであつたことも前述のとおりである。

したがつて、亡梅田及び同奥中には、本件当日、危険な本件州に立ち入つて釣りをしていたこと自体に安全性に対する注意を怠つた過失があつた。

7 亡下岡及び原告門の過失

亡下岡及び原告門が釣りのため吉野川に入川した八月一日は、台風一〇号が日本の南海上にあり、紀の川上流の大台ヶ原付近及び大迫ダム下流域には集中豪雨が発生していた。

しかも、亡下岡は、本件当日午前三時半に大阪府岸和田市の自宅を出発しているが、右当日午前二時から午前三時までの間に二〇ミリメートルの大雨、午前三時から午前四時までの間に四ミリメートルの降雨があり、また、原告門は、本件当日午前六時三〇分ころ大阪府堺市の自宅を出発しているところ、その当時の時間雨量は一ミリメートルと少ないが、その後午前七時から午前八時までの間に三ないし四ミリメートルの降雨があつた。

仮に原告門が、天気予報について、自宅のテレビで奈良地方とか和歌山地方の天気予報を確認したとすると、同人は、釣りに出る前に、奈良県南部に大雨洪水警報が発令中であり、七月三一日夜から本件当日にかけて大台ヶ原付近、大迫ダム下流域その他吉野川上流の集水域などに集中豪雨が発生していたことを当然に確認しているはずであり、そうすると、右豪雨による流水が吉野川に流れ込み西渋田地点にも到達して河川が増水することが十分予測できた。そうすると、原告門は、本件当日、河川での釣りを中止すべきであつたにもかかわらずこれを中止せず、しかも、後述のとおり、とりわけ危険な河川の中州で釣りを行つたのであり、右天気予報の結果を考慮した形跡は全くない。仮に、原告門が、本件当日、天気予報を聞いていたというのが真実と反するならば、それ自体釣りに行く者として気象情報の把握に懈怠があつた。

亡下岡についても、自宅を出るまでの降雨状況からみて、天気予報に注意を払うべきであつたのに、本件当日、右のとおり危険な中州で釣りをしていたことからみて気象情報の把握に懈怠があつた。

亡下岡及び原告門が被災した西渋田地点の吉野川の中州は、川幅三〇〇ないし四〇〇メートルの河川の中間に位置しており、河岸から中州までの距離は、右岸側七〇ないし八〇メートル、左側二〇〇メートルであり、中州の右岸側が本流(みお筋)で深い水流となつている。中州は、一番高い所で水面から六〇センチメートル位の平坦な砂州で、わずかの水位の上昇で中州は冠水ないしは水没するもので、仮にその程度に至らなくとも川岸より容易に孤立しやすく川岸までの避難が困難で水難事故の起こりやすい危険な場所であつた。

亡下岡及び原告門は、本件当日、右危険な吉野川の中州で、しかも、上流に集中豪雨が発生している状況下で釣りをしていたのであり、安全性に対する考慮を著しく欠いていた。

右のような危険な中州に立ち入りながら、亡下岡及び原告門は、中州の右岸側の本流(中州から二〇メートルくらい離れた河川の水の中)に常時腰(八〇センチメートルくらい)まで水に浸りながら釣りに熱中していたのであり、右の釣り行為は転倒したり河川の水流に容易に体の自由を奪われかねず、避難もしにくいものであり、安全性という点からすれば危険極まりない行為である。

しかも、亡下岡及び原告門は、流水が強くなるまで河川の増水による水位の上昇に気付かず、河川の増水に気付いた後も著しく避難行為が遅れた(道具の片付けの点についても、地元の者に比べて遅れた。)ため、中州にとり残される結果となつたのである。

第四異常豪雨に関する、被告主張に対する原告らの反論及び被告の再反論

一  原告らの反論

被告は、本件豪雨は初期累計雨量の増加等が異常であつた旨主張するが、右主張は正当でない。

本件では、ダムの強度等が問題とされているのではなく、事故当時のダム管理者の対応が問題となつているのであり、ダム管理者は、時々刻々と変化する降雨の状況を把握することができ、それに応じて今後の降雨の状況をその時々の状況に応じて予測・判断し、それに基づいて、当該時点の降雨及び貯水池への流入状況に即した放流の要否及びその規模を決定しなければならなかつたのである。したがつて、本件では、降雨に伴う時間ごとの将来の降雨の予測は必要であつても、被告の主張するような発生確率は何ら意味を持たない。

また、正規分布を前提とした発生確率の方法を、雨量に適用すること自体が果たして妥当かという問題が存在する。

さらに、発生確率の計算は、過去の資料が豊富に存在することが必要とされているのであり、本件のように、資料が少ない場合には、その資料で発生確率の計算をしても意味がない。

そして、資料面からみた被告の確率計算の最大の問題点は、被告の計算の前提とされた資料が、大台ヶ原における最大の一日雨量(一〇一一ミリメートル)を記録した大正一二年九月一四日の資料を含んでいないことである。この時の雨量は、仮に、二四時間にわたり同じ量の雨が降つたとして計算しても、一時間あたり四二・一二五ミリメートルという大変な豪雨であつた(本件事故時の降雨を同様の計算方法で算出すると、二八・三八ミリメートル以下である。)。

これに加えて、被告の確率計算では、昭和三四年九月の伊勢湾台風時の降雨記録も除外されているが、大台ヶ原一帯は、同台風の通過区域であり、大量の豪雨の結果、吉野川では本件事故当時をはるかに超える増水があつたのである。

そのうえ、被告の確率計算は、任意に設定した曖昧な基準をもとに計算されている点でも、信用できない。本来、統計はその前提となる資料の選択基準の設定方法次第で、結果を自由に操作できるものであるが、被告は、「実質的降り始め」という一般には用いられていない用語を使用することにより、自己に都合のよい資料選択基準を任意に選び出して、発生確率を算出したのである。降雨の初期損失は二〇ないし四〇ミリメートルであり、どうして、右の「実質的降り始め」が一〇ミリメートルになるのか、二〇ないし四〇ミリメートルではなぜいけないかの合理的な説明は全くない。これまでの大台ヶ原の降雨量の記録が、夏を中心とするものであり、地面が乾燥しているときであることを考慮するならば、四〇ミリメートルを基準・起点とするのも、一方法である。

以上のとおり、被告の主張する発生確率論は、その本件への適用、資料の不足及び多量降雨時の資料の欠如、算定基準あるいは起点の不明確等の問題を有するのであり、到底認められるべき主張ではない。本件事故当時、かなりの降雨があつたのは事実であるが、この程度の雨は、大台ヶ原では、これまでの記録からみて十分に降る可能性のあつたものであり、何ら「異常」なものではないのである。

二  被告の再反論

被告の発生確率計算は、本件でも意味のあるものであり、その資料、算定基準等に問題はない。

被告の確率計算に大正一二年九月一四日の降雨が、基礎データに含まれていないことは原告らの指摘のとおりであるが、これは、毎時の雨量データが存在しないために基礎データに含めることができなかつたのである。そして、右降雨は、吉野川沿川に災害等を発生させた形跡が全くみられないから、急激な出水や大増水を生じさせるような降雨パターンや降雨分布を示すものではなく、本件で問題とすべき再現確率計算の検討対象となり得るようなものではなかつたと推察される。

また、被告の確率計算に、伊勢湾台風時(昭和三四年九月二六日)の降雨記録が含まれていないことはおおむね原告らの指摘するとおりであるが、これは、右当時、日の出岳雨量観測所では、定時観測(午前九時)を原則としており、顕著な降雨が認められるとき、臨時に毎時観測が行われていたため、観測データの途切れた時間帯のみその間の累計雨量を毎時均等に配分し、可能な限り発生確率計算の基礎資料としたが、右のようなデータ処理は真実の降雨状況を示すものとはいえないから、この種のデータ処理をしたものを含めた計算は参考としただけで、これらを排除して再計算して発生確率を求めたのである。

第三章  証拠 <略>

理由

第一当事者

一  原告(原告門を除く)

死亡者らが死亡したことは、当事者間に争いがない。

右争いのない事実に、<証拠略>を総合すれば、原告門を除くその余の原告らと別表1の死亡者欄記載の死亡者らとの関係がそれぞれ同表の原告の死亡者との関係欄記載のとおりであること、及び、原告門及び同大田照子を除くその余の原告らが、それぞれ同表の相続分欄記載のとおりの相続分で各死亡者を相続したことが認められる。

また、<証拠略>によれば、原告大田照子は、亡大田と同居して同人から扶養を受けていたことが認められる。

二  被告

被告が、昭和五七年当時、農林水産省近畿農政局によつて吉野川の上流奈良県吉野郡川上村大字北和田に所在する公の営造物である大迫ダムを設置、管理していたことは、当事者間に争いがない。

第二大迫ダムの概要

大迫ダムが、十津川紀の川総合開発事業の一環として、河川法二六条、九五条により、国と河川管理者との協議によつて設置された農業用水確保及び発電を目的とするダムであること、同ダムが昭和三八年四月に着工され、昭和四八年に完工したこと、及び、同ダムが不等厚ドーム型アーチダムであり、その規模等が左記のとおりであることは、当事者間に争いがない。

堰高標高    四〇〇・五メートル

基礎地盤標高  三三〇メートル

堤高      七〇・五メートル

堤長      二二二・三メートル

堤体積     一五万八〇〇〇立方メートル

総貯水量    二七七五万立方メートル

有効貯水量   二六七〇万立方メートル

計画満水位標高 三九八メートル

余裕高     二メートル

満水面積    一〇七ヘクタール

最大取水量   毎秒二〇立方メートル

洪水吐ゲート  九メートル×八・六五メートルのもの五門

(「余水吐ゲート」ともいう。)

流域面積    一一四・八平方キロメートル

同ダム地点における吉野川の計画洪水量 毎秒二三〇〇立方メートル

第三死亡者及び原告門の吉野川での被災状況等

一  亡塩崎について

1  亡塩崎の遺体の不発見

亡塩崎の遺体が発見されていないことは当事者間に争いがない。

2  窪垣内地点での急激な増水

<証拠略>によれば、吉野警察署新子駐在署の巡査訴外山岡は、八月一日午前四時三〇分ころ、パトロール中に窪垣内の吉野川の河原で吉野郡大淀町の子供会の会員六〇名がテントを張つてキヤンプをしているのを発見し、急いで新子駐在署へ戻り、妻及び消防団員らの応援を得て、テントで寝ている右会員らを大声で起こして回つたが、「ゴーツ」という川鳴りが聞こえはじめたため、まだ寝ぼけている子供たちをテントから引きずり出し、約七分かかつて全員を避難させたこと、右のように避難させている間に、吉野川の水かさが増し、最後の時点では腰まで水に浸かりながら避難させたこと、避難が終わつた直後に約二メートルの高さの濁流が襲い、右会員らのテントその他のキヤンプ用品が流されてしまつたことが認められる。したがつて、窪垣内の吉野川は、訴外山岡らが右会員らを起こして回つたときまではほとんど増水しておらず、その後急激な増水が始まり、まず、当初水の無かつた河原に立つている人間の腰くらいまで数分で増水し、その後さらに急激に約二メートル増水したものである。

3  増水の過程ではない場合の窪垣内地点の流水の宮滝大橋地点への到達時間等

<証拠略>によれば、右2の窪垣内地点の河原は、河道距離で宮滝大橋の約六・七キロメートル上流に位置し、高見川合流点のすぐ下流であること、窪垣内地点と宮滝大橋地点の間には大きな支流がないこと、窪垣内地点の吉野川の流量は、右2のとおり増水する前には毎秒一〇ないし数十立方メートルであり、右2のとおり約二メートル以上増水した後には毎秒数百立方メートルであること、及び、吉野川では、増水の過程ではなく水面勾配が川床勾配と同じ状態である場合(以下「増水の過程ではない場合」という。)、窪垣内のすぐ上流の高見川合流点の毎秒約三五〇ないし八一三立方メートルの流水は、約四〇ないし五〇分後に宮滝大橋地点に到達することが認められる。

4  下渕地点での急激な増水

<証拠略>によれば、下渕頭首工の約三五〇メートル下流の地点(以下「下渕地点」という。)の吉野川の七月三一日午後六時から八月一日正午までの水位は別表22のとおりであり、八月一日午前六時八分までは総量で三七センチメートル上昇し、一時間あたり多くとも十数センチメートル程度までの上昇にとどまつていたのに、同時刻から同日午前六時三〇分までに約三メートル上昇し、同日午前七時までにさらに約二メートル上昇していること、及び、吉野川の下渕頭首工への流入量は、八月一日午前六時八分までは毎秒四一・三立方メートル以下であつたのに、同日午前六時三〇分には毎秒四三五・七立方メートルに増加し、同日午前七時には毎秒九七七・八立方メートルに増加したことが認められる。

5  津風呂ダムの放流について

<証拠略>によれば、宮滝大橋地点の北側には津風呂ダムが存在し、同地点と下渕地点の間で津風呂ダムの放流水が吉野川に流入する可能性があることが認められる。しかし、<証拠略>によれば、七月三一日午後六時から八月一日午前六時までに津風呂ダム下流水位が一三センチメートル上昇したことが津風呂ダム水位・雨量テレメータ観測記録表に記録されていることが認められ、したがつて、下渕地点の右の同日午前六時八分以降の急激な増水をもたらすような放流は少くとも津風呂ダムでは行われなかつたものということができる。

6  増水の過程ではない場合の宮滝大橋地点の流水の下渕地点への到達時間

<証拠略>によれば、宮滝大橋地点は河道距離で下渕地点の約一三・三キロメートル吉野川の上流にあり、増水の過程ではない場合、宮滝大橋地点の毎秒約三五〇ないし八一三立方メートルの流水は、約一時間三〇分ないし二時間後に下渕地点に到達することが認められる。

7  増水過程での流水の下流への到達時間

<証拠略>によれば、河川の流水の平均流速は、

「V=(1/n)R2/3I1/2  V…平均流速(m/sec)

n…粗度係数 R…径深(m)=A/P I…水面勾配 A…流積(m2)P…潤辺長(流水が河床に接する部分の長さ m)」

というマンニングの公式によつて求められ、河川の流水の平均流速は、水面勾配が大きくなるとその二分の一乗に比例して速くなること、並びに、平均流速、流量及び流積の関係は、

「Q=AV Q…流量(m3/sec) A, V…右と同じ」

であることが認められる。

したがつて、河川が増水する過程では、そうでない場合より水面勾配が大きくなるから、同じ場所で、水位が同じ(流積が同じ)であつても、流水の平均流速は速くなり、それに応じて流水の下流への到達時間も短くなることが明らかである。そのため、増水の過程では、同じ水位(同じ流積)でも流量が増水の過程ではない場合より多くなる。

したがつて、同じ場所で、流量が同じ場合でも、増水の過程では、そうでない場合より流積が小さくなるから、流水の平均流速も速くなり、それに応じて流水の下流への到達時間も速くなる。

<証拠略>によれば、これらの流量及び平均流速の計算は水面勾配が川床勾配と同一のもの(増水の過程ではない状態)としてなされているから、水面勾配が川床勾配より大きくなる増水の過程では、これらの計算より、同じ水位での流量は多くなり、同じ流量の流水の平均流速も速くなつて、下流への到達時間も短くなる。

8  矢治地点での急激な増水

<証拠略>によれば、矢治地点の吉野川では、八月一日午前四時過ぎにはまだ暗く、その後急激な増水が起こり、キヤンパーのテント三張りが流され、子供を含む一三名の者が真つ暗な中で避難した河川内の岩場に孤立し、午前六時四五分ころヘリコプターによつて救助されたこと、及び、右地点の吉野川は、窪垣内地点と宮滝大橋地点の間のすこし宮滝大橋寄りに位置していることが認められる。

9  宮滝大橋地点での急激な増水の推認

右2ないし8の事実によれば、宮滝大橋地点の吉野川は、同日午前五時ころ、それまではほとんど増水がなかつたのに急に増水し始めたこと、及び、その増水の状況は右に認定した窪垣内、矢治及び下渕の各地点における急激な増水と同様のものであつたことが推認できる。

10  樫尾地点での増水

<証拠略>(ただし、後記措信しない部分を除く。)によれば、訴外岡本は、吉野町樫尾に住み、山林業のかたわら同町消防団中荘支団長として活動をしていたものであるが、目が悪く、隣で寝ている妻の枕元にある大きなガラス製の置き時計の時刻が読めないこと、同人に、八月一日早朝夜が明けて、電灯をつけた家の中から約五〇メートル離れた吉野川の対岸、川の流れの状態及びその色まで見えるようになつたとき、樫尾の同人宅前の吉野川は、一面の濁流で河原も水没するほどに増水していたこと、右地点の吉野川は、窪垣内地点と宮滝大橋地点の間のすこし宮滝大橋寄りで、矢治地点のすぐ下流に位置していること、その後、消防団員から訴外岡本宅へ、矢治の中州に人が取り残されている旨の電話が入つたこと、右電話の後同人宅へ宮滝大橋の付近で人が流された旨の電話(亡塩崎のことであるか否かは明らかでない。)が入つたときには、同人宅前の吉野川の水位は既に消防水利のための施設を越えブロツクの下から三段目ないし四段目くらいのところまできて、平常より約三メートルも上昇していたこと、このときの右地点の吉野川の流量は毎秒約二七〇立方メートルを越えていることが認められる。

11  宮滝大橋地点での増水

<証拠略>によれば、右10のとおり訴外岡本が矢治の中州に人が取り残されている旨の連絡を受け、それを受けて消防団員へ出動の連絡がなされ、訴外上田まで連絡がきてから約一〇分後には、宮滝大橋下の吉野川の中にある岩場はすべて水没しており、下流の岩場の一番高い部分だけが頭を出していて、水面は白く光つている感じの状態であつたこと、このとき、右岸はコンクリートとブロツクの境目付近ないしそれより上まで水に浸かつている状態であつたこと、このときの同地点の吉野川の流量は毎秒約二〇〇ないし三〇〇立方メートルであつたこと、及び、同地点の吉野川の流量が約一〇〇立方メートルでは宮滝大橋下の岩場はまだ水面から出ており、右岸はコンクリートとブロツクの境目よりかなり下までしか水に浸からない状態であることが認められる。

12  宮滝大橋地点下流での増水

<証拠略>によれば、右11と同様の出動の連絡が同じ消防団員訴外坂本にきたので、同人が御園の屯所に着いたときには、既に宮滝大橋より下流の吉野川の中州でキヤンプをしていた者が流されたことを聞き、その中州を見にいくと中州は既に水没していたが、再び屯所に帰つたとき、訴外西山らしい人から友達が流されたと聞いたことが認められる。

13  亡塩崎の被災状況

右1ないし12の事実に、<証拠略>を総合すると以下の事実が認められ、これに反する<証拠略>の記載は措信できない。

(一) 亡塩崎は、友人の訴外西山と、七月三一日午後三時ころから、宮滝大橋下の吉野川の流れの中にある岩場の周囲に堆積した砂地に、テントを張つてキヤンプをし、午後一〇時ころ就寝して、八月一日午前一時ころ寝入つた。亡塩崎らがテントを張つた場所は、宮滝大橋の直下で、下流よりであり、水面から約三〇センチメートルの高さであつた。

(二) 亡塩崎らは、水滴がテントに落ちる音で目を覚まし、テント外に出て吉野川の水位を確認したが、就寝前からたいした変化はなく、音もしない程度の霧雨が降つていた。亡塩崎らは、明るくなつたら引き上げることに決め、テント内の小物の整理をした。明るくなつて、亡塩崎らは、テントをたたみ始めたが、目を覚ましたときより、水位が二センチメートルくらい上昇していた。

(三) 亡塩崎らが、テントをたたみ始めると、急に吉野川の水位が上昇し、テントを張つていた砂地が水に浸かり始めたため、訴外西山は、砂地より一段高い岩場へ荷物を上げたが、水位の上昇は急激で、訴外西山が水から逃げて一段一段荷物を上へ上げるのを、水が追いかけてくるような状態であつた。このとき、亡塩崎は、中州の岩場の上流部に走つてゆき、右岸に向かつて助けを求めて叫んだり、宮滝大橋下流側の右岸側の河原に前日から家族連れ四名が乗つたまま駐車していたワゴン車に向かつて増水を知らせようと叫んだりした。

訴外西山は、水位の上昇が急激で岩場もどんどん冠水してきたので、泳いで中州から脱出するほかないと判断し、亡塩崎を岩場の下流側に連れ戻した。亡塩崎は、携帯用の寝袋をしよい、訴外西山は、ごみ袋に入れた寝袋を持つて、亡塩崎が右、訴外西山が左になつて手をつなぎ、左岸側へ泳ぎ出すために、腰まで水に浸かつて冠水した岩場の一段低い所に下りた。その瞬間、さらに大量の水が流れてきて、その衝撃により、亡塩崎らは、下流に押し流された。

(四) 亡塩崎らは、当初、手をつないだままで流されたが、その後、岩又は流木のようなもので手が離された。そして、訴外西山は左岸側に流され、助かつたが、亡塩崎は、川の中央部に流され、行方不明となり溺死したものと思われる。亡塩崎らが流されるまでに、水位は右岸の護岸のブロツクの部分とコンクリートの部分の境目くらいまで上昇した。

(五) また、右ワゴン車に乗つていた家族連れも、増水に気付き、子供二名が先に避難して右岸の護岸ブロツクの部分へ上がり、妻と思われる者は一旦流されたがすぐに夫と思われる者が助け上げた。右ワゴン車は、家族連れが車から下り始めて一〇秒か二〇秒くらいで、水に浮いて流されてしまつた。

亡塩崎らが流された時刻は、八月一日午前五時ころである。

14  被告の主張について

(一) 被告は、被告の主張一〇2のとおり、亡塩崎らが吉野川で流されたのは、遅くても八月一日午前四時前であり、急激な増水によつて流されたのではなく、増水によつて中州に取り残されて孤立し、対岸まで避難しようと腰まで水に浸かりながら川を渡つている最中に水流に流されてしまつたものである旨主張し、被告が右主張の根拠として主張するところは、おおむね以下のとおりである。

<1> 訴外岡本は、八月一日午前四時四〇分ころ、訴外西山に会つて亡塩崎の捜索依頼を受けており、亡塩崎と訴外西山が流されたのはそれより約一時間前であつた。

<2> 亡塩崎と訴外西山が目が覚めてテントの外に出てからテントをたたみ始めるまで約一時間であり、その間ずつと音もなく静かな霧雨が降つていた。

宮滝の八月一日午前四時から午前五時までの一時間雨量は一七ミリメートルであり、午前四時ころに宮滝の降雨の状況が霧雨であることはあり得ず、また、右の時間帯の降雨の状況は亡塩崎と訴外西山が相談して夜が明けてから退川することを決めるような穏やかなものではなく、右のような相談があつたのは、遅くとも同日午前三時以前のことと推認できる。

<3> 亡塩崎らは、明るくなると同時にテントをたたみ始め、その直後に被災した。

明るくなる時刻は、日の出の時刻より相当早い時刻であることは誰でもが経験することであり、それを天文学的には「薄明」、一般には「空が白みかける」といい、山地等の条件による影響はなく、八月一日は午前四時ころに明るくなつた。

<4> 氏名不詳の橿原の釣人は、八月一日、夜が明けて川がほんのりと見えるようになつたころ、柴橋の付近で、胴に寝袋と思われる黒いものを巻いた亡塩崎と思われる者がもがきながら流されて行くのを目撃した。

<5> 訴外村上が、八月一日午前四時二〇分ころ、吉野警察署に立ち寄つたとき、同署で宮滝での救助活動について電話で打合わせが行われていた。

<6> 八月一日午前四時過ぎ、宮滝大橋から河道距離で上流約二・六キロメートルの樫尾の訴外岡本宅前の吉野川は、一面の濁流で河原も水没するほどに増水していた。

<7> 八月一日午前四時三五分ころ、右<6>の樫尾の吉野川では、消防水利のための施設を越えて護岸ブロツクの三段目から四段目くらいのところまで水が来ており、水がブロツクの四段目まで来るときの流量は毎秒二七〇立方メートルより多い。

<8> 訴外坂本が八月一日午前四時過ぎに出勤の連絡を受けた一〇ないし一五分後、宮滝大橋の約一・二キロメートル下流の御園の屯所の下流でキヤンプをしていた人が一旦流されたが、無事避難した。

<9> 八月一日午前四時二〇分ころ、宮滝大橋下の中州も付近の河原もすべて水没し、すぐ下流の一番高い岩場の頭だけが水面から出て、吉野川の水面は白く光つている感じであつた。

<10> 八月一日、吉野川は急激な増水が起きる前から高見川など支流からの水などによつて自然増水しており、宮滝大橋下の中州に直撃するように流れ込む谷山川も、午前三時ころ、かなりの程度増水して石がカラカラと音を立てて流れていた。

<11> 亡塩崎及び訴外西山は、増水に対し、荷物を一段一段と岩場の高い所へ押し上げ、テントにも未練を持ち、荷物を捨てて退避せず、増水に気付いていない右岸のワゴン車が流されるいきさつをつぶさに観察しており、手をつなぎ、亡塩崎は寝袋を肩にかけ、訴外西山はゴミ袋(荷物)を手に持つて、川を渡ろうとした。

流されて泳ぐような状況であるとすれば、亡塩崎らが手をつないで川の中に入ることは常識では考えられないことであり、右の亡塩崎らの一連の行動は悠長な行動で緊迫感が一切感じられないから、亡塩崎らは急激な増水によつて流されたのではない。

<12> 亡塩崎らは、二〇メートルくらい押し流されて、舟形の岩のあたりで、つないでいた手の間に衝撃があり、岩か流木かで手を離され、亡塩崎は右岸の本流の方向に流され、訴外西山は反対側に流された。

右の舟形の岩は、吉野川が枯渇状態のときでも一メートル程度の高さであり、吉野川の流量が毎秒七〇立方メートル程度の増水で水没してしまう。

亡塩崎と訴外西山のしつかりつないでいた手が離れ、スポーツ万能で泳ぎも得意な亡塩崎だけが本流の方向に流されたということは、頑丈な固形物である右の舟形の岩によつて分離されたとみるのが自然であるから、亡塩崎らが流された当時は、宮滝大橋下の中州がすべて水没してはいない状態であつた。

<13> 増水中の河川を渡ろうとするとき、急激な増水でなくても、流水によつて体の自由を奪われて流されてしまうことは絶えずあることである。

(二) しかし、以下のとおり被告の右主張は理由がない。

1 <1><6><7><8><9>について

証人岡本元一は時刻の点について被告の<1><6><7><8><9>の主張に沿つた証言をし、<証拠略>にも時刻の点について被告の右主張に沿つた記載がある。

しかし、前述のとおり、窪垣内では、八月一日午前四時三〇分ころ訴外山岡らが子供会の会員らを避難させ始めるまで、河原のテントで寝ていることができ、ほとんど増水はなく、その後急激に約二メートル以上増水したのであつて、この増水が相当の時間かかつて下流に到達しなければ、樫尾や宮滝大橋付近の吉野川は増水しないのであり、また、<証拠略>によれば、訴外西山が、八月一日午前六時ころ、原告塩崎庄一宅へ亡塩崎が吉野川で水に流されたことを知らせるため電話をかけてきたことが認められ、<証拠略>によれば、右の電話は、訴外西山が二度目に吉野広域消防本部へ来たときにかけたものであることが認められ、そうすると、亡塩崎が流された時刻が、訴外西山が二度目に吉野広域消防本部に来たときより約一時間前であつたとしても、亡塩崎は午前五時ころ流されたことになるし、さらに、前述のとおり、矢治地点の吉野川では、八月一日午前四時過ぎには真つ暗であつたのであり、そのころ、目の悪い訴外岡本に吉野川の対岸や川の色、状態などが見えるはずはないなど、右の<証拠略>は措信できない。

また、<証拠略>の時刻についての記載は、右岡本元一の述べたことを前提にした記載であり、<証拠略>の時刻についての記載は、それ自体確かなものではなく、右の各事実に照らすと、これらの時刻についての記載も同様に措信できるものではない。

そして、被告は、亡塩崎が流された時刻は、訴外岡本が訴外西山に出会つたときより約一時間前である旨主張するが、訴外西山の流された後の行動の所要時間についての<証拠略>は、人間の時間についての感じかたや記憶が不確かなものであることに加えて、友人が川で流されたという異常事態の下でのことであり、訴外岡本や訴外坂本に出会つたことすら記憶がなく、証言までにかなりの期間が経過していることから、確かなものとはいえない。さらに、訴外岡本が訴外西山に出会つたのは、被告の主張する訴外西山が二度目に吉野広域消防本部へ来たときであるとは限らず、むしろ、<証拠略>の「柳か竹につかまつて助かつた、その後友達を捜しにずつと下流のほうまで行つたが見つからなかつたので戻つてきた、何とかしてもらえないか」という記載からすれば、訴外西山が最初に吉野広域消防本部へ来たときのことである可能性が大きい。

よつて、被告の<1><6><7><8><9>の主張はいずれも採用できない。

2 <2>について

<証拠略>によれば、宮滝の八月一日午前三時から午前五時までの時間帯の各一〇分間雨量は、以下のとおりであつたことが認められる。

午前三時〇分から午前三時一〇分まで  約 二ミリメートル

午前三時一〇分から午前三時二〇分まで 約 一ミリメートル

午前三時二〇分から午前三時三〇分まで 約〇・五ミリメートル

午前三時三〇分から午前三時四〇分まで 約 一ミリメートル

午前三時四〇分から午前三時五〇分まで 約三・五ミリメートル

午前三時五〇分から午前四時〇分まで  約 一ミリメートル

午前四時〇分から午前四時一〇分まで  約三・五ミリメートル

午前四時一〇分から午前四時二〇分まで 約 三ミリメートル

午前四時二〇分から午前四時三〇分まで 約〇・五ミリメートル

午前四時三〇分から午前四時四〇分まで 約〇・五ミリメートル

午前四時四〇分から午前四時五〇分まで 約 二ミリメートル

午前四時五〇分から午前五時〇分まで  約七・五ミリメートル

右のとおり、八月一日午前三時以降も宮滝大橋付近で相当の時間霧雨などごく弱い雨が降つていた時間帯もあるのであり、前述のとおり、亡塩崎らは、一旦テントの外に出たが、テントをたたみ始めるまでの間、テント内で小物の整理をしており、亡塩崎らのテントは宮滝大橋の直下にあつたのであるから、亡塩崎らはその間降雨の状態を知りにくい状況にあつたのであり、また、右の間が約一時間であつた旨の<証拠略>も確かなものとはいえない。

そうすると、降雨の状況から、亡塩崎と訴外西山が相談して夜が明けてから退川することを決めたのが、八月一日午前三時以前であると推認することはできず、被告の<2>の主張も採用できない。

3 <3><4>について

証人岡本元一は被告の<3><4>の主張に沿う証言をし、<証拠略>にはこれに沿つた記載がある。

しかし、証人岡本元一の時刻についての証言及び<証拠略>の時刻についての記載がいずれも措信できないことは、前述のとおりである。天文薄明の始まる時刻が日の出より相当早い時刻であることは被告の主張するとおりであるが、夜は徐々に明けてくるものであり、天文薄明が始まり空が白みかけたからといつて地上の物体が見えるようになり、人がそれにしたがつて行動できるようになるのはそれより相当遅い時刻であり、それが、地形、天候等の条件によつて影響されることは誰でもが経験できることであり、夜明けと同様の現象が逆の順序で起こる夕暮れでも、西側に山などがある場所では早く暗くなり、上空が雨雲で覆われている場合にも早く暗くなり、山などの高さ、山などとの距離、付近の状況及び雲の厚さも明るさに影響することは万人が経験することである。また、明るい暗いの評価は視力等も影響して人によつて違うことも誰もが経験することである。そして、<証拠略>によれば、八月一日の大阪市の日の出は、午前五時七分ころであつたこと、吉野川上流部は、三重県と奈良県の県境である台高山脈から北西に流れ下つており、すぐ東に標高一〇〇〇ないし一四〇〇メートルの山々が多数そびえていること、宮滝大橋より上流の吉野川は深い谷間を流れており、宮滝大橋付近の吉野川の標高は一八〇メートル以下であること、吉野川上流部では、八月一日、日の出の二時間くらい前から日の出の時刻ころに、あちこちで強い雨が降つたり止んだりしており、雨雲が広がつていたことが認められる。

そして、前述のとおり、矢治地点の吉野川では、八月一日午前四時過ぎにも真つ暗であつた。

右の各事実によれば、八月一日に吉野川上流部で、亡塩崎らが、明るくなつたからということでテントをたたみ始めるだけ明るくなつたのは、午前四時過ぎより後で、それもかなり遅い時刻であつたことが推認でき、被告の<3>の主張も採用できない。

また、以上の事実のほか、<証拠略>によれば柴橋は、宮滝大橋から約五〇〇メートル下流に位置することが認められ、したがつて、<4>の主張のように、亡塩崎らが流されたのが遅くても八月一日午前四時前であるとはいえない。

4 <5>について

<証拠略>には被告の<5>の主張に沿う部分があるが、<証拠略>の記載は、「中州に人がとり残され、今人の手配をしている最中であり」とあり、宮滝ではなく、矢治の中州に取り残された者の救助についての連絡であつた可能性が強く、また、<証拠略>に記載され、証人村上直紀が証言する警報活動中の時刻も、ただちに措信できるものではなく、右主張も採用できない。

5 <10>について

被告は、八月一日、吉野川は急激に増水する前から高見川などの支流からの流水によつて自然増水していた旨諸々の主張をするが、前認定のとおり、窪垣内では午前四時三〇分ころまで六〇名の者が河原のテントで寝ていられたのであるから、それまでたいした増水がなかつたことは明らかであり、窪垣内と宮滝大橋の間には、ほとんど支流はなく、<証拠略>によれば、谷山川が宮滝大橋付近の吉野川に流れこんでいることが認められるけれども、吉野川本流や窪垣内より上流で合流する支流と比べれば全く取るに足らない支流であり、谷山川を含む窪垣内と宮滝大橋間での流入量によつて、宮滝大橋付近で窪垣内で生じた増水が流れ下つたものとは異なる相当の増水が生ずるものとは考えられず、ましてや午前三時もしくは午前四時ころにワゴン車まで流してしまうことはあり得ない。

また、亡塩崎らの就寝中又は起きてテント内で荷物を整理している間には、テントが水に浸かつたりしていないことからも、同人らがテントをたたみ始めるまで宮滝大橋地点の吉野川はほとんど増水していなかつたことが明らかである。

したがつて、被告の<10>の主張も採用できない。

6 <11><12><13>について

被告は亡塩崎らが増水に気付いてから流されるまでの行動を悠長で緊迫感が感じられない旨主張するが、これは、被告の手前勝手な感じかたに過ぎず、前述のとおり、水から逃げるために荷物を上へ上へと上げたり、右岸やワゴン車に向かつて叫んだりするのは、極めて緊迫した状況であり、しかも、前述のとおり、河川内の岩場や中州ではなく右岸に続いた河原にいた者さえ一旦流されているのであるから、このときの増水が極めて急激なものであつたことは明らかである。

また、亡塩崎と訴外西山が舟形の岩で分離されたと認めるに足りる証拠はなく、仮に舟形の岩で分離されたとしても、水中の相当深いところにある舟形の岩につないでいた手が当たる可能性もある。

そして、一般論としては、増水中の河川を渡ろうとするとき、急激な増水でなくても、流水によつて体の自由を奪われて流されてしまうことがあるとしても、本件でもそうであつたと断定できるものではない。

したがつて、被告の<11><12><13>の主張も採用できない。

7 よつて、被告の、亡塩崎らが流されたのは、遅くても八月一日午前四時前であり、急激な増水によつて流されたのではなく、対岸まで避難しようと腰まで水に浸かりながら川を渡つている最中に水流に流されたものである旨の主張は採用できず、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

二  亡大田について

1  亡大田の遺体の不発見

亡大田の遺体が発見されていないことは当事者間に争いがない。

2  下渕地点での急激な増水

前記第三、一4のとおり、下渕地点の吉野川は、八月一日午前六時八分以降同日午前六時三〇分にかけて急激に増水した。

3  増水の過程ではない場合の阿知賀地点の流水の下渕地点への到達時間

<証拠略>によれば、阿知賀地点は吉野川の河道距離で下渕地点の約二キロメートル上流に位置し、増水の過程ではない場合、阿知賀地点の毎秒約三五〇ないし八一三立方メートルの流水は、約一三ないし一七分後に下渕地点に到達することが認められる。

4  増水過程での流水の下流への到達時間

前記第三、一7のとおり、河川が増水する過程では、同じ流量でも、そうでない場合より、下流への到達時間が速くなる。

5  阿知賀地点での急激な増水の推認

右2ないし4の事実から、阿知賀地点の吉野川は、八月一日午前六時ころ、右2の下渕地点のものと同様の急激な増水が起きたことが推認できる。

6  亡大田が泳げなかつたこと

<証拠略>によれば、亡大田は水泳ができなかつたことが認められる。

7  亡大田の被災状況

右1ないし6の事実に、<証拠略>を総合すると以下の事実が認められ、これに反する<証拠略>の記載部分は措信できない。

(一) 亡大田は、訴外井上と、七月三一日午後三時四〇分ころ、被災場所である下市町大字阿知賀の吉野川左岸の岸の端から約三〇メートル、吉野川の本流から約四〇メートルの距離の、水面から三〇ないし四〇センチメートルくらい高い河原に、歩いてきて、テントを張つてキヤンプを始め、午後一〇時ころ就寝した。

(二) 亡大田らは、翌八月一日午前一時ころ、テントをたたく激しい雨の音で目を覚まし、雨漏りが始まつたため、テント内の水を排水したりしながら、座つたまま眠らずにいた。亡大田らは、夜が明けたら帰ることに決め、午前五時過ぎころから荷物をまとめ、いつでも帰れる状態にしてテント内で待機し、吉野川の水位に注意を払つていたが、特に変化はなかつた。

(三) 亡大田らは、同日午前六時ころ、食事の用意を始めたところ、訴外福本が、テントの外から、非常に大きな声で、危険だから避難せよと警告したため、急いで、荷物を持つて外に出て、テントを片付け始めた。このとき、テントを張つていた場所付近には、まだ流水は来ていなかつたが、前日亡大田らが歩いてきた岸よりの低い所には、水が流れ始めていた。

(四) 亡大田らは、約五分以内にテントを片付け終え、水のない所を伝つて岸へ避難しようと考え、訴外井上が、先にたつて亡大田に声をかけ、水の流れていない一番近い左岸へ向かつて逃げようとした。ところが、岸の手前には約五ないし六メートルの幅で水が流れており、訴外井上は、足を踏み入れてみたが、急に深くなつていて、渡れないことがわかつた。そのため、亡大田らは、一旦、引き返そうとしたが、訴外福本が、大きな声を出しながら走つてきて、亡大田らの横をすり抜け、亡大田らが引き返した場所へ向かつて行つたので、亡大田らも、訴外福本の後についてゆき、引き返した場所に戻つた。右の場所で、訴外福本は、「飛び込め。」と声をかけてすぐ水に飛び込み、次いで、訴外井上も、亡大田に、「荷物を捨てるように。飛び込むから。」と声をかけて水に飛び込み、訴外福本及び訴外井上は、泳いで対岸に渡つた。

(五) 訴外井上が、岸に泳ぎ着き、水の来ない高い所まで上がつて振り返ると、亡大田は、訴外井上らが飛び込む前にいた場所に、腰のあたりまで水に浸かつた状態で立つており、携帯用の冷蔵庫を草に結わえていた。訴外井上及び訴外福本は、亡大田に対し早く泳いでこちらに来るように声をかけたが、亡大田は泳いで来ようとはしなかつたため、訴外井上は、近くの酒屋へ行き、警察に救助を要請する電話をかけた。訴外井上は、すぐに現場へ引き返したが、その間にも水位は上昇し、亡大田は、元の場所で、顔が水面に出ているくらいの状態で、一方の手で竹のようなものを持ち、他方の手で何かを握つて立つていた。訴外井上は、訴外福本に警察を案内するように道路へ出てもらい、亡大田に対し、すぐ助けが来るから頑張るように声をかけたが、亡大田は、何も答えなかつた。

訴外福本が行つて間もなく、亡大田は、大きな声をあげて水に沈み、いつたん浮かび上がつてまた沈み、そのまま下流へ流されて溺死してしまつた。

亡大田が流された時刻は、八月一日午前六時過ぎころである。

8  被告の主張について

被告、被告の主張一〇3のとおり、亡大田は、冠水した中州から対岸まで渡るため川の中に入つたところ、自然増水した流水によつて体の自由を奪われ、流されてしまつたのであり、急激な流水によつて流されたのではないなどと主張するが、被告の右各主張を裏付ける証拠はなく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  亡稲葉について

1  亡稲葉の遺体の発見

<証拠略>よれば、昭和五七年九月七日、和歌山県那賀郡岩出町の吉野川で、亡稲葉の遺体が発見され、その死因は溺死であることが認められる。

2  下渕地点での急激な増水

前記第三、一4のとおり、下渕地点の吉野川は、八月一日午前六時八分から同日午前六時三〇分にかけて急激に増水した。

3  増水の過程ではない場合の下渕地点の流水の上島野地点への到達時間

<証拠略>によれば、上島野地点は吉野川の河道距離で下渕地点の約五・五キロメートル下流に位置し、増水の過程ではない場合、下渕地点の毎秒約三五〇ないし八一三立方メートルの流水は、約三〇分後に上島野地点に到達することが認められる。

4  増水過程での流水の下流への到達時間

前記第三、一7のとおり、河川が増水する過程では、同じ流量の流水でも、そうでない場合より、下流への到達時間が速くなる。

5  上島野地点での急激な増水の推認

右2ないし4の事実から、上島野地点の吉野川は、八月一日午前六時三〇分過ぎころ、右3の下渕地点のものと同様の急激な増水が起きたことが推認できる。

6  亡稲葉の被災状況

右1ないし5の事実に、<証拠略>を総合すると以下の事実が認められ、これに反する<証拠略>の記載は措信できない。

(一) 亡稲葉は、八月一日午前六時前ころ、上島野地点の吉野川の中州付近で鮎釣りを始めた。その後、亡稲葉が右中州の上流側で釣りをしていると、同日午前六時三〇分ころ、訴外小松が来て、右中州の下流で釣りを始めたが、そのときの吉野川の状態は、いわゆる「ささ濁り」の状態で少しだけ濁つており、流水の勢いはたいしたことはなく、右岸と中州の間の流れも「サラサラ」という程度であり、水量も普段より少し多いだけであつた。また、他にも一名、同所付近で釣りをしている者がいた。

(二) その後、訴外小松は、右中州の一番下流にある当初水面から二〇ないし三〇センチメートル出ていた岩が水に隠れたのを見て、少し水量が増えたことに気付いた。訴外小松は、右の水量の増加について、特に危険を感じなかつたが、亡稲葉も、同じころ水量の増加に気付き、中州の上流側から訴外小松のところに来て、両名で「水が増えてきた。」、「鮎が釣れるか。」という会話を交わし、水量の増加については、「もう少し様子を見てみようか。」と話した。

(三) ところが、右会話の後、相談する暇もないくらいの間に、右岸と中州との間の流れが激しくなり、幅も広がつて右岸に渡れなくなつてしまい、中州も次第に水没し始めた。亡稲葉と訴外小松は、中州の中ほどの一番高い所に移動したが、移動して二ないし三分で膝から腰くらいまで水がきてしまつた。右両名は、川に飛び込んで、左岸に向かつて泳いだが、流水の状態は、泳げるような状態ではなく、泳ぎの達者な訴外小松でも二回川底に吸い込まれ、下流へ流されてしまつた。訴外小松は、幸運にも流される途中立木が手に当たり、これにつかまつて助かつたが、亡稲葉は、そのまま流され、溺死してしまつた。

右の増水が起こつた時刻は、八月一日午前六時三〇分過ぎころである。

7  被告の主張について

被告は、被告の主張一〇5のとおり、訴外小松が右中州に来てからの中州の冠水の状況は急激なものではなく、徐々に始まつたものであり、亡稲葉及び訴外小松は急激な水によつて突然押し流されたのではなく、左岸に向かつて任意に泳ぎ出し、その際体の自由を奪われて流された旨主張する。

しかし、右認定のとおり、訴外小松が来てからの増水の状況は、数分のうちに、かなり広い中州がすべて冠水したうえその最も高い所に立つ大人の膝から腰くらいまで、約一メートルも増水したのであつて、極めて急激なものであり、また、亡稲葉及び訴外小松は、この状況のもとで任意に泳ぎ出したものでなく、泳がざるを得なかつたのであり、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

四  亡梅田及び同奥中について

1  亡梅田及び同奥中の遺体の発見

<証拠略>によれば、昭和五七年八月五日、奈良県五條市二見五丁目の吉野川で、亡梅田の遺体が発見され、その死因は溺死であることが、<証拠略>によれば、同日、五條市野原町で、亡奥中の遺体が発見され、その死因は溺死であることが、それぞれ認められる。

2  下渕地点での急激な増水

前記第三、一4のとおり、下渕地点の吉野川は、八月一日午前六時八分から同日午前六時三〇分にかけて急激に増水した。

3  増水の過程ではない場合の下渕地点の流水の六倉地点への到達時間

<証拠略>によれば、六倉地点は吉野川の河道距離で下渕地点の約九キロメートル下流に位置し、増水の過程ではない場合、下渕地点の毎秒約三五〇ないし八一三立方メートルの流水は、約四五分ないし一時間後に六倉地点に到達することが認められる。

4  増水過程での流水の下流への到達時間

前記第三、一7のとおり、河川が増水する過程では、同じ流量の流水でも、そうでない場合より、下流への到達時間が速くなる。

5  六倉地点での急激な増水の推認

右2ないし4の事実から、六倉地点の吉野川は、八月一日午前七時前ころ、右3の下渕地点のものと同様の急激な増水が起きたことが推認できる。

6  亡梅田及び同奥中の被災状況

右1ないし5の事実に、<証拠略>を総合すると以下の事実が認められ、これに反する<証拠略>の記載部分は措信できない。

(一) 亡梅田及び同奥中は、訴外石田及び同東条とともに、八月一日午前五時ころ六倉地点の吉野川の川岸の崖の上まで自動車で行き、吉野川の河原に降り、約百数十メートル上流に行き、河原に荷物を置いて、鮎釣りを開始した。

(二) 同日午前六時四五分ころ、上流で釣りをしていた訴外高野某が、突然「まくれ水や、逃げろ。」と大声を上げて下流へ向かつて走つてきたため、亡梅田らは、直ちに河原に上がつて集まり、荷物を持つて下流に向かつて走つた。当初水の無かつた河原に、急に水が来て、集まつて荷物を持つたときには、膝の下あたり(深さ二〇ないし三〇センチメートル)までになつた。

(三) 亡梅田らは、下流に向かつて走る途中で、高さ一メートルくらいの水を背中からかぶつた。訴外東条は、右の急激な増水で押し倒され、何度も水の中に沈み、水中で水流に巻き込まれ、荷物等は流されてしまつた。訴外石田も首に下げていた携帯用クーラー以外の荷物はすべて流されてしまつた。訴外石田、同東条及び同高野某は、前述の河原に降りた付近の崖にたどり着いて助かつたが、亡梅田及び同奥中は、押し流されて、溺死してしまつた。訴外石田らが崖にたどり着いたとき、吉野川は釣りを始める前より一ないし二メートル増水していた。

7  被告の主張について

被告は、被告の主張一〇6のとおり、下渕地点の水位と隅田地点の水位の変化からして、六倉地点に急激な水位の上昇があつたのは、八月一日午前七時二分より後であるから(計算式(8:00-6:08)×9.2/19.1+6:08=7:02)、同日午前六時四五分ころ急激な増水が起こるはずはなく、亡梅田らが釣りをしていた河原は大粒の石で形成されており、また、川岸の崖から河原への降り口付近が河原から二メートルくらい低くえぐられていること、河原は上流側と下流側で約二メートルの高低差があること、右河原付近の吉野川はヘアーピン型に屈曲していることなどにより、河原が水没するはるか以前に河原への降り口付近の窪みは水没するから、亡梅田らは、釣りをしている間に自然増水していたのに気付かず、これに気付いて避難する途中で転倒し、深みにはまつて体の自由を奪われたため流されたと考える方が合理的である旨主張する。

前記第三、一4のとおり、下渕地点の吉野川は、八月一日午前六時三分から同日午前六時二五分にかけて三メートル増水しており、<証拠略>によれば、隅田地点の吉野川の七月三一日午後六時から八月一日正午までの水位は別表22のとおりであり、同日午前七時三〇分には〇・五一メートルであつたのが、同日午前八時には〇・八八メートルになり、同日午前八時三〇分には三・六四メートルになつたことが認められる。しかし、<証拠略>によれば、吉野川は、下渕地点から六倉地点までの区間の川幅のほうが六倉地点から隅田地点までの区間の川幅より狭いこと、及び、右両区間の川床勾配も下渕地点から六倉地点までの区間のほうが六倉地点から隅田地点までの区間より急である可能性があることが認められ、また、右のとおり、下渕地点の水位が同日午前六時八分から同日午前六時三〇分までの二二分間に三メートル上昇しているのに対し、隅田地点の同日午前八時から同日午前八時三〇分までの三〇分間の水位の上昇は二・七六メートルであり、下渕地点と隅田地点の間では、下流になるにしたがつて水位の上昇速度が少し緩やかになり、川床勾配が同じであるとしても水面勾配はゆるやかになつていることが推認され、前記第三、一7のとおり、河川の平均流速がマンニングの公式によつて求められることから、下渕地点と隅田地点の間では、潤辺長が長くなり水面勾配が緩やかになる下流になるにしたがつて、流水の平均流速が遅くなることが推認でき、また、隅田地点の同日午前四時三〇分から同日午前七時三〇分までの三時間の間の水位の増加が僅か二センチメートルであつたこと、及び、下渕地点の水位がそれまで一時間に十数センチメートルの上昇であつたのが同日午前六時八分以降急激に上昇していることからすれば、隅田地点の同日午前七時三〇分から同日午前八時までの〇・三七メートルの水位の上昇は、同日午前八時前ころから生じた急激な水位の上昇の始まりと推認でき、被告の隅田地点の同日午前八時と下渕地点の同日午前六時八分を基準とした比例計算は、合理性がなく、右の各事実からすれば、下渕、六倉、隅田の各地点間の各河道距離が被告主張のとおりであるとすると、かえつて、下渕地点でみられた急激な水位の上昇は六倉地点では同日午前七時より前に生じていることが認められる。

<証拠略>によれば、亡梅田らが釣りをしていた河原は大粒の石で形成されていたことが、前記<証拠略>によれば、右河原付近の吉野川はヘアーピン型に屈曲していることがそれぞれ認められる。しかし、亡梅田らの右被災当時、川岸の崖から河原への降り口付近が、河原から二メートルくらい深くえぐられていたこと及び河原の上流側と下流側で約二メートルの高低差があつたこと、河原が水没するはるか以前に河原への降り口付近の窪みが水没すると認めるに足りる証拠はなく、また、仮にそうであつたとしても、前記認定を左右するものではない。

よつて、被告の右主張は採用することができない。

五  亡森田について

1  亡森田の遺体の発見

<証拠略>によれば、昭和五七年八月四日、奈良県五條市野原町の吉野川で亡森田の遺体が発見されたこと、及び亡森田の死因は溺死であることが認められる。

2  下渕地点での急激な増水

前記第三、一4のとおり、下渕地点の吉野川は、八月一日午前六時八分から同日午前六時三〇分にかけて急激に増水した。

3  増水の過程ではない場合の下渕地点の流水の東阿田地点への到達時間

<証拠略>によれば、東阿田地点は吉野川の河道距離で下渕地点の約二・五キロメートル下流に位置し、増水の過程ではない場合、下渕地点の毎秒約三五〇ないし八一三立方メートルの流水は、約二〇分後に東阿田地点に到達することが認められる。

4  増水過程での流水の下流への到達時間

前記第三、一7のとおり、河川が増水する過程では、同じ流量の流水でも、そうでない場合より、下流への到達時間が速くなる。

5  東阿田地点での急激な増水の推認

右2ないし4の事実から、東阿田地点の吉野川は、八月一日午前六時三〇分ころ、右3の下渕地点のものと同様の急激な増水が起きたことが推認できる。

6  亡森田の釣りの習慣及び阿田橋付近の吉野川を流されていつた男性

<証拠略>によれば、亡森田は昭和三四年ころから二〇年以上にわたり、東阿田の自宅裏の吉野川で、早朝又は夕方、鮎釣りをしていたこと、八月一日午前八時ころ、亡森田は、自宅におらず、同人の釣り道具一式が自宅から消えていたこと、及び、同日午前六時過ぎから午前七時ころまでの間に、阿田橋の少し下流から柴崎のバス停付近まで、水が転がるように流れていく中を、亡森田と思われる男性が、大きな丸太につかまり木屑やゴミにくるまれて「オーイ、オーイ」と叫びながら流されて行き、その後声も聞こえなくなり、姿も見えなくなつたことが認められる。

7  東阿田地点の上流及び下流での急激な増水による被災

前記第三の二ないし四のとおり、東阿田地点の上流及び下流の吉野川で、亡大田、同稲葉、同梅田及び同奥中が、急激な増水によつて押し流されている。

8  亡森田の被災状況

右1ないし7の事実に、<証拠略>を総合すると、亡森田は、八月一日午前六時三〇分ころ、東阿田の自宅裏の吉野川で、鮎釣りをしていたとき、前記第三の二ないし四の阿知賀、上島野及び六倉の各地点と同様の吉野川の急激な増水によつて押し流されて、溺死したことが認められる。

9  被告の主張について

被告は、被告の主張一〇4のとおり、下渕地点の水位が八月一日午前一時に一二八・四四メートルであつたのが同日午前六時に一二八・八二メートルになつていることから、東阿田地点の吉野川も同日午前一時ころから同日午前六時ころまでに三〇ないし四〇センチメートルの水位の上昇があり、流量も多くその流れは急激であつたと推認され、亡森田は、岸辺から釣つていて足を踏みはずして川に転落したか、又は、川の中に入つて釣つていて急流で足元をすくわれ転倒した可能性も十分考えられる旨主張する。

前述のとおり、下渕地点の水位が八月一日午前一時に一二八・四四メートルであつたのが同日午前六時には一二八・八二メートルになつており、これより東阿田地点の吉野川も同日午前一時ころから同日午前六時ころまでに三〇ないし四〇センチメートルの水位の上昇があつたことが推認されるが、これによつてどの程度流れが急になるのかは明らかでなく、むしろ、<証拠略>よれば、上島野及び六倉の吉野川の流況は、右の東阿田地点と同程度の水位の上昇があつても、前記第三の三、四の急激な増水が起こる前には、釣りをするのに危険な状況でなかつたことが認められるのであり、右の三〇ないし四〇センチメートルの水位の上昇があつたことをもつて、東阿田地点の吉野川が同日午前六時ころ流量が多く流れが急激なものであつたことを推認することはできない。また、亡森田宅裏の吉野川が亡森田が二〇年以上にわたつて鮎釣りをしていた場所であることからすれば、亡森田が、岸辺から釣つていて足を踏みはずして川に転落したり、急激な増水がないのに川の中に入つて釣りをしていて急流で足元をすくわれ転倒したりする可能性はほとんど考えられず、被告の右主張は理由がなく、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

六  亡下岡及び原告門について

1  亡下岡の遺体の発見

<証拠略>によれば、昭和五七年八月八日、和歌山県那賀郡那賀町字藤崎の吉野川で、亡下岡の遺体が発見されたこと、亡下岡の死因は溺死であることが認められる。

2  隅田地点での急激な増水

前記第三、四7のとおり、隅田地点の吉野川の水位は、八月一日午前四時三〇分から同日午前七時三〇分までに二センチメートルしか上昇していないのに、その後同日午前八時までの三〇分間に三七センチメートル上昇し、さらにその後同日午前八時三〇分までの三〇分間には二・七六メートルと急激に上昇したことが認められる。

3  西渋田地点での急激な増水の推認

<証拠略>によれば、西渋田地点は、河道距離で隅田地点より約二〇キロメートル下流に位置することが認められ、これに右2の事実を総合すれば、西渋田地点の吉野川では、隅田地点より相当の時間遅れて、隅田地点と同様の急激な水位の上昇があつたことが推認できる。

4  亡下岡及び原告門の被災状況

右1ないし3の事実に、<証拠略>を総合すると以下の事実が認められる。

(一) 原告門は、八月一日午前九時三〇分ころ、西渋田地点の吉野川に来た。このとき、亡下岡は、片州状の河原で鮎を採るための仕掛けを作つていた。原告門は、吉野川左岸沿いの河原から約二〇メートル川へ入つた水深約八〇センチメートルの場所で釣りを始めたが、流れは鮎釣りに絶好の状態だといわれるいわゆる「ささ濁り」であつた。

(二) 同日午前一〇時一〇分過ぎころ、原告門は、自分の腰に当たる流水の勢いが強くなつてきたと感じ、右河原寄りに一歩後退したが、水深が浅くなるはずであるのに、深さも流水の強さも変わらなかつたため、増水してきていると感じ、右河原へ上がつた。原告門は、河原にいた亡下岡の所へ行き、「水が増えてきているんと違うか。」と声を掛けると、亡下岡も、「ああ、増えてきてる。」と答えた。右両名は、近くにいた他の釣人二名にも、「水が増えてきてるぞ。」と呼び掛け、急いで道具を片付け始めた。このとき、原告門が来た同日午前九時三〇分ころには幅二メートルで、深さもくるぶし程度であつた、河原を斜めに横切る小さな流れは、幅五ないし六メートルになり、水の勢いも強くなつていて、本流も、幅が広がり、水の色も茶褐色に変わつて、流れが速くなつた。

(三) 原告門は、左岸へ逃げようとして、水に入つたが、足元を急流にすくわれて転倒し、流されてしまい、かろうじて元の河原へはい上がつた。このとき、原告門及び亡下岡のいる片州状の河原であつた場所は、幅広い急流によつて左岸とも隔絶され、中州の状態になつてしまつた。右の釣人二名は、先に逃げて、流れからかろうじて左岸の堤防へはい上がり、難を逃れた。

(四) 原告門らは、同日午前一〇時二〇分ころ、左岸の堤防上にいた人々に対し、大声で助けを求めたが、原告門らの取り残された中州は、この間にも、どんどん小さくなつていつた。原告門らは、長靴、かつぱなどを脱ぎ捨てて、流される時の準備をした。このとき、水面には、大きな流木、枯枝、丸太等のゴミが、一面に流れていた。

(五) 原告門らは、同日午前一〇時三五分ころ、吉野川右岸の国道二四号線上に来たパトロールカーに対し、手を振り、大声で叫んで救助を求めると、右パトロールカーから、拡声器で、「了解。」と応答があつた。このとき、原告門らのいる中州は、小さくなつて、ごく一部しか残つていなかつた。

(六) 同日午前一〇時三七分ころ、原告門らの足元を水がちよろちよろと流れ出し、その後一分もたたないうちに、さらに大量の水が、まくるように流れてきて、原告門らは腰まで水に浸かつてしまつた。そのため、原告門らは、足元の草をつかみ上流に身体を向けて踏ん張つていたが、波が顔を洗うようになつたため、絶え切れず、二メートルくらい下流の柳の木に取り付いたが、これも倒れて水没してしまつた。そこで、原告門は、同日午前一〇時四〇分ころ、亡下岡に対し、「もうあかん、行くぞ。」と言い、亡下岡も、小声で、「オウ。」と答えて、二人は、濁流に身を委ねた。

(七) 原告門は、約一〇〇メートルほど水中でもまれた後浮上し、そばを流れていた直径一五センチメートル長さ二メートルくらいの丸太につかまつて流され、大声で亡下岡を呼んだが、返事はなかつた。下流の船岡山の岩に激流がぶち当たつてすさまじい波しぶきを上げていたため、原告門は、そちらへ流されると助からないと思い、必死に泳いで右岸側へ方向をとつた。原告門は、船岡山の下流寄りまで流されたとき、亡下岡の「ウオウ、ウオウ。」といううめき声を聞いた。原告門は、このまま流されて下流の藤崎の水門まで行くと助からないから、何としても麻生津大橋の手前で岸に上がらなければと考え、右岸寄りの柳を目指して必死に泳ぎ、同日午前一一時一五分ころ、右岸近くの柳の木に取り付き、そこで息を整えたうえ、さらに右岸へ向けて泳ぎ渡り、やつとの思いで穴伏付近の岸にはい上がつた。しかし、亡下岡は、そのまま流されて、溺死してしまつた。

5  被告の主張について

被告は、下渕地点の水位上昇などからみて、亡下岡及び原告門が流されたときの増水状況は、一分もたたないうちにまくれるように腰くらいの高さで勢いの強い水が押し寄せたものではなく、徐々に増水したものである旨主張する。

しかし、前記第三、一4のとおり、下渕地点の、急激な水位の上昇が起きる前の約四〇センチメートルの水位の上昇は、五時間以上の時間に徐々に増水していつたのであり、このような増水では、吉野川に入川して一時間もたたないうちに増水によつて中州に取り残され退川できなくなつてしまうなどということはあり得ず、また、前記第三、四7のとおり、隅田地点の吉野川の水位が八月一日午前七時三〇分から同日午前八時までに三七センチメートル上昇しているのは、今後引き続いて急激に水位が上昇していく始まりであると推認されるのであり、被告の右主張は理由がなく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

七  まとめ

以上のとおり、原告門及び死亡者らは、八月一日午前五時ころから同日午前一〇時四〇分ころにかけて、いずれも、吉野川で、約三〇分に一メートルないし二メートルくらいの急激な水位の上昇によつて押し流され、それによつて原告門以外の者は溺死したこと、右の急激な水位の上昇並びに前述の矢治、下渕及び隅田の各地点の急激な水位の上昇は、前記第三、一2の窪垣内地点で生じた急激な増水が順次流れ下つたものであるということができる。

第四原告及び死亡者らの押し流された急激な増水の原因

一  大迫ダムの本件放流

被告が、八月一日午前二時三〇分ころから、洪水吐ゲート上端からの越流量を含めないとおおむね別図1の赤線ないし別図2の赤線のとおりの、右越流量を含めるとおおむね別図2の青線のとおりの、本件放流をしたことは、明らかに争わないから、これを自白したものとみなされる。

二  大迫ダムの管理に用いられた時計の時刻及び記録に表示された時刻について

<証拠略>によれば、大迫支所及び下渕支所のダム諸量表示板に現在時刻として表示されている時計は実際の時刻より五分進んでいることが認められる。そして、<証拠略>には、大台ヶ原では、七月三一日午後七時五五分ころ一ミリメートルの降雨があつたことが記録されているが、<証拠略>では大台ヶ原で同日午後七時から午後八時までに降雨はなかつたことになつており、<証拠略>によれば、大迫ダムでは雨量観測所、水位観測所などで観測された雨量、水位等のデータは各支所のテレメーター装置によつて自動的に収集されていること、及び、<証拠略>は大迫支所でテレメーター装置によつて自動的に収集されたものの記録であり、<証拠略>は大台ヶ原雨量観測所に備え付けられた観測記録の自記記録であることが認められる。また、<証拠略>に記載されている各水位は、<証拠略>に記載されている同一時刻の水位と比べて、水位が全体として上昇傾向を示しているときには少し低く、全体として下降傾向を示しているときには少し高い。

右の各事実を総合すれば、<証拠略>に表示されている時刻は、実際の時刻より五分後の時刻であることが明らかである。また、<証拠略>に記載がある観測値については同じ記載がなされているから、これに表示されている時刻も、実際の時刻より五分後の時刻であるということができる。

そして、以上の事実によれば、本件当時も大迫支所及び下渕支所のダム諸量表示板に現在時刻として表示されている時計は実際の時刻より五分進んでいたことが推認でき、したがつて、大迫ダムの管理の相当の部分がこの五分進んだ時計によつて行われていたことが推認できる。

以下においては、以上の各事実を前提にする。

三  大迫ダム下流水位の急激な上昇

<証拠略>によれば、大迫ダムの下流約二五〇メートルの地点の水位(以下「大迫ダム下流水位」という。)は、別表23の「ダム下流水位」欄記載のとおりであることが認められる。それによると、大迫ダム下流水位は七月三一日午後五時五五分から八月一日午前一時四〇分までの間に〇・〇七メートル上昇したにすぎないのに、その後、同日午前一時五五分から同日午前二時二五分の間に〇・三五メートル上昇し、さらに同日午前三時一〇分までに三・五九メートルと急激に上昇したことが明らかである。

四  本件放流による増水の下流への到達

1  増水の過程にはなく、支流からの流入がない場合の大迫ダム地点の流水の流下

<証拠略>によれば、吉野川では、大迫ダム地点の毎秒二〇立方メートル、毎秒三五〇立方メートル及び毎秒八一三立方メートルの各流水は、増水の過程ではなく、水面勾配が川床勾配と同じ状態で、途中支流からの流入などによる流量の増減がなく流れ下つたと仮定すると、おおむね別表24及び別図20のとおり、下流に到達することが認められ、したがつて、流水の下流への到達時間は、流量が多いほど短くなり、毎秒二〇立方メートルの流水が下流に到達するのは、毎秒三五〇立方メートルの流水の約二・四倍、毎秒八一三立方メートルの流水の約三・一倍の時間がかかること、したがつて、流量の多い流水は、後から流入しても、流量の少ない流水が流下しているのに追い付いてしまう場合があること、及び、流量の増加率ほどには平均流速は速くならないことが認められる。

2  増水の過程にある場合の流水の下流への到達時間

前記第三、一7のとおり、増水の過程にある場合には、水面勾配が、そうでない場合より大きくなり、同じ流量の流水であつても、右一の仮定によるものより平均流速が速くなつて、増水の下流への到達時間も短くなる。

3  支流からの流入の影響

<証拠略>によれば、吉野川には大迫ダム地点から六倉地点に至るまでに上多古川をはじめとして高見川など数多くの支流があることが認められ、そうすると、下流になるにしたがつて、当該地点より上流にある支流の水が流れ込むから、徐々に流量が増加し、右一の仮定によるものより流下速度が速くなり、下流への到達時間も短くなると考えられる。現に、<証拠略>によれば、八月一日午前の大迫ダムの放流流合計の最大値は同日午前三時一九分の八一三・四立方メートルであるのに、下流である下渕頭首工へは八月一日午前八時三〇分から同日午前八時四〇分にかけて一三七七・三立方メートルの流入があつたことが認められる。

4  本件放流による増水の下流への到達

以上のとおり、吉野川の大迫ダム地点の流水は、増水の過程にあつて水面勾配が川床勾配より大きい場合には、右1よりも下流への到達時間が短くなり、そのうえ、支流からの水が流入することによつて流量が増え、さらに下流への到達時間が短くなる。したがつて、極めて急激に放流量が増加した前記第四、一の本件放流による増水は、右1よりも相当短い時間で下流に到達することになると思われる。

五  自然増水の検討

河川が増水する原因として、ダムの放流のほか、降雨による自然増水が考え得るので、これについて検討する。

1  大迫ダム下流域の降雨状況

<証拠略>によれば、七月三一日午後一〇時三〇分から八月一日午前七時までの、宮滝大橋地点までに大迫ダムより下流で降雨水が吉野川に流入すると考えられる地点(地図上の場所は別図20の2のとおりである。)の降雨の状況は別表25のとおりであり、大迫ダムのダムサイトの降雨状況は別表23の「ダムサイト雨量」の欄に記載のとおりであることが認められる。

2  初期損失雨量

<証拠略>によれば、降雨の河川への流出については、地表にある樹木等による降雨遮断、地面のくぼみによる窪地貯留、地中への浸入などいわゆる表面保留に関する複雑な機構があり、表面保留となり河川へ流出しない降雨分は一括して損失雨量と呼ばれ、損失雨量には、河川への降雨流出が始まるまでの初期損失雨量と、河川への降雨流出が始まつた後の損失雨量に分けられること、総雨量から損失雨量を控除したものが有効雨量と呼ばれ、河川へ流出すること、及び初期損失雨量は、流域の地被状態、降雨前の土地の湿潤状態によつて著しい差異が生じるが、普通の山地流域では、二〇ないし四〇ミリメートルが最大値であることが認められる。

3  七月三一日までの大迫ダム下流域の降雨状況等と初期損失雨量

<証拠略>によれば、高見山(奈良地方気象台の「高見」)及び山上ヶ岳の昭和五七年七月二六日から同月三一日までの日雨量は、左記のとおりであること、並びに、奈良県内の上北山及び五條などの右期間内の一日の日照時間は、おおむね六ないし九時間、特に少い日の少ない場所でも二ないし四時間であつたことが認められ、右の各事実から、大迫ダム下流域の同月三一日以後の降雨の初期損失量は相当のものであつたことが推認できる。

高見 山上ヶ岳

七月二六日  〇  四

同月二七日  二  二

同月二八日  一  一

同月二九日  〇 一一

同月三〇日  〇  〇

同月三一日 四〇  三

(単位は、ミリメートル)

4  本件放流水の下流への到達(増水の過程になく、支流からの流入がないと仮定した場合)

前記第四、一のとおり、八月一日午前三時ころには大迫ダムの本件放流は毎秒三五〇立方メートルに達しており、同日午前三時三〇分前には毎秒八一三立方メートルに達しているから、これが、前記第四、四1の時間どおりに流れ下る(増水の過程になく、支流からの流入もないと仮定。)としても、毎秒三五〇立方メートルの流水は、同日午前三時一〇分ころ柏木に、同日午前三時三〇分ころ武木口に、同日午前四時ころ白屋(迫)に、同日午前五時ころ布引に、同日午前六時三〇分ころ宮滝にそれぞれ到達し、毎秒八一三立方メートルの流水は、同日午前三時三〇分ころ柏木に、同日午前四時前ころ武木口に、同日午前四時過ぎころ白屋(迫)に、同日午前五時ころ布引に、同日午前六時ころ宮滝にそれぞれ到達することになる(前述のとおり、実際には右時刻より相当早い時刻に到達する。)

5  大迫ダム下流域の降雨のみによる増水の宮滝大橋地点への不到達

右1ないし4の事実を総合すれば、以下のとおり認定できる。

(一) 山上ヶ岳付近の降雨について

山上ヶ岳付近の降雨の流出は、初期損失量を二〇ミリメートルとみると八月一日午前二時ころから始まつたことになり、初期損失量を四〇ミリメートルとみると同日午前三時ころから始まつたことになる。そして、山上ヶ岳ではその後同日午前四時に累計雨量が六四ミリメートルになつたに過ぎないこと、山上ヶ岳は吉野川本流からかなり離れていることからすれば、山上ヶ岳付近の降雨は、本件放流水が吉野川本流を流れ下る前には、吉野川の本流へほとんど流入していないことが推認できる。

(二) 山上ヶ岳付近及び高見川流域の降雨を除いた大迫ダム下流域の降雨について

まず、降雨流出の始まる時期及び右4の仮定による本件放流水の到達するまでの累計雨量は以下のとおりである。

大迫ダムのダムサイト付近の降雨の流出は、初期損失量を二〇ミリメートルとみると八月一日午前〇時三〇分ころ始まつたことになり、初期損失量を四〇ミリメートルとみると同日午前一時二五分ころ始まつたことになる。そして、ダムサイトの累計雨量は、その後同日午前一時五五分に五七・五ミリメートル、本件放流が始まつた同日午前二時二五分ころ、八〇・五ミリメートルになつたに過ぎない。

柏木付近の降雨の流出は、初期損失量を二〇ミリメートルとみると八月一日午前一時ころから始まつたことになり、初期損失量を四〇ミリメートルとみると同日午前二時ころから始まつたことになる。そして、柏木の累計雨量は、その後同日午前二時三〇分に六六ミリメートル、同日午前三時に八二ミリメートルになつたに過ぎない。

中奥付近の降雨の流出は、初期損失量を二〇ミリメートルとみると八月一日午前〇時三〇分ころから始まつたことになり、初期損失量を四〇ミリメートルとみると同日午前二時前ころから始まつたことになる。そして、中奥の累計雨量は、その後同日午前二時三〇分に五六ミリメートル、同日午前三時に六五ミリメートルになつたに過ぎない。

武木付近の降雨の流出は、初期損失量を二〇ミリメートルとみると八月一日午前一時ころから始まつたことになり、初期損失量を四〇ミリメートルとみると同日午前三時ころから始まつたことになる。そして、武木の累計雨量は、その後同日午前三時三〇分に四七ミリメートルになつたに過ぎない。

迫付近の降雨の流出は、初期損失量を二〇ミリメートルとみると八月一日午前一時三〇分ころから始まつたことになり、初期損失量を四〇ミリメートルとみると同日午前二時三〇分ころから始まつたことになる。そして、迫の累計雨量は、その後同日午前三時に五〇・五ミリメートル、同日午前三時三〇分に六六・五ミリメートル、同日午前四時に七〇・五ミリメートルになつたに過ぎない。

布引付近の降雨の流出は、初期損失量を二〇ミリメートルとみると八月一日午前三時三〇分ころから始まつたことになり、初期損失量を四〇ミリメートルとみると同日午前四時三〇分ころから始まつたことになる。そして、布引の累計雨量は、その後同日午前五時に四ミリメートルになつたに過ぎない。

宮滝付近の降雨の流出は、初期損失量を二〇ミリメートルとみると八月一日午前三時三〇分ころから始まつたことになり、初期損失量を四〇ミリメートルとみると同日午前五時ころから始まつたことになる。そして、宮滝の累計雨量は、その後同日午前五時三〇分に五七・五ミリメートル、同日午前六時に六六・五ミリメートルになつたに過ぎない。

以上の事実からすれば、まず、中奥付近の降雨のうち、吉野川本流からかなり離れた部分のものは、山上ヶ岳付近の降雨と同様、本件放流水が吉野川本流を流れ下る前には、吉野川の本流へほとんど流入していないものというべきである。そして、右4の仮定による本件放流水が到達する時刻までの柏木付近、右の部分を除いた中奥付近、武木付近、迫付近、布引付近及び宮滝付近の各降雨の流出は、僅少であることが認められ、これに、前述のとおり、実際の本件放流の下流への到達は、右に累計雨量を記載した時刻より相当早く到達していること、前記第四、四1の仮定による白屋(迫)の毎秒二〇立方メートルの流水が宮滝大橋に到達するのに約五時間かかること、及び、多少流量が増加しても平均流速は流量の増加率ほどは速くならないことを総合すると、右の迫付近より上流の各降雨流出による流水のみでは宮滝大橋に午前五時ころまでにほとんど到達し得ないことが推認できる。また、布引付近及び宮滝付近の降雨流出が宮滝大橋地点の吉野川を同時刻ころ大きく増水させることもあり得ず、したがつて、山上ヶ岳付近及び高見川流域の降雨を除いた大迫ダム下流域の降雨が八月一日午前五時ころ宮滝大橋付近の吉野川を大きく増水させることはあり得ないことになる。

(三) 高見川流域の降雨について

高見山では、七月三一日午後一一時から八月一日午前〇時までの一時間雨量が四〇ミリメートルであることからすると、高見山付近では、初期損失量を考えても八月一日午前〇時前から降雨流出が始まつていることが推認できる。しかし、その後の高見山の累計雨量は、八月一日午前一時に五〇ミリメートル、同日午前二時に六〇ミリメートル、同日午前三時に六九ミリメートルになつたに過ぎない。

大豆生付近の降雨の流出は、初期損失量を二〇ミリメートルとみると八月一日午前一時ころから始まつたことになり、初期損失量を四〇ミリメートルとみると同日午前三時三〇分ころから始まつたことになる。そして、大豆生の累計雨量は、その後同日午前四時に四四・五ミリメートルになつたに過ぎない。

高見付近の降雨の流出は、初期損失量を二〇ミリメートルとみると八月一日午前二時三〇分ころから始まつたことになり、初期損失量を四〇ミリメートルとみると同日午前四時三〇分ころから始まつたことになる。そして、高見の累計雨量は、その後同日午前五時に五八ミリメートルになつたに過ぎない。

以上の事実について、右(二)と同様に考えると、高見山付近から吉野川本流までは遠く、また、大豆生付近及び高見付近の降雨はごく少ないから、高見川流域の降雨は八月一日午前五時ころまでにはほとんど宮滝大橋地点には到達しないものということができる。したがつて、高見川流域の降雨が同時刻ころ宮滝大橋付近の吉野川の流水に影響を与えず、水量を大きく増水させることはあり得ない。

6  大迫ダム下流域の通常の降雨による急激な増水の不発生

さらに、<証拠略>よれば、戦前からほとんど吉野川のすぐ近くで暮らしている訴外岡本は、大迫ダムが建設される前には「まくれ水」といわれる吉野川の急激な増水を数十回経験したが、大迫ダムが建設されてからは吉野川では「まくれ水」と呼べるような急激な増水は経験していないことが認められ、右事実によれば、大迫ダム下流域の通常の降雨では、吉野川は急激に増水することはあり得ないというべきである。

7  奈良県南部の注意報、警報の発令基準

<証拠略>によれば、奈良県南部の大雨注意報発令の基準は、一時間雨量三〇ミリメートル以上でかつ総雨量一〇〇ミリメートル以上、三時間雨量五〇ミリメートル以上でかつ総雨量一五〇ミリメートル以上又は二四時間雨量二〇〇ミリメートル以上であり、奈良県南部の洪水注意報発令の基準は、一時間雨量三〇ミリメートル以上でかつ総雨量一五〇ミリメートル以上、三時間雨量六〇ミリメートル以上でかつ総雨量一五〇ミリメートル以上又は二四時間雨量二〇〇ミリメートル以上であることが認められ、したがつて、本件放流水が到達するまでの各地点の降雨の結果についてみれば、多い所でもせいぜい注意報程度のものであり、通常あり得る降雨であることが認められる。

8  大迫ダム下流域の降雨のみによる本件の急激な増水の不発生

以上のとおり、前記第三、一の宮滝大橋地点の吉野川の急激な増水は、大迫ダム下流域の降雨による自然増水のみによつては生じないことが認められ、また、前記第三のとおり、宮滝大橋より吉野川の下流の各地点(下渕及び隅田の各地点を含む。)の急激な増水は、前記第四、一の宮滝大橋地点の急激な増水がそのまま流れ下つたものであるから、これらも大迫ダム下流域の降雨による自然増水のみによつては生じないことが認められる。

六  大迫ダムの本件放流によつて生じた増水による被災

以上のとおり、前記第三の吉野川の約三〇分に一メートルないし二メートルの急激な増水は、本件放流水が加わらなければ生じ得ないのであり、前記第三で認定した増水の時刻(いずれも正確なものではない。)が多少前後したとしても、自然増水など他の原因のみで生じ得ないことに変わりはない。

したがつて、原告門及び死亡者らが押し流された、前記第三の急激な水位の上昇は、いずれも右一の大迫ダムの本件放流があつたことによつて生じた水位の上昇である(下流域の通常の流入及び降雨流出なども加わつてはいる。)ものというべきである。

七  被告の主張について

1  自然増水について

被告は、被告の主張四4のとおり八月一日の大迫ダム下流域の降雨が多かつた旨主張し、同一〇2の(四)、(五)のとおりそれによつて宮滝大橋地点の吉野川が本件放流水到達前から自然増水していた旨主張する。

しかし、以下のとおりこれらの主張は理由がない。

被告は、別図9及び10と別図8の対比によれば、降雨の累増状況はその始期は別として、非常に近似している旨主張する。しかし、右の各図を対比すれば、本件放流が始まる約一時間前の八月一日午前一時三〇分ころでも、大迫ダム集水域付近の累計雨量は、大台ヶ原及び日の出岳では二〇〇ミリメートルを越え、大台ヶ原、栃谷、筏場及び大迫ダムの四観測地点平均でも一五〇ミリメートルに近かつたのに対し、大迫ダム下流域の累計雨量は、本件放流が始まつた約一時間後の同日午前三時三〇分ころでも、既に本件放流が到達していることの明らかな大迫ダムのダムサイトと柏木で一〇〇ミリメートル程度を記録しているに過ぎず、その他の地点ではいずれも七五ミリメートル以下で、それも下流になるにしたがつて少なくなり、宮滝及び布引では二〇ミリメートル程度に達しただけであり、降雨の累増の程度は全く異なつており、かえつて、大迫ダム下流域の降雨だけでは吉野川に急激な増水は起きないことが明らかになるのである。被告は、別図8の縦軸の目盛を四倍、横軸の目盛を三倍に引き伸ばした(したがつて、雨量の増加が急激に見える。)別図9及び10の形が似ていると主張しているに過ぎないのである。

被告は大迫ダム下流域の平均累計雨量についても主張しているが、被告主張の大迫ダム下流域の平均累計雨量についてみれば、八月一日午前二時過ぎにようやく四〇ミリメートルを越え、同日午前三時に五〇ミリメートル内外、同日午前四時に吉野川本流域で約七四・二ミリメートル、高見川流域で五七・二ミリメートルに達したに過ぎず、しかも平均累計雨量を多くしているのは、右のとおり上流部の降雨であるから、これによつても、かえつて、降雨の初期出水の段階では、大迫ダム下流域の降雨の宮滝大橋地点など下流部への影響は大きくなかつたことが容易に推察されるのである。

また、被告は、宮滝大橋までの大迫ダム下流域の面積が大迫ダム集水域の面積の二・七倍もあることから、大迫ダム下流域の降雨量が大迫ダム集水域の降雨量の三分の一程度でも、宮滝大橋付近の河川の自然出水による流量は大迫ダムへの流入量とほぼ同程度であることを意味する旨主張する。しかし、面積が広いだけ初期損失量を含めた損失雨量の総量も増加するのであり、たとえば、大迫ダム集水域の降雨量の三分の一の大迫ダム下流域の降雨がすべて初期損失量を越えない場合には、大迫ダム下流域からの降雨流出はないのであるから、大迫ダム下流域の降雨量が初期損失量を相当越えない限り、被告の右主張のとおりにはならず、また、降雨流出した分についても、集中が少ない場合には流下速度も遅いから、広い面積に降つた大迫ダム下流域の降雨は、宮滝大橋地点に影響を与えるのも遅くなるのである。

被告は、吉野川下流域の降水総量についても主張するが、右のとおり、面積が広いだけ初期損失量等損失雨量の総量も大きいののであつて、特に本件で問題となる出水の初期の段階では、単なる降水総量の主張は意味がない。

被告は、大迫ダム下流集水域の分水嶺のほうが大迫ダム集水域の分水嶺よりも標高が高く、吉野川の川底の標高は下流に行くほど低くなつていることなどから、大迫ダム集水域の支流より大迫ダム下流域の支流のほうが、急流である旨主張する。しかし、被告主張の別図11は高見川集水域の分水嶺を高見山以南に限り、高見山以北の一〇〇〇メートル以下の部分を除外している点で問題があり、別図12も大迫ダム下流域の分水嶺を四寸岩山以南に限り、四寸岩山以北の一〇〇〇メートル以下の部分を除外している点で問題がある。さらに、<証拠略>によれば、大迫ダム集水域の分水嶺は大迫ダムの両側と伯母峰峠を除きすべて一〇〇〇メートル以上であるのに対し、高見川集水域の分水嶺は半分以上が一〇〇〇メートル以下で、五〇〇メートル内外の部分を相当含んでいることが認められ、高見川が吉野川本流よりはるかに急流をなしている旨の被告主張は全く理由がない。

そのほかに、被告は、右及び前記第三で触れたもののほか、「<1> 訴外田向が、八月一日午前二時過ぎ、五社大橋地点で、吉野川が普段より少し増水しているのを確認している。<2> 訴外岡本が、同日午前四時ころより以前に、瀬音が高くなつてきたので、増水が気にかかり、消防団員の出動について思案していた。<3> 八月一日の吉野川の状況は、上多古川の合流点では、ダムの放流より支流から流れている水の量が非常に多く、濁流になつて本流に流れており、その下流でも、支流から流れ込む水は、濁流となつているため本流も濁り、下流に行くほど水嵩も多い状態であつた。<4> 八月一日午前四時ころ高見川は、既にゴウゴウとものすごい音をたてて流れていて、吉野川本流と間違う状態であつた。」などと主張し、<証拠略>には右主張に沿う記載があり、証人生駒常一及び証人東嶋清次は右主張に沿う証言をしている。しかし、これらの記載及び証言はただちに措信できるものではなく、また、仮に吉野川の本流及び支流がある程度自然増水していたとしても、それだけで宮滝大橋地点の吉野川を前記第三、一のように急激に増水させ得るとうかがえる証拠はない。

以上のとおり、被告の諸々の主張は、そもそも主張自体正当とは言えないものもあるほか、それによつて本件放流による増水が到達する前に吉野川がどの程度自然増水し、本件放流による増水が宮滝大橋地点に到達するより前に自然増水が宮滝大橋地点に到達できたのかなどの厳密な検討のないまま、異常性や影響の大きさなどを抽象的に主張しているに過ぎず、右のとおり検討すれば、被告の主張するところによつてもかえつて、出水の初期の段階では、自然増水の影響は大きくないことが明らかになるのである。

なお、被告は、被告の主張一〇3以下においても、阿知賀地点より下流について、本件放流水到達前の自然増水をそれぞれ主張しているが、下渕地点の八月一日午前六時三分以降の急激な増水で明らかなように、前記第三、二以下の急激な増水は、自然増水のみでは生じ得ず、本件放流が原因となつて初めて生じ得るものであり、また、本件放流水到達前の増水は、前述の下渕地点の水位の上昇から明らかなように、一時間に約十数センチメートル以下の増水に過ぎず、前記第三の急激な増水とは全く異なるものであつて、人を次々に押し流せるものではないから、被告のこれらの主張も理由がない。

2  本件放流水の下流への到達時刻について

被告は、被告の主張一〇2(三)のとおり、大迫ダムの本件放流開始が八月一日午前二時三〇分で、下渕地点で他の異なつた水位の上昇があつたのを本件放流によるものと仮定するとそれが同日午前六時八分であることから、大迫ダム地点から下渕地点まで一定の速度で流下したものと仮定し、右両者の間の時間を大迫ダム地点と下渕地点から宮滝大橋までの河道距離で按分して、本件放流水は、同日午前五時五分ころ宮滝大橋地点に到達した旨主張し、また、大迫ダムより下流の吉野川の各地点について、水面勾配が川床勾配と同じものとして作成した、水位流量関係曲線から当該地点の流量が毎秒二〇立方メートル、毎秒三五〇立方メートル、毎秒八一三立方メートルのときの各水位を求め、これをもとにそれぞれ流積を求積し、右の流量を各流積で除して平均流速を求め、それによつて右の各流量のときの各地点への到達時間を算定し(この算定結果は、前記第四、四と同じである。)、本件放流開始時の八月一日午前二時三〇分に毎秒八一三立方メートルの流量を瞬時に放流したと仮定しても、本件放流が宮滝大橋地点に到達するのは同日午前五時六分ころ到達したことになり、右で求めた到達時刻とほぼ一致する旨主張する。

しかし、被告の前者の計算は、流水が大迫ダム地点から下渕地点まで一定の速度で流下したことを証明せずに、勝手に仮定してしまつている点で問題であり、現に<証拠略>によつても大迫ダム地点から下渕地点までの流水の流下速度が常に一定ではないことが認められるから、きわめておおよその目安以上の役に立つものではない。

後者の計算も、増水の過程にある場合水面勾配が川床勾配より大きくなること、支流からの流入による流量の増加を全く考慮していない点で、放流量が急激に増加した本件放流水の現実の流下時間とは明らかに異なるものである。また、被告は、毎秒八一三立方メートルの放流を実際より約一時間早い八月一日午前二時三〇分にしたと仮定しているが、前記第四、一のとおり、本件放流が毎秒三五〇立方メートルになつたのは八月一日午前三時ころで、毎秒八一三立方メートルになつたのは同日午前三時三〇分ころであり(別図1及び2)、右の実際当該流量に達した時刻を基準にすれば、被告の増水過程にある場合の水面勾配、支流からの流入による流量の増加を考慮しない下流への到達時間の計算では、前記第四、四のとおり大迫ダム地点の毎秒三五〇立方メートルの流水は約五時間二〇分後に下渕地点に到達し、毎秒八一三立方メートルの流水は約四時間後に下渕地点に到達することになるから、本件放流の毎秒三五〇立方メートルの流水は同日午前八時五〇分ころ下渕地点に到達し、毎秒八一三立方メートルの流水は同日午前七時三〇分ころ下渕地点に到達することになる。ところが、下渕地点では、前記第三、一4のとおり同日午前六時八分から同日午前六時三〇分の間に急激な増水が始まり、同日午前七時三〇分には既に一三四・四八メートルと同日午前六時八分より約五・五メートルも増水しており、同日午前八時五〇分には一三五・一五メートルと増水のピークを過ぎて一〇分前より一センチメートル水位が下がつているのであり、被告のように、水面勾配、支流からの流入及び流下中の流量増加を考慮せずに、下流への到達時間を計算することが不当であることは明らかである。すなわち、被告は、毎秒八一三立方メートルの流量を本件放流開始時の八月一日午前二時三〇分に瞬時に放流したと仮定することによつて、早くみても宮滝大橋地点への到達は同日午前五時六分ころであるとしているが、早くみなければ、右のとおり現実との著しい食い違いが生じるのである。本件放流の下流への到達時間が、水面勾配、支流からの流入による流量の増加を考慮しない下流への到達時間よりどの程度短くなるかは、放流の開始時刻だけが直接関係するものではないから、被告の計算によつて宮滝大橋地点への到達時刻が同日午前五時六分ころとなつたのは、全く偶然に過ぎず、被告の主張する右の時刻は格別の意味を持たない。

なお、被告は前者の計算と後者の計算による宮滝大橋地点への到達時間が一致する旨主張しているが、右のとおり、後者の計算では、毎秒八一三立方メートルの放流を、流水の下流への到達時間と直接関係しない時刻である、実際この流量に達した時刻より約一時間早い八月一日午前二時三〇分にしたと仮定したものであるから、これは偶然の一致に過ぎず、相互の正当性を僅かでも担保しあうものではない。

前述のとおり、自然増水だけによつては、前記第三の各地点の急激な水位の上昇は起こり得ないのであるから、前記第三の各地点の急激な水位の上昇が起きたのが本件放流によるものであることは明らかなのであつて、明確な根拠のない紙上の計算によつてこれを覆えすことはできない。そのほか、被告は訴外生駒が中井川合流点に着いた八月一日午前四時二七分ころには、ダム放流水は同地点に到達しておらず、同人がダム放流水が来ていると感じたのは同日午前四時四〇分ころ大滝地点においてである旨、及び同日午前四時三〇分ころダムの放流水は窪垣内の上流約一キロメートルまでしか来ていなかつた旨主張し、証人生駒常一は前者に沿う証言をし、<証拠略>にも後者に沿う記載があるが、右証言はただちに措信できるものではなく、<証拠略>の記載も時刻の点が正確であるとも限らず、また、仮に被告の右主張のとおりであるとしても、前記第三の各地点の急激な水位の上昇が本件放流によるものであることとただちに矛盾するものでもない。

以上のとおり、被告の本件放流水の到達時刻についての主張も理由がなく、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

第五大迫ダムの設置、管理の瑕疵

右第四のとおり、前記第三の原告門及び死亡者らの押し流された吉野川の増水は、大迫ダムの本件放流によるものであるから、次に、被告の大迫ダムの設置又は管理に瑕疵があつたか否かを検討する。

一  営造物の設置又は管理の瑕疵について

国家賠償法二条一項の営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物の設置又は管理に関連して、営造物が有すべき安全性を欠き他人に危害を及ぼす危険性のある状態をいい、営造物の管理とは、行政主体が営造物の管理主体として当該営造物の設置目的を達成させるために行う一切の作用をいうと解すべきである。

そして、営造物の設置又は管理に瑕疵があつたか否かは、当該営造物の構造、用法、場所的環境、時期的季節的環境及び利用方法、当該営造物が他人に危害を及ぼす蓋然性及び予想される危害の重大性、危険についての一般人の予期、他人の注意によつて被害を回避できる可能性、危険除去に要する時間及び費用等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきである。

ただし、ダムのような人為的に設置される営造物は、河川のような自然発生的な営造物とは異なり、本来、通常予想される危害に対応する安全性を備えたものとして設置され、管理されるべきものであり、また、人の生命、身体の安全は、何物にも代えることのできない重要なものであるから、ダムの設置又は管理の不適切によつて生じた人身事故の損害賠償請求の場合には、危険除去に要する時間、費用などの制約のみがただちに損害賠償責任を免れる理由とはなり得ないものというべきである。

二  ダムの管理について

河川法は、ダムの安全性を確保し、ダムによる災害を防止するため、特に四四条以下の諸規程を設けている。

ダムの管理は、河川法、同法施行法、同法施行令及び同法施行規制のほか、河川法四七条、同法施行令二九条、三〇条に基づく操作規程に従つてなされなければならない。

ダムの操作規程は、河川法四七条一項で、ダムを流水の貯留又は取水の用に供するための要件として、あらかじめ、定められ、河川管理者の承認を受けなければならず、その変更にも、河川管理者の承認を要するものとされているのであり、ダムを設置、管理する者が遵守しなければならないものであつて、運用によつてダムの安全性を低下させるような実質的変更を加えることは許されないものである。

さらに、ダムを設置、管理する者は、ダムの管理を操作規程に従つて行いさえすれば充分であるとは限らず、不測の事態に対しては、河川法等関係法規の趣旨及び法の一般原則に基づいて、ダムによる災害を防止するために、臨機に適切な処置をとる義務を負つている。このことは、ダムが人為的に構築されるもので、他人の生命、身体及び財産に危険な影響を及ぼす営造物であることから、当然の結論であるというべきである。

また、河川管理者の承認を受けた操作規程であつても、河川法等関係法規の趣旨に合わないものについては、ダムを設置、管理する者が当該操作規程に従つたことをもつて当然に免責されないものというべきである。

三  本件放流についての大迫ダムの設置、管理の瑕疵について

1  大迫ダムの操作規程

本件当時、大迫ダムについて、河川法四七条、同法施行令二九条、三〇条に基づき、別紙大迫ダム操作規程記載のとおりの操作規程が定められていたことは、当事者間に争いがない。

2  大迫ダムの管理主任技術者及び関係職員

本件当時、河川法五〇条一項及び操作規程二条一項に基づく大迫ダムの管理主任技術者が訴外宮田であつたことは、当事者間に争いがない。

<証拠略>によれば、本件当時の大迫ダムに関係する職員は以下のとおりであつたことが認められる。

水利事業所次長 訴外山田(下渕支所駐在)

工務官     一名(下渕支所駐在)

(大迫支所)

支所長     訴外宮田

管理第一係長  訴外土井(政)

管理第一係技官 訴外生駒

管理第二係長  訴外雑賀

技術員     訴外土井(盛)

技術員     訴外松本

管理員     訴外瀬戸

(下渕支所)

支所長     訴外小西

管理第一係長  訴外村上

管理第二係長  訴外東嶋

事務官     訴外安川

事務官     訴外川越

庶務係     三名

その他国職員  一名

管理員     訴外白草

(津風呂支所)

支所長     訴外嶌田

その他国職員  三名

3  七月三一日から八月一日にかけての大迫ダムの状況

(一) 争いのない事実

以下の事実は、当事者間に争いがない。

(1) 八月一日午前〇時三〇分までのデータ

七月三一日午後一一時から八月一日午前〇時三〇分にかけての、大迫ダム集水域の雨量及びダムへの流入量のデータ(出水記録による)は、次のとおりであつた。

<1> 七月三一日午後一一時時点

七月三一日午後一〇時から同日午後一一時までの一時間雨量

大台ヶ原  三一ミリメートル

栃谷     三ミリメートル

筏場     四ミリメートル

ダムサイト  一・五ミリメートル

右四地点平均 九・九ミリメートル

降り始めから七月三一日午後一一時までの累計雨量

大台ヶ原   三七ミリメートル

栃谷      三ミリメートル

筏場     一二ミリメートル

ダムサイト   一・五ミリメートル

右四地点平均 一三・四ミリメートル

貯水池への流入量

毎秒九・九立方メートル

<2> 八月一日午前〇時時点

七月三一日午後一一時から八月一日午前〇時までの一時間雨量

大台ヶ原   四六・〇ミリメートル

栃谷     五九・〇ミリメートル

筏場     五一・〇ミリメートル

ダムサイト  一二・五ミリメートル

右四地点平均 四二・一ミリメートル

降り始めから八月一日午前〇時までの累計雨量

大台ヶ原   八三・〇ミリメートル

栃谷     六二・〇ミリメートル

筏場     六三・〇ミリメートル

ダムサイト  一四・〇ミリメートル

右四地点平均 五五・五ミリメートル

貯水池への流入量

毎秒二一・二立方メートル

<3> 八月一日午前〇時三〇分時点

八月一日午前〇時から八月一日午前〇時三〇分までの三〇分間雨量

大台ヶ原   五八・〇ミリメートル(一時間あたり一一六・〇ミリメートル)

栃谷     三四・六ミリメートル(一時間あたり六八・〇ミリメートル)

筏場     二五・〇ミリメートル(一時間あたり五〇・〇ミリメートル)

ダムサイト  五・五ミリメートル(一時間あたり一一・〇ミリメートル)

右四地点平均 三〇・六ミリメートル(一時間あたり六一・二ミリメートル)

降り始めから八月一日午前〇時三〇分までの累計雨量

大台ヶ原  一四一・〇ミリメートル

栃谷     九六・一ミリメートル

筏場     八八・〇ミリメートル

ダムサイト  一九・五ミリメートル

右四地点平均 八六・一ミリメートル

貯水池への流入量

毎秒一三四・二立方メートル

(2) 八月一日午前二時三〇分までの放流

訴外宮田は、八月一日午前二時三〇分ころまで、大迫ダムの放流管バルブからの放流量を僅かに増やしただけで、洪水吐ゲートからの放流はしなかつた。

(3) 放流開始の遅延による越流の異常事態

右(2)のとおり八月一日午前二時二〇分ころまで洪水吐ゲートからの放流がなされなかつたため、大迫ダムのダム外水位は高騰を続け、洪水吐ゲート上端からの越流という異常事態に立ち至つた。

(4) 洪水吐ゲートの操作

訴外宮田は、八月一日午前二時三〇分ころから洪水吐ゲートを操作して放流を開始したが、右(3)の異常事態となつてしまつたため、たとえば、八月一日午前二時五〇分から同日午前三時三分までの間の洪水吐ゲートの開度は〇・七メートルであつたのを、同日午前三時六分から同日午前三時一八分までの間には一挙に開度一・五メートルと倍以上にする、洪水吐ゲートの開き方をした。

(5) 自然の増水速度を越えた放流

訴外宮田は、八月一日午前二時三〇分ころから同日午前三時二四分ころまでの間、大迫ダムの貯水池への流入量の増加率を上回る急激な放流量の増加となる放流を行つた。

(6) 流入量データ数値の算出方法

大迫ダムの貯水池への流入量の算定方法は、測定時間帯の最初と最後の両端の大迫ダムの貯水位の差から導き出したその間の一秒あたりの貯留量の増加分に、ゲート開度又はダム下流水位及び水位流量関係式から算出した、大迫ダムからの測定時間帯の最後の一秒間の瞬間放流量又は測定時間帯の一秒間の平均放流量を加算して導き出すものであつた。

したがつて、放流量の大きな増減がない場合、大迫ダムの貯水池への流入量のデータは、各観測時間帯の平均流入量ないしこれに近い数値であつた。

(二) 被告が明らかに争わない事実

以下の事実は、被告が明らかに争わないからこれを自白したものとみなされる。

(1) 実際の流入量の推移

本件においては、洪水吐ゲートが操作されるまでの間には、大迫ダムからの放流量には大きな増減はなく、また、その間の流入量は一貫して増加傾向を示しているから、その間の各測定時間帯の流入量のデータは、各測定時間帯の中間時の瞬間放流量に近いものであつた。

大迫ダムの貯水池への流入量について、七月三一日午後一一時から八月一日午前一時四五分までの時間帯について、出水記録の数値に基づいて、便宜上、各測定時間帯の平均流入量を各測定時間帯の中間時の瞬間流入量とみなしてグラフ化すると、別図3のAの折れ線となり、各測定時間帯の平均流入量を各測定時間帯の最後の時点の瞬間流入量とみなしてグラフ化すると、同図面のBの折れ線となる。

したがつて、現実の流入量の変化は、同図面のBの折れ線よりも、Aの折れ線に近いものであつた。

(2) 流入量が毎秒三五〇立方メートルになつた時点

大迫ダムの貯水池への流入量が操作規程四条の洪水流量である毎秒三五〇トンを越えて、同条の洪水時になつたのは、右(1)の、実際の流入量の変化に近い別図3の折れ線Aによれば、八月一日午前〇時五〇分ころであり、大迫ダムテレタイプ監視記録及び出水記録によれば、同日午前一時五分ころであつた。

(3) 流入と放流の状況

右(1)と七月三一日午前一〇時から八月一日午前一時四五分までの大迫ダムの貯水池への流入量(実際の流入量に近いもの。)は、おおむね別図4の折れ線Aのとおりとなり、七月三一日午後一〇時から八月一日午前一〇時までの大迫ダムの貯水池への流入量(各測定時間帯における平均貯留量増減分に当該時間帯における瞬間放流量を加算した値を各測定時間帯の最後の時点の流入量としたもの。)はおおむね同図4の折れ線Bのとおりとなり、大迫ダムからの放流量は同図面の折れ線Cのとおりとなる。

(三) 本件当時の大迫ダムの状況

右(一)、(二)の事実に、前記第四の三、五1の事実並びに<証拠略>を総合すれば、七月三一日から八月一日にかけての大迫ダムの状況は、おおむね別表23のとおりであつたことが認められる。

4  八月一日午前の大迫ダム下流の吉野川の状況

前記第三、第四のとおり、大迫ダム下流の吉野川では、八月一日午前、各地点に大迫ダムの本件放流による増水が到達した時点で、矢治地点に子供を含む一三名の者が、宮滝大橋地点に亡塩崎、訴外西山及びワゴン車に乗つていた家族連れ四名が、御園付近に何名かの者が、阿知賀地点に亡大田、訴外井上及び福本が、東阿田地点に亡森田が、上島野地点に亡稲葉及び訴外小松が、六倉地点に亡梅田、同奥中、訴外石田、同東条及び同高野某が、西渋田地点に亡下岡、原告門及び氏名不詳の釣り人二名がそれぞれ河道内に在川しており、本件放流による増水によつて体ごと押し流され、又は、テントなどの所持品を流され、それによつて七名の者が溺死し、本件放流による増水が到達する直前ないし到達した時点で、窪垣内地点の河道内に約六〇名の大淀町の子供会会員が在川しており、その中には本件放流による増水の中を避難した者もおり、また、テントなど所持品を本件放流による増水で流されているのである。

前記第三のとおり、本件放流による吉野川の増水は右の各地点の最も上流の窪垣内から最も下流の西渋田に至るまで、差はあるとしてもいずれも極めて急激なものであり、右の約九〇名の者は、本件放流による増水によつて押し流されることを免れた者も含めその生命、身体は極めて危険な状態にあつたのであり、また、所持品等を本件放流による増水によつて流されてしまつた者は右の約九〇名のうち相当の人数になるのである。

5  大迫ダムのあるべき状態からの逸脱

(一) 放流量の増加率について

(1) 放流量の増加率の限度

操作規程によれば、大迫ダムの貯水池からの放流量の増加率は、操作規程別図第二の最大限度の増加率又はそのときの貯水池への流入量の増加率のうち大きいものの範囲内にとどめなければならないことになつている(一一条)。

ダムの設置、管理は、河川のダム設置前の正常な機能を維持するようになされなければならないものである(河川法一条、二条一項、四四条、四五条)。

ダムが存在すること自体によつて、河川の水流の下流への伝播速度が大きくなり、河道貯留効果が減殺されることは、当事者間に争いがない。操作規程三条二号によれば、大迫ダムの最大背水距離は、七・四キロメートルであるから、大迫ダムの存在による吉野川の水流の下流への伝播速度の増大及び河道貯留効果の減殺は、相当なものであることが推認され、そのため、ある時点での大迫ダム貯水池への流入量は、吉野川に大迫ダムが存在しない場合の当該時点での大迫ダム地点の吉野川の流量より相当多くなり、大迫ダム貯水池への流入量の最大値も、大迫ダムが存在しない場合の大迫ダム地点での流入量の最大値より相当大きく、大迫ダム貯水池への流入量の増加率も、大迫ダムが存在しない場合の大迫ダム地点での流量の増加率より相当大きいことが推認できる。

したがつて、大迫ダムの貯水池への流入量が急激に増加している場合に、放流量の増加率をそのときの貯水池への流入量の増加率と同じにしたのでは、吉野川のダム設置前の正常な機能を維持したことにはならないのであり、吉野川の大迫ダム設置前の正常な機能を維持するためには、大迫ダムの貯水池からの放流量の増加率は、そのときの貯水池への流入量の増加率より相当小さくされなければならないのである。

(2) ダム管理の瑕疵の強い推認

右3のとおり、大迫ダムの本件放流開始初期の八月一日午前二時二五分ころから同日午前三時二〇分ころまでの放流は、放流量の増加率がダム貯水池への流入量の増加率より大きい急激な放流であつた。

したがつて、このように、吉野川のダム設置前の正常な機能を維持せず、操作規程からも逸脱した被告の大迫ダムの管理には、瑕疵が存在したことが極めて強く推認される。

(二) 放流による危害の防止措置について

(1) 行われるべき危害防止措置

前述のとおり、ダムは、その操作によつて他人の生命、身体及び財産に危害を与えないように管理されなければならないのであり(河川法一条、二条一項)ダムを設置する者は、ダムの放流から他人の生命、身体及び財産の安全を守るために、ダムを操作することによつて流入の状況に著しい変化が生じ、これによつて危害が生じるおそれのあるときは、あらかじめ、関係都道府県知事、関係市町村長及び関係警察署長に通知するとともに、自らも他人がダムの放流による危害から逃れることができるように一般に周知させるために必要な措置をとらなければならない(河川法四八条)。そして、河川法四六条の洪水が発生し、又は洪水の発生するおそれがある場合の、観測結果及びダム操作状況の河川管理者及び関係都道府県知事への通報も、ダムの放流から他人の生命、身体及び財産を守るために、ダムの設置者がとらなければならない措置である。

他人に対し、ダムの放流がなされ又は将来なされること、及びそれによつて自己に危害が生じるおそれがあることを知らせることは、ダムの放流から他人の生命、身体及び財産の安全を守るために極めて有効な手段であり、河道内での災害を防止するために、特に有効な手段である。そして、一般の者にとつては、通常、他者からダムの放流がなされ又は将来なされること、及びそれによつて自己に危害が生じるおそれがあることを知らされない限り、ダムの放流から自己の生命、身体ないし財産を守ることはできず、また、通常、その時点で知らされない限り、いつ自己の生命、身体又は財産に危害が生ずるおそれのあるダムの放流がなされるのかは知り得ないものである。

したがつて、ダムの管理として、ダム放流によつて流水の状況に著しい変化が生じ、これによつて他人の生命、身体又は財産に危害が生じるおそれのある場合には、そのような他人に対し、ダムの放流がなされ又は将来なされること、及びそれによつて自己に危害が生じるおそれがあることを知らせなければならず、それも、具体的に右のようなおそれが生じた時点において、なされなければならない。これについて、具体的に例を挙げて、なされるべき最低限度の措置を規定したものが、河川法施行令三一条及び同法施行規則二六条であり、ダムを設置する者は、あらかじめ、別紙立札の様式1のとおりの例による立札による掲示を行い、ダムから放流するつど、サイレン、警鐘、拡声機等による警告を行い(同法施行規則二六条二項は、サイレン又は警鐘による警告の方法として、警告を適宜の時間継続することを規定しているが、右以外のものによる警告についても、一般の者が充分周知できる方法で行わなければならないことは当然である。また、警報する側からは、入川者のすべてが確認できるわけではないし、警報する側が去つた後から入川しないように、河道外の者にも放流を知らせるためにも、拡声機、サイレンなどを使用した音声による充分な警告が不可欠である。)、さらに、放流する日時、河川及びその付近の状況等により特別の必要があるときは、ダムから放流するつど、別紙立札の様式2のとおりの例による立札による掲示を行わなければならないのである。

関係機関への通知は、通知された各関係機関がダムの放流から他人の生命、身体及び財産の安全を守るための活動を行うためになされるのであるから、各関係機関が右の活動を内容的にも充実させ、満遍なく、迅速になすための充分な資料となる内容のものであり、かつ、それだけの時間的余裕をもつてなされなければならない。そして、これは、右の活動が河道内に入つて行う必要もあることから、右の活動を行う者がダムの放流による危険に遭わないようにするためにも必要なことである。

したがつて、右の通知は、下流に放流による増水が起きる前に、充分な時間的余裕をもつてなされ、その内容も通知を受けた各関係機関が、ダム下流の河川がダムの放流によつて、何時、どの程度増水するのかを理解できるものでなければならない。これについて、なされるべき通知の最低限度の内容を規定したのが河川法施行令三一条であり、ダムを設置する者は、各関係機関に対して、ダムを操作する日時のほか、その操作によつて放流される流水の量又はその操作によつて上昇する下流の水位の見込みを示した通知をしなければならない。具体的な操作の日時が明らかにならなければ、下流の水位が上昇する時刻は明らかにならず、いつまでに河道内にいる者を退避させなければならないのか、また、いつまで河道内で危険なく警告などの活動をなしうるのかなどが明らかにならず、ダムの放流による増水からの危害防止のための活動に従事させるべき人員、その活動の手順などを適切に決定することができないことになり、関係機関による危害防止のための活動が充分に行えなくなつてしまうからである。そして、各関係機関が、ダム操作日時及び放流量又は下流水位の上昇の見込みの通知を受けたことによつて、放流による増水の到達時刻を知ることができ、放流量のみの通知によつて、下流の水位の上昇見込みを知ることができなければ、右の通知は充分に実効性のないものとなつてしまうから、ダムを設置する者は、あらかじめ、そのための資料を各関係機関に与えていなければならない。

前述のとおり、右の一般に周知させるための措置及び通知は、ダムを操作することによつて流水の状況に著しい変化が生じ、これによつて危害が生じるおそれのあるときに、ダムの放流から他人の生命、身体及び財産の安全を守るためになされなければならないものであるから、一般に周知させるための措置は、ダムを操作することによつて流水の状況に著しい変化が生じ、これによつて危害が生じるおそれのある区間全部にわたつて行わなければならず、通知は、このようなおそれのある区間が管轄区域に含まれるすべての都道府県知事、市町村長及び警察署長に対してなされなければならない。そして、ダムの放流量が多い場合又はその増加率が大きい場合には、放流によつて下流の水位が急激に上昇する区間も通常より長くなるのであるから、それに応じて、一般に周知させるための措置も通常の場合より下流まで行われなければならず、通知も通常の場合より下流の機関に対しても行われなければならない。

また、以上の通知及び一般に周知させるための措置は、既にその全部又は一部が行われているときでも、それが行われたときと放流の時刻、量などが異なつてきた場合には、そのつどそのときの状況に合わせて、新たな通知及び一般に周知させるための措置が行われなければならない。

さらに、ダムの設置者は、危害のおそれが生じる時点以前からそのときに備えて、各関係機関と協議するなどして、危害防止のための充実した内容の措置が満遍なく、迅速に行われるように務めなければならないのである。

以上の措置は、河川法が明確には規定していなかつたとしても、河川法の趣旨及び法の一般原則から、ダムというその操作によつて下流の人身に危険な状態が生じうる営造物を設置、管理する者が当然行わなければならないものである。

(2) ダム管理の瑕疵の強い推認

右4のとおり、大迫ダム下流の吉野川には、八月一日午前、各地点に大迫ダムの本件放流による増水が到達する直前ないし到達した時点で、約九〇名の者が在川しており、その生命、身体及び財産を危険にさらされ、中にはこれらを失つた者もいる。

このように多数の者が本件放流による増水が到達する直前ないし到達したときまで河道内に在川して、その生命、身体及び財産が危険にさらされ、それを失つた者までいる事実からも、右(1)の危害防止措置が適正になされていないという、被告の大迫ダム管理の瑕疵の存在が強く推認されるのであるが、さらに、以下のとおり、この点についての被告のダム管理の瑕疵は明らかである。

(3) 本件放流について関係機関への通知及び一般に周知させるための措置を行わなければならない区間

ア 本件放流による吉野川下流の流量の増加見込み

前述のとおり、本件放流前である八月一日午前一時五五分ころの大迫ダムからの放流量は毎秒一四立方メートルであり(別表23)、<証拠略>によれば、同時刻ころから同日午前三時二五分ころまでの吉野川の下渕地点の流量は、毎秒二四・九ないし二七・九立方メートルであつたことが認められる。

そして、前述のとおり、大迫ダムからの放流は、同日午前二時二五分ころ開始され、同日午前三時二五分ころには、放流量が毎秒八一一・九立方メートルになつた(別表23)。

右の各事実によれば、被告は、適切な観測をしていさえすれば、八月一日午前三時三〇分ころ、大迫ダム下流の吉野川の流量が、おおむね約一時間のうちに毎秒二十数立方メートルから毎秒八〇〇立方メートルに増水することを知り得るものということができる。

イ 本件放流による吉野川下流の水位の上昇見込み

<証拠略>によれば、大迫ダム下流の吉野川の各地点の流量が毎秒三〇立方メートルのとき及び毎秒八〇〇立方メートルのときの水位は、それぞれおおむね以下のとおりであることが認められる。

地点     毎秒三〇立方メートル 毎秒八〇〇立方メートル

柏木     一・四メートル    五メートル以上

北和田    〇・五メートル    三・九メートル

白川渡    〇・九メートル    四・六メートル

下多古    一・五メートル    五メートル以上

武木上流   一・二メートル    五メートル以上

井戸     一・一メートル    五メートル以上

人知     二メートル      五メートル以上

迫      一・一メートル    四・四メートル

布引     一・三メートル    五メートル以上

高見川合流点 二メートル      五・一メートル

宮滝大橋   二・二メートル    六・六メートル

妹背     一メートル      四・二メートル

六田     一メートル      三・五メートル

阿知賀    〇・九メートル    三・八メートル

下渕     一・九メートル    七・六メートル

滝町     一・四メートル    六メートル

六倉     一・三メートル    五メートル

以上の事実によれば、被告が、ダム管理のために下流の水位についての適切な資料を集めていさえすれば、八月一日午前三時二五分ころには、大迫ダムから六倉までの吉野川は、本件放流により、少なくとも一時間に二・五ないし五・七メートル増水すること、実際の増水速度は、流量の多いときは遅いときより平均流速が速くなることなどによつて、さらに速くなること、したがつて、少なくとも右の区間では、入川者に危害が生じる危険のある著しく急激な水位の上昇が起きることを予測できたことが認められる。

ウ 下渕及び隅田地点の増水

さらに、前述のとおり、本件放流によつて、吉野川は、大迫ダムのすぐ下流の水位が、八月一日午前二時二五分ころから同日午前三時二五分ころにかけて約三メートルも上昇し、下渕地点の水位が、同日午前六時八分ころから同日午前六時三〇分ころにかけて約三メートルも、同日午前七時二五分ころまでにさらに約二・五メートルも上昇し、隅田地点の水位が同日午前八時ころから同日午前八時三〇分ころにかけて約三メートルも上昇した(別表22)。

右の事実によれば、下渕ないし隅田より下流の吉野川の全区間で、入川者に危害が生じる危険のある著しく急激な水位の上昇が起きるおそれのあることが認められる。

したがつて、被告が適切な観測をしていさえすれば、右の各時点以降に、吉野川の下渕ないし隅田地点より下流でも、右と同様の急激な水位の上昇が起き、右各地点より下流の吉野川の全区域で入川者に危害が生じる危険のある著しく急激な水位の上昇が起きるおそれのあることが予測できたものというべきである。

エ 吉野川での被災者の発生

前記第三及び第四のとおり、矢治地点及び宮滝大橋地点では、八月一日午前五時ころまでに本件放流による増水によつて危難に遭つた者が出ているのであり、その後午前七時ころまでに阿知賀、東阿田、上島野及び六倉の各地点でも本件放流による増水によつて危難に遭つた者が出ているのであるから、被告は、放流をやりはなしにせず、その影響について適切に情報を得ていさえすれば、右の各地点の下流でも同様の被災のおそれがあることが予測できたと認められる。

そして、<証拠略>によれば、八月一日午前七時前に、訴外東嶋及び同川越は、矢治地点の吉野川で危難に遭つた者がおり救出されたことを知つていたこと、及び、下渕支所の被告職員は、八月一日午前七時からのニユースによつて、少なくとも矢治地点で一三名の者が危難に遭つてヘリコプターで救出されたことを知つていたことが認められる。

オ 本件放流の急激さ

また、以下のとおり、本件放流は極めて急激なものであつた。

<証拠略>によれば、本件の七月三一日午後一一時ころから八月一日午前にかけての大迫ダム貯水池への流入(本件当時の一山目の流入)は、おおむね別図21のとおり、昭和四九年度に大迫ダムが貯留を開始したとき以来そのときまでの流入実績のいずれよりも、流入量の増加率及び流入量の最大値のいずれもが大きく、しかも、最大流入量まで極めて短時間で達しており、流入量の増加が群を抜いて急激であることが認められる。

前述のとおり、本件放流は、放流量の最大値が洪水吐ゲート上端からの越流量を合わせて毎秒約八一三立方メートルであり、放流量の増加率は、右のとおり群を抜いて大きい流入量の増加率よりさらに大きいものであつた。

そして、操作規定で放流量の増加率は流入量の増加率を越えてはならないとしていることからすれば、本件以前の放流の放流量の増加率は、大きくても流入量の増加率を著しく越えることはなかつたことが推認できる。

したがつて、右の各事実からも、本件放流は、放流量も極めて多く、大迫ダムの貯留開始以来の群を抜いて急激な放流であり、本件放流がなされた後の八月一日午前三時二五分ころ以降、大迫ダム下流の吉野川では、それまでの放流のときと比べ群を抜いて危険な状態が生じていたものということができる。

カ 関係機関への通知及び一般に周知させるための措置を行うべき区間

以上の事実によれば、遅くとも八月一日午前三時二五分過ぎには、本件放流について、少なくとも六倉地点付近までの吉野川については、河川法四八条の通知及び一般に周知させるための措置を行わなければならないことが明らかになり、遅くとも同日午前六時三〇分ころないし同日午前八時三〇分ころには、下渕ないし隅田地点よりさらに下流の全区間でも同条の通知及び一般に周知させるための措置を行わなければならないことか明らかになつたものである。

したがつて、大迫ダムを管理する被告は、少なくとも本件放流については、操作規程にかかわらず、遅くとも八月一日午前三時二五分過ぎにただちに、少なくとも六倉付近までの吉野川について河川法四八条の通知及び一般に周知させるための措置をとり、遅くとも同日午前六時三〇分過ぎないし同日午前八時三〇分過ぎには六倉より下流の吉野川の全区間について同法四八条の通知及び一般に周知させるための措置を行わなければならなかつた。

なお、本件放流の態様は、八月一日午前三時二五分より前に明らかになるはずであり、その明らかになつた時点で右の措置を行わなければならないものであり、また、本件放流によつて水位が急激に増加する地点についても、同日午前三時二五分までの段階でも、六倉地点より下流も本件放流によつて水位が急激に上昇することが明らかになるはずであり、そのすべての地点について右の措置を行わなければならないものである。右に述べたところは、最も明確な最低限のものに過ぎない。

(4) 河川法四八条の関係機関への通知についての瑕疵

ア 当初の放流の予定

八月一日午前一時前の段階で、訴外宮田が、大迫ダムから、毎秒三〇〇立方メートルの放流を、同日午前三時から開始することを決定していたこと、及び、同人が、同日午前一時過ぎの段階で、大迫ダム貯水池への流入量が毎秒三五〇立方メートルを越えて操作規程上の洪水となることを認識していたことは当事者間に争いがない。

イ 操作規程

操作規程一三条は、河川法四八条の通知を、加入電話により、川上村長及び吉野警察署長に対しては常に、奈良県知事、和歌山県知事及び吉野町長に対しては貯水池からの放流量が毎秒三五〇立方メートル以上のときに、ダムの洪水吐又は放流管からの放流開始の少なくとも一時間前までに行わなければならない旨のほか、さらに、貯水池からの放流量が毎秒三五〇立方メートル以上のときは、近畿地方建設局大滝ダム工事事務所長及び近畿地方建設局長に対しても、同様の通知をしなければならない旨規定している。

また、操作規程二一条は、洪水時には、流入量に相当する流量の流水を貯水池から放流する旨規定している。

ウ 行われるべき関係機関への通知

右アの当初の放流予定等が正しかつたか否か、及び、操作規程が妥当なものか否かは別にして、右アの決定及び認識を前提に、かつ、操作規程に従えば、八月一日午前一時前の段階では、同日午前二時までに川上村長及び吉野警察署長に対し、同日午前三時から放流を開始する旨、及び、放流量は毎秒約三〇〇立方メートルである旨又は下流水位の上昇見込みを通知しなければならず、同日午前一時過ぎの段階では、右の各機関、並びに、奈良県知事、和歌山県知事及び吉野町長のほか、近畿地方建設局大滝ダム工事事務所長及び近畿地方建設局長に、放流開始の時間、及び、放流量の予定(毎秒三五〇立方メートル以上の具体的な量。)又は下流水位の上昇見込みを通知しなければならなかつた。

そして、遅くとも、本件放流が開始されその態様が明らかになつた八月一日午前三時二五分ころには、操作規程にかかわらず、右の各機関のほか、少なくとも水位が急激に上昇する六倉地点までの吉野川が管轄区域に含まれる大淀町、下市町及び五條市の各長、並びに、六倉までの吉野川を管轄区域に含む警察署の長に対し、同日午前二時三〇分から放流を開始した旨、及び、放流量は毎秒約八〇〇立方メートルであつた旨又は下流水位の上昇見込みを通知しなければならなかつた。そして、この通知は、放流開始時刻も早まり、放流量も著しく増加したのであるから、当初の放流予定に基づく通知を行つている機関に対しても、改めて行わなければならないものである。

また、少なくとも、放流開始が早まることが明らかになつたのは、八月一日午前二時二五分より前であるから、少なくとも、放流開始が二時二五分になつたことについては、その時点で通知を行わなければならない。

さらに、遅くとも、下渕又は隅田地点の水位の急激な上昇が明らかになつた八月一日午前六時三〇分ころないし同日午前八時三〇分ころには、橋本市、九度山町、高野口町、かつらぎ町など吉野川の下流を管轄区域に含む市町村及び警察署の長に対し、少なくとも、同日午前二時三〇分から放流を開始した旨、及び、放流量は毎秒約八〇〇立方メートルであつた旨又は下流水位の上昇見込みを通知しなければならなかつた。

エ 被告の行つた関係機関への通知

以下の、被告が行つた関係機関への通知に関する事実は、当事者間に争いがない。

(ア) 関係機関に対する通知の指示及び通知の実施

訴外宮田が、関係機関に対する通知を指示したのは八月一日午前一時二〇分ころであり、それに応じて、関係機関に対する通知は、大迫支所からは訴外土井(盛)によつて、下渕支所からは訴外小西によつて、次のとおり行われた(いずれも、八月一日午前。)。

大迫支所から

川上村役場へ        一時二〇分

関西電力吉野変電所へ    一時二二分

川上村漁業組合へ      一時二四分

大滝ダム工事事務所へ    一時二六分

吉野広域消防本部へ     一時二八分

下渕支所から

大淀町役場へ        一時四〇分

吉野町役場へ        一時四五分

吉野警察署へ        一時五〇分

下市町役場へ        一時五五分

中吉野警察署へ       二時

紀の川土地改良区連合へ   二時五分

五條市消防本部へ      二時八分

奈良県御所浄水場へ     二時一〇分

大和平野土地改良区へ    二時一二分

奈良県吉野土木事務所へ   二時一六分

和歌山県土木部へ      二時二三分

建設省和歌山工事事務所へ  二時二五分

建設省大滝ダム工事事務所へ 二時三〇分

五條警察署へ        二時三〇分

(イ) 関係機関に対する通知の内容

右(ア)の通知で伝えられた内容は、大迫支所からの通知では、「ここ一ないし二時間の間にダムの上流にあたる大台ヶ原で雨が急に多く降り、時間雨量が一〇〇ミリメートルを越え、ダムへの流入量も毎秒何百トン単位で入つて来ているので、ダムの水を相当な量、流入量に見合う量をもうしばらくすると放流するのでよろしくお願いします。」というものであり、下渕支所からの通知では、「大台ヶ原に集中豪雨が発生している。一時間の雨量は一〇七ミリメートル、大迫ダムに相当量の水が流入している。大迫ダムから相当量の水を緊急放流するのでよろしく頼みます。」というものであつて、下流水位の上昇見込みについては全く通知が行われておらず、少なくとも、通知先から問い合わせがない限り、ダム操作(ダムからの放流開始)の具体的な日時及び放流量の具体的数字も通知されなかつた。

(ウ) 流入及び放流が予測を越えた後の通知の不実施

訴外宮田は、八月一日午前一時過ぎの時点では、同日午前三時からの洪水放流を予定しており、大迫ダムに到着した後の同日午前二時二五分ころ、急きよ、午前二時三〇分ころから放流することを決定し、貯水池への流入量も同日午前一時過ぎの時点の同人の予測を上回つており、放流量も同日午前一時過ぎの時点の予測をはるかに上回ることになつたが、右の変更にともなう、新たな放流日時、及び放流量又は上昇する下流水位の見込みについての通知は行われていない。

(エ) 下渕頭首工地点での急激な水位上昇後の通知の不実施

訴外宮田は、下渕頭首工で八月一日午前六時ころから同日午前六時三〇分ころまでの間に三・〇三メートル、同日午前六時ころから同日七時ころまでの間に五・一五メートルと水位の急激な上昇があつた後にも、それにともなう下渕頭首工より下流の関係機関に対する通知を行つていない。

オ 具体的な放流日時、放流量通知の不実施

<証拠略>によれば、訴外小西は、通知先からの質問があつた場合でも、ダム操作(ダムからの放流開始)の具体的な日時及び放流量の具体的数字の通知を一切行つていないことが認められ、これに反する<証拠略>は措信できない。

また、以上の事実に<証拠略>を総合すれば、訴外土井(盛)もダム操作(ダムからの放流開始)の具体的な日時及び放流量の具体的数字の通知を一切行つていないことが認められる。

カ 関係機関への通知についての瑕疵

以上の事実を総合すれば、本件当時の被告の関係機関への通知は、以下のとおり瑕疵のあるものであつたことが認められる。

本件当時、操作規程では定められていない、大淀町役場、下市町役場、中吉野警察署及び五條警察署などに通知が行われていることは、妥当な措置であるが(ただし、その内容などは後述のとおり問題がある。また、吉野町及び吉野警察署より下流の市町村及び警察署の長に対する通知を全く規定していない操作規定自体不備なものである。)、奈良県内では五條市長に対する通知が行われておらず、和歌山県内の市町村及び警察署の長に対しては、一切通知が行われていない。

通知内容の点では、ダムを操作する日時について、大迫支所からなされた「もうしばらくすると」放流する旨の通知は、「大台ヶ原で急に雨が多く降り、時間雨量が一〇〇ミリを越え、ダムへの流入量も毎秒何百トン単位で入つて来ているので、ダムの水を相当な量、流入量に見合う量を放流する。」旨の内容を合わせても、「もうしばらく」というのが、一時間後であるのか二時間なし三時間後であるのかは全く明らかではなく、下渕支所からなされた「緊急」放流する旨の通知は、受け取りかたによつては放流までの時間が短いことを感じうるとしても、放流までの時間がどの程度切迫しているのかは明らかでなく、「大台ヶ原に集中豪雨が発生している。一時間の雨量は一〇七ミリ、大迫ダムに相当量の水が流入している。大迫ダムから相当量の水を放流する。」旨の内容を合わせてもなお、明らかにはならない。

ダムの操作によつて放流される流水の量又はそれによつて上昇する下流の水位の見込みについては、大迫支所からの「大台ヶ原で急に雨が多く降り、時間雨量が一〇〇ミリを越え、ダムへの流入量も毎秒何百トン単位で入つて来ているので、ダムの水を相当な量、流入量に見合う量を放流する。」旨の通知では、毎秒何百トンの放流がなされることは知りうるとしても、それが二〇〇トンなのか八〇〇トンなのかは判らず、下渕支所からの「大台ヶ原に集中豪雨が発生している。一時間の雨量は一〇七ミリ、大迫ダムに相当量の水が流入している。大迫ダムから相当量の水を放流する。」旨の通知では、「緊急」放流する旨の内容を合わせたとしても、放流量が数十トンなのか数百トンなのかさえも判らない。

また、本件放流開始後の新たな放流の状況に基づいた通知は、一切行われていない。

被告は、操作規程さえ逸脱して、吉野川の従前の機能を維持せず、著しく急激な放流をしておきながら、以上のとおり、その行つた通知は、相手方及び内容のいずれについても、河川法四八条及び同法施行令三一条に違反する極めて不充分なものであり、これは、ダム管理につき極めて著しい瑕疵があるというべきである。

(5) 一般に周知させるための措置についての瑕疵

ア 吉野川での警報の届き具合

<証拠略>によれば、被告は、本件以前に、雨の日にスピーカーによる警報が聞こえるか否かのテストをしたことがあるが、テストをしたときの雨は、本件での訴外生駒の警報中の激しい雨よりずつと少なく、また、吉野川にはスピーカーの非常に届きにくい場所などがあり、訴外生駒は、スピーカーの聞こえにくい場所では車を停めてサイレンを鳴らすように指導を受けていたことが認められる。

そして、<証拠略>によれば、警報車でサイレンを鳴らしたり、スピーカーで放送したりしても、河川の方向に停止するか又はよほど徐行しない限り、効果はないことが認められる。

イ 吉野川に釣り人が入川する時刻

<証拠略>によれば、吉野川で釣りをする者は、夜明け前よりも、夜が明けてから新たに入川することが多く、現に、八月一日にも、午前六時前に、阿知賀で、夜が明けてから新たに釣りのために吉野川に入川してきた者がおり、訴外村上が警告を行つたことが認められる。

ウ 操作規程

操作規程一四条は、河川法四八条の一般に周知させるため必要な措置を、吉野川の大迫ダム地点から中井川(仲居川)合流地点までの区間についてとるものとし、そのうちの警告は、警告装置及び警報車の拡声機によつて行い、ダム地点に設置された警告装置による警告は、ダムの放流開始の約三〇分前から約八分間、ダム地点以外の地点に設置された警告装置による警告は、ダム放流により当該地点の吉野川の水位の上昇が始まると認められるときの約三〇分前から約八分間行い、警報車の拡声機による警告は、ダム放流により各地点の吉野川の水位の上昇が始まると認められるときの約一五分前に行う旨規定している。

エ 一般に周知させるために行われるべき措置

当初の放流予定が正しかつたか否か、及び、操作規程が妥当なものか否かは別にして、当初予定されていた八月一日午前三時ころからの放流に対しては、同日午前二時三〇分ころから警告装置による警告を開始すれば足りたのであるが、同日午前二時三〇分ころ放流を開始することに変更された段階では、放流による水位の上昇が変更決定のときから約三〇分以内に始まると認められる地点の警告をただちに行うとともに、操作規定に従つたその他の地点の警告装置による警告及び警報車による仲居川合流点までの警告を行わなければならなかつた。

そして、遅くとも、本件放流の態様が明らかになつた八月一日午前三時二五分ころからは、操作規程にかかわらず、少なくとも吉野川の大迫ダム地点から六倉地点までの区域について、一般の者が大迫ダムの放流による増水で危険が生じることを充分周知できるように、サイレン、警鐘、拡声機等によつて警告を行い、また、前記第三、第四のとおり本件放流による増水が宮滝大橋地点より下流に到達するときには夜が明け、右イのとおり新たに吉野川に入川する者がある可能性があつたのであるから、右の方法による警告が行われた後本件放流による増水が始まるまでの間に、新たに河道内に人が入らないように、吉野川へ至る道路の要所及び吉野川への下り口などに別紙立札の様式2のとおりの例による立札による掲示を行うなどしなければならなかつた。

さらに、遅くとも、下渕又は隅田地点の水位の急激な上昇が明らかになつた八月一日午前六時三〇分ころないし同日午前八時三〇分ころからは、操作規程にかかわらず、右の地点より下流の吉野川全域について、一般の者が大迫ダムの放流による増水で危険が生じることを充分周知できるように、サイレン、警鐘、拡声機等によつて警告を行い、既に夜が明けた後であるから、右の方法による警告が行われた後本件放流による増水が始まるまでの間に、新たに河道内に人が入らないように、吉野川へ至る道路の要所及び吉野川へ下り口などに別紙立札の様式2のとおりの例による立札による掲示を行うなどしなければならなかつた。

また、雨が激しいときの警報、又はスピーカーの音が聞こえにくい場所の警報などについては、スピーカーによる呼び掛けのほか、サイレンも鳴らすなど、警報が入川者等に確実に聞こえるような方法で行わなければならなかつた。

オ 被告の行つた一般に周知させるための措置

(ア) 警報装置及び警報車による警告

a 争いのない事実

以下の事実は当事者間に争いがない。

(a) 警告装置による警告

ダム地点の警告装置による警告は、八月一日午前二時二二分から行われた。

(b) 警報車による警報活動が行われた区間

被告は、操作規程一四条が規定する警報区間以外にもダム下流域について警報活動を行つているが、これについても、最も下流でも、栄山寺橋までしか行つておらず、和歌山県かつらぎ町までは及んでいない。

(c) 警報車が通つたルート

訴外安川は、警報車一〇八三号に乗つて下渕支所を出発し、下流側の警報活動を行つたが、同人は、栄山寺橋で転回した後の帰路を、往路と同じ川沿いの道(六倉町は、その途中にある。)、又は、栄山寺から東へ七〇〇ないし八〇〇メートル行つたところから入る狭い道のいずれも通らず、吉野川から遠く離れた山あいの道を通つて下渕支所に戻つた。

訴外東嶋及び訴外川越は、警報車五七九号に乗つて下渕支所を出発し、上流側の警報活動を行つたが、同人らは、八月一日午前四時二五分ころ、布引で、八一〇号車と出会つた後、仲居川合流点より下流で再度の警報を行うことなく、そのまま上流に向かつた。

訴外生駒及び訴外松本は、警報車八一〇号に乗つて大迫支所を出発し、警報活動を行つたが、同人らは、八月一日午前四時二五分ころ、布引で、五七九号車と出会つて、同日午前四時二七分ころ中井川に至つた後、仲居川合流点より下流の警報活動を行うことなく、転回して、往路を再び上流へ向かつた。

(d) 警報車の警報活動

警報車一〇八三号での警報活動では、訴外安川又は同人及び訴外村上は、近畿日本鉄道の鉄橋や桜橋以外の地点では、拡声器による警告を全く行わず、サーチライトのように強力なものではない、単なる懐中電灯で人がいるか否かを確認しただけであり、本件被災現場である東阿田、上島野及び六倉などの地点については、懐中電灯による確認も行つていない。

警報車五七九号で警報活動を行つた、訴外東嶋及び同川越は、亡塩崎及び訴外西山が宮滝大橋の下に張つていたテント及びその対岸にいたワゴン車並びに矢治の河原において後にヘリコプターで救出されたキヤンパーらを発見することができなかつた。

(e) 吉野川沿岸の津風呂ダム警報局の不利用

本件事故当時の降雨量と貯水池への流入量は、訴外宮田の予想を越えた展開を示し、下渕支所の統括する総合管理システムに属する施設として、津風呂ダム下流の吉野川沿岸に、津風呂ダムからの放流のための「河原屋」「上市」の二つの警報局が存在し、八月一日午前〇時五〇分に下渕支所に集合した職員の中には、津風呂支所長の訴外嶌田もいたが、訴外宮田は、右の二つの警報局からの警報を行わなかつた。

(f) 再警報の不実施

同日午前六時以前に、警報車五七九号からの要請により、下渕支所から桜橋付近までの間を警報車一〇八三号が再度警報をしたことによつて、一回目の警報活動で発見できなかつた多くの人と車を発見して、救助することができ、これに対して、下渕頭首工より下流の警報は、一〇八三号車に乗車した訴外安川によつて、同日午前一時五〇分から同日午前三時一〇分の間に一回なされただけであつたが、八月一日午前六時以降に下渕地点の水位が急激に増加した後にも、再度の警報は行われなかつた。

(g) 国職員が大迫支所に向かう途中の警報及び通報の不実施

訴外宮田ら三名は、広報車及び警報車の二台で、八月一日午前一時一五分ころ下渕支所を出発してから、同日午前二時ころ大迫支所に到着するまでの途中において、吉野川の河川内に何人か人がいるのを発見したが、この時点において、発見した人に対して、放流に関する何らの警告もせず、下渕支所に対しても、右の河川内に人がいる旨の情報を全く通報しなかつた。

b 本件当時行われた警告

右の各事実に、<証拠略>を総合すれば、以下の事実が認められる。

(a) 警告装置による警告

警告装置による警告は、おおむね以下のとおり行われた。

(いずれも八月一日午前)

地点  放送開始  サイレン吹鳴開始

ダム  二時二二分 二時二三分

柏木  二時三五分 二時三七分

北和田 二時四五分 二時四八分

白川渡 二時五八分 二時五九分

下多古 三時一四分 三時一七分

武木  三時二八分 三時三一分

井戸  三時三九分 三時四四分

人知  三時五六分 三時五九分

白屋  四時七分  四時一二分

前記第四、一のとおり、本件放流が毎秒三五〇立方メートルに達したのは、八月一日午前三時ころであり、毎秒八一三立方メートルに達したのは、同日午前三時三〇分ころであり(別図1及び2)、前記第四、四1のとおり、増水の過程になく、支流からの流入がない場合の大迫ダム地点の流水の流下は別表24及び別図20のとおりであるから、この前提に立つても、右の各地点への本件放流水の到達時刻は、おおむね以下のとおりである。

(いずれも八月一日午前)

地点  毎秒三五〇 毎秒八一三(立方メートル)

ダム  三時    三時三〇分

柏木  三時一一分 三時三九分

北和田 三時二〇分 三時四五分

白川渡 三時二四分 三時四八分

下多古 三時三一分 三時五四分

武木  三時三六分 三時五八分

井戸  三時四七分 四時六分

人知  三時五二分 四時八分

白屋  四時三分  四時一八分

右のとおり、ダム地点のほか、少なくとも、白川渡、下多古、武木、井戸、人知及び白屋の各地点の警告は、本件放流による増水が到達するより三〇分前に警告装置による警告が開始されておらず、人知及び白屋では、警告装置による警告が開始されたのは本件放流による増水が起きた後である。そして、前記第三、一7のとおり、増水過程にある場合の放流水の下流への到達時刻は右よりも早くなるのである。

(b) 警報車八一〇号による警報

訴外生駒及び同松本は、警報車八一〇号に乗車して、八月一日午前二時二〇分ころ大迫支所を出発し、放送用のテープをかけて屋根の前後に向けて取り付けてあるスピーカーから絶えず「お知らせします。こちらは大迫ダム管理事務所です。洪水のため大迫ダムの放流量を増やしますから川の水が急に増えてきます。危ないので河原に降りないで下さい。河原に居る人は急いで河原から上がつて下さい。」と警告の放送をしながら道路の川側を走行し、同日午前四時二七分ころ仲居川合流点に至り、転回して大迫支所へ戻つたが、この間、サイレンによる警告は行わなかつた。

(c) 警報車五七九号による警報

訴外東嶋及び同川越は、警報車五七九号に乗車して、八月一日午前一時五〇分ころ下渕支所を出発し、時速約三〇キロメートルで吉野工業高等学校前の河原へ直行して約五〇名のキヤンパーに対して警告し、右地点からは時速約一〇キロメートルくらいに徐行して、屋根に取り付けてあるスピーカーからマイクを使つて「お知らせします。こちらは大迫ダム管理支所です。ダムから放流がありますので川に入つている人はすぐ上がつて下さい。」などと放送しながら、同日午前四時二五分ころ布引に至り、そのまま大迫支所へ向かつたが、この間サイレンによる警告は行わず、また、警報して回る際、激しい雨が降つていた区間もあつた。そして、窪垣内、矢治、宮滝大橋などでは、吉野川の河道内に居る者が、スピーカーによる警報を聞いていない。

(d) 警報車一〇八三号による下渕支所より下流の警報

訴外安川は、警報車一〇八三号に乗車して、八月一日午前一時五〇分ころ下渕支所を出発し、梁瀬橋、阿田橋、南阿田選果場前、大照橋、栄山寺前、栄山寺橋及び東阿田の採石場前付近の河原を車から降りて懐中電灯で三〇メートルくらいの範囲を照らしてキヤンパーや釣り人の有無を確認するなどして同日午前三時一〇分ころ下渕支所に戻つたが、この間サイレンによる警告も含めスピーカーを使つての音声による警告は、一切行わなかつた。

(e) 警報車一〇八三号による下渕支所から桜橋までの警報

訴外村上及び同安川は、警報車一〇八三号に乗車して、八月一日午前三時三〇分ころ下渕支所を出発し、美吉野橋、吉野大橋、近鉄鉄橋、上市橋、桜橋直下流右岸、桜橋、野々熊、椿橋及び阿知賀で、車から降り、河原に行くなどして、入川者の有無を確認し、多くの入川者を発見し、その場合には「ダムから放流するので、早く上がつて下さい。」などと警告し、同日午前六時ころ下渕支所へ戻つたが、椿橋及び野々熊でハンドマイクを使用した以外は、スピーカーなどを用いた警告は行わず、サイレンは一切鳴らさなかつた。

(f) その他の警報活動

被告は、右の(a)ないし(e)のほかには警報活動を行つておらず、栄山寺橋より下流の吉野川の警報活動は全く行わなかつた。

(イ) 立札による掲示

<証拠略>によれば、吉野川付近に立てられていた立札の様式は、別紙立札の様式3ないし8記載のとおりであること、別紙立札の様式3及び4の立札は、仲居川合流地点付近より上流だけに立てられていて右地点より下流には立てられていないこと、これらの立札が立てられていたのは五條市までで、それより下流には立てられていないこと、及び、本件当時、河川法施行令二六条一項の別記様式第一五の例による立札(別紙立札の様式2)は、立てられたことがないことが認められる。

カ 一般に周知させるための措置について瑕疵

以上の事実を総合すれば、本件当時の被告の一般に周知させるための措置は、以下のとおり瑕疵のあるものというべきである。

本件当時、操作規定では定められていない、仲居川合流地点から栄山寺橋までの区間の警報がなされたこと(ただし、その内容には、後述のとおり問題がある。また、仲居川合流地点より下流について、河川法四八条の一般に周知させるための措置を全く規定していない操作規程自体不備なものである。)及び、五條市まで立札が立てられていたこと(ただし、その様式などには、後述のとおり問題がある。)は、妥当な措置であるが、栄山寺橋より下流では全く警報がなされておらず、五條市より下流には立札による掲示も行われなかつた。

そして、警報車による警報活動の内容の点では、下渕支所から栄山寺橋までの間は、サイレンも含めスピーカーを用いた確実な方法の警告は全く行われておらず、下渕支所から桜橋までの間でも、部分的にハンドマイクが用いられたほかは、サイレン又はスピーカーの放送による確実な方法の警告は行われておらず(仮にスピーカーによる放送が行われていたとしても、徐行せずに時速約三〇キロメートルで走行していたのであるから、前述のとおりその効果はない。)桜橋から大迫ダム地点までは、スピーカーを用いた警報は行われていても、サイレンは全く鳴らされていない。

そして、本件放流による増水が宮滝大橋より下流に到達するときは夜が明けており、新たに吉野川に入川する者がある可能性があつたのに、吉野川へ至る道路の要所及び吉野川への下り口などに別紙立札の様式2記載のとおりの例による立札の掲示を行うなどの新たな入川を防止するための措置は、一切とられなかつた。

また、警告装置による警告は、操作規程に違反しているだけではなく、本件放流水が到達した後に開始された地点さえあるのであるし、立札についても、仲居川合流地点付近より下流は、別紙立札の様式5ないし8のとおりの立札のみであり、別紙立札の様式1のとおりの例による立札による掲示は行われていないのである。

被告は、操作規程さえ逸脱して、吉野川の従前の正常な機能を維持せずに、著しく急激な放流をしておきながら、以上のとおり、その行つた一般に周知させるための措置は、区間及び内容のいずれも河川法四八条、同法施行令三一条及び同法施行規則二六条に違反する極めて不充分なものであり、これは、ダム管理につき極めて著しい瑕疵であつたものというべきである。

(6) 貯水池への流入量の増加率を越える急激な放流をしたことにともなつて行わなければならない危害防止のための措置についての瑕疵

ア 貯水池への流入量の増加率を越える急激な放流をしたことにともなつて行わなければならない危害防止のための措置

被告は、河川法及び操作規定に違反する著しく急激で危険な放流をしたのであるから、このような先行行為に基づき、遅くとも、本件放流の態様が明らかになつた八月一日午前三時二五分ころには、水防についての責任のある大迫ダム下流の吉野川沿線の市町村及び都道府県に対し、河川法施行令三一条の規定する事項だけでなく、操作規定に違反して放流量の増加率が貯水池への流入量の増加率を越える放流をしたこと、本件放流はこれまでの放流から群を抜いて急激な放流であること、及び、大迫ダム下流の吉野川は極めて危険な状態にあり入川者をすべて退避させて、新たに入川する者がないように厳重な水防活動をしてほしいことを具体的に要請するとともに、水防団、消防団、警察などにも直接働きかけ、自らもできる限りの警報活動を行うなど、本件放流による危害防止のためにすべての措置をとる義務があつた。そして、右の措置は、前述の通知及び一般に周知させるための措置と同様に、本件放流の態様が明らかになつた当初から少なくとも六倉地点までは行う義務があり、下流の下渕ないし隅田地点の増水状況や、被害の状況が明らかになつた段階で、さらに下流についても行う義務があつた。

イ 被告の行つた措置

右(4)及び(5)の事実に<証拠略>を総合すれば、被告の行つた措置は、通知についての右(4)、一般に周知させるための措置についての右(5)のとおりであり、それ以上の右アの通知及び警報活動は行つていないのである。

ウ 貯水池への流入量の増加率を越える急激な放流をしたことにともなつて行わなければならない危害防止のための措置についての瑕疵

以上のとおり、被告は、河川法及び操作規定に違反する著しく急激で危険な放流をしてしまつた先行行為に基づいて行われなければならない措置を実行しておらず、これも、ダム管理につき極めて著しい瑕疵があつたものというべきである。

(7) 河川法四六条の通報についての瑕疵

そのほかに、被告は、河川法四六条、同法施行令二七条、操作規程一九条四号、二〇条、二一条に基づき、操作規程六条の予備警戒時になつてからは、定期的に及び状況が変化するごとに、近畿地方建設局長、奈良県知事及び和歌山県知事に対し、大迫ダムの各観測地点の時間雨量及び累計雨量、貯水池への流入量及び累計流入量並びに放流の予定、放流量、ゲートの開度、貯水池の水位その他必要な事項を通報しなければならなかつた。そして、七月三一日午後一〇時五〇分、奈良県南部に大雨雷雨注意報が発令され予備警戒時になつたことは当事者間に争いがない。

右(4)の事実に、<証拠略>を総合すれば、本件放流(一山目)について被告の行つた措置は、通知についての右(4)のとおりであり、定期的にも、状況が変化するごとにも通報を行つておらず、右(4)のとおり、「大台ヶ原に集中豪雨が発生している。一時間の雨量は一〇七ミリメートル、大迫ダムに相当量の水が流入している。大迫ダムから相当量の水を緊急放流するのでよろしく頼みます。」というのであつて、右のとおりの適法な通報を行つていないものというべきである。

これは、前述のとおり著しく急激な放流を行つておきながら、河川管理者等に対する、水防活動等の判断のために必要な資料を提供しなかつたのであるから、同じくダム管理についての著しい瑕疵である。

なお、被告は、河川法四六条の通報は、操作規程一九条四号、別表第1の摘要欄によれば、毎秒三五〇立方メートル以上の放流を行う場合にのみ実施すれば足りる旨主張するが、河川法四六条は、洪水が発生し、又は発生するおそれがある場合には、常に同条の規定する通報を行わなければならないとしているのであり、放流の有無ないしその量によつて例外を設けてはいないのであつて、操作規程一九条四号が、貯水池からの放流量が毎秒三五〇立方メートル以上のときだけ河川法四六条の通報を実施すれば足りるとしているのであれば、同条の趣旨にそぐわないものといわなければならない。

(8) 関係機関に対する通知、通報などの措置が不充分があつたことの影響

ア 本件当時の消防団の協力体制等

<証拠略>によれば、吉野町消防団中荘支団では、昭和五六年以前は、大迫ダムの放流の通報があると、通報から一時間三〇分くらい後に、各分団から何名かの者が出てキヤンプ場を回り、吉野川からの退川を呼びかけていたが、昭和五七年には、このような活動を行わないことになつていたこと、そのため、八月一日も、同支団長の訴外岡本は、吉野町役場から大迫ダム放流の電話を受けて、当初、四つの分団の分団長に連絡したもののそのうちの二つには連絡がつかないまま放置し、連絡がついた分団についても、出動の指令はしておらず、分団長と副分団長が任意に出動しただけであり、その後、夜が明けて樫尾地点の吉野川が一面の濁流になり、河原も水没するほどに増水した後になつて、同支団の消防団員全員の出動の指令をしたこと、及び、本件当時、吉野町消防団と吉野広域消防組合本部は、火災についての連携などは話合いができていたが、水難の救助等については何の申し合わせもなく、本件の後はじめて話合いで協力することになつたことが認められる。

<証拠略>によれば、吉野町消防団中荘師団第三分団の班長訴外坂本は、七月三一日夕刻、宮滝大橋下に亡塩崎ら及びワゴン車に乗つた家族連れなどがキヤンプをしているのを見ており、八月一日午前、「中州に取り残された者がいるので消防出動せよ。」との連絡を受けて直ちに宮滝大橋のことではないかと考えたことが認められ、したがつて、訴外坂本が早い時刻に大迫ダムからの放流の事実を知つたとすれば、亡塩崎ら及びワゴン車に乗つた家族連れを増水前に吉野川から退川させていた可能性も、また、あつたものというべきである。

<証拠略>によれば、訴外宮田は、下渕支所から大迫ダムへ向かう途中、川上村役場の防災無線及び野外放送スピーカーで、大迫ダムの放流についての警報を行うことを考え、その旨依頼したが、川上村から拒否され、結局そのままにして、右の方法による警報は行われなかつたことが認められる。

<証拠略>によれば、本件当時、警察のパトロールカーも、サイレンを鳴らし、スピーカーで放送するなどの確実な方法による警報活動を満遍なく行つていたわけではないことが認められる。

イ 関係機関に対する通知、通報などの措置が不充分であつたことの影響

右アの各事実によれば、水防に関係する大迫ダム下流の吉野川沿線の機関の本件当時の活動は、極めて急激な本件放流による増水に対して、時期的及び内容的に充分なものとはいえないこと、及び、このような事態は、右4、6及び7のとおり、被告の通知、通報など関係機関に対する措置が不充分であつたことによつて起こつたことが認められる。

(9) まとめ

以上のとおり、本件放流にともなう危害防止措置の点でも、被告の大迫ダムの管理には瑕疵が存在した。

(三) 被告の主張について

被告は、大迫ダム集水域の本件豪雨は、被告の主張四3のとおり初期累計雨量の増加及び時間雨量の点で極めて異常なもので、同四2のとおりの七月三一日までの気象状況などから、全く予測できないものであり、このような異常事態に対して、被告は、同五ないし九のとおり最善の措置をとつたのであつて、本件放流の増加率が貯水池への流入量の増加率より大きくなつてしまつたこと等は、不可抗力である等の主張をする。

しかし、以下のとおり、被告の右主張は理由がない。

(1) 本件豪雨の発生確率について

ア 本件における発生確率の意味

被告は、大迫ダム集水域に近い奈良地方気象台日の出岳雨量観測所のデータについてみると、本件豪雨の初期累計雨量増加の発生確率は、八月一日午前一時の時点で四〇〇年から五〇〇年に一回程度、同日午前二時の時点で二五〇〇年から七〇〇〇年に一回程度、同日午前三時の時点では一万年に一回程度の異常なものである旨主張している。

仮に、本件豪雨の初期累計雨量の増加が右の被告主張のとおりの発生確率であったとすると、そのために大迫ダム貯水池へ流入する降雨水の流入量の増加率も数千年ないし一万年に一回の急激な増加率であつたことになるが(被告もその趣旨で主張していると考えられる。なぜなら、それが貯水池への流入量の増加に結び付かないものであれば、被告の右主張自体全く本件とは関係のない主張になつてしまうからである。)、本件放流の放流量の増加率は貯水池への流入量の増加率を越えるものであつたから、本件放流の放流量の増加率は数千年ないし一万年に一回もないものであつたことになり、本件放流は数千年ないし一万年に一回もない驚異的に急激な放流であり、まさに異常放流であつたことになる。

そうすると、全く予期できない多量の雨量であつたとしても、少なくとも異常放流をしてしまつた後では、大迫ダム下流の河道内が急激な増水の危険に見舞われていることが認識できた筈であるから、ダム管理者である被告は、絶対に他人を吉野川の河道内に在川させたり、新たに入川したりさせてはならず、そのための危害防止措置も最高に厳重に行わなければならないことになり、僅かでも可能性のあるすべての危険に対して、危害防止のための措置をすべて尽くして初めて、危害防止措置に関しては管理に瑕疵がなかつたといえることになるのである。ところが、被告は、危害防止のための措置をすべて尽くしたとはとうてい言えないばかりでなく、前述のとおり極めて不十分なものであつたのであり、被告は、数千年ないし一万年に一回もない急激で危険な放流をしておきながら、極めて不充分な危害防止のための措置しか行つていないことになつて、被告のダム管理の瑕疵の大きさがより一層明らかになるのである。

イ 発生確率の主張内容の問題点

右のとおり、本件では降雨の発生確率の主張自体、被告の免責のためには意味のないものであり、かえつて被告のダム管理の瑕疵が大きいことを示すものであるが、その主張の内容も、以下のとおり、問題のあるものである。

大台ヶ原の記録上最大の一日雨量が、大正一二年九月一四日の一〇一一ミリメートルであること、及び、この降雨についてのデータは、毎時の雨量データが存在しないため、被告の発生確率計算の基礎資料に入つていないことは、当事者間に争いがない。このような重要と考えられるデータが基礎資料に入つていないことは、被告の発生確率計算が極めて不正確なものであることを示すものである。

被告は、これについて、右降雨は、吉野川沿川に災害等を発生させた形跡が全く見られないから、急激な出水や大増水を生じさせるような降雨パターンや降雨分布を示すものではなく、被告の発生確率計算の検討対象となり得るものではなかつたと推察される旨主張する。確かに<証拠略>の和歌山県災害史には、右降雨についての災害の記載はないが、これは和歌山県についてのものであるから、奈良県については災害がなかつたか否か明らかでないし、また、右災害史は、洪水については河道外の災害を中心にして記載されており、もし被告の別の部分での主張のように吉野川では毎年のように「まくれ水」が発生してそれによつて命を落とす者がしばしばいたのであれば、急激な増水による河道内の災害は特に災害として記載されないことになるし、仮に災害をもたらさなかつたとしても、出水の下流への到達時刻、季節、余暇の過ごしかたなどが、右降雨時の場合と本件の場合とで異なることによつて、たまたま本件と同様の河道内での事故が発生しなかつた可能性もあり、さらに、本件放流は、貯水池への流入量の増加率さえ越える放流であるから、本件放流による災害と大迫ダムが存在しないときの災害の不発生を比較すること自体も問題であり、被告の右主張は右降雨のデータが基礎資料となつていない被告の発生確率計算の正確さを担保するものではない。

そして、被告は、降雨の初期損失量を一〇ミリメートルとして発生確率計算を行つているが、初期損失を二〇ミリメートルと四〇ミリメートルの中間の三〇ミリメートルとし(前記第四、五2のとおり、山地での初期損失量の最大値は二〇ないし四〇ミリメートルである。)、累計雨量が最初に三〇ミリメートルを越える観測をした時点の時間雨量を一時間目の累計雨量とした累計雨量、及び、その時点までの総累計雨量について、本件豪雨と、被告が発生確率検討の資料として用いた旨主張する昭和七年八月九日の降雨を対比すると、以下のとおりになる(データは、<証拠略>による。)。

本件豪雨    昭和七年八月九日の降雨

一時間累計雨量    五四ミリメートル  六〇・〇ミリメートル

右時点の総累計雨量  六四ミリメートル  八八・八ミリメートル

二時間累計雨量    八七ミリメートル 一〇八・三ミリメートル

右時点の総累計雨量  九七ミリメートル 一三七・一ミリメートル

三時間累計雨量   一七〇ミリメートル 一五九・一ミリメートル

右時点の総累計雨量 一八〇ミリメートル 一八七・九ミリメートル

四時間累計雨量   二五七ミリメートル 一八一・九ミリメートル

右時点の総累計雨量 二六七ミリメートル 二一〇・七ミリメートル

五時間累計雨量   三一一ミリメートル 二三八・三ミリメートル

右時点の総累計雨量 三二一ミリメートル 二六七・一ミリメートル

六時間累計雨量   三三六ミリメートル 二八四・六ミリメートル

右時点の総累計雨量 三四六ミリメートル 三一三・四ミリメートル

右のとおり、被告が発生確率の検討に用いた旨主張する資料によつても、わずかな基準の取りかたの違いによつて、本件豪雨に近い累計雨量の増加状況を示す降雨が出てくるのであるから、本件豪雨がとりたてて珍しいものでないことは明らかである。

また、吉野川の大迫ダム地点の計画洪水流量は、操作規程によれば、毎秒二三〇〇立方メートルであるのに対し、本件での大迫ダム貯水池への流入量の最大値は、一山目で毎秒約一〇〇〇立方メートル、二山目で毎秒一三六七・一立方メートルに過ぎない(<証拠略>による。)。そして、<証拠略>によれば、大台ヶ原の降雨は通常の場合約二時間で大迫ダム貯水池へ流入してしまうことが認められるから、大迫ダム集水域の累計雨量が短時間に増加しなければ、大迫ダム貯水池への流入量は多くはならないことが明らかである。そうすると、この点からも本件豪雨がとりたてて珍しい降雨ではなかつたことが推認できる。

<証拠略>によれば、本件豪雨の初期累計雨量の増加が非常に急激なものであつたことは認められるが、以上のとおり、その発生確率を数千年ないし一万年に一回であるとする被告の主張も、そもそも理由がないものである。

(2) 本件放流と被告の大迫ダム管理について

被告は、本件当時、大迫ダムの管理について、最善の措置がとられた旨主張するが、本件全証拠によつても、被告の右主張は認められず、被告が、大迫ダムの管理について最善の措置をとつたとはいえない。

以下には、その主要な点について述べる。なお危害防止措置については、主として次の(3)で述べる。

ア 大迫ダムの管理体制について

被告は、被告の主張三1のとおり、大迫ダムは、下渕支所を総合管理事務所とし、各ダムに支所を置き、テレメーター装置、情報伝送装置、中央演算処理装置等を用いて、大迫ダム、津風呂ダム、下渕頭首工の三基幹施設の有機的、機動的運用を行う総合管理システムによつて管理されているから、水利水文情報の集中化により、管理対象地域全体の現象を的確に把握することができ、各ダムの異常及び障害等の監視とこれに対する迅速な対応ができ、下渕支所で、各ダムのきめ細かな操作運用の指示ができ、緊急事態に対応した適切な危害防止措置を講じることができ、本件でもその効果が遺憾なく発揮された等の主張をする。

<証拠略>によれば、被告主張のような総合管理システムによつて管理されていることは認められる。

適正な機械装置であるならば、それらを用いてダム管理を合理的に行うことはもちろん望ましいことであるが、仮に機械装置等が適正であつたとしても、それを生かすことができるか否かは、それを用いる人にかかつているのであり、用いかたを誤れば、その効果が発揮されないだけでなく、それがない場合よりもかえつて危険な状態に陥るおそれさえあるのであり、以下のとおり、本件では、被告の主張する総合管理システムの効果が発揮されたとは、とうてい言えないのである。

(ア) 訴外宮田らの貯水池への流入量データ数値の意味の誤解

前記第五、三3(二)(1)のとおり、本件では、洪水吐ゲートが操作されるまでの間の大迫ダムの流入量のデータ数値は、各測定時間帯の中間時の瞬間流入量に近いものであつた。

そして、大迫ダム貯水池への流入量の数値について、下渕支所のグラフイツクパネルに八月一日午前一時のものとして毎秒二三六・三立方メートルという数値が表示され、出水記録に同時刻のものとして毎秒二七六・七立方メートルという数値が記録されていること、右の両数値の毎秒四〇・四立方メートルもの差は、前者が八月一日午前〇時から同日午前一時までの平均流入量ないしそれに近い数値であるのに対し、後者は同日午前〇時三〇分から同日午前一時までの平均流入量ないしそれに近い数値であるために生じたことは、当事者間に争いがない。

そして、訴外宮田が右のような数値の違いが出ること自体を本訴訟の証人尋問において指摘されるまで知らずにいたこと、右で問題としている時点では、大迫ダムからの放流は毎秒一〇立方メートル程度しかなかつたのであるから、放流量の測定方法に違いがあつたとしても、毎秒四〇立方メートル分以上もの大きな差異が生じるはずはないこと、それにもかかわらず、訴外宮田は、右の両数値の違いについて、「下渕支所の数値はダム下流水位計の数値からHQ曲線によつて電算機で算定されるのに対し、出水記録の数値はゲート開度を基準としたためである。」と考えていたことは、被告が明らかに争わないから、これを自白したものとみなされる。また、<証拠略>によれば、被告が、本訴訟の最終段階まで、右の流入量データ数値の差異について、右の訴外宮田と同様の誤解をしていたことが認められる。

さらに、訴外宮田が、八月一日午前〇時のデータを得た時点での洪水予測を行うのに、同日午前〇時から同日午前〇時三〇分までの平均流入量又はそれに近い数値である毎秒一三四・二立方メートルと、同日午前〇時から同日午前一時までの平均流入量又はそれに近い数値である毎秒二三六・三立方メートルとを、同日午前〇時から同日午前〇時三〇分までの分が重複しているにもかかわらず、これらをグラフ上に記入し、これを直線で結んで延長して今後の流入量を予測するという誤りを犯していたこと、及び、他の大迫ダム関係者も、右の誤りに気付かなかつたことは、当事者間に争いがない。

以上の事実を総合すれば、訴外宮田をはじめ大迫ダムの関係者は、大迫ダムの貯水池への流入量のデータが、常に測定時間帯の最後の時点における瞬間流入量であると誤解していたか、明確な認識はなくても、このような感覚によつて、大迫ダムの管理を行つていたことが推認できる。

操作規定八条三項は、大迫ダムの貯水池への流入量の算定方法を、同条一項及び二項の上流水位計による方法では流入量を正確に算定することができない事情があるとき、これを算定すべき時を含む一定の時間における貯水池の貯水量の増分と当該一定の時間における貯水池からの延べ放流量との合算量を当該一定の時間で除して算出することを認めている。右の三項の流入量の算定方法を用いる場合には、それが右の一項及び二項の算定方法の代用であることから、右の一項及び二項の算定方法による流入量の数値に近い値が算定できるように、流入量が急激に増加している場合などは、貯水量の増分を算定する一定の時間を短くするとともに、それが当該時間帯の中間時の瞬間流入量に近いものであることを認識して、ダム管理を行わなければならないものである。このことは、ある時点で、大迫ダム貯水池の貯水位が常時満水位ないし計画洪水位に達するまでの時間を求めるのに、流入量が急激に増加しつつある場合に、測定時間帯の中間時の瞬間流入量に近いものである大迫ダムの貯水池への流入データを、当該測定時間帯の最後の時点における瞬間流入量として計算を行つたのでは、実際の当該時点の流入量はこれより多いことから、常にその計算より早く常時満水位ないし計画水位に達してしまい、適正なダム管理など行えるはずがないことからも明らかである。

そして、操作規程四条の「洪水」の定義に用いられている、「毎秒三五〇立方メートル」の流入量も、ある時点の瞬間流入量ないしそれにごく近いものをいうのであり、急激に流入量が増加している場合には、一時間というような長い時間で操作規程八条三項の方法の算定を行つた結果算定された値を、同項の算定すべき時の値としたものであつてはならないのである。

なお、被告は、流入量データについての出水記録の数値と下渕支所の数値の相違について、「(ただし、ダム下流域の降雨流出のダム下流水位計に与えた影響は無視しえない。)」と主張しているが、仮に、ダム下流の降雨流出がダム下流水位計に影響を与えたとすれば、下渕支所の流入量データの数値は大きくなるのであるから、出水記録との差は縮まるのであり、それ自体理由のない主張である。

(イ) 下渕支所での一時間より短い間隔での大迫ダムの情報の収集

<証拠略>によれば、訴外宮田は、八月一日午前〇時三〇分の大迫ダムに関する雨量及び流入量のデータを、大迫支所に電話して得ていること、少なくとも、訴外宮田ら本件当時の大迫ダムの関係者は、大迫支所で一時間より短い間隔での大迫ダムに関する雨量及び流入量の情報を収集しているときでも、下渕支所では、総合管理システムの機械装置によつて、一時間より短い間隔での右の情報を得ることはできないと考えていた(実際に、できなかつたのか否かは、明らかでない。)ことが認められる。

それにもかかわらず、八月一日午前二時過ぎまで、大迫支所には一人も国職員がいなかつたことは、当事者間に争いがない。

(ウ) まとめ

以上のとおり、本件では、被告の職員は、総合管理システムを適正に用いることができなかつたのであり、右の各事実をみても、被告主張のように、総合管理システムによる管理によつて、水利、水文情報の集中化により、管理対象地域全体の現象を的確に把握していたとは、とうてい言えるものではないことが明らかである。

また、本件において、被告主張の総合管理システムのその他の効用も発揮されてはいなかつたことは、後述のとおりである。

イ 気象及び水象情報の収集について

被告は、被告の主張三3のとおり、大迫ダム管理のための気象及び水象情報の収集は、充分に行われていた旨主張する。

しかし、以下のとおり、被告の主張するところでは、大迫ダム管理のための気象及び水象情報の収集として充分であつたとはいえない。

(ア) 気象官署が行う気象観測の成果の収集等について

被告は、七月三一日当時は、関西地方は、梅雨明け宣言がなされており、大迫ダム集水域に集中豪雨を引き起こす気象条件にはなく、大迫ダムの管理のための気象官署が行う気象観測の成果の収集については、奈良地方気象台から、あらかじめの被告の依頼に基づき、注意報及び警報の発令、解除時に、それについての連絡を受けることで充分であり、実際にもそのとおり行われていた旨主張する。

しかし、右主張は、以下のとおり理由がない。

a 争いのない事実

以下の事実は、当事者間に争いがない。

(a) 気象状況把握義務

河川法四五条は、ダム設置者は、ダムの操作が当該河川の管理上適正に行われることを確保するために、観測施設を設け、水位、流量及び雨雪量を観測しなければならない旨規定しており、右条文を受けて、操作規程は、自ら観測施設を設置、点検、整備して気象、水象等の観測をしなければならない旨規定する(一六条、一七条)とともに、後述の予備警戒時における措置として、気象官署が行う気象観測の成果を的確かつ迅速に収集しなければならない旨規定している(一九条三号)。

ダムは、河川を人工的にせき止めて、莫大な量の流水を貯水池に貯留するものであるから、ダムの貯水計画のため、ダム自体の安全性確保のため、及びダムの放流に伴う危険の回避のためには、貯水池への流入量を予測することが必要であり、そのためには、ダム集水域の降雨量の把握及び予測が必要不可欠である。

そして、貯水池の集水域の降雨量の把握及び予測のためには、自ら観測施設を設置、管理して気象、水象等の観測をするとともに、気象官署が行う気象観測の成果を的確かつ迅速に収集することが必要である。

右のように、自らの観測による気象情報と気象官署からの情報の収集の二つが必要である理由は、前者の情報が、地域的にはダム集水域に限定され、時間的にも過去及び現在に限られており、ダム集水域外の情報が混在しない純粋なものであることから、ダムの直接の操作のためには極めて有益である反面、ダム及び貯水池の今後の管理方法をいかにするかという現在以降の問題に対しては必ずしも十分ではないのに対し、後者の情報が、現在以降の問題に対して極めて有効であるからである。

(b) 大迫ダム集水域の降雨の特性

大迫ダムの集水域は、わが国最大の多雨地域である大台ヶ原山系、及びその隣接地域である。

大台ヶ原では、一度雨が降りだすと、その雨は大量かつ長時間にわたつて降り続く傾向があり、一日の総降水量の記録として、日本の降雨観測史上第三位の大正一二年九月一四日の一〇一一・〇ミリメートルを筆頭に、同二〇位までに入る降雨を五回記録しており、三時間降水量については、昭和二八年九月二五日に日本の降雨観測史上第六位の三一二ミリメートルを記録しており、一時間降水量についても、右の昭和二八年九月二五日に一一八ミリメートルを記録している。また、大迫ダムの集水域に近い、三重県の尾鷲では、日本の降雨観測史上第一二位の一時間降水量等を記録している。

(c) 豪雨発生の条件

豪雨が発生するためには、水源となる南方海上からの水蒸気の流入と、その水蒸気を効果的に水に変える上昇気流が必要である。

夏から秋にかけて、日本付近は、非常に湿つた暑い高気圧である太平洋高気圧に覆われるが、この高気圧から吹き出す湿つた風が、台風や低気圧、前線の近くで吹き合わさつたり、冷たい空気の上に吹き上がつたり、山にそつて上空へ上がつたりすることにより、上空へ押し上げられ、そこで冷たい空気に触れて多くの雨を作る。

そのため、豪雨は、活発な梅雨前線の近傍で降りやすく、特に前線を活発にさせる台風が接近したり、台風くずれの低気圧が前線上を進むと一層降りやすくなり、また、台風が通る地方や台風周辺で暖湿風が強く吹き込む地域や、暖湿気流が地形などの影響で収束するところに降りやすい。

台風、低気圧、前線の近くには、天気図に描けない小さな強い低気圧があつて、強い雷雲を作り、狭い地域に大雨を降らせる。

(d) 大台ヶ原の地形的特性

大台ヶ原は、海からの距離が近く、南方から吹き込む湿つた空気が、直接山脈に当たつて上昇するため、台風がまだ日本本土から離れた海上にある早い時期から降雨が始まる地域である。

(e) 七月三一日の気象状況

昭和五七年七月二四日に発生した台風一〇号は、七月に発生した台風としては異例の本格的台風であり、一時は中心気圧九〇五ミリバールを記録した超大型台風であつた。

七月三一日午前九時には、同台風は、小笠原諸島父島の南南西四五〇キロメートル(北緯二五度二五分、東経一三七度五五分)の海上を、中心気圧九五〇ミリバール、中心付近の最大風速五〇メートル、中心から半径三〇〇キロメートル以内では風速二五メートルの、中心から南東七〇〇キロメートル以内と、中心から北西六〇〇キロメートル以内では風速一五メートルの強風が吹いているという勢力で、北北西に向かって時速一〇キロメートルのスピードで進行していた。

その後、同日午後九時には、同台風は、小笠原諸島父島の西約四五〇キロメートル(北緯二七度〇五分、東経一三七度三〇分)の海上を、中心気圧九五〇ミリバール、中心から半径三〇〇キロメートル以内では風速二五メートルの、中心から半径六〇〇キロメートル以内では風速一五メートルの強風が吹いているという勢力で、北に向かつて時速一〇キロメートルのスピードで進行していた。

同台風は、大型台風として強い勢力を保ちつつ、日本本土を直撃することが予想され、大迫ダムがある奈良県も同台風の通過予想地域に含まれており、日本本土では梅雨があけていない地域もあつて、梅雨前線が関東地方南方から東方にのびて停滞しており、七月三一日には、その前線が南下する状況であつた。

(f) 河川内でのキヤンプ

本件事故当時、吉野川には、河川内に多くのキヤンプ場が設置されていた。

本件事故の発生した前日である七月三一日は、学生、児童の夏休み中で、土曜日でもあり、その夏最大の人出があつて、社会人を含んだ多数の者がキヤンプをしており、夜間も河原で睡眠している者が多数いたが、七月三一日の日中が晴天であつたことから、キヤンプをしていた者の大半は、ダムの放流があるなどとは、全く考えていなかつた。

そして、訴外宮田ら大迫支所の関係者及び下渕支所の関係者は、七月三一日当時、右キヤンプなどをしている事実を知つていた。

(g) 鮎釣りの名所

吉野川は、本件事故以前から、関西における鮎釣りの名所であつた。

b 大台ヶ原の降雨の多い時期

<証拠略>によれば、大台ヶ原の、明治三二年から昭和二八年(ただし、昭和二一年から昭和二五年を除く。)の月別平均降水量は、六月が四三〇・五ミリメートルで、七月が六四〇・五ミリメートルであるのに対し、八月は一〇一二ミリメートルであり、大台ヶ原では、梅雨時よりも、梅雨明け後の大阪など一般の地域では降雨の少ない時期に格段に降雨が多いことが認められる。

c 集中豪雨と気象台からの情報について

<証拠略>によれば、集中豪雨に対しては、気象台の情報を受動的に待つていたのでは間に合わない事態のあること、及び、短時間の集中豪雨は、台風が直接影響しなくても、前線と雷雨によつても生じることが認められる。

d 本件当時の大迫ダムでの気象官署の気象観測成果の収集義務等

右のとおり、大台ヶ原というわが国最大の多雨地域の山岳が集水域に含まれている大迫ダム集水域の特性、及び、台風が接近しつつあるという本件当時の気象状況等の下においては、台風がまだ太平洋上にあるとはいつても、訴外宮田は、ダム集水域の気象状況のほか、台風の進路及びその直接間接の影響、日本全国の気象状況、ダム集水域の近辺の気象状況等に充分注意を払い、気象台に、現時点での天気概況、今後の台風の影響等を直接問い合わせたり、大迫ダム集水域の近辺の気象観測結果を入手するなどして、大迫ダム集水域の今後の降雨の予測に役立て、ダム下流の吉野川でキヤンプや釣りをしている者に万が一にも危険が及ばないように、厳重にダム管理を行わなければならなかつた。

そして、訴外宮田は、最低限でも、七月三一日午後一〇時五〇分に大雨雷雨注意報が発令された後には、奈良地方気象台から、注意報及び警報の発令、解除時に、それについての連絡を受けるだけではなく、奈良地方気象台等の気象官署から、積極的に全国の天気概況、周辺地域での降雨状況などの情報を収集しなければならなかつた。

また、関西地方で梅雨明け宣言がなされたとしても、右のとおり、大台ヶ原では、梅雨時以上の降雨が予想されるのであるから、大迫ダムでは、降雨に対する警戒を緩めてはならず、かえつて梅雨時よりも厳重な警戒を要したのである。

e 被告の行つた気象官署の気象観測成果の収集等

本件当時、被告の行つた気象官署の気象観測成果の収集が、奈良地方気象台からの注意報、警報の発令、解除時に、それについての連絡を受けたことだけであつたことは当事者間に争いがない。

そして、訴外宮田は、七月三一日午後〇時一〇分から三〇分まで、大迫支所で打ち合わせをしたが、当日の新聞の情報や正午前のNHKの気象情報、ニユースから推測して、台風が影響するのは八月二日以降であろうという結論になつたこと、訴外宮田は、その後、下渕支所に行き、水利事業所次長訴外山田と台風の影響について打ち合わせをしたが、大迫支所で出されたものと同じ結論になり、帰宅したこと、訴外宮田は、管理員からの電話連絡によつて午後二時二〇分に雷雨注意報が発令されたことを知つたが、その際、ダム集水域の雨量、ダム貯水池への流入量等の大迫ダムの状況を確認しただけであること、その後、訴外宮田は、管理員からの連絡により、午後七時二〇分に雷雨注意報が解除されたことを知つたが、その際も、大迫ダムの状況のみを確認しただけであり、さらに、訴外宮田は、管理員訴外瀬戸からの連絡により、午後一〇時五〇分に大雨注意報が発令されたことを知つたが、その際も、ダムの状況のみを確認しただけであつたこと、並びに、訴外宮田は、七月三一日夕刊で報道された、九州から四国にかけての日本南岸は一日朝から風が強まる見込みである旨の情報をつかんでおらず、また、七月三一日午後七時に、埼玉県の飯能で一時間五五ミリメートルの降雨を記録するなど、関東地方に大雨が降つていたこと、及び、同日午後九時から八月一日午前〇時までの三時間に、大迫ダムの集水域の近くである、三重県の宮川で、一〇九ミリメートル、奈良県の日の出岳で九〇ミリメートルの大雨があつたことを知らなかつたことは、当事者間に争いがない。

f まとめ

あらかじめ、通知を依頼してあるからといつて、受動的に、気象台からの通知を待つていたのでは、急速に変化する山岳地域の気象に対して、常に後手に回ることになつてしまうのであるし、しかも、被告が通知を依頼していたのは、注意報及び警報に関する通知だけであるから、気象台がそれを判断し、通知するだけの時間常に遅れてしまうのである。また、NHKの気象情報、ニユース等の一般向けの情報だけを資料として台風が影響するのは八月二日以降であろうという結論を出すなどは、極めて軽率な行動である(なお、右結論が正当と認められないことは後述のとおりである。)。

以上のとおり、本件当時行われた、大迫ダム管理のための気象官署の気象観測の成果の収集及び気象状況の把握は、全く不充分なものといわざるを得ない。

(イ) 自らの観測施設による気象情報の収集について

被告は、本件当時、大迫ダムでは、自らの施設による気象情報の収集は、すべて適切に行われていた旨主張する。

しかし、本件当時、大迫ダム集水域の雨量の把握については、右アにおいて認定したとおり、国職員は、八月一日午前二時過ぎまで、大迫支所にはおらず、下渕支所では、一時間より短い間隔での情報について、総合管理システムの機械装置による迅速な収集が行われていない状態であつたのである。

(ウ) 水象情報の収集について

被告は、大迫ダムでは、ダムの直上流部(貯水池)及び必要と認められる上流部地点すべてに自記水位計を設置して迅速な水象情報の収集をしており、本件当時、そのうちの伯母谷水位観測所が倒壊したままであつたが、漫然と放置していたわけではなく、その復旧に最善の努力を尽くしており、また、右水位観測所の欠測によるダム管理への影響は、微々たるものである旨主張する。

しかし、本件当時、貯水池への流入量の把握については、右アにおいて認定したとおり、データ数値の持つ意味の誤解があつたり、国職員は、八月一日午前二時過ぎまで、大迫支所にはおらず、下渕支所では、一時間より短い間隔での情報について、総合管理システムの機械装置による迅速な収集が行われていない状態であつたりしたのである。

また、伯母谷水位観測所復旧のための予算が昭和五六年度に計上されていたのに、同年度には復旧が行われず、翌昭和五七年度の本件事故後に他の予算を流用して復旧工事を行つたことは、当事者間に争いがなく、右事実によれば、被告が一年間右水位観測所の復旧を懈怠していたものというべく、被告は、これについてやむを得ない事情があつた旨種々主張し、証人中村正は第一回証言において、被告の右主張に沿う証言をしているが、右証言はただちに措置できず、他に右判断を左右するに足りる証拠はない。

そして、被告は、伯母谷水位計地点の流域面積は、大迫ダム集水域の一〇・三パーセントに過ぎず、その欠測がダム管理に与える影響は微々たるものであると主張しているが、本件全証拠によつても、本件当時、被告が、伯母谷水位観測所を除いた上流水位観測所の観測結果を、被告の主張する今後のゲート操作についての見通しを立てるために利用した事実は認められない。

以上のとおり、本件当時、被告が、水象情報を迅速、適正に収集していたものとはとうていいえない。

ウ 予備警戒時までの対応について

被告は、七月三一日昼ころの大迫支所及び下渕支所での訴外宮田らの打ち合わせで、台風一〇号の現在位置、進行方向、速度及び当日の新聞、テレビ(正午前のNHKの情報)の気象情報を総合的に検討して、同台風がダム管理に影響するとしても、翌々日の八月二日以降であろうとの結論となつた旨主張し、その事実自体は当事者間に争いがない。

しかし、前述のとおり、右予測は、気象台に問い合わせる等の慎重な検討を経たものではなく、さらに、右の結論が正当なものであつたか否かについて検討すれば、右イ(ア)aのとおり、右台風の中心が大迫ダムからかなり南方にあつたとしても、七月三一日の夕刊において、九州から四国にかけての日本南岸は、一日朝から風が強まる見込みである旨の報道がなされており、<証拠略>によれば、七月三一日夕刻までに、八月一日には関西地方で台風の影響によるにわか雨が降る旨の気象台の予報が出されていたこと、七月三一日午前九時には、台風一〇号の雲の渦に向かつて、関東地方の東海上から南海上にかけて、梅雨前線にともなう厚い雲が広がつており、これらの厚い雲は、大台ヶ原からそれほど遠くにあつたわけではないこと、及び、大台ヶ原は、八月一日午前九時ころには、台風一〇号の風速二五メートル以上の暴風雨域に入るおそれがあつたことが認められるのであり、右事実に右イ(ア)のa、b、cの大迫ダムの特性等を合わせて考えると、同台風がダム管理に影響するとしても、八月二日以降であろうという右の結論が、正当であるとは認められないのである。

エ 予備警戒時の対応について

被告は、被告の主張六のとおり、操作規程一九条の「予備警戒時」とは、ある特定の瞬間を指すものではなく、時間的に相当の幅を有する概念であり、洪水の発生は、予備警戒時の段階でその必然性を判定し得るものではなく、洪水警戒時を迎えてその必然性が高まり、さらにこの期間を終えて初めて発生するという時間的流れを経過するものであるから、右の現象の把握はその発生する遅速も含めて、ダム管理者に委ねられており、操作規程一九条は、「直ちに」、「速やかに」等の言葉を使用せず、このような流れに沿つて予備警戒時という時間的幅を有する特定の期間内に果たすべき義務を明示しているのであり、予備警戒時にとるべき措置の内容によつては、右の時間的、段階的流れの経過にしたがつて強化していくことも操作規程は当然予定しており、例えば、予備警戒時ないし洪水警戒時にどの程度の規模でダム管理要員を配備するかは、ダム管理主任技術者がその時々のダムの状況から判断し決定する裁量的判断であり、このような前提に立てば、本件では、予備警戒時に行わなければならない措置は充分に行われていた旨主張する。

しかし、被告の右主張は以下のとおり理由がない。

(ア) 操作規程上の措置を行わなければならない時期について

洪水の発生が、予備警戒時の段階でその必然性を判定し得るものではなく、洪水警戒時を迎えてその必然性が高まり、さらにこの期間を終えて初めて発生することについては、おおむねそのとおりであるが、その現象の把握については、操作規程が四条ないし六条で「洪水時」、「洪水警戒時」、「予備警戒時」として明確に規程しているのであり、右の各時点で行わなければならない措置についても、操作規程が一九条ないし二一条で明確に規定しているのである。被告は、右のとおり操作規程が各段階において行わなければならない措置を明確に規定するところにかかわらず、その中には直ちに行わなくてもよいものがあり、それはダム管理者の裁量的判断に委ねられている旨主張するのであるが、ダムのような危険な営造物の管理について、あらかじめ設けられた安全を確保するための基準については、安全管理を緩める方向での裁量を認めることは許されないものというべきであり、被告の右主張は採用できない。

したがつて、被告は、予備警戒時、洪水警戒時、洪水時の各段階において、操作規程所定の措置を、直ちに行わなければならなかつたのであり。これらの措置を遅らせる方向でのダム管理者の裁量は認められないのである。

(イ) ダム及び貯水池を適切に管理することができる要員の確保について

被告は、七月三一日午後には、ダム地点に委託職員三名が非常時に備えて配備されており、同日午後一〇時五〇分発令の大雨雷雨注意報が伝えられると、予備警戒時体制の勤務についており、訴外宮田は、自宅で、委託職員に操作規程一九条二号の措置を行うように指示し、それまでの情報を念頭においてダム状況の監視を行つており、右の時点で、国職員は、直ちに出動等の行動に出なかつたが、その当時、本件豪雨を予測できなかつたのだから、右の体制で充分であり、その後八月一日午前〇時過ぎに、洪水吐ゲートからの放流があるかもしれないと予想して、国職員の招集を開始したのが遅きに失したとのそしりを受けるいわれはない旨主張する。

しかし、以下のとおり右主張は理由がない。

委託職員には、独自の判断で、放流管バルブ及び洪水吐ゲートを操作する権限はなく、国職員が指示した場合に、その指示に従つて、これらを操作できるだけであつたことは、当事者間に争いがない。

そうすると、委託職員が洪水吐ゲートを操作するためにも、国職員が操作の判断を行わなければならず、国職員は、洪水吐ゲート操作のための充分な資料を確実に得られ、かつ、委託職員に操作の指示ができる場所にいなければならない。

前記アのとおり、通常の場合でも、下渕支所では、ダム操作のための気象、水象の充分な情報を得られない状態であつたのであるし、大迫ダムからの通信施設が故障すれば、下渕支所では、全く情報が得られなくなつてしまうのであり、さらに、大迫ダムへの道路が崖崩れや山崩れ等により不通になつたりすれば、国職員による洪水吐ゲートの操作は全く不可能な状態になつてしまうのである。

そして、<証拠略>を総合すれば、七月三一日午後一〇時五〇分発令の奈良地方気象台の大雨雷雨注意報の内容は、「間もなく雨が降る。雷雨が強くなり落雷のおそれがある。今後の雨量は、三〇ないし五〇ミリメートル。所により七〇ないし一〇〇ミリメートル。短時間の強い雨に注意。河川は増水し、低地浸水のおそれがある。崖崩れ、山崩れのおそれがある。今夜半過ぎには弱くなる。」というものであつたことが認められる。

したがつて、委託職員が大迫支所におり、国職員と連絡をとつていたとしても、それではダム及び貯水池を適切に管理することができる要員を確保したことにはならず、予備警戒時には、直ちに、国職員を大迫ダムの現場に配備しなければならず、特に本件では、崖崩れ、山崩れのおそれがあつたのであるから、その必要性が格段に強かつたのである。

ところが、被告の主張するとおり、八月一日午前〇時過ぎまでは、国職員の下渕支所への配備のための招集さえ行われておらず(当事者間に争いがない。)、国職員が大迫支所へ向かつたのは、さらに遅い同日午前一時一五分ころだつたのである(これも、当事者間に争いがない。)。

以上のとおり、大迫ダムでは、大雨雷雨注意報発令によつて予備警戒時となつた後、直ちに行わなければならない、ダム及び貯水池を適切に管理することができる要員の確保は充分に行われていなかつたのである。

(ウ) 気象官署の気象観測成果の収集義務及び河川管理者等への通報について

本件当時、気象官署の気象観測成果の収集が不充分であつたことは、右イ(ア)のとおりであり、河川管理者等への通報について瑕疵があることは、前記第五、三5(二)(7)のとおりである。

(エ) まとめ

以上のとおり、本件では、予備警戒時に行わなければならない措置が充分に行われていたものとは、とうてい認められないのである。

エ 八月一日午前〇時二五分過ぎの時点での流入量予測について

被告は、被告の主張六4及び七4のとおり、八月一日午前〇時二五分過ぎの時点で、訴外宮田らは流入量予測を適正に行つていた旨主張する。

しかし、以下のとおり、右主張は理由がない。

(ア) 八月一日午前〇時二五分までのデータ

a 大台ヶ原の特性及び七月三一日夕刻までの天気予報等

大迫ダム集水域と大台ヶ原の関係、大台ヶ原の地形的、気象的特性、七月三一日夕刻までの台風一〇号の動向、天気予報等は、右イ(ア)及びウのとおりである。

b 七月三一日午後一〇時五〇分発令の大雨雷雨注意報

七月三一日午後一〇時五〇分発令の大雨雷雨注意報の内容は、右エ(イ)のとおりである。

c 七月三一日から八月一日にかけての大迫ダムの状況

七月三一日から八月一日にかけての大迫ダムの状況等は前記第五、三3のとおりである。

d 大迫ダム貯水池への流入実績との比較

大迫ダムが貯留を開始したとき以来の流入実績と、本件での流入との対比は、前記第五、三5(二)(3)オのとおりである。

e 昭和五五年一〇月一四日のデータ

<証拠略>によれば、昭和五五年一〇月一四日の大迫ダムの雨量観測所四地点平均の降雨状況及び貯水池への流入量の実績は、おおむね別図22のとおりであることが認められる。

(イ) 八月一日午前〇時二五分過ぎの段階での流入量予測

以上の事実を総合すれば、以下のとおり、八月一日午前〇時二五分過ぎにはその時点までのデータによつて、洪水が発生することが確実であつたことが認められる。

右時点までの大迫ダム雨量観測所四地点平均累計雨量の累増状況は、おおむね次のとおりであり、降雨初期の段階での流入量の増加率が大迫ダムの貯留開始以来最も急激であつた右(ア)eの昭和五五年のデータよりはるかに急激で、累計雨量が一〇ミリメートルを越えてから八月一日午前〇時二五分までの約一時間三〇分の間の累計雨量の増加分は、約七二・七ミリメートルであり、昭和五五年のデータで累計雨量が一〇ミリメートルを越えた後約一時間三〇分の間の累計雨量の増加分約二九ミリメートルの約二・五倍である。

昭和五五年のデータ   本件のデータ

一〇ミリ超過時  一二ミリメートル   一三・四ミリメートル

一時間後     二六ミリメートル   五五・五ミリメートル

一・五時間    四一ミリメートル   八六・一ミリメートル

二時間後     五五・五ミリメートル

三時間後     八七ミリメートル

四時間後     九八ミリメートル

五時間後    一〇八ミリメートル

六時間後    一一四・五ミリメートル

(四地点平均累計雨量が一〇ミリメートルを越えた時点より後の各時点の総累計雨量を表示した。)

右のとおり、本件では、約一時間三〇分という極めて短い時間の雨量が、昭和五五年のデータの約二・五倍であり、また、累計雨量が一〇ミリメートルを越えてから約八五ミリメートルに達するまでの時間も、昭和五五年のデータが約三時間であるのに対し、本件では約一時間三〇分と約半分である。したがつて、本件では、流出する降雨水は、昭和五五年のときの約二倍集中すると考えられる。

右のとおり、昭和五五年のデータでは、累計雨量が約八七ミリメートルに達した後、時間雨量が急に減つて、約一〇ミリメートル以下になつているから、このデータの流入量のピーク(毎秒約二一五立方メートル)は、大部分、累計雨量が約八七ミリメートルになるまでの降雨によつてもたらされたと考えられる。

そうすると、同じくらいの降雨水が昭和五五年のときの約二倍集中した本件では、仮に八月一日午前〇時二五分の段階で降雨が止んだとしても、流入量のピークも昭和五五年のデータの約二倍になり、流入量は毎秒約四〇立方メートルになると考えられる。

また、大迫ダムの雨量観測所の平均累計雨量が一〇ミリメートルを越えた時点を基準にすると、昭和五五年及び本件の各データ(なお、本件の一時間後及び一・五時間後の時点での実際の流入量が、次のデータより大きいものであつたことは前述のとおりである。)の大迫ダム貯水池への流入量は、おおむね、次のとおりであり、本件では、昭和五五年のデータの二分の一以下の時間で流入量が毎秒一〇〇立方メートルを越えており、昭和五五年のときよりはるかに急激に増加している。

昭和五五年のデータ   本件のデータ

一〇ミリ超過時 毎秒五立方メートル   毎秒九・九立方メートル

一時間後    毎秒五立方メートル   毎秒二一・二立方メートル

一・五時間後  毎秒五立方メートル   毎秒一三四・二立方メートル

二時間後    毎秒三〇立方メートル

三時間後    毎秒一〇〇立方メートル

四時間後    毎秒二一五立方メートル

五時間後    毎秒一七〇立方メートル

昭和五五年のデータでは、時間雨量約三〇ミリメートル(三〇分間あたり約一五ミリメートル)の時間帯が二時間続いても、流入量はその増加率が同じか、より大きくなりつつ、そのピークに達している。それに対して、本件では、七月三一日午後一一時五五分までの一時間雨量四二・一ミリメートル(三〇分間あたり約二一ミリメートル)、同日午前〇時二五分までの三〇分間雨量三〇・六ミリメートル(一時間あたり約六〇ミリメートルの降り方)と一定時間あたりの雨量が、後の時間帯ほど多くなつている。そうすると、八月一日午前〇時二五分以降は、その前三〇分間と同じか又はより急激に流入量が増加すると考えられる。

八月一日午前〇時二五分以降、その前三〇分間と同じ割合で流入量が増加すると、同日午前一時二五分には、毎秒三六〇・二立方メートルになる。そして、前述のとおり、右の流入量のデータは、おおむねその観測時間帯の中間の時点の瞬間流入量に近いものであるから、実際の流入量が大迫ダムの洪水流量である毎秒三五〇立方メートルを越えるのは、八月一日午前一時過ぎころと予測できるのである。

そのほかに、栃谷及び筏場の水位は、八月一日午前〇時二五分には、それぞれ二・一五メートル、二・二〇メートルと降雨流出が始まる前より一・五メートル以上上昇していた(栃谷及び筏場の水位流量関係曲線等は、本訴の証拠として提出されていないが、増水の過程にある場合には、前述のマンニングの公式により、同じ水位であつても、そうでない場合より流量が多くなる。)。

以上は、八月一日午前〇時二五分の時点で降雨がほとんど止んだと仮定してのものであるが、以下のとおり、この時点で、右の仮定のような判断はできないのであるから、実際にはより大きな流入が、より急激に生じるおそれがあつたのである。

七月三一日午後一〇時五〇分発令の大雨雷雨注意報は、「今後の雨量は三〇ないし五〇ミリメートル。所により七〇ないし一〇〇ミリメートル。今夜半過ぎには弱くなる。」というものであつたが、大台ヶ原では、七月三一日午後一一時五五分から八月一日午前〇時二五分までの三〇分間には、五八ミリメートル(一時間あたり一一六ミリメートルの降り方)という、大台ヶ原の一時間雨量の最高記録の一一八ミリメートルを記録した時点(昭和二八年九月二五日。この日には日本の降雨観測史上第六位の三時間雨量三一二ミリメートルを記録している。)とほぼ同じ降り方をしていたのであつて、当時の台風、前線などの気象状況を考えれば、少なくとも大台ヶ原については、警報、注意報の区分での注意報のレベルを越えた状態であり、右大雨雷雨注意報は、今後の判断の基準とはなり得ない状態になつていたのである。さらに、右大雨雷雨注意報自体で考えても、七月三一日午後一〇時五五分から八月一日午前〇時二五分の間に約一〇〇ミリメートルの降雨があつたが、大雨雷雨注意報発令後一〇〇ミリメートルの雨が降つてしまつたからといつて、それによつてその後の降雨が弱くなると言えるわけではないし、右のとおりの記録的な降雨があつた結果、急速に一〇〇ミリメートルに達してしまつたのであるから、むしろその後も相当の降雨があると考えられるのである。

なお、被告は、極地的な降雨の予測は、気象台の関係者でも難しいから、降雨が訴害宮田の予想に反する状態になつたのはやむを得ない旨主張しているが、極地的な降雨の予測は、気象台の関係者でも難しいからこそ、気象台の予報に安易にのりかかることなく、今後事態が悪化することも考えた厳格な対応が必要なのである。また、被告は、気象台の予報が悪い方向へはずれることは、本件以前にはほとんどなかつた旨主張し、証人宮田留男はこれに沿う証言をするが、<証拠略>によれば、奈良県防災会議が作成した奈良県地域防災計画によつても注意報、警報は、新たな注意報、警報の発表によつて解除又は更新されて、新たな注意報、警報に切りかえられることが当然のものとして予定されていることが認められ、これによれば、一旦発表された注意報でも、その後事態が悪化して警報に切りかえられることがあることが推認できるし、そもそも、被告の右主張は、経験則に反しているのであつて、被告がそのような安易な前提をもつてダムを管理していることこそ極めて危険であり、問題なのである。

(ウ) 訴外宮田の流入量予測

訴外宮田が、八月一日午前一時(前述のとおり、実際の時刻は同日午前〇時五五分)のデータを入手するまで、大迫ダムへの流入量が毎秒三五〇立方メートルを越えて洪水になると予測せず、洪水放流のための措置をとらなかつたことは、当事者間に争いがない。

(エ) まとめ

以上のとおり、八月一日午前〇時二五分過ぎの段階で、同日午前一時過ぎには、流入量が毎秒三五〇立方メートルの洪水状態になることが確実であつたにもかかわらず、訴外宮田ら被告の職員はこれを予測せず、洪水放流のための措置をとらなかつたのであり、適正にダム管理を行つていたとはいえない。

オ 放流開始と関係機関への通知の関係について

被告は、被告の主張六4(ニ)のとおり、訴外宮田の八月一日午前〇時三〇分(実際の時刻は、同日午前〇時二五分)のデータにより行つた放流開始時刻を同日午前三時とする決定は、関係機関への通知に要する時間を考慮しており、被告の主張八1及び九2のとおり、本件での実際の関係機関に対する通知は、訴外宮田の指示が八月一日午前一時二〇分ころで、通知の終了は同日午前二時三〇分であるが、これについて不必要な時間を空費した事実は一切ない旨主張する。

しかし、被告の右主張は、以下のとおり理由がない。

下渕支所からの関係機関に対する通知が、八月一日午前一時四〇分ころから開始され、同日午前二時三〇分ころ終了したこと、及び、右の当時、下渕支所には、三台の加入電話があり、訴外小西のほか、同山田、同村上及び同白草がいたが、訴外小西以外の者は通知を行つていないことは、当事者間に争いがない。

そして、<証拠略>によれば、右の当時、訴外山田は、実質的には何も行つておらず、ただ下渕支所にいただけであり、訴外白草も、関係機関に対する通知より優先させるべきことを行つていたわけではないことが認められる。大迫支所からの通知は委託職員の訴外土井(盛)が行つており、国職員が通知事項を充分指示すれば、訴外白草も関係機関に対する通知を充分行うことができたと認められ(ただし、大迫ダムからの通知が充分でなかつたことは、前述のとおりである。)。

また、被告は、訴外村上は、関係機関に対する通知のために大迫ダムの雨量、流入量等の整理を行つていたので通知を担当できなかつた旨主張しているが、<証拠略>によれば、被告職員がダムの状況から放流の開始時刻を早めなければならないと認識したのは、訴外宮田が大迫ダムへ到着してからであることが認められ、本件全証拠によつても、訴外村上のデータ整理によつて、最新のデータに基づく具体的な放流開始時刻及び放流量の予測が行われ、それが通知されたことは認められず、結局訴外村上の行動は、意味のない行動であつたのである。

被告は、加入電話を、他から下渕支所への連絡のために空けておく必要があつた旨主張するが、三台のうち二台を常に空けておく必要があつたものとは認められない。

また、被告は、本件当日が休日で夜間であり、相手方の種々の問い合わせもあつて、これに応対していたことなどから、予想以上に時間を要する結果となつた旨主張するが、休日で夜間であるため連絡をとりにくいことは、通知を開始する前からわかりきつたことであり、相手方からの問い合わせも当然予想されることであり(ただし、訴外小西及び同土井(盛)が、相手方からの質問があつた場合でも、ダム操作の具体的な日時及び放流量の具体的な数字の通知を一切行つていないことは、前述のとおりである。)、このような状態であればなおのこと、下渕支所からの通知は二台の加入電話を使つて、複数の者で行わなければならなかつたのである。

以上のとおり、関係機関に対する通知は、通知開始の点でも、通知自体の点でも、より迅速に行うことが可能であつたのであり、<証拠略>によれば、当時訴外宮田は関係機関への通知に五〇分くらいかかると考えて放流開始時刻を決定したことが認められるが、そうすると、迅速、適正に通知が行われていない状態を前提にしていることになるから、その判断自体相当でないことになる。

カ 常時満水位ないし計画洪水位に達する時刻の予測について

被告は、八月一日午前一時(前述のとおり、実際の時刻は同日午前〇時五五分。)のデータに接しても、ダムの空虚容量から、午前三時ころ放流という当初の予定を変更する必要がなかつた旨主張する。

しかし、以下のとおり、右主張は理由がない。

前述のとおり、八月一日午前〇時五五分の大迫ダム外水位は三九五・九〇メートルであり(別表23)、常時満水位は三九八メートル、計画洪水位は三九八・五メートルであるが、<証拠略>によれば、大迫ダム外水位が三九五・九〇メートルのときの貯留量は二五五一万七〇〇〇立方メートル、三九八メートルのときの貯留量は二七七五万立方メートル、三九八・五メートルのときの貯留量は二八三一万八〇〇〇立方メートルであることが認められる。

そうすると、八月一日午前〇時五五分の時点では、常時満水位まで、二二三万三〇〇〇立方メートルの空き容量、計画洪水位まで、二八〇万一〇〇〇立方メートルの空き容量であつたことになる。

前述のとおり、八月一日午前〇時五五分のデータの大迫ダム貯水池への流入量は、毎秒二七六・七立方メートルであり、右データの大迫ダムの雨量観測所四地点平均の三〇分間雨量もその前三〇分間と変わりなく、極めて激しい降雨が続いており、降雨が弱まる様子もなかつたのであるから、流入量(m3/sec)の増加は少なくとも右の時間の前後にわたつてほぼ同様であると考えられ、右データの流入量は、その観測時間帯の中間の時点である同日午前〇時四〇分の流入量に近いものであつたと考えられる。そして、同日午前〇時五五分の実際の流入量は、少なくとも右の同日午前〇時五五分の流入量のデータ(毎秒二七六・七立方メートル)に、このデータ(毎秒二七六・七立方メートル)とその三〇分前の同日午前〇時二五分の流入量のデータ(毎秒一三四・二立方メートル)の差の二分の一(一五分あたりの流入量の増加分、毎秒七一・二五立方メートル)を加算した値である毎秒三四七・九五立方メートルくらいであり、その後少なくとも二時間程度は右時間帯とほぼ同様に流入量(m3/sec)が増加し続けると予測できる。

八月一日午前〇時五五分以降、右の同日午前〇時二五分から同日午前〇時五五分までと同様にダムへの流入量(m3/sec)が増加し、放流管バルブからの放流はないと仮定すると、以下のとおり、常時満水位に達するまで同日午前〇時五五分から約七二分を要し、計画洪水位に達するまで同日午前〇時五五分から約八五分を要するのであるから、同日午前二時七分ころには常時満水位に達し、同日午前二時二〇分ころには計画洪水位に達することになる。

空き容量(m3)={八月一日午前〇時五五分の実際の流入量(m3/sec)+求める時間の最後の時点の流入量(m3/sec)}÷2×求める時間(sec)

(右のような式になるのは、貯水池への流入量(m3/sec)が時間に正比例して増加すると仮定すると、ある一定時間の流入量の総量(m3)は、当該時間帯の中間時の流入量(m3/sec)が、当該時間帯の初めから終わりまで流入し続けた値(当該時間帯の中間時の流入量(m3/sec)に当該時間帯の長さ(sec)を乗じた値。)と同じであり、そして、当該時間帯の中間時の流入量(m3/sec)は、当該時間帯の最初の時点の流入量(m3/sec)と当該時間帯の最後の時点の流入量(m3/sec)の和の二分の一であるからである。)

求める時間の最後の時点の流入量(m3/sec)=八月一日午前〇時五五分の実際の流入量(m3/sec)+同日午前〇時二五分から同日午前〇時五五分までの間の一秒あたりの流入量の増加分(m3/sec/sec)×求める時間(sec)

(右のような式になるのは、八月一日午前〇時五五分以降も、同日午前〇時二五分から同日午前〇時五五分までと同様に流入量(m3/sec)が増加すると仮定したからである。)

そこで、空き容量をA(m3)、求める時間をX(sec)、X秒後の流入量をY(m3/sec)とすると、前述のとおり、八月一日午前〇時五五分の実際の流入量は毎秒三四七・九五立方メートルで、同日午前〇前〇時二五分から同日午前〇時五五分までの三〇分(一八〇〇秒)間の流入量の増加分は毎秒一四二・五立方メートル(この間の一秒あたりの流入量の増加分は、右の値の一八〇〇分の一。)であるから

A=(347.95+Y)X/2

Y=(347.95+142.5X/(30×60)

となる。

したがつて

A=〔347.95+{347.95+142.5X/(30×60)}〕X/2

となり、以下のとおり各水位に達するまでの時間が求められる。

常時満水位までの時間(常時満水位までの空き容量二二三万三〇〇〇立方メートル(A=2233000))

2233000=〔347.95+{347.95+142.5X/(30×60)}〕X/2

X=4307sec=71min47sec

計画洪水位までの時間(計画洪水位までの空き容量二八〇万一〇〇〇立方メートル(A=2801000))

2801000=〔347.95+{347.95+142.5X/(30×60)}〕X/2

X=5096sec=84min56sec

なお、右の計算は、放流管バルブからの放流量を考慮していないものであるが、放流管バルブからの放流が、八月一日午前〇時五五分以降、常時その最大放流量である毎秒二〇立方メートル行われたと仮定して、右と同様の計算を行つても、以下のとおり、常時満水位に達するまで同日午前〇時五五分から約七四分を要し、計画洪水位に達するまで同日午前〇時五五分から約八七分を要するのであるから、同日午前二時九分ころには常時満水位に達し、同日午前二時二二分ころには計画洪水位に達する。

空き容量(m3)={八月一日午前〇時五五分の実際の流入量(m3/sec)+求める時間の最後の時点の流入量(m3/sec)}÷2×求める時間(sec)-放流管バルブからの放流量(m3/sec)×求める時間(sec)

(右のような式になるのは、放流管バルブから常時同じ量の放流(m3/sec)が行われると仮定すると、ある一定時間の放流管バルブからの放流量の総量(m3)は、放流管バルブからの放流量(m3/sec)に求める時間(sec)を乗じた値であるからである。その余の点については、放流管バルブからの放流がない場合と同じである。)

求める時間の最後の時点の流入量(m3/sec)=八月一日午前〇時五五分の実際の流入量(m3/sec)+同日午前〇時二五分から同日午前〇時五五分までの間の一秒あたりの流入量の増加分(m3/sec/sec)×求める時間(sec)

(右の式は、放流管バルブからの放流がない場合と同じものである。)

そこで、貯水池の空き容量をA(m3)、求める時間をX(sec)、X秒後の流入量をY(m3/sec)とすると、前述のとおり、八月一日午前〇時五五分の実際の流入量は毎秒三四七・九五立方メートルで、同日午前〇時二五分から同日午前〇時五五分までの三〇分(一八〇〇秒)間の流入量の増加分は毎秒一四二・五立方メートル(この間の一秒あたりの流入量の増加分は、右の値の一八〇〇分の一。)であり、放流管バルブからの放流量は毎秒二〇立方メートルであるから

A=(347.95+Y)X/2-20X

Y=347.95+142.5X/(30×60)

となる。

したがつて、

A=〔347.95+{347.95+142.5X/(30×60)}〕X/2-20Xとなり、以下のとおり各水位に達するまでの時間が求められる。

常時満水位までの時間(常時満水位までの空き容量二二三万三〇〇〇立方メートル(A=2233000))

2233000=〔347.95+{347.95+142.5X/(30×60)}〕X/2-20X

X=4435sec=73min55sec

計画洪水位までの時間(計画洪水位までの空き容量二八〇万一〇〇〇立方メートル(A=2801000))

2801000=〔347.95+{347.95+142.5X/(30×60)}〕X/2-20X

X=523sec=87min14sec

また、右の各式(放流管バルブからの放流量を考慮しないもの。)によつて、八月一日午前〇時五五分から一五分後の八月一日午前一時一〇分、三〇分後の同日午前一時二五分、四五分後の同日午前一時四〇分、一時間後の同日午前一時五五分の各時点の大迫ダム貯水池への流入量、大迫ダム貯水池の同日午前〇時五五分からの貯留量の増加分及び総貯留量を算定すると、同日午前一時一〇分には、流入量毎秒四一九・二立方メートル、同日午前〇時五五分からの貯留量の増加分三四万五二一七・五立方メートル、総貯留量二五八六万二二一七・五立方メートル、同日午前一時二五分には、流入量毎秒四九〇・四五立方メートル、同日午前〇時五五分からの貯留量の増加分七五万四五六〇立方メートル、総貯留量二六二七万一五六〇立方メートル、同日午前一時四〇分には、流入量毎秒五六一・七立方メートル、同日午前〇時五五分からの貯留量の増加分一二二万八〇二七・五立方メートル、総貯留量二六七四万五〇二七・五立方メートル、同日午前一時五五分には、流入量毎秒六三二・九五立方メートル、同日午前〇時五五分からの貯留量の増加分一七六万五六二〇立方メートル、総貯留量二七二八万二六二〇立方メートルとなる。

ところが、八月一日午前〇時五五分より後の大迫ダムの実際の状況は、同日午前一時一〇分のデータでは、ダム外水位は三九六・三五メートルで、総貯留量は二五九八万五〇〇〇立方メートル、流入量は毎秒五三四・五立方メートルであり、同日午前一時二五分のデータでは、ダム外水位は三九六・八七メートルで、総貯留量は二六五三万立方メートル、流入量は毎秒六一七・七立方メートルであり、同日午前一時四〇分のデータでは、ダム外水位が三九七・四三メートルで、総貯留量は二七一三万二〇〇〇立方メートル、流入量は毎秒六八六・六立方メートルであり、同日午前一時五五分のデータでは、ダム外水位が三九七・九六メートルで、総貯留量は二七七〇万七〇〇〇立方メートル、流入量は毎秒六五二・一立方メートルであり、いずれの時点の総貯留量及び流入量も、同日午前〇時五五分のデータに基づいた右の各式(放流管バルブからの放流量を考慮しないもの。)による計算値より大きく(放流管バルブからの放流量を考慮した式によれば、その差はさらに大きくなる。)、しかも、前述のとおり、右の各データの流入量の値は、観測時間帯の中間時の瞬間流入量に近いもので、実際の当該時点の流入量より少ないものであり、また、降雨も依然として激しい状態が続いて、同日午前一時一〇分には大雨洪水警報が発令されているのであるから、常時満水位ないし計画洪水位になる時刻は、右の計算よりもさらに早まることが明らかなのである。

以上のとおり、八月一日午前〇時五五分の時点のデータ(被告主張の同日午前一時のデータと同じもの。)によつて、しかも、放流管バルブからの放流が、八月一日午前〇時五五分以降、常時その最大放流量である毎秒二〇立方メートル行われたと仮定しても、大迫ダムの貯水位は、同日午前二時九分ころには常時満水位に達し、同日午前二時二二分ころには計画洪水位に達することが明らかなのであつて、被告の、右データに接しても、ダムの空虚容量から、午前三時ころ放流という当初の予定を変更する必要がなかつた旨の主張が、全く理由のないものであることは明白である。

ダムでは、貯水位が計画洪水位を越えることは予定されておらず、右のとおり遅くとも八月一日午前二時二二分ころには大迫ダムの貯水位は計画洪水位にまで達するのであり、その時点で放流を開始したのでは間に合わないのであるから、同日午前〇時五五分のデータが入つた時点でも、遅くとも同日午前二時ころには放流を開始せざるを得ない事態になつていたのであり、したがつて、同日午前〇時五五分のデータが入つた時点では、訴外宮田ら大迫ダムの関係者は、もはや一刻の猶予も許されず、ただちに通知を開始しなければならなかつたのであつて、それも、極めて迅速に行わなければならなかつたのである。

そして、八月一日午前二時二〇分の流入量は、前述の式によれば、毎秒七五一・七立方メートルであるから、右の関係機関への通知では、遅くとも同日午前二時ころには放流を開始すること、放流量は少なくとも毎秒七五〇立方メートルにはなること、放流開始がこれより早くなる可能性もあり、放流量もこれより多くなる可能性もあること、及び、極めて急激な放流となる可能性もあるから、吉野川の河道内は極めて危険であり、絶対に人が在川しない状態にしてほしいことを通知しなければならなかつたのである。

ところが、前述のとおり、訴外宮田は、同日午前一時二〇分ころまで、関係機関への通知を指示せず、その後訴外宮田の指示によつて行われた通知も、時間的にも、内容的にも極めて不充分なものであつたのである。

そしてさらに、その後のデータによれば、右のとおり流入量は八月一日午前〇時五五分のデータに基づく計算より、さらに急激に増加しているのであるから、訴外宮田ら大迫ダム関係者は、その後の各時点で、それに応じて、当該時点の放流の見込みを通知しなければならなかつたのであるが、それが行われていないことも前述のとおりである。

キ まとめ

本件放流を行うまでの、被告の大迫ダム管理は、以上のとおり極めて杜撰なものであつたのであり、被告の主張するような最善の措置であつたとはとうてい認められるものではなく、また、本件放流を行つたことがやむを得ないものであつた旨の主張も、とうてい認められるものではない。

また、被告は、ダム管理に不充分な点があつたとしても、その影響はない旨の主張をしているが、以上の検討によれば、被告の大迫ダム管理が杜撰であつたため、本件放流をせざるを得なくなつたことが強く推認されるのであり、被告の右主張も全く理由がない。

(3) 危害防止措置について

被告は、被告の主張九のとおり、被告の行つた危害防止措置には、責められるべき点はない旨主張する。

前述のとおり、本件当時の、被告の危害防止措置は、本件放流の態様と、前記第五、三4の八月一日午前の大迫ダム下流の吉野川の状況から、瑕疵のあるものであつたことが強く推認され、さらに、個別的な検討によつて瑕疵の存在がより明らかになり、それによつて被告の右主張の理由のないことも明らかであるので、以下には、主要な点についてだけ付言する。

ア 河川の自由使用と危害防止責任について

被告は、河川が、公共用物であり、国民が自由に使用できること、及び、河川が自然状態であつても危険を内包していることから、キヤンプや魚釣り等の目的で入川しようとする者は、上流のダムの存在の有無、河川管理者等からの警告等危害防止措置の有無にかかわらず、入川にともなう危害の防止を自らの責任で行うべきである旨主張する。

しかし、自然状態そのままの河川に入川する者が、自然現象による危険を自ら負担するとしても、被告は、河川を自然の状態から変化させるダムを設置して、しかも、河川の自然状態での流量の増加率を越える著しく急激な本件放流を行つたのであるから、被告の危害防止措置についての責任はいささかも軽減されるものではない。

イ 関係機関に対する通知について

関係機関に対する通知が不充分なものであつたことについては、前述のとおりであるが、被告は、通知内容について、ダム管理者として、詳細を検討し、通知時期が遅れるよりは、一刻も速く切迫性、異常性をありのまま伝えることのほうが、より重要であると判断したから、前記認定のような通知内容になつた旨主張する。

しかし、切迫性、異常性を伝えるのであれば、前述のとおり、本件放流が極めて急激で大迫ダムの貯留開始以来経験したことのない異常なものであること、吉野川の河道内に入川していれば極めて危険であること、及び、本件放流が到達するときに吉野川の河道内に人が一人もいない状態にしてほしいことを具体的に伝える必要があるのであり、前記認定のような通知内容では、切迫性、異常性を伝えたことにはならない。

そして、前述のとおり、放流開始時刻、及び、放流量又は下流の水位の上昇見込みが明らかにならなければ、下流への到達時刻も明らかにならないのであり、いつまでに河道内から退避させなければならないのか、いつまで河道内での警報を行うことができるのかも明らかにならないのであるから、関係機関の対応が充分に行われなくなるのであり、仮に切迫性、異常性を早急に伝えたとしても、少なくとも具体的な放流開始時刻、及び、放流量又は下流の水位の上昇見込みを示した再度の通知が必要であつたのである。

被告は、通知した関係機関から後に問い合わせがなかつたから、通知の相手方にも当時の状況が充分伝達された旨主張するが、関係機関から全く問い合わせがなかつたと認めるに足りる証拠はなく、仮に、問い合わせがなかつたとしても、それによつて通知の相手方に当時の状況が充分に伝達されたことになるわけではなく、また責任を免れるわけでもない。

被告は、関係機関の活動によつて、八〇〇人いたといわれる入川者のほとんどが事故に合わず、無事避難できたのだから、被告の行つた通知は目的を達している旨主張する。しかし、前記第五、三4のとおり、吉野川では、少なくとも約九〇名の者(被告の右主張に従えば、入川者の一割以上である。)が、本件放流によつて、極めて危険な状態にさらされたのであり、死亡したり、流されたりしなかつた者も、危機一髪のところで、運よく流されたり溺死したりすることを免れただけであるから、前述のとおり、被告の危害防止措置に瑕疵があつたことが強く推認されるのであつて、被告の主張は、全く理由がない。そして、関係機関の活動が、活動の開始時刻の点でも内容の点でも不充分なものであり、それが、被告の関係機関に対する通知が極めて不充分であつたことに起因するものであることは、前述のとおりであり、関係機関の活動の開始時刻や内容の検討なしに、出動人員の多さ等を主張しても全く意味がない。

被告は、放流予定の変更による再通知は、実益はなく、八月一日午前六時以降の再通知も、下流の降雨状況から通知の必要はなかつた旨主張する。しかし、前述のとおり、本件放流の態様(放流量の増加率が、極めて急激な流入量の増加率を越えて、下流は著しく危険である。被告の主張によれば、数千年ないし一万年に一回もないような危険な放流になる。)が明らかになつてからの通知は、絶対に欠かしてはならないものであつたのであり、右の各再通知の実益ないし必要がなかつたものとは言えない。

ウ 警告を行うべき区間について

被告は、操作規程一四条が河川法四八条の一般に周知させるための措置を行う区間を中井(仲居)川合流地点より上流に限定したことは、適法であり、中井川合流点より下流の警報活動は、ダム管理者の裁量に基づき、予算、人員等の許す範囲内で行う行政サービスであつて、法律上の警報義務はない旨主張する。

前述のとおり、仲居川合流点(布引)より下流の地点でも、六倉までの地点については、本件放流前の流量に近い毎秒三〇立方メートルのときの水位と本件放流開始から一時間後の本件放流の最大放流量に近い毎秒八〇〇立方メートルのときの水位に、二・五ないし五・七メートルの差があるのであり、中には、仲居川合流地点より上流よりも水位の差が大きい地点もあるのであり、また、下渕地点より下流についても、下渕地点及び隅田地点の水位が、約三〇分の間に約三メートルも上昇しているのであるから、少なくとも、本件放流については、仲居川合流地点より下流でも、ダムを操作することによつて流水の状況に著しい変化を生ずるのであり、河川法四八条の一般に周知させるための措置をとらなければならないことは明らかである。

さらに、<証拠略>によれば、六倉地点までの、放流管バルブからの最大放流量である毎秒二〇立方メートルのときの水位と、洪水流量である毎秒三五〇立方メートルのときの水位、及び、両者の差はおおむね以下のとおりであることが認められる。

地点     二〇立方メートル 三五〇立方メートル 差

柏木     一・一メートル  三・七メートル   二・六メートル

北和田    〇・四メートル  二・五メートル   二・一メートル

白川渡    〇・七メートル  三・一メートル   二・四メートル

下多古    一・三メートル  三・八メートル   二・五メートル

武木上流   一メートル    三・六メートル   二・六メートル

井戸     一メートル    三・五メートル   二・五メートル

人知     一・六メートル  四・八メートル   三・二メートル

迫      〇・九メートル  二・九メートル   二メートル

布引     一・一メートル  三・五メートル   二・四メートル

高見川合流点 一・七メートル  三・七メートル   二メートル

宮滝大橋   二メートル    四・七メートル   二・七メートル

妹背     〇・九メートル  二・八メートル   一・九メートル

六田     〇・九メートル  二・四メートル   一・五メートル

阿知賀    〇・七メートル  二・九メートル   二・二メートル

下渕     一・七メートル  四・九メートル   三・二メートル

滝町     一・三メートル  三・九メートル   二・六メートル

六倉     一・一メートル  三・九メートル   二・八メートル

右のとおり、流量が毎秒二〇立方メートルから毎秒三五〇立方メートルになつた場合の、仲居川合流点より上流と下流の水位の上昇の程度はほとんど違いがなく、かえつて下流の地点のほうが上流の地点よりも、水位の上昇が大きい場合もあり、仲居川合流点より下流で高見川が合流するからといつて、それによつて大迫ダムの放流による急激な増水がなくなるわけでないから、河川法四八条の警告を行う区間を仲居川合流点より上流に限定した。操作規程一四条は、それ自体相当ではなく、操作規程一四条を根拠に、仲居川合流地点より下流について、河川法四八条の一般に周知させるための措置を実行しなくてもよいとするわけにはいかない。

エ 警報車による警報について

被告は、吉野川はその形状等警報を困難にする特性を有しており、しかも、本件では、夜間で、降雨中という悪条件下であつたから、あえて警報活動を行えば、警報実施者の二次災害を招くおそれのあるところもあり、そのような箇所についての警報活動は、河川法上要求されていない旨主張する。

しかし、被告の主張する吉野川の特性は、大迫ダムを設置する以前から変わらないのであり、被告は、そのような特性のある吉野川にあえてダムを設置するのであるから、警報を困難にする特性を克服して警報を行わなければならないのであり、あらかじめ、河川に近付き易いように道を整備したり、リモートコントロールできる警告装置を設置したり、放流を行うたびごとに、要所に別紙立札の様式2の例による立札を立てたり、サイレン、花火等の爆発音等大きな音を用いるなど、急激な増水のおそれのある吉野川の全区間にわたつて満遍なく警報を行わなければならないのであつて、吉野川の特性は、被告の責任を免ずる理由となるものではない。また、ダムが洪水放流を行うときが降雨時であるのは、自明のことであり、それが夜間になることがあることも、性質上当然であるから、被告は、そのような条件の下で、充分な警報が行えるようにしなければならないのであつて、本件当時、夜間であつたことや、降雨時であつたことも、被告の責任を免ずる理由となるものではない。

被告は、警報車五七九号の訴外東嶋及び同川越は、宮滝大橋の中央で停車してマイクで三回警告の放送を行い、訴外川越が車から降りて、橋の上流及び下流を懐中電灯で照らして入川者の有無を確認した旨主張し、証人東嶋清次はこれに沿う証言をするが、訴外東嶋らが亡塩崎らのテントだけでなく対岸のワゴン車も発見していないこと(当事者間に争いがない。)、<証拠略>の地図には、宮滝大橋が「警報経路」として書き込まれているにもかかわらず、「確認場所」としての「○」は宮滝大橋の部分にはつけられておらず、その付近では宮滝大橋の下流の橋との中間の「樋口」と記載のある部分の近くに「○」がつけられていること、及び、<証拠略>には、宮滝大橋で特に確認をおこなつた旨の記載がないことからすれば、右証言は措信できず、他に被告の右主張を認めるに足りる証拠もない。

被告は、本件当日、訴外安川が、降雨の中でマイクを使わずに警告して、三〇メートル以上離れた入川者に聞こえたこと、訴外生駒が、警告放送が両岸の入川者に聞こえたことを確認していること、及び、訴外岡本が、自宅から五社大橋の右岸詰めでのパトロールカーの警告を聞いていることから、大迫ダム関係者の行つた警告放送は、すべて入川者に聞こえるものであつた旨主張するが、右のような断片的事実によつては、大迫ダム関係者の行つた警告放送は、すべて入川者に聞こえるものであつたといえるものではなく、前述のとおり、吉野川では、サイレンを鳴らしたり、スピーカーで放送したりしても、河川の方向に停止するかよほど徐行しない限り、効果はないのであるし、訴外生駒は、スピーカーの届きにくい場所では車を停めてサイレンを鳴らすように指導されていたのであつて、前述のとおりの極めて不充分な大迫ダム関係者の警報の方法によつては、それが聞こえない者があるのは当然であり、前述のとおりで、実際に、宮滝大橋地点以外でも、矢治のキヤンパーらに大迫ダム関係者の警告が聞こえていないのである。また、被告は、疲労のためぐつすりと寝ている者に警告が聞こえなくても、被告の責任はない旨主張するが、レジヤーのために来たキヤンパーらが夜間疲労で熟睡していることは当然であり、被告は、そのような者がダムの放流による危害に遭わないように警告を行わなければならないのであつて、熟睡している者に聞こえない警報では充分な警報とは言えず、右のような主張によつて責任を免れることはできない。

被告は、訴外村上は、阿知賀地点の家族連れらしい者らのテントのほか、中州でテントを発見し、ダムから放流しているので退川するように警告しており、それに対して、中から「すぐですか。」と問い合わせがあつたので、「すぐです。」と答え、その周囲に別のテントがないか見渡したがテントはなく、その場所は亡大田及び訴外井上がキヤンプしていたテントの場所と一致するから、訴外村上が警告したテントは、亡大田及び訴外井上がキヤンプしていたテントであることは間違いない旨主張する。<証拠略>によれば、訴外村上が被告主張のとおりの警告を行つたことは認められるが、同時に、同証言によれば、訴外村上が別のテントがないかを確認したのは、中の者に警告したテントのすぐそばから見渡しただけであること、及び、訴外村上は、阿知賀地点の現場では、右の家族連れらしい者のテントを発見するについても、中の者に警告したテントを発見するについてもそれぞれ他にテントがあることを聞いて探しに行き、その結果各テントを発見していることが認められ、これらの事実と、訴外福本以外の者からの警告は受けたことがない旨、及び、亡大田が流された後警察に説明をしているときに、キヤンプをしていたと思われる若い男女が一組おり、女性の髪が非常に濡れていた旨の<証拠略>に照らせば、右の事実によつて訴外村上が中にいる者に警告したテントが、亡大田及び訴外井上がキヤンプしていたテントであると認めることはできない。

被告は、警報活動を、吉野川のすべての地点について行うことが理想であるとしても、財政的、人的制約を当然に内包しているから、本件当日、西渋田地点まで警報活動を行うことは現実には不可能であつた旨主張する。なるほど、これらの制約が全く在しないとは言えないけれども、本件の場合、その制約論とは別に被告がなし得ることも多々存するところである。そして、ダムのような人為的に設置された営造物の設置又は管理の不適切によつて生じた人身事故の損害賠償請求の場合に、右のような抽象的制約が、損害賠償責任を免れる理由とならないことは、前述のとおりである。

被告は、本件当日は、大雨洪水警報が発令され、降雨があり、川が増水しているのであるから、吉野川に入川しようとする者があり得ても、漏れなく警告する必要はない旨主張する。しかし、大迫ダムが洪水放流を行うときに大雨洪水警報が発令されていることは、操作規程五条が、大雨警報が行われたときから洪水警戒時になるとしているように、全く通常のことであり、それによつて、河川法四八条の一般に周知させるための措置を行う義務が軽減される理由はない。また、前述のとおり、本件では、本件放流による増水が到達する前に、入川者が危険を感じて入川をしないほど河川が増水していたとは認められず、ダムが洪水放流を行うときに、降雨があること、及び、河川がある程度増水することは当然のことであるから、これによつても河川法四八条の一般に周知させるための措置を行う義務を免れる理由はない。

オ 立札について

被告は、被告の主張九6のとおり、吉野川の周辺には、操作規程一四条の区間以外にも、ダムの放流による危害防止のため、関係機関の協力によつて、立札が設置されており、本件で原告門及び亡下岡以外の者が入川した場所には、これらの立札が立てられており、入川しようとする者は、付近にダム設置者等が立てた危害防止のための立札がないか否か確認し、その立札の内容を遵守すべきであるから、一般に誰にでも見える位置にこれらの立札があるのに、入川者がそれに気がつかなかつた場合には、入川者の責任である旨主張する。

しかし、前述のとおり、仲居川合流点付近より下流の立札は、別紙立札の様式5ないし8のとおりの様式のものであり、別紙立札の様式1ないし4の様式のものはない。別紙立札の様式8の立札では、ダムの放流が有り得ることさえわからず、別紙立札の様式5ないし7の立札でも、ダムの放流により、吉野川の水が急激に増水することがあることは解つても、それがいつ起こるのかは全く解らず、それをどのような手段で知らせられるのかさえ解らない。前述のとおり、一般の者にとつては、通常、他者からダムの放流が行われ、それにより自己に危害が生じるおそれがあることを、その時点で知らされない限り、ダムの放流から自己の生命、身体等を守ることはできないのであり、別紙立札の様式5ないし8の立札が立てられていたとしても、それだけでは被告が危害防止の責任を果たしたことにはならない。そして、別紙立札の様式5には「川原でのキヤンプはやめてください。」との記載があるが、河川はもともと公共用物として国民に自由使用が認められるべきものであるから、右のような記載によつて、キヤンプをしている者に対する警告の義務を免れることはできない。

被告は、宮滝大橋付近には、「当区長の許可なくキヤンプ(川あそび)をすることを禁止する。」との記載のある立札が設置されており、中州(岩場)は、キヤンプをするにはあまりにも危険な場所であり、宮滝大橋下でのキヤンプには区長の許可が下りるはずはなく、法律的な根拠がないのに「許可」と明記されているのは、右地点があまりに危険な場所であるため、どうしても入川してもらいたくないという区長の意思が表れており、真に右立札の意志をくむ誠実な者であれば、入川してはいけないという意識が働くはずであり、右の立札のほかに、あらためて大迫ダム管理者が「注意喚起」のための立札を設置する必要はなかつた旨主張する。

しかし、<証拠略>によれば、被告の主張する右立札は、別紙立札の様式8の立札であること、及び、宮滝大橋付近にはダムの放流を警告する立札は全く設置されていないことが認められ、別紙立札の様式8の立札には「吉野川でキヤンプ及び川あそびをする方は清掃管理費として左記金額を当区へ納めて下さい。」との記載もあり、被告の主張する右立札からは、かえつて、清掃管理費を納付すると宮滝大橋下がキヤンプの許される場所であることが窺えるのであつて、被告がダムの放流を警告する立札を一切設置していないことは、著しい怠慢である。

被告は、東阿田地点付近に五か所注意立札を設置していた旨主張する。

しかし、右主張は、以下のとおり理由がない。

<証拠略>によれば、昭和四九年にこれらの立札が設置されたことが認められ、<証拠略>によれば、東阿田公民館前及び東阿田の杉本宅裏には、昭和五八年二月一八日に注意立札が設置されていたことが認められ、<証拠略>には本件当時もこれらの立札が残つていた旨の記載がある。

しかし、<証拠略>と<証拠略>を比較すると、いずれも本件当時の立札の状況を記載した旨主張ないし記載されているにもかかわらず、<証拠略>に記載されている東阿田地点付近の四か所の立札の記載のうち二か所の立札の字句様式が<証拠略>と異なつており、<証拠略>の記載は、にわかに措信できない。

さらに、<証拠略>と<証拠略>を比較すると、立札の杭への取り付け位置がずれており、<証拠略>の取り付けのためのボトル様のものは、その周辺の立札の面には錆が付着しているのに、それ自体には錆が付着していないこと、<証拠略>では、立札の杭の接地する部分がナンバーを書いた板のようなもので隠れていること、及び、<証拠略>の結果に照らしても、東阿田公民館及び東阿田の杉本宅裏の立札が八月一日以降手を加えていない旨の<証拠略>の記載は措信できず、その余の被告主張の東阿田地点付近の注意立札については、東阿田公民館前及び東阿田の杉本宅裏の立札については右のとおり本訴提起(昭和五七年一二月二七日)後まもなくの写真があるのに、その余の立札については本訴提起後まもなくの状況についての写真さえ提出されていないこと、及び、昭和四九年当時に設置されてから、本件までに八年も経過していることに照らしても、<証拠略>のその余の立札についての記載は措信できず、他にこれらの立札が正常な状態で存在したことを認めるに足りる証拠はない。

被告は、阿知賀地点付近には、五か所に立札が設置されており、亡大田らが、目につくはずであつた立札が四つあり、そのうちの一つには「川原でのキヤンプはやめて下さい。」と明記されており、吉野川の中州でのキヤンプはこの立札の趣旨に沿わないものである旨主張する。

しかし、右主張は、以下のとおり理由がない。

<証拠略>によれば、昭和四九年に被告主張の各立札が設置されたことが認められ、<証拠略>によれば、昭和五八年五月に被告が<証拠略>でNO.65と番号を付した場所に注意立札が存在したことが認められ、<証拠略>にはNO.65の注意立札には八月一日以降手を加えていない旨の記載がある。

しかし、<証拠略>と<証拠略>を比較すると、いずれも本件当時の立札の状況を記載した旨主張ないし記載されているにもかかわらず、阿知賀地点付近の五か所の立札の記載のうち三か所の立札の字句様式が右両者で異なつており、このことからも<証拠略>の記載は、にわかに措信できない。

さらに、NO.65の場所の立札について、<証拠略>と、<証拠略>を比較すると、付近の状況が異なつており、立札の杭が接地する部分も<証拠略>ではナンバーを書いた板のようなもので隠れており、また、<証拠略>と、<証拠略>を比較すると、<証拠略>では、立札を杭に取り付けるボトル様のものに錆がついているのに、<証拠略>では、<証拠略>に八月一日以降手を加えていない旨の記載がある立札であるにもかかわらず、上のボルト様のものには錆が全くついておらず、下のボルト様のものもそれ自体には錆がついていないとみられることからすれば、本件当時も<証拠略>の写真のとおり立てられていたか否かは明らかではなく、その余の立札については、<証拠略>には、NO.68の立札以外は本件当時も残つていた旨の記載があるが、東阿田公民館前及び東阿田の杉本宅裏の立札並びにNO.65の場所の立札については右のとおり本訴提起後まもなくの写真が提出されているのに、これらの立札の本訴提起後まもなくの状況についての写真さえ本訴において提出されてないこと、及び、昭和四九年当時に設置されてから、本件までに八年も経過していることに照らしても、<証拠略>の記載は措信できず、他にこれらの立札が本件当時正常な状態で存在したと認めるに足りる証拠はない。

被告は、六倉地点にも本件当時注意立札が設置されていた旨主張し、<証拠略>によれば、昭和四九年に被告主張の立札が設置されたことが認められ、<証拠略>には、これらの立札が本件当時も存在した旨の記載があるが、<証拠略>と<証拠略>を比較すると、いずれも、本件当時の立札の状況を記載した旨主張ないし記載されているにもかかわらず、六倉地点付近の三か所の立札の記載のうち一か所の立札の字句様式が右両者で異なつている(そのほか上島野地点付近の立札の字句様式の記載も両者で異なつている。)こと、東阿田公民館前及び東阿田の杉本宅裏の立札並びにNO.65の場所の立札については右のとおり本訴提起後まもなくの写真が提出されているのに、これらの立札の本訴提起後まもなくの状況についての写真さえ本訴において提出されていないこと、及び、昭和四九年当時に設置されてから、本件までに八年も経過していることに照らすと、<証拠略>の記載はただちに措信できず、他にこれらの立札が本件当時正常な状態で存在したと認めるに足りる証拠はない。

また、仮に被告主張の立札が立てられていたとしても、それだけでは被告が大迫ダムの本件放流についての危害防止の責任を完全に果たしたことにはならないことは、前述のとおりである。

被告は、西渋田地点に立札を設置する義務はなかつた旨主張するが、前述のとおり、本件放流による下渕地点及び隅田地点の水位の上昇は極めて激しいものであつたのであるから、少なくともそれが明らかになつた八月一日午前六時三〇分ないし同日午前八時三〇分より後には、直ちに別紙立札の様式2の例による立札を設置する義務があつたのである。

(4) 原告門及び死亡者らの行動との関係

そのほか、被告は、原告門及び死亡者らは、奈良県南部で大雨洪水警報が発令され、吉野川集水域に集中豪雨が発生している危険な状況下で、吉野川の中州又は州という大変危険な場所でキヤンプをし、又は、新たに釣りのため入川したのであり、通常人として理解しがたい特異な行動であるから、国家賠償法二条一項の管理の瑕疵に該当しない旨主張しているが、右主張自体瑕疵を否定できる事実の主張ではない。

(5) まとめ

以上のとおり、被告の、本件における被告の大迫ダム管理に瑕疵はない旨の主張は理由がなく、他に前述の瑕疵の認定を左右するに足りる証拠はない。

(四) まとめ(被告の大迫ダム管理の瑕疵)

以上によれば、本件当時、大迫ダムは、放流量の増加率が貯水池への流入量の増加率を上回つており、しかも、それによつて、ダム下流の吉野川の水位が急激に著しく上昇するにもかかわらず、放流にともなう危害防止措置が極めて不充分であるという、営造物であるダムが有すべき安全性を欠いて、他人に危害を及ぼす危険性のある状態にあつたのであり、被告の大迫ダムの管理には瑕疵が存在したといわなければならない。

第六大迫ダムの設置、管理の瑕疵と原告門及び死亡者らの吉野川での被災との因果関係

原告門が押し流され、死亡者らが押し流されて溺死した、前記第三の吉野川の急激な増水が、本件放流による増水であることは、前記第四のとおりである。

前述のマンニングの公式によれば、増水の過程では、後になるほど、流量が増加し、径深が大きくなり、水面勾配が大きくなる(初期の段階で)などによつて、河川の平均流速も速くなることが認められる。

そして、前記第五、三5(一)のとおり、本件放流は、放流量の増加率が大迫ダム貯水池への流入量の増加率を越える急激なものであつたが、前記第三のとおり、原告門及び死亡者らは、僅かの時間の遅れによつて逃げ損ない、又は、流れがより速い濁流の中を泳がざるを得なくなつたのであるから、放流量の増加率が大迫ダムへの流入量の増加率を越えなければ、原告門及び死亡者は、大迫ダムの放流による増水から逃げ切つて押し流されずに済み、又は、岸まで泳ぎ着くことができたことが推認され、これを左右するに足りる証拠はない。

さらに、前記第五、三5(二)のとおり、本件における、被告の危害防止のための措置は、極めて不充分なものであつたが、被告が、前記第五、三5(二)の(1)、(4)ウ、(5)エ、(6)ア及び(7)の行わなければならない危害防止のための措置を行つていれば、原告門及び死亡者らは、本件放流によつて吉野川が増水する前に吉野川から退川し、又は、八月一日には吉野川に入川しなかつたものと考えられるところである。

以上のとおり、被告の大迫ダムの管理が瑕疵のあるものであつたため、本件放流による増水によつて、原告門が押し流され、死亡者らが押し流されて溺死したことが認められる。

被告は、被告の主張一〇のとおり、本件の原告門及び死亡者らの吉野川での事故は、本件放流によつてしか説明できないものではなく、また、原告門及び死亡者らは、奈良県南部で大雨洪水警報が発令され、吉野川集水域に集中豪雨が発生している危険な状況下で、吉野川の中州又は州という大変危険な場所でキヤンプをし、又は、新たに釣りのため入川したのであり、通常人として理解しがたい特異な行動であるから、本件の原告門及び死亡者らの事故と本件放流との間には因果関係はない旨主張する。

しかし、本件の原告門及び死亡者らの吉野川での事故は、本件放流によつてしか説明できないものであることは、前述のとおりであるし、その余の被告の主張するところも、それ自体、相当因果関係を否定できるものではない。

なお、亡大田について、被告は、訴外村上が警告したにもかかわらず吉野川の河道内から退川しなかつたのであり、異常行動であるから因果関係はない旨主張するが、亡大田が、自殺等の目的で増水によつて流されるために河道内にとどまつたというなら格別、警告によつて即時に退川しなかつたというだけでは、因果関係は否定されない。また、訴外村上が亡大田及び訴外井上に警告した事実が認められないことは、前述のとおりである。

第七被告の損害賠償責任

以上の認定及び判断に反する被告の主張はいずれも採用せず、したがつて、被告は、本件放流によつて、原告門が押し流され、死亡者らが押し流されて溺死したことによる、原告らの損害を賠償する義務があることは明らかである。

第八原告らの損害

一  共通事項について

1  死亡者の逸失利益について

死亡した者の逸失利益の算定の基礎となる年収は、死亡者の事故前一年間の実際の年収とし、これが明らかでない場合、死亡者の収入が、同性の同年令の者の産業計、学歴計の平均賃金より低いと認められる特段の事情のない限り、右平均賃金を基礎として逸失利益を算定することとする。

2  葬祭費について

葬祭費も、死亡事故による損害としてこれを認め、その範囲は、死亡した者の諸条件を考慮し、社会通念上相当な範囲とする。

3  捜索費について

捜索費も、死亡事故による損害として賠償を認める。その範囲は、捜索に要した期間、捜索が必要と認められる場所、必要と認められる捜索の方法等を考慮した、社会通念上相当な範囲に限定する。そして、その相当とする範囲についての判断にあたつては、捜索に第三者の協力等が必要であつた場合、それらの者に対する謝礼等も斟酌する。

二  原告塩崎庄一及び同塩崎笑子について

損害の計算については、A、Bなどの記号を付した式のとおりである(以下、他の原告らについても、それぞれ各関係者ごとに同様。)。

1  亡塩崎及び原告塩崎らの生活状況等

原告塩崎両名が亡塩崎の親であること、原告塩崎らの相続分(別表1)、及び、亡塩崎の被災状況は、前述のとおりであり、<証拠略>によれば、亡塩崎は、本件当時、小学校の教員をして、原告塩崎らとともに幸福な生活を送つていたこと、既に婚約も成立していたこと、及び、亡塩崎の本件での死亡によつて原告塩崎らが被つた精神的苦痛は極めて大きいものであることが認められる。

2  亡塩崎の捜索の状況

亡塩崎の遺体が発見されていないことは、前述のとおりであり、<証拠略>によれば、亡塩崎の捜索は、昭和五七年八月四日から同月三〇日までの連日、その後さらに同年一一月三日までに一三日間行われたことが認められる。

3  亡塩崎の逸失利益(A)

(一) 年収 金二八三万一六〇七円(X、<証拠略>で認定。)

(二) 生活費控除率 五〇パーセントが相当である。(Y=〇・五)

(三) 死亡時の年令 満二九歳(昭和二八年五月一七日生、<証拠略>の二で認定。)

(四) 稼動可能期間 三八年(満六七歳まで。以下、他の原告らについても同じ。)

(五) 右稼動可能期間の新ホフマン係数 二〇・九七〇(Z)

(六) 死亡時の逸失利益の額

金二九六八万九三九九円{A、A=X×(1-Y)×Z}

{2831607×(1-0.5)×20.970=29689399.39(一円未満は切り捨てる。以下の各計算についても、一円未満の端数については、各計算の結果ごとにそれぞれ切り捨てることとする。)}

4  慰謝料

(一) 原告塩崎庄一 金六〇〇万円が相当である。(B1)

(二) 原告塩崎笑子 金六〇〇万円が相当である。(B2)

5  葬祭費 金五〇万円が相当である。(C)

6  捜索費 金一〇〇万円が相当である。(D)

7  弁護士費用以外の損害合計

(一) 原告塩崎庄一

金二二三四万四六九九円(M1、M1=A/2+B1+C+D)

(2.9689399÷2+6000000+500000+1000000=22344699.5)

(二) 原告塩崎笑子

金二〇八四万四六九九円(M2、M2-A/2+B2)

(29689399÷2+6000000=20844699.5)

三  原告大田照子について

1  亡大田及び原告大田照子の生活状況等

原告大田照子が、亡大田の母であり、同居して亡大田から扶養を受けていたこと、及び、亡大田の被災状況は、前述のとおりであり、<証拠略>によれば、亡大田には離婚した訴外小川育子との間の子訴外小川貴之がいるが、離婚の際、同人の親権者は、訴外小川育子と定められ、その後、訴外小川貴之は、訴外小川育子が再婚した訴外小川眸と養子縁組をしており、亡大田は、離婚後、訴外小川貴之の養育費を毎月金一万円づつ銀行振込で支払つていたが、亡大田と訴外小川貴之は、離婚後は会つたこともなく、手紙、電話等での交渉もなかつたこと、本件事故後、原告大田照子は、遅れていた訴外小川貴之の養育費を訴外小川育子の姉に持参した際、同人に亡大田の死亡事故について書いた手紙を渡したが、その後、同人は、右手紙を見ていないと述べて原告大田照子に返してきたこと、原告大田照子には、亡大田のほかに五人の子がいるが、そのうち一人は亡大田の死亡より前に死亡しており、他の子はすべて女性で、そのうち訴外大田和子は原告大田照子及び亡大田と同居して生活していたが、訴外大田和子は、自己の食費として毎月金五万円を原告大田照子に渡していただけであること、亡大田の昭和五六年の源泉徴収される税金及び社会保険料を控除した後の給与所得は、金二八二万三四九一円であり、原告大田照子は、亡大田から毎月金二〇万円くらいを渡されて生活費に使い、残つた二ないし三万円を亡大田名義で貯金していたこと、亡大田の年二回のボーナスでは、亡大田と原告大田照子の生活用品などを買つていたこと、原告大田照子自身は、亡大田の死亡当時は収入がなかつたが、昭和五八年からは、年に四回、合計年額金六四万円の遺族年金を受けていること、及び、亡大田の本件での死亡による原告大田照子の精神的苦痛は極めて大きいものであることが認められる。

右によれば、原告大田照子は扶養を受ける権利を有し、同人の扶養については、同人及び同人の子らの間で、少なくとも亡大田が第一順位で扶養する黙示の協議が成立していたこと、及び、亡大田は、少なくとも年に金一二〇万円は原告大田照子の扶養のために支出していたものというべきである。

2  亡大田の捜索状況

亡大田の遺体が発見されていないことは、前述のとおりであり、<証拠略>によれば、亡大田の捜索は、八月一日から昭和五七年一一月二一日までに合計三一日間行われたことが認められる。

3  原告大田照子の扶養請求権侵害による逸失利益(A)

(一) 亡大田からの年扶養額 金一二〇万円(X)

(二) 原告大田照子の亡大田死亡時の年令 満七五歳(明治三九年一一月一三日生。<証拠略>で認定。)

(三) 原告大田照子の平均余命 一〇・七五年(昭和五七年簡易生命表による。)

(四) 右平均余命の年数を一〇年とした新ホフマン係数 七・九四五(Z)

(五) 原告大田照子の亡大田死亡時の逸失扶養料の額

金九五三万四〇〇〇円(A、A=X×Z)

(1200000×7.945=9534000)

被告は、現実に扶養していた扶養義務者の一人が死亡したとしても、特に他に扶養義務者が存在する場合には、法律的には平等の割合をもつて負担すれば足り、それ以上は自己の負担する義務のないものまで負担していたに過ぎず、他の扶養義務者に不当利得として求償できるのであるから、現実に扶養が行われていた全額を損害として評価することはできない旨主張する。しかし、第一順位の扶養義務者が営造物の設置又は管理の瑕疵等によつて死亡した場合、第一順位の扶養義務者の死亡によつて失われた扶養請求権は、順位が決まることによつて具体化した請求権であるから、被扶養者が営造物を設置、管理する者等に対して右損害の賠償を請求できることは当然であり、被告の右主張は失当である。

4  慰謝料 金六〇〇万円が相当である。(B)

5  葬祭費 金五〇万円が相当である。(C)

6  捜索費 金一〇〇万円が相当である。(D)

7  弁護士費用以外の損害合計

金一七〇三円四〇〇〇円(M、M=A+B+C+D)

(9534000+6000000+500000+1000000=17034000)

四  原告森田豊子、同森田眞治及び同森田光美について

1  亡森田及び原告森田らの生活状況等

原告森田豊子が亡森田の妻であること、同森田眞治及び同森田光美が亡森田の子であること、原告森田らの相続分(別表1)、及び、亡森田の被災状況は、前述のとおりであり、<証拠略>によれば、亡森田は、死亡前、自宅で建具商を営み、かつ、兼業農家として田畑も耕作して、妻、子二名及び妻の母を養つており、妻と長女は生計の足しに会社に勤務していたが、長男は、金沢の大学に在学しており、これらの家族で幸福な生活を送つていたこと、及び、亡森田の本件での死亡による原告森田らの精神的苦痛は極めて大きいものであることが認められる。

2  亡森田の捜索状況

亡森田の遺体が、昭和五七年八月四日、発見されたことは前述のとおりであり、<証拠略>によれば、亡森田の捜索は、八月一日、同月二日及び同月四日に行われたことが認められる。

3  亡森田の逸失利益(A)

(一) 年収 金四六四万九七〇〇円(X、昭和五七年度賃金センサス産業計、企業規模計、学歴計、五〇歳から五四歳男子の平均賃金。)

(二) 生活費控除率 四〇パーセントが相当である。(Y=〇・四)

(三) 死亡時の年令 満五二歳(昭和四年八月一四日生。<証拠略>で認定。)

(四) 稼動可能期間 一五年

(五) 右稼働可能期間の新ホフマン係数 一〇・九八一(Z)

(六) 死亡時の逸失利益の額

金三〇六三万五〇一三円{A、A=X×(1-Y)×Z}

{4649700×(1-0.4)×10.981=30635013.42}

4  慰謝料

(一) 原告森田豊子 金七〇〇万円が相当である。(B1)

(二) 原告森田眞治 金三五〇万円が相当である。(B2)

(三) 原告森田光美 金三五〇万円が相当である。(B3)

5  葬祭費 金五〇万円が相当である。(C)

6  捜索費 金三〇万円が相当である。(D)

7  死体検案関係費 金一万四二〇〇円(E、<証拠略>で認定。)

8  弁護士費用以外の損害合計

(一) 原告森田豊子

金二三一三万一七〇六円(M1、M1=A/2+B1+C+D+E)

(30635013÷2+7000000+500000+300000+14200=23131706.5)

(二) 原告森田眞治

金一一一五万八七五三円(M2、M2=A/4+B2)

(30635013÷4+3500000=11158753.25)

(三) 原告森田光美

金一一一五万八七五三円(M3、M3=A/4+B3)

(30635013÷4+3500000=11158753.25)

五  原告稲葉咲子、同稲葉力及び同稲葉美佐枝について

1  亡稲葉及び原告稲葉らの生活状況等

原告稲葉咲子が亡稲葉の妻であり、原告稲葉力及び同稲葉美佐枝が亡稲葉の子であること、原告稲葉らの相続分(別表1)、及び、亡稲葉の被災状況は前述のとおりであり、<証拠略>によれば、亡稲葉は、田四反半、畑一町三反半の農業と造園業を行つて、妻、大学在学中の長男、高校在学中の長女及び自己の両親を養つて、これらの者と幸福な生活を送つていたこと、及び、亡稲葉の本件での死亡による原告稲葉らの精神的苦痛は極めて大きいものであることが認められる。

2  亡稲葉の捜索状況

亡稲葉の遺体が昭和五七年九月七日に発見されたことは前述のとおりであり、<証拠略>によれば、亡稲葉の捜索は、八月一日から昭和五七年九月七日まで行われたことが認められる。

3  亡稲葉の逸失利益(A)

(一) 年収 金四七八万〇九〇〇円(X、昭和五七年度賃金センサス産業計、企業規模計、学歴計、四五歳から四九歳男子の平均賃金。)

(二) 生活費控除率 四〇パーセントが相当である。(Y=〇・四)

(三) 死亡時の年令 満四八歳(昭和九年五月一一日生。<証拠略>で認定。)

(四) 稼働可能期間 一九年

(五) 右稼働可能期間の新ホフマン係数 一三・一一六(Z)

(六) 死亡明の逸失利益の額

金三七六二万三七七〇円{A、A=X×(1-Y)×Z}

{4780900×(1-0.4)×13.116=37623770.64}

4  慰謝料

(一) 原告稲葉咲子 金七〇〇万円が相当である。(B1)

(二) 原告稲葉力 金三五〇万円が相当である。(B2)

(三) 原告稲葉美佐枝 金三五〇万円が相当である。(B3)

5  葬祭費 金五〇万円が相当である。(C)

6  捜索費 金七〇万円が相当である。(D)

7  弁護士費用以外の損害合計

(一) 原告稲葉咲子

金二七〇一万一八八五円(M1、M1=A/2+B1+C+D)

(37623770÷2+7000000+500000+7000000=27011885)

(二) 原告稲葉力

金一二九〇万五九四二円(M2、M2=A/4+B2)

(37623770÷4+3500000=12905942.5)

(三) 原告稲葉美佐枝

金一二九〇万五九四二円(M3、M3=A/4+B3)

(37623770÷4+3500000=12905942.5)

六  原告梅田町子、同梅田容子、同梅田知宏及び同梅田佳孝について

1  亡梅田及び原告梅田らの生活状況等

原告梅田町子が亡梅田の妻であること、原告梅田容子、同梅田知宏及び同梅田佳孝が亡梅田の子であること、原告梅田らの相続分(別表1)、及び亡梅田の被災状況は、前述のとおりであり、<証拠略>によれば、本件当時、亡梅田は、米穀店を経営して、原告梅田町子がそれを手伝い、大学在学中の原告梅田容子、高校卒業後会社に勤めてそれぞれ一年四か月及び四か月の原告梅田知宏及び同梅田佳孝とともに、幸福な生活を送つていたこと、亡梅田の死亡によつて、原告梅田町子だけでは米穀店の経営ができないため、昭和五七年九月一日、原告梅田知宏がやむを得ず会社を退職して米穀店の仕事を行つたが、家庭内がうまく行かず、原告梅田佳孝が米穀店の仕事を行うことになつたこと、及び、亡梅田が本件で死亡したことによる原告梅田らの精神的苦痛は極めて大きなものであることが認められる。

2  亡梅田の捜索状況

亡梅田の遺体が昭和五七年八月五日に発見されたことは前述のとおりであり、<証拠略>によれば、亡梅田の捜索は、昭和五七年八月二日から同月五日まで行われたことが認められる。

3  亡梅田の逸失利益(A)

(一) 年収 金三七七万八七九九円(X、<証拠略>で認定。)

(二) 生活費控除率 四〇パーセントが相当である。(Y=〇・四)

(三) 死亡時の年令 満四九歳(昭和七年一一月三日生、<証拠略>で認定。)

(四) 稼働可能期間 一八年

(五) 右稼働可能期間の新ホフマン係数 一二・六〇三(Z)

(六) 死亡時の逸失利益の額

金二八五七万四五二二円{A、A=X×(1-Y)×Z}

{3778799×(1-0.4)×12.603=28574522.27}

4  慰謝料

(一) 原告梅田町子 金七〇〇万円が相当である。(B1)

(二) 原告梅田容子 金二五〇万円が相当である。(B2)

(三) 原告梅田知宏 金二五〇万円が相当である。(B3)

(四) 原告梅田佳孝 金二五〇万円が相当である。(B4)

5  葬祭費 金五〇万円が相当である。(C)

6  捜索費 金三〇万円が相当である。(D)

7  死体検案書代 金六〇〇〇円(E、<証拠略>で認定。)

8  弁護士費用以外の損害合計

(一) 原告梅田町子

金二二〇九万三二六一円(M1、M1=A/2+B1+C+D+E)

(28574522÷2+7000000+500000+300000+6000=22093261)

(二) 原告梅田容子

金七二六万二四二〇円(M2、M2=A/6+B2)

(28574522÷6+2500000=7262420.333)

(三) 原告梅田知宏

金七二六万二四二〇円(M3、M3=A/6+B3)

(28574522÷6+2500000=7262420.333)

(四) 原告梅田佳孝

金七二六万二四二〇円(M4、M4=A/6+B4)

(28574522÷6+2500000=7262420.333)

七  原告奥中勝代、同奥中嘉代、同奥中三津枝及び同奥中和美について

1  亡奥中及び原告奥中らの生活状況等

原告奥中勝代が亡奥中の妻であること、原告奥中嘉代、同奥中美津枝及び同奥中和美が亡奥中の子であること、原告奥中らの相続分(別表1)、及び、亡奥中の被災状況は、前述のとおりであり、<証拠略>によれば、本件当時、亡奥中は、米穀店を経営し、その間に約二反の田畑を耕作して、妻、中学校から短期大学までの子三名及び自己の両親を養つて、これらの者と幸福な生活を送つていたこと、右米穀店は、亡奥中の父が始めたものであるが、本件当時には同人は七四歳の高齢であるため隠居し、亡奥中とその弟の訴外良三で行つていたこと、本件当時、亡奥中は、原告奥中勝代に生活費として毎月金三〇万円を渡し、自己の父に月約五万円の小遣いを渡し、これらとは別に自己の小遣いを使つていたこと、本件事故後、原告奥中勝代が訴外良三とともに米穀店を行つたが、配達ができないため、原告奥中嘉代が、短期大学を中途退学して手伝つたこと、及び、亡奥中が本件で死亡したことによる原告奥中らの精神的苦痛は極めて大きなものであることが認められる。

2  亡奥中の捜索状況

亡奥中の遺体が昭和五七年八月五日に発見されたことは前述のとおりであり、<証拠略>によれば、亡奥中の捜索は、八月一日から同月五日まで行われたことが認められる。

3  亡奥中の逸失利益(A)

(一) 年収 金四七八万〇九〇〇円(X、昭和五七年度賃金センサスによる、産業計、企業規模計、学歴計、四五歳から四九歳までの男子の平均賃金。)

(二) 生活費控除率 四〇パーセントが相当である。(Y=〇・四)

(三) 死亡時の年令 満四六歳(昭和一一年六月二七日生。<証拠略>で認定。)

(四) 稼働可能期間 二一年

(五) 右稼働可能期間の新ホフマン係数 一四・一〇四(Z)

(六) 死亡時の逸失利益の額

金四〇四五万七八八八円{A、A=X×(1-Y)×Z}

{4780900×(1-0.4)×14104=40457888.16}

4  慰謝料

(一) 原告奥中勝代  金七〇〇万円が相当である。(B1)

(二) 原告奥中嘉代  金二五〇万円が相当である。(B2)

(三) 原告奥中三津枝 金二五〇万円が相当である。(B3)

(四) 原告奥中和美  金二五〇万円が相当である。(B4)

5  葬祭費 金五〇万円が相当である。(C)

6  捜索費 金三〇万円が相当である。(D)

7  死体検案書代 金一万四二〇〇円(E、<証拠略>で認定。)

8  弁護士費用以外の損害合計

(一) 原告奥中勝代

金二八〇四万三一四四円(M1、M1=A/2+B1+C+D+E)

(40457888÷2+7000000+500000+300000+14200=28043144)

(二) 原告奥中嘉代

金九二四万二九八一円(M2、M2=A/6+B2)

(40457888÷6+2500000=9242981.333)

(三) 原告奥中三津枝

金九二四万二九八一円(M3、M3=A/6+B3)

(40457888÷6+2500000=9242981.333)

(四) 原告奥中和美

金九二四万二九八一円(M4、M4=A/6+B4)

(40457888÷6+2500000=9242981.333)

八  原告下岡民子、同下岡恵美、同下岡智恵及び同下岡直美について

1  亡下岡及び原告下岡らの生活状況等

原告下岡民子が亡下岡の妻であること、原告下岡恵美、円下岡智恵及び同下岡直美が亡下岡の子であること、原告下岡らの相続分(別表1)、及び、亡下岡の被災状況は、前述のとおりである。<証拠略>によれば、本件当時、亡下岡は、妻及び中学校から高等学校までの子三名とともに幸福な生活を送つていたことが認められ、本件で亡下岡が死亡したことによる原告下岡らの精神的苦痛は極めて大きいものであることが認められる。

2  亡下岡の捜索状況

亡下岡の遺体が昭和五七年八月八日に発見されたことは前述のとおりであり、<証拠略>によれば、亡下岡の捜索は、八月一日から同月八日まで行われたことが認められる。

3  亡下岡の逸失利益(A)

(一) 年収 金四二八万七四一〇円(X、<証拠略>で認定。)

(二) 生活費控除率 四〇パーセントが相当である。(Y=〇・四)

(三) 死亡時の年令 満四四歳(昭和一二年一〇月三〇日生。<証拠略>で認定。)

(四) 稼働可能期間 二三年

(五) 右稼働可能期間の新ホフマン係数 一五・〇四五(Z)

(六) 死亡時の逸失利益の額

金三八七〇万二四五〇円{A、A=X×(1-Y)×Z}

{4287410×(1-0.4)×15.045=38702450.07}

4  慰謝料

(一) 原告下岡民子 金七〇〇万円が相当である。(B1)

(二) 原告下岡恵美 金二五〇万円が相当である。(B2)

(三) 原告下岡智恵 金二五〇万円が相当である。(B3)

(四) 原告下岡直美 金二五〇万円が相当である。(B4)

5  葬祭費 金五〇万円が相当である。(C)

6  捜索費 金四〇万円が相当である。(D)

7  那賀町役場死体検案書証明代 金三三〇〇円(E、<証拠略>で認定。)

8  弁護士費用以外の損害合計

(一) 原告下岡民子

金二七二五万四五二五円(M1、M1=A/2+B1+C+D+E)

(38702450÷2+7000000+500000+400000+3300=27254525)

(二) 原告下岡恵美

金八九五万〇四〇八(M2、M2=A/6+B2)

(38702450÷6+2500000=8950408.333)

(三) 原告下岡智恵

金八九五万〇四〇八円(M3、M3=A/6+B3)

(38702450÷6+2500000=8950408.333)

(四) 原告下岡直美

金八九五万〇四〇八円(M4、M4=A/6+B4)

(38702450÷6+2500000=8950408.333)

九  原告門について

1  原告門の被災状況等

原告門の被災状況は前述のとおりであり、<証拠略>によれば、本件事故により、長時間死に直面させられた原告門の精神的苦痛は、極めて大きなものであることが認められる。

2  慰謝料 金一〇〇万円が相当である。(A)

3  物損(B)

<証拠略>によれば、原告門が本件事故によつて失つた物及びその時価又は購入価格は次のとおりであることが認められ、<1>ないし<6>の物の再調達するための時価は少なくとも次の購入価格以上であることが推認できるから、原告門の本件事故による物損の額は、少なくとも次の時価又は購入価格の額であることが認められる。

喪失物 時価又は購入価格

<1> 釣り竿一本         金四万五〇〇〇円(購入価格)

<2> 釣り針、釣り糸、鉛     金二万八〇〇〇円(購入価格)

<3> ゴム長           金一万八〇〇〇円(購入価格)

<4> 鮎鑑札           金七〇〇〇円(購入価格)

<5> 鮎缶            金六〇〇〇円(購入価格)

<6> ビール二缶         金五〇〇円(購入価格)

<7> ナツプサツク、弁当、カツパ 金五〇〇〇円(時価)

右合計 金一〇万九五〇〇円(B)

4  亡下岡の葬儀、捜索費等について

原告門は、亡下岡の捜索及び葬祭等のための<1>モーターボート借賃、<2>右モーターボート世話人謝礼、<3>自動車交通費、<4>捜索打ち合わせ茶代、<5>軽二輪車(捜索用)、<6>捜索時食費、<7>亡下岡の捜索参加者の日当、<8>花代、<9>亡下岡の火葬費、<10>亡下岡の密葬費、<11>寺謝礼、<12>亡下岡の告別式出席のための休業損害、<13>香典、<14>法事御仏前及び<15>亡下岡の死亡証明書並びに警察の実況検分立会のための<17>休業損害及び<18>自動車交通費を損害として主張するが、これらは、原告門の本件事故と相当因果関係のある原告門の損害とは認められない。

<証拠略>によれば、原告門は本件訴訟のために弁護士の現場検分に同行するためガソリン代(<16>自動車交通費)として金五〇〇〇円(C)を要したことが認められ、これは原告門の本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。

5  弁護士費用以外の損害合計

金一一一万四五〇〇円(M、M=A+B+C)

(1000000+109500+5000=1114500)

第九過失相殺及び損益相殺

一  キヤンプ及び釣りを行うにあたつて注意すべき事項

<証拠略>によれば、キヤンプ及び釣りを行う者は、気象についての情報を得て天候に注意し、安全を考えて行動すべきであり、河川の中州はテントを張る場所として危険な場所であることが認められる。ただし、気象情報の収集や安全を考えての行動といつても、一般のキヤンパーや釣り人は、通常人としての注意を払えば足り、一歩間違えば極めて多数の者に重大な危害を及ぼすおそれのあるダム管理者が高度の専門的知識に基づくダム管理上の注意義務を負うのとは異なり、その要求される程度は低いものである。

二  七月三一日から八月一日にかけての天気予報、注意報、警報等

1  吉野川の特性

前述のとおり、吉野川の上流には、わが国最大の多雨地域であり、台風がまだ日本本土から離れた海上にある早い時期から降雨の始まる、大台ヶ原山系が存在する。

2  七月三一日の気象状況

前述のとおり、台風一〇号は、一時は中心気圧九〇五ミリバールを記録した超大型台風であり、七月三一日午後九時には、小笠原諸島父島の西約四五〇キロメートル(北緯二七度〇五分、東経一三七度三〇分)の海上を、中心気圧九五〇ミリバール、中心から半径三〇〇キロメートル以内では風速二五メートルの、中心から半径六〇〇キロメートル以内では風速一五メートルの強風が吹いているという勢力で、北に向かつて時速一〇キロメートルのスピードで進行しており、大型台風として強い勢力を保ちつつ、日本本土を直撃することが予想され、大迫ダムがある奈良県も同台風の通過予想地域に含まれており、日本本土では梅雨があけていない地域もあつて、梅雨前線が関東地方南方から東方にのびて停滞していた。

3  七月三一日の天気予報

前述のとおり、七月三一日夕刻には、八月一日には関西地方で台風の影響によるにわか雨が降る旨の気象台の予報が出されていた。

4  八月一日の降雨状況

原告門及び死亡者らの被災場所並びに亡森田の当時の居住場所は前述のとおりであり、<証拠略>によれば、八月一日午前は、大阪府、和歌山県、奈良県では、それぞれある程度の降雨があり、亡森田、同稲葉、同梅田、同奥中、同下岡及び原告門の当時の各居住地、並びに、原告門及び死亡者らの各被災場所は、いわゆる天気の良い状態ではなかつたことが認められる。

5  本件当時の注意報及び警報

前述のとおり、奈良県では、七月三一日午後一〇時五〇分、大雨雷雨注意報が発令され、八月一日午前一時一〇分には、大雨洪水警報に切り換えられた。

また、気象台の発令する注意報及び警報が、一般の国民に対し、気象現象による危害発生のおそれを知らせる機能を有することは、公知の事実である。したがつて、洪水の危険のある河道内でキヤンプ又は釣りを行い又は行おうとする者は、ラジオ、テレビ、電話等でこれらの気象情報を得、それに従つて危険を回避すべきである。特に、右の2ないし4のような条件の下で右1のとおりの特性の吉野川に在川ないし入川する場合には、その必要性が高い。

そして、大雨洪水警報が発令されている場合には、その地域の河川及びその下流では洪水の発生するおそれが大きいのであるから、これらの河川の河道内にいるものはすみやかに退川すべきであるし、新たに河道内に入ることは差し控えるべきである。

三  原告門及び死亡者らの過失

1  亡塩崎について

前述のとおり、亡塩崎及び訴外西山は、吉野川の流れに挾まれた岩場にできた州でテントを張つてキヤンプをしており、テントに落ちる水滴の音で目を覚まし、テント内で小物を整理した後、テントをたたんでいるときに、本件放流による急激な増水が始まつたのであり、また、<証拠略>によれば、本件当時、亡塩崎らは、ラジオ等を携帯しておらず、天気予報を聞かないで、前述の大雨雷雨注意報及び大雨洪水警報を知らなかつたことが認められる。

亡塩崎らは、就寝中に流されたわけではないが、河川内の流れに挾まれた岩場等でテントを張つてキヤンプをするのは、一時的に遊ぶのと異なり、退川のための行動がすみやかにとれないから危険であり、このような場所をキヤンプ場所として選ばざるを得ない場合には特に、前述のとおり注意報、警報等の気象情報を得ることが必要である。同人らは、ラジオ等の注意報、警報等の気象情報を得て危険を回避するための手段を持つていなかつたのであるから、キヤンプ場所として河川内の流れに挾まれた場所を選ぶべきではなかつたのであり、亡塩崎には、気象情報を得る手段を持たずに、河川内の流れに挾まれた場所でテントを張つてキヤンプをしたことについて過失がある。

なお、被告は、警報車五七九号は警告放送を宮滝大橋の上で三回繰り返しており、亡塩崎らにはこれが聞こえたはずである旨主張するが、警報車五七九号が宮滝大橋で特別の警報を行つたと認められないことは前述のとおりであり、警報車五七九号による警告放送が、夜間テント内で就寝している者に聞きとることができたと認めるに足りる証拠はない。

また、立札についての被告の主張が理由のないことも前述のとおりである。

2  亡大田について

前述のとおり、亡大田は泳ぎができなかつたが、同人及び訴外井上は、吉野川の左岸の端から約三〇メートル、本流から約四〇メートルの距離の河原でテントを張つてキヤンプをしており、八月一日午前一時ころ、テントをたたく激しい雨の音で目を覚まし、雨漏りによるテント内の水を排水しながら、夜が明けたら帰ることに決め、午前五時過ぎころから荷物をまとめいつでも帰れる状態にしていたが、午前六時ころ食事の用意を始めたとき、訴外福本から警告を受け、そのころから本件放流による急激な増水が始まつたのであり、また、<証拠略>によれば、本件当時、亡大田らは、ラジオを携帯していたが、それによつて天気予報は聞かず、前述の大雨雷雨注意報及び大雨洪水警報を知らなかつたことが認められる。

右の状況の下では、亡大田らは、前述のとおりラジオによつて注意報、警報等の気象情報を得、すみやかに退川すべきであつた。したがつて、亡大田には、ラジオによつて気象情報を得ず、しかも、一旦荷物をまとめておきながら、気象情報を得ないまま、退川せずに、食事の用意まで始めたことについて過失がある。

なお、被告は、立札及び訴外村上の警告について主張するが、これらの理由のないことは前述のとおりである。

3  亡森田、同稲葉、同梅田、同奥中、同下岡及び原告門について

亡森田、同稲葉、同梅田、同奥中、同下岡及び原告門は、前述のとおり台風が近付きつつあり、天候も良いとはいえないときに、大台ヶ原が上流にある吉野川の河道内で釣りをするのであるから、右一5のとおり、ラジオ、テレビ、電話等で注意報、警報等の気象情報を得、それに従つて吉野川の河道内での釣りは差し控えるべきであつた。

ところが、前述のとおり、奈良県に大雨洪水警報が発令されているにもかかわらず、右六名の者及びその同行者は吉野川の河道内で釣りを行つており、右事実に<証拠略>を総合すれば、右六名の者及びその同行者は、当時奈良県に大雨洪水警報が発令されていることを知らずに、吉野川の河道内で釣りを行つたことが認められる。

したがつて、右の六名の者には、気象情報を簡単に得ることができ、大雨洪水警報の発令を知ることができるのに、これを怠り漫然と吉野川の河道内で釣りを行つたことについて過失がある。

なお、被告は、立札及び降雨による増水が始まつていたことについて主張するが、これらの理由のないことは前述のとおりである。

また、被告は、当時の増水に対する避難の行動がすみやかでなかつたこと等も主張しているが、前述のとおり本件放流による増水は群を抜いて急激なものであり、逃げ切ることができた者が幸運であつたというべきであつて、僅かの遅れ等によつて逃げ切れなかつたことを過失として論ずることはできない。

四  過失割合

右の原告門及び死亡者らに要求される行為については、前述のとおり、一歩間違えば極めて多数の者に重大な危害を及ぼすおそれのあるダムを管理する者等と比べ、その要求される程度が低いものであること、及び、本件放流及びそれにともなう危害防止措置についての被告のダム管理の瑕疵が極めて著しいものであることなど以上の認定の諸事実に照らすと、原告門及び各死亡者にも過失があり、その過失割合を二割と認めるのが相当である。

五  原告大田照子についての損益相殺

前述のとおり、原告大田照子は、昭和五八年から昭和六一年まで、毎年金六四万円の遺族年金を受けており、亡大田の死亡時の右年金の評価額は、年額金六四万円に四年の新ホフマン係数三・五六四を乗じた、金二二八万〇九六〇円である。

(640000×3.564=2280960)。

したがつて、右四によつて過失相殺した金一三六二万七二〇〇円(前記第八、三7の弁護士費用以外の損害合計(M)に〇・八を乗じた金額。)から右金額を控除すると、金一一三四万六二四〇円となる。

(17034000×0.8=13627200

13627200-2280960=11346240)

六  被告の賠償すべき金額(弁護士費用を除く)

以上によれば、原告らの、弁護士費用以外の損害金額は、以下のとおりである(原告大田照子については、右五の金額。その余の原告らについては、前記第八の各原告の弁護士費用以外の損害合計(各M、M1、M2、M3又はM4)にそれぞれ〇・八を乗じた金額。)。

原告塩崎庄一 金一七八七万五七五九円

(22344699×0.8=17875759.2)

同塩崎笑子 金一六六七万五七五九円

(20844699×0.8=16675759.2)

同大田照子 金一一三四万六二四〇円

(右五のとおり)

同森田豊子 金一八五〇万五三六四円

(23131706×0.8=185053648)

同森田眞治及び同森田光美 各金八九二万七〇〇二円

(11158753×0.8=89270014)

同稲葉咲子 金二一六〇万九五〇八円

(27011885×0.8=21609508)

同稲葉力及び同稲葉美佐枝 各金一〇三二万四七五三円

(12905942×0.8=10324753.6)

同梅田町子 金一七六七万四六〇八円

(22093261×0.8=17674608.8)

同梅田容子、同梅田知宏及び同梅田佳孝 各金五八〇万九九三六円

(7262420×0.8=5809936)

同奥中勝代 金二二四三万四五一五円

(28043144×0.8=22434515.2)

同奥中嘉代、同奥中三津枝及び同奥中和美 各金七三九万四三八四円

(9242981×0.8=73943848)

同下岡民子 金二一八〇万三六二〇円

(27254525×0.8=21803620)

同下岡恵美、同下岡智恵及び同下岡直美 各金七一六万〇三二六円

(8950408×0.8=7160326.4)

同門宏正 金八九万一六〇〇円

(1114500×0.8=891600)

第一〇弁護士費用

本件事案の内容、請求認容額、その他本件に現れた一切の事情を斟酌すれば、被告が原告らに賠償すべき弁護士費用の金額は、以下のとおりである。

原告塩崎庄一 金一六五万円

同塩崎笑子 金一五五万円

同大田照子 金一一〇万円

同森田豊子 金一七〇万円

同森田眞治及び同森田光美 各金九〇万円

同稲葉咲子 金一九五万円

同稲葉力及び同稲葉美佐枝 各金一〇五万円

同梅田町子 金一六〇万円

同梅田容子、同梅田知宏及び同梅田佳孝 各金六〇万円

同奥中勝代 金二〇〇万円

同奥中嘉代、同奥中三津枝及び同奥中和美 各金七五万円

同下岡民子 金一九五万円

同下岡恵美、同下岡智恵及び同下岡直美 各金七〇万円

同門宏正 金一〇万円

第一一被告が原告らに賠償すべき金額の総合計

以上によれば、被告が、原告らに賠償すべき金額の総合計は、以下のとおりである(各原告について、それぞれ前記第九、六の金額に前記第一〇の金額を加算した金額。)。

原告塩崎庄一 金一九五二万五七五九円

(17875759+1650000=19525759)

同塩崎笑子 金一八二二万五七五九円

(16675759+1550000=18225759)

同大田照子 金一二四四万六二四〇円

(11346240+1100000=12446240)

同森田豊子 金二〇二〇万五三六四円

(18505364+1700000=20205364)

同森田眞治及び同森田光美 各金九八二万七〇〇二円

(8927002+900000=9827002)

同稲葉咲子 金二三五五万九五〇八円

(21609508+1950000=23559508)

同稲葉力及び同稲葉美佐枝 各金一一三七万四七五三円

(10324753+1050000)=11374753)

同梅田町子 金一九二七万四六〇八円

(17674608+1600000=19274608)

同梅田容子、同梅田知宏及び同梅田佳孝 各金六四〇万九九三六円

(5809936+600000=6409936)

同奥中勝代 金二四四三万四五一五円

(22434515+2000000=24434515)

同奥中嘉代、同奥中三津枝及び同奥中和美 各金八一四万四三八四円

(7394384+750000=8144384)

同下岡民子 金二三七五万三六二〇円

(21803620+1950000=23753620)

同下岡恵美、同下岡智恵及び同下岡直美 各金七八六万〇三二六円

(7160326+700000=7860326)

同門宏正 金九九万一六〇〇円

(891600+100000=991600)

第一二結論

よつて、原告らの本訴請求は、被告に対し、

原告塩崎庄一が金一九五二万五七五九円、

同塩崎笑子が金一八二二万五七五九円、

同大田照子が金一二四四万六二四〇円、

同森田豊子が金二〇二〇万五三六四円、

同森田眞治及び同森田光美が各金九八二万七〇〇二円、

同稲葉咲子が金二三五五万九五〇八円、

同稲葉力及び同稲葉美佐枝が各金一一三七万四七五三円、

同梅田町子が金一九二七万四六〇八円、

同梅田容子、同梅田知宏及び同梅田佳孝が各金六四〇万九九三六円、

同奥中勝代が金二四四三万四五一五円、

同奥中嘉代、同奥中三津枝及び同奥中和美が各金八一四万四三八四円、

同下岡民子が金二三七五万三六二〇円、

同下岡恵美、同下岡智恵及び同下岡直美が各金七八六万〇三二六円、

同門宏正が金九九万一六〇〇円

並びに右の各金員のうち弁護士費用を除いた、

原告塩崎庄一については金一七八七万五七五九円、

同塩崎笑子については金一六六七万五七五九円、

同大田照子については金一一三四万六二四〇円、

同森田豊子については金一八五〇万五三六四円、

同森田眞治及び同森田光美については各金八九二万七〇〇二円、

同稲葉咲子については金二一六〇万九五〇八円、

同稲葉力及び同稲葉美佐枝については各金一〇三二万四七五三円、

同梅田町子については金一七六七万四六〇八円、

同梅田容子、同梅田知宏及び梅田佳孝については各金五八〇万九九三六円、

同奥中勝代については金二二四三万四五一五円、

同奥中嘉代、同奥中三津枝及び同奥中和美については各金七三九万四三八四円、

同下岡民子については金二一八〇万三六二〇円、

同下岡恵美、同下岡智恵及び同下岡直美については各金七一六万〇三二六円、

同門宏正については金八九万一六〇〇円

に対する営造物である大迫ダムの管理の瑕疵によつて原告らが損害を被つた日である昭和五七年八月一日から支払い済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める限度において理由があるからこれを認容し、その余はいずれも失当であるからこれらを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条九二条本文九三条一項但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用し、仮執行免脱宣言については相当でないからこれを付さないこととして主文のとおり判決する。

(裁判官 小北陽三 辻本利雄 長谷川恭弘)

別図第1・2 <略>

別表第1~4 <略>

別表1~25 <略>

別紙立札の様式1~8 <略>

別図1~22 <略>

別紙 ≪略語・用語表≫

本判決(ただし、主文を除く。)においては、次のとおりの略語及び用語を使用する。そのほか、個別的に注記するものもある。

一 人物について

1 吉野川ないし紀の川で死亡した者(原告ら主張)及び

原告門宏正について

「原告門」 原告門宏正

「亡塩崎」 塩崎正人

「亡大田」 大田孟

「亡森田」 森田正治

「亡稲葉」 稲葉稔

「亡梅田」 梅田惣一

「亡奥中」 奥中嘉晴

「亡下岡」 下岡俊文

「死亡者」 以上のうち原告門以外の七名

2 死亡者の被災時の同行者(原告ら主張)について

「訴外西山」 西山春志(亡塩崎の同行者)

「訴外井上」 井上進(亡大田の同行者)

「訴外石田」 石田敏夫(亡梅田及び同奥中の同行者)

「訴外東条」 東条正直(亡梅田及び同奥中の同行者)

3 被告側の職員について

「訴外宮田」 宮田留男(農林水産省近畿農政局紀の川用水農業水利事業所大迫支所長)

「訴外山田」 山田賢(同事業所次長)

「訴外小西」 小西尚信(同事業所下渕支所長)

「訴外嶌田」 嶌田某(同事業所津風呂支所長)

「訴外雑賀」 雑賀薫(同事業所大迫支所管理第二係長)

「訴外生駒」 生駒常一(同支所管理第一係技官)

「訴外土井(政)」 土井政市(同支所管理第一係長)

「訴外土井(盛)」 土井盛豪(同支所技術員)

「訴外松本」 松本和広(同支所技術員)

「訴外瀬戸」 瀬戸金次(同支所管理員)

「訴外村上」 村上直紀(同事業所下渕支所管理第一係長)

「訴外東嶋」 東嶋清次(同支所管理第二係長)

「訴外安川」 安川一彦(同支所事務官)

「訴外川越」 川越俊之(同支所事務官)

「訴外白草」 白草茂之(同支所管理員)

「大迫ダム関係者」 以上の被告側の職員

「訴外中村」 中村正(近畿農政局建設部水利課職員)

「訴外古倉」 古倉寛(近畿農政局建設部水利課長)

4 その他の者について

「訴外福本」 福本繁(亡大田の被災時に居合わせた者―原告ら主張)

「訴外福田」 福田某(亡森田が吉野川を流されていくのを目撃した者―原告ら主張)

「訴外小松」 小松file_4.jpg之(亡稲葉の被災時に居合わせた者―当事者間に争いがない。)

「訴外岡本」 岡本元一(吉野町消防団中荘支団支団長―被告主張)

「訴外田向」 田向達雄(同支団第四分団長―被告主張)

「訴外上田」 上田富雄(同支団第三分団団員―被告主張)

「訴外坂本」 坂本稔(同支団第二分団団員―被告主張)

「訴外山岡」 山岡節雄(吉野警察署新子駐在所巡査―被告主張)

二 被告の機関等について

「操作規程」 大迫ダム操作規程

「水利事業所」 農林水産省近畿農政局紀の川用水農業水利事業所

「大迫支所」 同事業所大迫支所

「下渕支所」 同事業所下渕支所

「津風呂支所」 同事業所津風呂支所

「国職員」 国家公務員である職員

「委託職員」 被告との契約により民間から派遣された職員

「管理員」 右委託職員の一種

「技術員」 右委託職員の一種

「警告板」 被告が河川法四八条、同法施行令三一条に基づくものと主張する立札

「注意立札」 被告が法令によるものでないと主張する立札

三 地名等について

以下には、主要なもののみ挙げる。そのほか、地名等については、特に注記せずに適宜略語等を用いる。

「吉野川」 奈良県から和歌山県へ流下する吉野川(和歌山県五條市隅田より上流)及び紀の川(同地点より下流)

「窪垣内」 奈良県吉野郡吉野町大字窪垣内

「矢治」 奈良県吉野郡吉野町大字矢治

「樫尾」 奈良県吉野郡吉野町大字樫尾

「宮滝大橋」 奈良県吉野郡吉野町大字宮滝の吉野川の宮滝大橋

「阿知賀」 奈良県吉野郡下市町大字阿知賀

「下渕」 奈良県吉野郡大淀町大字下渕

「東阿田」 奈良県五條市東阿田町

「上島野」 奈良県五條市島野町の一部

「六倉」 奈良県五條市六倉町

「隅田」 和歌山県橋本市隅田町

「西渋田」 和歌山県伊都郡かつらぎ町大字西渋田

四 その他について

「七月三一日」 昭和五七年七月三一日

「八月一日」 昭和五七年八月一日

「左岸」 上流側からみての河川の左側の岸(一般の用語)

「右岸」 上流側からみての河川の右側の岸(一般の用語)

距離、体積、時間等の単位等については、一般の用語例にしたがい、適宜「m」「m3」「sec」「s」等の記号を用いる。

時刻について、「午前」「午後」を特に表示しない場合には、二四時間制による表示である。

別紙 大迫ダム操作規程

農林省

建近河管第一六八号

(和歌山工事事務所長経由)

農林大臣

昭和四九年五月三一日付四二近建第七七三号(利)で河川法第四七条第一項の承認の申請のあつた大迫ダム操作規程については、承認する。

昭和四九年六月一四日

近畿地方建設局長 [印]

大迫ダム操作規程

目  次

第一章 総則(第一条~第八条)

第二章 ダム等の管理の原則

第一節 流水の貯留及び放流の方法(第九条~第一二条)

第二節 放流の際にとるべき措置等(第一三条~第一八条)

第三章 洪水における措置に関する特則(第一九条~第二一条)

附則

第一章 総則

(趣旨)

第一条 この規程は、大迫ダム(以下「ダム」という。)の操作の方法のほか、ダム及び大迫貯水池(以下「貯水池」という。)の管理に関し必要な事項を定めるものとする。

(管理主任技術者)

第二条 大迫ダム(以下「ダム」という。)に、河川法(昭和三九年法律第一六七号。以下「法」という。)第五〇条第一項に規定する管理主任技術者一人を置く。

2 前項の管理主任技術者は、部下の職員を指揮監督して、法及びこれに基づく命令並びにこの規定の定めるところにより、ダム及び貯水池の管理に関する事務を誠実に行なわなければならない。

(ダム及び貯水池の諸元等)

第三条 ダム及び貯水池の諸元その他これに類するダム及び貯水池の管理上参考となるべき事項は、次のとおりとする。

(1) ダム

イ 高さ        七〇・五m

ロ 提頂の標高  標高四〇〇・五m

ハ 越流頂の標高 標高三九〇・〇m

ニ 洪水吐ゲート

(イ) 個々のゲートの規模および数

高さ八・六五mで幅九mのもの五門

(ロ) 個々の開閉の速さ

一分につき 〇・三m(周速)

ホ 放流管バルブ

(イ) 規模及び数 内径一・三mのもの一門

(ロ) 開閉に係る開度変化率 一分につき 一四・三%以下

ヘ 計画洪水流量 二・三〇〇m3/S

(2) 貯水池

イ 直接集水地域の面積  一一四・八km2

ロ 湛水区域の面積     一・〇七km2

ハ 最大背水距離       七・四km

ニ 計画洪水位    標高三九八・五m

(水位計による表示三九八・五m)

ホ 常時満水位    標高三九八・〇m

(水位計による表示三九八・〇m)

ヘ 最低水位     標高三五一・〇m

ト 有効貯水量 二六、七〇〇、〇〇〇m3

(3) 最大補給水量 二〇m3/S

(洪水及び洪水時)

第四条 この規定において「洪水」とは、貯水池への流入量(以下「流入量」という。)が三五〇m3/S以上であることをいい、「洪水時」とは、洪水が発生しているときをいう。

(洪水警戒時)

第五条 この規定において「洪水警戒時」とは、ダムに係る直接集水地域の全部又は、一部を含む予報区を対象として暴風雨警報又は大雨警報が行なわれ、その他洪水が発生するおそれが大きいと認められるに至つた時から、洪水時に至るまで又は洪水時に至ることがなくこれらの警報が解除され、若しくは切り替えられ、その他洪水が発生するおそれが少ないと認められるに至るまでの間をいう。

(予備警戒時)

第六条 この規定において「予備警戒時」とは、前条の予報区を対象として風雨注意報又は大雨注意報が行なわれ、その他洪水が発生するおそれがあると認められるに至つた時から、洪水警戒時に至るまで又は、洪水警戒時に至ることがなくこれらの注意報が解除され、若しくは切り替えられ、その他洪水が発生するおそれがないと認められるに至るまでの間をいう。

(貯水位の算定方法)

第七条 貯水池の水位(以下「貯水位」という。)は、大迫貯水池水位観測所の水位計の読みに基づいて算定するものとする。

(流入量の算定方法)

第八条 流入量は、筏場、栃谷及び伯母谷の各水位観測所地点における本沢川、北股川及び伯母川のそれぞれ河川流量の合算量に一・二七六の係数を乗じて流量を算定するものとする。

2 前項の本沢川、北股川及び伯母谷川の流量は、筏場、栃谷及び伯母谷川の各水位観測所において測定した本沢川、北股川及び伯母谷川の水位に基づいて、それぞれ算定するものとする。

3 前二項の規定にかかわらず、これらの規定する方法によつては流入量を正確に算定することができないと認められる事情があるときは、流入量は、これを算定すべき時を含む一定の時間における貯水池の貯水量の増分と当該一定の時間における貯水池からの延べ放流量との合算量を当該一定の時間で除して算定するものとする。

4 前項の貯水量の増分は、同項の一定の時間が始まる時及びこれが終る時における貯水位にそれぞれ対応する貯水池の貯水量を別図第一により求め、これを差引計算して算定するものとする。

第二章 ダム等の管理の原則

第一節 流水の貯留及び放流の方法

(流水の貯留の最高限度)

第九条 貯水池における流水の貯留は、第二一条第一号の規定により貯水池に流水を貯留する場合を除くほか、常時満水位をこえてしてはならない。

(ダムから放流することができる場合)

第一〇条 ダムの洪水吐からの放流は次の各号のうち第二号から第五号に該当する場合に限り、ダムの放流管バルブからの放流は、次の各号に該当する場合に限り、それぞれすることができるものとする。

(1) 下流における他の河川の使用のため必要な河川の流量を確保する必要があるとき。

(2) 前条の規定を守るため必要があるとき。

(3) 第二一条第一号の規定により貯水池から放流するとき。

(4) ダムその他貯水池内の施設又は工作物の点検又は、整備のため必要があるとき。

(5) その他やむを得ない必要があるとき。

(放流の開始及び放流量の増減の方法)

第一一条 貯水池からの放流は、第二一条第一号の規定によつてする場合を除くほか、下流の水位の急激な変動を生じないように、別図第二に定めるところによつてしなければならない。ただし、流入量が急激に増加しているときは、当該流入量の増加率の範囲内において、貯水池からの放流量を増加することができる。

(洪水吐ゲートおよび放流管バルブの操作の方法)

第一二条 ダムの洪水吐ゲートを構成する個々のゲート(以下この条において「ゲート」という。)は、左岸に最も近いものから右岸に向かつて順次「第一号ゲート」、「第二号ゲート」、「第三号ゲート」、「第四号ゲート」及び「第五号ゲート」という。

2 ダムの洪水吐から放流する場合においては、ゲート次の順序によつて開き、第五号ゲートを開いた後さらにその放流量を増加するときは、同様の操作を繰り返すものとし、開かれたゲートを閉じるときは、これを開いた順序の逆の順序によつてするものとする。

第三号ゲート

第二号ゲート

第四号ゲート

第一号ゲート

第五号ゲート

3 前項の場合におけるゲートの一回の開閉の動きは、〇・五mをこえてはならない。ただし、流入量が急激に増加している場合において、第九条の規定を守るためやむを得ないと認められるときは、この限りではない。

4 一のゲートを開閉した後引き続いて他のゲートを開閉するときは、当該一のゲートの動きが止んだ時から少なくとも三〇秒を経過した後でなければ当該他のゲートを始動させてはならない。

5 ゲート及びダムの放流管バルブは、第一〇条の規定により放流する場合又はダムの洪水吐若しくは放流管の点検若しくは整備のため必要がある場合は除くほか、開閉してはならない。

第二節 放流の際にとるべき措置等

(放流の際の関係機関に対する通知)

第一三条 法第四八条の規定による通知は、ダムの洪水吐又は放流管からの放流(当該放流の中途における放流量の著しい増加で、これによつて下流に危害が生ずるおそれがあるものを含む以下次条において「ダム放流」という。)の開始の少なくとも一時間前に、別表第一―(一)欄に定めるところにより行なうものとする。

2 前項の通知をするときは、近畿地方建設局長に対しても、別表第一(二)欄に定めるところにより、河川法施行令(昭和四〇年政令第一四号。以下「令」という。)第三一条に規定する当該通知において示すべき事項と同一の事項を通知しなければならない。

(放流の際の一般に周知させるための措置)

第一四条 法第四八条の一般に周知させるため必要な措置は、ダム地点から中井川合流地点までの紀の川の区間についてとるものとする。

2 令第三一条の規定により警告は、別表第二に掲げる警告装置及び警報車の拡声機により、それぞれ次に掲げる時期に行なうものとする。

(1) ダム地点に設置された警報装置による警告にあつては、ダム放流の開始以前約三〇分前から約八分間。

(2) ダム地点以外の地点に設置された警告装置による警告にあつては、ダム放流により当該地点における紀の川の水位の上昇が開始されると認められる時以前約三〇分前から約八分間。

(3) 警報車の拡声機による警告にあつては、前項の区間に含まれる各地点について、ダム放流により当該地点における紀の川の水位の上昇が開始されると認められる時の約一五分前。

(ダムの操作に関する記録の作成)

第一五条 ダムの洪水吐ゲート又は放流管バルブを操作した場合においては、次の各号に掲げる事項(その開閉がダム放流を伴わなかつたときは、第一号及び第二号に掲げる事項)を記録しておかなければならない。

(1) 操作の理由

(2) 開閉したゲート又はバルブの名称、その一回の開閉を始めた時刻及びこれを終えた時刻並びにこれを終えた時におけるその開度

(3) ゲート又はバルブの一回の開閉を始めた時及びこれを終えた時における貯水位、流入量ダムの洪水吐又は放流管からの放流に係る放流量及び補給水量。

(4) ダムの洪水吐又は放流管からの放流に係る最大放流量が生じた時刻及びその最大放流量。

(5) 法第四八条の規定による通知(第一三条第二項の規定による通知を含む。)及び令第三一条の規定による警告の実施状況。

(観測及び測定等)

第一六条 法第四五条の規定による観測は、別表第三に定めるところにより行なうものとする。

2 法第四五条の規定により観測すべき事項のほか、別表第四に掲げる事項については、同表に定めるところにより観測又は測定をしなければならない。

3 前項のほか、次条後段の規定に該当するとき、その他ダム又は貯水池について異常かつ重大な状態が発生していると疑われる事情があるときは、すみやかに、別表第四に掲げる事項のうちダムの状況に関するものの測定をしなければならない。

4 法第四五条及び前二項の規定による観測及び測定の結果は、記録しておかなければならない。

(点検及び整備等)

第一七条 ダム及び貯水池並びにこれらの管理上必要な機械、器具及び資材は、定期に、及び時宜によりその点検及び整備を行なうことにより、常時良好な状態に維持しなければならない。特に、洪水又は暴風雨、地震その他これらに類する異常な現象でその影響がダム又は貯水池に及ぶものが発生したときは、その発生後すみやかに、ダム及び貯水池の点検(貯水池付近の土地の形状の変化の観測及びダムに係る地山からにじみ出る水の量と貯水位との関係の検討を含む。)を行ない、ダム又は貯水池に関する異常な状態が早期に発見されるようにしなければならない。

(異常かつ重大な状態に関する報告)

第一八条 ダム又は貯水池に関する異常かつ重大な状態が発見されたときは、直ちに、近畿地方建設局長に対し、別表第一(二)欄の例により、その旨を報告しなければならない。

第三章 洪水における措置に関する特則

(予備警戒時における措置)

第一九条 予備警戒時においては、次の各号に掲げる措置をとらなければならない。

(1) 洪水時において、ダム及び貯水池を適切に管理することができる要員を確保すること。

(2) 次に掲げる設備、機械器具等の点検及び整備を行なうこと。

イ ダムを操作するために必要な機械及び器具(受電、配電及び予備電源の設備を含む。)

ロ 法第四五条の観測施設。

ハ 法第四六条第二項の通報施設。

ニ 令第三一条の規定により警告するための警告装置及び警報車。

ホ 夜間に外で洪水時における作業を行なうため必要な照明設備及び携帯用の電灯。

ヘ その他洪水時におけるダム及び貯水池の管理のため、必要な機械器具及び資材。

(3) 気象官署が行なう気象の観測の成果を的確かつ迅速に収集すること。

(4) 近畿地方建設局長、奈良県知事及び和歌山県知事に対し、別表第一の例による、法第四六条第一項の規定による通報をすること。

(5) 河川法施行規則(昭和四〇年建設省令第七号)第二七条の規定の例により、ダムの操作に関する記録を作成すること。

(6) その他ダム及び貯水池の管理上必要な措置。

(洪水警戒時おける措置)

第二〇条 洪水警戒時においては、前条第一号から第五号までに掲げる措置のほか、次の各号に掲げる措置をとらなければならない。

(1) 最大流入量その他流入量の時間的変化を予測すること。

(2) その他ダム及び貯水池の管理上必要な措置。

(洪水時における措置)

第二一条 洪水時においては、第一九条第三号及び第四号並びに前条第一号に掲げる措置のほか、次の各号に掲げる措置をとらなければならない。

(1) 次に定めるところにより、貯水池から放流し、及び貯水池に流水を貯留すること。ただし、貯水池からの放流は、下流の水位の急激な変動を生じないため、必要最小限において、その急激な変動を生じないようにしてすること。

イ 洪水時が始まつた時から、流入量に相当する流量の流水を貯水池から放流し、ダムの洪水吐ゲートを全開することとなるまでの間、これを継続すること。

ロ イの規定にかかわらず、洪水時が始まつた時における貯水位が常時満水位を下まわつているときで常時満水位を越える恐れのあるときは放流管バルブを全開しておき、イに規定する操作を行なうことができない間は、ダムの放流管バルブからの放流量とダムの洪水吐ゲートからの放流量を合算した量を放流するとともに、この合算量を上廻る流入量を貯水池に貯留し、放流量が流入量に等しくなつた以後においてはイの規定により貯水池から放流する。

ハ イに規定する時間が経過した時からダムの洪水吐ゲートを全開しておき、流入量が最大となつた時を経て貯水位が常時満水位に等しくなるまでの間これを継続すること。

ニ ハに規定する時間が経過した時から流入量が三五〇m3/Sになるまでの間においては、流入量に相当する流量の流水を貯水池から放流すること。

(2) 法第四九条の規定による記録の作成をすること。

(3) その他ダム及び貯水池の管理上必要な措置。

附則

この規程は昭和四九年六月一四日から施行する。

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